Via Vino
No. 21 "Pinot Noir"<ピノ・ノワールの饗宴>
<日時・場所>
2008年11月22日(土)12:00〜15:00 東京「エスカール・アビタ」
参加者:10名
<今日のワイン>
フランス・発泡性「シャンパーニュ ブラン・ド・ノワール ヴーヴ・A・ドゥヴォー」
ドイツ・赤「ベッカー シュペートブルグンダー B QbA トロッケン 2006年」
オーストラリア・赤「ステファノ・ルビアナ・エステート ピノ・ノワール 2006年」
フランス・赤「デュジャック・フィス・エ・ペール ジヴレイ・シャンベルタン 2006年」
フランス・赤「A.F.グロ エシェゾー 2001年」
フランス・赤「ジョルジュ・デコンブ ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー 2004年」
<今日のディナー>
カボチャのフラン・ラタトゥイユ
オードブル盛り合わせ(キンキのカルパッチョ、イベリコハムのサラミ他)
ローストビーフ
ホロホロ鳥のローストと豚の香草焼き・レンズ豆の赤ワイン煮
デザート
1.はじめに
神がカベルネを創り、悪魔がピノを創った。
−−−−−アンドレ・チェリチェフ
ピノ・ノワールは、4世紀頃からブルゴーニュで栽培されていたとされる、非常に歴史の古い葡萄品種です。上品な香りときれいな酸を持ち、数多くの信奉者を持つこの品種は、一方で非常に気難しい葡萄でもあります。
単なる湿地帯に過ぎなかったボルドーのメドックが、オランダ人達の手を借りて潅漑された1600年代、ブルゴーニュのワインは既に中世の修道士達によって磨き上げられ、その名声は教会と貴族の上流社会に完全に根付いていました。それよりさかのぼること約300年、1300年代にペストの流行によって荒廃した畑には、ピノ・ノワールの3倍の収量
を見込むことができるガメ種が植えられましたが、ブルゴーニュ公国のフィリップ剛胆公は「このふらちな植物を根絶」するよう勅令を下したと言われています。他の地域では殆ど意識されていなかった葡萄品種の純潔性について、為政者達が非常にこだわりと誇りを持っていたことに驚かされますが、もっともこの勅令もそれほど効果
を発揮した訳ではなく、現在でもガメ種はボジョレ地区においてブルゴーニュ全土のピノ・ノワールをはるかに上回る栽培面
積を誇っています。
ピノ・ノワールは果皮が薄くて痛みやすく、灰色カビ病やベト病にも弱く、生産性の低い難しい品種です。しかも果
皮に由来する色素や風味が少ないため、収穫までの期間を長く保つことのできる寒冷地でなければ真価が発揮できないとされていますが、一方で発芽が早いため寒冷地では霜の害を受けやすく、充分な日照量
を確保できる傾斜地と、排水性と保温性の高い石灰岩土壌を必要とします。まさにあらゆる条件が揃い、手塩にかけてやっと真価を発揮するという、扱いにくい品種なのですが、うまく成功することが出来れば、その辛苦を補って余りある成果
を手に入れることができるわけで、それ故に世界中の生産者達がこの難物に挑みました。ブルゴーニュを筆頭に、ドイツ、北イタリア、南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア、オレゴンなど、世界各国に広がったピノ・ノワールですが、その栽培地域は実際にはかなり限られています。
2.シャンパーニュのテイスティング
●ピノ・ノワールのもう一つの究極を示す「ブラン・ド・ノワール」
乾杯用のシャンパーニュとして、「シャンパーニュ ブラン・ド・ノワール ヴーヴ・A・ドゥヴォー」
を用意して頂きました。
現在発泡性ワインの代表格として知られているシャンパーニュは、古くは薄赤色をした非発泡性ワインでした。16世紀、アンリ4世の時代に、マルヌ川流域モンターニュ・ド・ランスに広大な葡萄園を持っていた大法官ニコラ・ブリュラールは、優雅なワイン造りにこだわった結果
、軽快な味わいを守るために極力果皮を素早く離し、うっすらとブロンズ・ピンクに色付いた「ヴァン・グリ(灰色ワイン)」を作り出します。残糖を含んだまま、ワインは瓶に小分けされ、再発酵を起こし、その一部は泡を吹くようになりました。これが発泡性ワインの始まりとされています。
