Via Vino No. 48 "Babette's Feast"<バベットの晩餐会

<日時・場所>
2013年2月23日(土)18:30〜21:00 丸の内「エスカール・アビタ」 
参加者:21名
<今日のワイン>
辛口・シェリー「トロ・アルバラ・アモンティリャード・ビエヒシモ・ソレラ1922年」
辛口・シャンパーニュ「ヴーヴ・クリコ・ブリュット・ヴィンテージ 2002年」
白・辛口「クロスター・エーバーバッハ・シュタインベルガー・エアステス・ゲヴェクス 2002年」
赤・辛口「アンヌ・グロ・クロ・ヴージョ・グラン・クリュ・レ・グラン・モーペルテュイ 2007年」
<今日のランチ>
スープ 河豚のコンソメ
ブリニのデミドフ風
マンガリッツア豚のロティとホワイトアスパラ
うずらのパイ詰め 石棺風
胡桃のサラダ
フルーツ 葡萄(トンプソン)と無花果
コーヒーor紅茶

     


1.ジビエ&イタリアワイン

● 北欧の村落で繰り広げられる本格フレンチの晩餐会を描いた作品。
● 「美」こそ最高とする芸術観と人生観を表現した小説と、それを原作とする映画。
● 食べることの幸せ、心と体を温めてくれる逸品。

 北欧にある海辺の小さな村に慎ましく暮らす姉妹のもとに、フランス人女性のバベットが訪ねてきます。バベットは姉妹のもとで、家政婦として働き始めますが、彼女は宝くじで一万フランを手にし、フランスへ帰ることになります。彼女は最後の仕事として、監督牧師の百年祭の祝宴を任せて欲しいと姉妹に頼み込むのですが…。
 前半の田舎での質素な暮らしと、後半の豪華な晩餐会との鮮やかな対比が印象的な作品ですが、質素な生活こそ神の世界に近いもので、祝宴の間も決して楽しもうとはしない村人たちと、コミューンを支持し家族を殺されてもなお、貴族達へ供出した自らの最高の料理に誇りを持ち続ける主人公との、本来決して交わらない世界が、晩餐会の場面で重なり合い、共鳴する場面に、作者の強いこだわりが感じられます。
 ワインと料理が、単なる食欲を満たすだけのものではなく、最高の「芸術」となりうるということ。そしてそこではあくまで「最高のもの」が求められるべきで、芸術家を自認する者は、そこに妥協や間に合わせを許してはならないということ。温かみのあるユニークな作品ではありますが、その根底には非常に力強いメッセージが込められているのです。

2.シェリー&シャンパーニュ
 
    

「トロ・アルバラ・アモンティリャード・ビエヒシモ・ソレラ1922年」(タイプ:辛口のシェリー 品種:ペドロ・ヒメネス100%  産地:スペイン/モンティージャ)
 パロミノから造られる通常のアモンティリャードとは異なり、元祖モンティージャでペドロ・ヒメネスから造られています。1844年に設立されたボデガス・トロ・アルバラは、1922年にアギラル・デ・ラ・フロンテーラの都市にある古い電機工場跡に移され今日に至ります。原料となる天日乾燥のペドロ・ヒメネスは、最高の畑から厳選して集めているため、生産量が限られ、注文ごとに瓶詰めされるまでは一切手を触れられることなく最初の樽のまま熟成を続けます。透明感がありながらも、濃い琥珀色をしており、白胡椒、クローブ、ナツメグ、ナッツ、タバコなど、複雑で芳ばしさのある、大変芳醇な香りを持っています。口当たりは、とてもシャープな辛口ですが、飲むほどに暖かなコクが感じられ、アーモンドのような風味がいつまでも残り、非常に奥行きのある長い余韻が楽しめます。
 通常ならシャンパーニュで乾杯、といったところですが、映画ではまず最初にアモンティリャードが出されて、海亀のスープと合わせます。というわけで最初は河豚のスープにアモンティリャードで。少し濃いめのスープに濃厚な味わいのアモンティリャードが非常にマッチしていました。