現在、シャンパーニュでは黒葡萄のピノ・ノワールとピノ・ムニエ、そして白葡萄のシャルドネのみが使用されていますが、シャンパーニュの祖、ドン・ペリニヨンはもっぱらピノ・ノワールとその同系の地方種ピノ・ムニエを中心とした黒葡萄のみを相手にしていました。シャルドネがシャンパーニュ地方に姿を現わしたのは、18世紀に入ってからとされています。シャルドネのみを使用する「ブラン・ド・ブラン」は、高貴な白ワインを思わせる風味で非常に人気がありますが、ピノ・ノワールのみを使用する「ブラン・ド・ノワール」も、ビスケットを思わせる柔らかい風味を持ち、シャンパーニュ本来のなめらかさを備えています。
1846年に設立されたヴーヴ・A・ドゥヴォーは、オーブ県のバール・シュール・セーヌにある協同組合「ユニオン・オーボワーズ」のメインブランドです。この生産者組合はシャンパーニュ地方でも指折りのピノ・ノワール種の栽培に適した土壌を保有しており、そこで産み出される葡萄は素晴らしい出来のものが多く、ランスやエルペネにある名だたるグラン・メゾンも、この協同組合で造られたキュヴェが供給されています。
暖かさを感じさせる優しい黄金色で、洋梨・蜜・スパイスなど、多彩な香りが楽しめます。20%使用するリザーヴワインは、オーク樽で寝かせたもので、そのため若干のヴァニラ香が感じられます。柔らかなアタックと凝縮されたコクがあり、焼きリンゴのような、芳ばしく深みのある味わいで、
細やかな泡が余韻の長さを演出しています。しっかりした酸味の中に、甘い余韻を感じさせるところは、まさにブラン・ド・ノワールならではだと思います。
3.赤ワインのテイスティング
●本家のブルゴーニュ、伝統あるドイツに迫る、新興勢力のオーストラリアワイン
赤ワインでは、ドイツ・ファルツ地方産の「ベッカー シュペートブルグンダー B QbA トロッケン」、オーストラリア・タスマニア産の「ステファノ・ルビアナ・エステート ピノ・ノワール」そしてフランス・ブルゴーニュ産の「デュジャック・フィス・エ・ペール ジヴレイ・シャンベルタン」
の3品を用意して頂きました。ビンテージはいずれも2006年です。
ドイツのピノ・ノワールは、近年かなり高い評価を受けるようになってきました。リースリングの聖地であるラインガウをはじめとして、ドイツは白ワインの産地として知られていますが、歴史をさかのぼれば、現在の代表的な畑にはむしろピノ・ノワールが多く植えられていたのです。1135年、ラインガウの土地に、ブルゴーニュからシトー派の僧侶達が訪れます。1098年設立のシトー派は、ブルゴーニュ大公からムルソーの畑を寄進され、それ以後クロ・ド・ヴージョを本拠地として栽培・醸造の研究を究めていきましたが、その研究成果
はドイツに設立されたクロスター・エバーバッハ修道院にも受け継がれました。歴史を振り返れば、ドイツはまさにブルゴーニュに次ぐ伝統あるピノ・ノワールの産地なのだと言えるのです。気候の厳しさ故、
色も香りも薄く、評価の低かったドイツのピノ・ノワールは、品質向上と地球温暖化の影響で、中世の偉大なテロワールを再現した優秀なワインへと変貌しつつあります。現在、ドイツのピノ・ノワールの作付面
積は、フランスの2/5にまで達しています。
ファルツ最南端にある、フランス・アルザスとの国境の町シュヴァイゲンのフリードリッヒ・ベッカーは、14haの畑を持ち、その生産量
の40%は、シュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)を中心に、ポルドギーザー、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルローなどの赤ワインで占められています。ファルツの巨大な協同組合の後継ぎだった彼は、品質のこだわりから1973年父親の猛反対を押し切り独立、わずか20年で、ワインに賭ける努力と情熱から「ドイツのDRC」と呼ばれるようになりました。小樽熟成ではバトナージュ(澱の撹拌)を一切行わず、無ろ過の状態で瓶詰めされます。このBに関しては3回目から10回目の樽を使用し、オーク香を前面
に出さないようにしています。オークは30%がファルツの森からの物で、残りはフランスのオークを使用しています。エレガントなスタイルで、柔らかな旨みが感じられるとされています。
オーストラリアのピノ・ノワールは、ブルゴーニュと対極にある柔和で温暖な気候のもと、どこかふっくらとした暖かみのあるワインに仕上がるとされています。以前は果
実味のやや強すぎるワインが多かったのですが、タスマニアなど南に位置する冷涼な産地では、緻密でなめらかな、深味のある味わいの物が造られるようになりました。オーストラリアワインの歴史は、18世紀後半から始まりますが、当初は酒精強化ワインが殆どを占めていました。第二次大戦後、白豪主義国家から他民族国家への移行とともに、カベルネ・ソーヴィニヨン、シラーズ、リースリング、セミヨン等の国際品種が植えられるようになり、そのバリエーションは大きく広がります。最南端の最も涼しい州、タスマニア島で葡萄栽培が始まったのはごく最近のこと、1960年代に入ってからです。本土から約240km離れた、北海道より一回り小さい島で、ヨーロッパに似た冷涼な気候と、世界一澄んだ空気に育まれたピノ・ノワールは、まさに絶品と言われています。
ステファノ・ルビアナ・ワインズは、スティーヴ・ルビアナと妻のモニーク・ルビアナによって1990年に設立された小さな家族経営のワイナリーです。長年サウスオーストラリア州リヴァーランドでルビアナ・ワインズを経営していた家族は、より冷涼なワイン生産地を求めて、タスマニアのダーウェント・ヴァレーに移り住みました。河口を望む壮大な眺めの畑は、葡萄の栽培に理想的な条件が整った土地として、オーストラリア国内でも屈指の場所とされています。エステイト・ピノ・ノワールは、野生酵母と開放槽の使用、フレンチオークでの高温発酵など伝統的な手法で造られています。これにより、果
実味とソフトさが見事に調和し、シルキーな口当たりのワインに仕上がります。
ピノ・ノワールの歴史はとりもなおさずブルゴーニュの歴史であるということは、まさに周知の事実なのですが、カリフォルニアやオレゴン、オーストラリアやニュージーランドといった新世界においても、またドイツやイタリアといった同じヨーロッパ世界においても、味わいにおいて本家に勝るとも劣らないワインが登場するに及んで、ブルゴーニュワインもそれらに対抗するために見直しを迫られるようになりました。テロワールへのこだわり、自然派への回帰、クローンの選抜などは皆ここから始まるのです。気難しい品種であるピノ・ノワールは、43品種ものクローンが開発され、使用目的によって様々に使い分けられています。高収量
が重視されたシャンパーニュでは、多産系の375や236といったクローンが使用されていますが、品質重視のブルゴーニュでは、ポリフェノールが豊富で長熟型の777や828といったクローンが使用されます。テロワールの個性を出すため、畑には複数のクローンが植えられています。
デュジャック・フィス・エ・ペールのジャック・セイスはわずか一代で名ドメーヌを築き上げ、その名声は世界に轟いています。26歳にして父親の製菓会社をナビスコに売り、ドメーヌを買い取り、伝統的な醸造法とモダンな技法を融合させ独自のワインを完成させます。初ヴィンテージ1968年は酷評を浴びますが、彼はさらなる投資によって醸造設備を一新、彼のモダンなブルゴーニュは、現在では世界中で高い評価を得ています。無干渉主義をモットーとし、除草剤・化学肥料は最小限に抑え、除梗も基本的に行わず、新樽は非常に軽い焼き加減のものを特級・1級に100パーセント使用。美しく深味のある鮮紅色で、ブラックフルーツ、甘草、ミネラルなどの香りを持つとされています。
今回は異なる産地の同ビンテージのピノ・ノワールが揃ったということで、中身を明かさずブラインドで、「P」「Q」「R」の三つのグラスに注いでお出ししました。色調は「P」が最も明るく、「R」が最も暗くなっています。それに従い香りもタンニンも重くなっています。「P」の香りは非常に華やかで、飲み口も非常になめらかですが、爽やかな余韻が残ります。「Q」の香りはやや複雑味を帯びて若干動物的なニュアンスがあり、「R」の香りは果
実味が強く酸もタンニンもしっかりしたものに仕上がっていました。
人気投票をしてみたところ、「R」が一番好きという方は4名、「P」は3名、「Q」は2名でした。一番人気は色調も風味も濃い「R」でしたが、ソムリエの味岡さんは「P」が一番お勧めとのこと。エレガントさを好むか、ボリューム感を好むかで意見は分かれるようです。
正解は、「P」がドイツ「ベッカー シュペートブルグンダー」、「Q」がフランス・ブルゴーニュ「デュジャック ジヴレイ・シャンベルタン」、
「R」がオーストラリア「ステファノ・ルビアナ・エステート」でした。やはりより冷涼な気候のドイツは明るい色調の香り高いワイン、気候は冷涼でも日照量
のあるオーストラリアは濃い色調のワインとなっていました。