「ヴーヴ・クリコ・ブリュット・ヴィンテージ 2002年」(タイプ:辛口のシャンバーニュ   品種:ピノ・ノワール67%+シャルドネ33%  産地:フランス/シャンパーニュ)
 1772年の創業以来、2世紀以上も変わることなく大胆でスリリングなシャンパンであり続けるヴーヴ・クリコ。そのスタイルは、シャンパーニュ地方で今もラ・グランダム(偉大な女性)と呼ばれるマダム・クリコの「品質はただひとつ、最高級だけ」という信念に導かれています。淡いゴールドの色合いに、力強さがありながらエレガントな香りがあり、味わいはなめらかでたっぷりと豊か。ミネラル、スパイス、メントール、トーストが同時に感じられます。
 キャビアを添えたブリニ(パンケーキ)のデミドフ風と。ちなみに、映画を撮ったガブリエル・アクセル監督は、インタビューで「作者は1860年のヴーヴ・クリコを登場させていますが、シャンパンはそれほど長持ちしないのです。8年も経てば、質が低下し始めます。」とコメントしていますが、ヴィンテージ・シャンパーニュであれば、25年熟成のものも珍しくはありません。ヴーヴ・クリコのヴィンテージ・シャンパーニュは1810年物が最初とされていますから、物語の中で1860年物が出されてもそれほど不思議ではないように思われます。現在同レベルのものを探すなら、20年近く熟成させてから出荷された「レア・ビンテージ1988年」当たりが相当します(残念ながら既に完売ですが…)。

3.白ワイン〜クロスター・エーバーバッハ・シュタインベルク

  

「クロスター・エーバーバッハ・シュタインベルガー・エアステス・ゲヴェクス 2002年」(タイプ:辛口の白ワイン 品種:リースリング100%  産地:ドイツ/ラインガウ)
 映画「薔薇の名前」の舞台にもなったクロスター・エーバーバッハは、1135年創立のシトー派の修道院で、現在はヘッセン州営醸造所となっています。中でも修道僧たちによって開墾され、1230年代に完成されたとされる単一畑の「シュタインベルク」(32ha)は最も有名です。同じシトー派によって開墾されたクロ・ヴージョには、80を超える生産者が存在しますが、全て国営醸造所で醸造されるシュタインベルクは、現在でも単独所有が続いていると言えます。ラインガウ・リースリングの引き締まった酸味とエレガントでフルーティな風味は抜群で、アルコール度も13度とフランスやイタリアワイン並みに高く、しっかりとしたボディのある辛口ワインとなっています。フルーティで切れのあるリースリングの香り、酸も穏やかでバランスがとれ、ミネラルや果実味が濃縮されています。
 マンガリッツア豚のロティ・ホワイトアスパラと。マンガリッツァ豚は、ハンガリー原産の毛の長い稀少な豚です。シュタインベルガーは10年の熟成を経ているだけあって、リースリング特有の独特の石油香が華やかに感じられ、料理との相性も抜群でした。

4.赤ワイン〜クロ・ヴージョ

  

「アンヌ・グロ・クロ・ヴージョ・グラン・クリュ・レ・グラン・モーペルテュイ 2007年」(タイプ:辛口の赤ワイン 品種:ピノ・ノワール100%  産地:フランス/ブルゴーニュ)
 この0.95ヘクタールの小さな区画は、ルイ・グロによって彼の息子フランソワ・グロへ、そしてその娘アンヌ・エ・フランソワ・グロへと受け継がれました。このシトー派修道院に名付けられたグラン・モーペルテュイの区画はグラン・エシェゾーの真下に位置しています。粘土質土壌でありながら、他のクロ・ヴージョと比べて大きな石が表土に見られるのが特徴的です。ドメーヌでのワイン醸造は伝統的なもので、発酵は12〜15日間。その後、不要な澱を取り除くため48時間静置され、樽熟成はおよそ18カ月。新樽比率はグラン・クリュで80%となっています。2007年は暖かいヴィンテージで、果実味に富むエレガントなワインに仕上がっています。
 うずらのパイ詰め・石棺風に合わせて。本編で登場するクロ・ヴージョは、40年近い熟成を経ているものなので、本来ならもう少し古いヴィンテージのものを合わせたいところですが、なかなか手に入らず。2007年のアンヌ・グロのクロ・ヴージョは、まだまだ若々しく果実味が強くて、ベリー香も強く感じられ、非常に飲み応えのあるものでしたが、やはりもう少し熟成させて楽しみたいところでした。