ここでソムリエの味岡さんからもう一杯、ブラインドでグラスの赤ワインが出されました。色調は明るめで、香りは非常に素直、果
実味があり、非常になめらかで抵抗感のない味わい。果たして生産国は? というわけで、私を含め殆どの方がオーストラリアワインではないかと手を上げましたが、正解はなんとブルゴーニュのグラン・クリュ「A.F.グロ エシェゾー 2001年」! 数年間の熟成を経たとは思われぬ
ほど若々しく、フルーティなワインでした。ブルゴーニュはもっと複雑味があり固いもの、という思い込みがあったのですが、あらためて飲み直してみると、その繊細さと余韻は丁寧に造られたワインが持ちうるもので、表面
的な印象だけではもはや旧世界と新世界を見分けることはできないのだなと実感した次第です。
最後にサービスでもう一杯、やや濁りのあるピンク色の赤ワインが出されました。熟したリンゴの香りはビオ・ワインを想起させ、その明るい色調から若いワインだろうと推定する人は多いと思うのですが、正解は「ジョルジュ・デコンブ ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー 2004年」、なんと4年前のボジョレー・ヌーヴォーです! 味岡さんがセラーの奥にたまたま残っていたのをたまたま見つけたのだとか。自然派の造りに間違いはありませんが、それにしても若々しい。元々熟成を想定して造られていないワインにも関わらず、意外とパワフルでした。
4.その他の地域のピノ・ノワール
フランスのその他の地域でも、ピノ・ノワールが栽培されています。ロワールのサンセールは、ソーヴィニヨン・ブランによる白が有名ですが、赤とロゼはピノ・ノワールから造られます。アルザスでは、ピノ・ノワールは16世紀頃から重要な黒葡萄品種として栽培されており、優良なビンテージでは深い色と奥行きのある香りを備えた、ブルゴーニュに劣らない高貴な赤ワインとなります。
新世界を代表するアメリカでも、地域は限られるものの、風味豊かなピノ・ノワールが造られています。オレゴンでは畑に潅漑を行わないため、優秀なピノ・ノワールは、10年以上長熟させると、ブルゴーニュワインと同様にミネラル感のある深い味わいに仕上がります。カリフォルニアはより甘く享楽的な味わいの物が多くなりますが、その中では爽やかな味わいのセントラル・コーストや、スパイシーさを備えたロシアン・ヴァレーなどがお勧めです。
南アフリカのワインは、複雑味のあるフランスワインと果実味のあるカリフォルニアワインの中間に位
置すると言われます。新世界に比べてはるかに歴史の古い南アフリカワインですが、1991年のアパルトヘイト撤廃によって経済制裁が緩和され、新しい技術が導入されるまでは、長い暗黒時代を耐え忍ばざるを得ませんでした。南アフリカのピノ・ノワールは、やや濃い色調で余韻の長いタイプの物が多いようです。
5.ピノ・ノワールの歴史
630年 「クロ・ド・ベーズ」画定〜ブルゴーニュ最古の区画。ベーズ修道院が所有。
910年 マコネ地区にベネディクト派クリュニー修道院創設。広大な葡萄畑を開墾。
1098年 シトー派修道院創設。クロ・ド・ヴージョを本拠地に葡萄の研究。
1130年 ヨハニスベルクにベネディクト派修道院開設
1135年 シトー派のクロスター・エバーバッハ修道院開設
1355(?)年 ブールジュにて仏英会談の際「朱色のピノのワイン」の記録
1374年 品種「ピノ・ノワール」文書に登場
1395年 フィリップ剛胆公のガメ種根絶の勅令
1855年 コート・ドールの葡萄畑の87%はガメ種となる
1978年 カリフォルニアのカレラ・ワイナリー、最初の収穫
1979年 パリでのワインテイスティングでオレゴン注目を浴びる
ブルゴーニュの畑は、最古の区画シャンベルタンのクロ・ド・ベーズを所有したとされるベーズ修道院をはじめとして、マコネからコート・シャロネーズまで広大な葡萄畑を開墾し所有したベネディクト派のクリュニー修道院、そしてそれを受け継ぎ、十字軍の時代にさらに貴族達から優れた土地を寄進や買収によって手に入れたシトー修道院など、多くの修道士達の手によって開発されました。ワインはキリスト教の儀式に欠かすことができず、かつ当時の技術では輸送が困難だったため、新しい修道院が建設されると必ずそこには葡萄畑が併設され、栽培や醸造に関する研究が進められました。過酷な労働条件の元、当時のシトー派修道士の平均寿命は、たったの28年しかなかったと言われています。
時代がさらに下り、畑が拡大して修道士だけではまかないきれなくなると、一般農民達と契約を交わして労働力を移入するようになりました。15世紀にはシトー派所有の畑の殆どがこの賃貸制度によって栽培されるようになり、自給自足の原則は次第に失われていきます。一方この頃、親木の新梢を繋がったまま地中に埋め、地上に出た先端を子木として栽培する「取り木(プロヴィナージュ)」の技術がボーヌの西にあった中世ローマ都市オータンからクロ・ド・ヴージョに導入されます。葡萄は親の特性を受け継ぎにくい性質を持っているので、種から育てると親とはまったくかけ離れた子が育ってしまうのです。従ってこのような特殊な栽培法が古くから伝えられていましたが、それはまさに「永遠の命」の象徴に他ならないものでした。フィロキセラ以後、ブルゴーニュではセレクション・マサル(マス・セレクション)と呼ばれる挿し木法が用いられています。秀逸な特性を持つ株を選び出し、その枝を挿し木で育成するというものです。
カベルネ・ソーヴィニヨンで旧世界を凌ぐワインが造られるようになった新世界でも、ブルゴーニュに迫るピノ・ノワールが誕生するにはやや時間がかかりました。当時入手可能だったピノ・ノワールのクローンは、シャンパーニュやドイツの物で、ブルゴーニュのディジョン・クローン群の入手が可能になったのは1980年代以降のこととされています。自らの調査でモントレー内陸部のマウント・ハーランに石灰岩の露出した斜面
を発見し葡萄畑を開墾したジョシュ・ジェンセンや、パリのブラインド・テイスティングで第2位
に輝いたオレゴン、アイリー・ヴィンヤーズのデビッド・レットなどの手によって、ピノ・ノワールはその活躍の場を広げていきました。しかし、優れたワインへの探求はある意味まだ始まったばかりとも言えるのです。カリフォルニアのセインツベリーの創設者であるディヴィッド・グレイヴス氏は、「極めつけと呼べる新世界のピノ・ノワールの誕生にはあと30年はかかるかな……」と語っています。
6.おわりに
「それは疑う余地なく女性的で、栽培者、醸造者の誰をも苛つかせる品種なのだ。我々をつらいダンスへと誘い、自らが飼い馴らされることには頑強に抵抗する」(ジャンシス・ロビンソン)
ちなみに「ピノ」が葡萄の品種名として文献に登場するのは、1374年ヨンヌ県サン・ブリ村で「収穫中にピノとその他の葡萄を分けなかったために起きた殺人事件に対する特赦状」だと言われています。繊細さと高貴さが身上のピノ・ノワールが、最初に名を現わすのが、よりにもよって「殺人事件の特赦状」だということは、この品種の持つ二面
性をまさに暗示しているように思われます。近年の技術革新による品質向上と、中世の人々が手探りで見出したテロワールへの回帰という、相反する側面
を持ち、知性と感性の両方に訴えかける魅力を持つピノ・ノワールは、その名にあるように、光よりも闇、太陽よりも月明かりがふさわしいのかも知れません。
<今回の1冊>
季刊ワイナートNo.25「特集 ピノ・ノワールの世界」美術出版社
数年経つといつの間にか生産者が変わっていたりするワインの世界では、いくつか書籍を集めてみても既に情報が古かったりするので、特にブルゴーニュの造り手などを確認しようとすると、結局季刊誌や月刊誌でまめにチェックするしかないようです。「季刊ワイナート」は、フルカラーの写
真が多く掲載され、なかなか手に入りそうもないようなワインやその生産地を少なくとも眺めることができるので、創刊号から定期購読しているのですが、1999年の第1号が「カリフォルニア特集」で始まったのにも関わらず、47冊のうち26冊までがフランスワインで占められていて、少々偏っていると言えないこともありません。ちなみに来春からドラマ化されるコミック「神の雫」にも、「協力・ワイナート」の記載があり、この季刊誌からの引用が多く見受けられます。
メインライターの田中克幸氏は、このピノ・ノワール特集号の中にも、通常のワイン雑誌には似付かわしくないような、思い入れのこもった文章を寄せています。「『どのワインが好き?』と聞かれ、『ピノ・ノワール』と答える時、好きという感情の対象はワインではない。……想い叶えたある夜半、カウンターの隣に座るあなたと共に口をつける一杯のピノ・ノワールは、もはやワインではなく、胸掻きむしる情念によって物質化されたあなたの血であり、あなたに差し出した心臓が滴らす私の血なのだ。」
……いやはや、恐れ入ります。