【クロ・ヴージョとは】  
 クロ・ヴージョは、ブルゴーニュのコート・ド・ニュイにある歴史の古い特級畑です。ヴージョ村はシャンボール・ミュジニーとフラジェ・エシェゾーに挟まれた場所にあり、ヴージョ村の作付面積の実に75%を特級畑が占めています。この50.6haの畑は、シトー派修道会が結成されてから今日に至るまで全く変わらず、その意味ではまさしく正統派のブルゴーニュワインなのですが、一方でこの特級畑は、斜面の上部と下部とで異なる土壌となっていながら、現在では80もの生産者に分割されており、ドメーヌのフラグシップとなることも少ないため、非常に選択の難しいワインとなっています。  
 AOCの格付上、村名ヴージョ及びプルミエ・クリュ(1級)の生産可能色は赤・白で、グラン・クリュ(特級)の生産可能色は赤のみ。クロ・ヴージョの斜面上部の石囲い(クロ)のすぐ外に一級畑「ル・クロ・ブラン」があり、僅かに白ワインが造られています。

【クロ・ヴージョあれこれ】
 中世のシトー派により最高の名声を得ていたクロ・ヴージョは、もともとその区画内で得られた葡萄をうまくブレンドして作られていました。現在では畑があまりにも分割されすぎて、それぞれ別々に醸造・熟成されているので、なかなか良質な物を見つけ出すことは難しくなっています。斜面上段は水はけが良く極上のワインを生み出すとされていますが、一方で生産者の力量やスタイルに左右されることも多く、斜面下段でも造り手によってはかなり上質な物を作り出すことに成功しています。ルロワのクロ・ヴージョは地図上で見ると斜面下部の水はけの悪い沖積土壌ですが、2010年ヴィンテージで約14万円と最も高価なクロ・ヴージョとなっています。
 クロ・ヴージョ最大の所有者は、1/10以上の畑(斜面中腹に5.5ha)を所有するシャトー・ド・ラトゥールで、石囲い(クロ)の内側でワインを造る唯一の生産者です。1890年に醸造所が建設され、ドメーヌ名もこの建物に由来します。以前はクロ・ヴージョの中で最高とされていましたが、その後品質は低迷、必ずしもこの畑で筆頭というわけにはいかないようです。
 マット・クレイマー著「ブルゴーニュワインがわかる」で推奨されている、斜面上部に良質な区画を有する生産者は、ルネ・アンジェル、ルロワ、モンジャール・ミュヌレといったところですが、ルネ・アンジェルは2005年に他界して、それ以前のものは殆ど売り切れ、先日1本だけ在庫を持っていたお店で1997年物を飲むことができましたが、実質的に入手不可能。ルロワはあまりに高額過ぎて手が届かず、というわけで、コメントされている中では、比較的入手可能なモンジャール・ミュヌレが有望株ということになりそうです。
 一方で、「アカデミー・デュ・ヴァン」のサイトでは、ジャンシス・ロビンソンによる2008年物のクロ・ヴージョの生産者違いブラインド・テイスティングに関する記事があり、それによると比較的高得点だったのがフランシス・ラマルシュ、アンヌ・グロそしてミッシェル・グロ(20点満点中18.5点)で、市場価格ではこれらを遙かに上回るメオ・カミュゼなどを凌駕しています。ミッシェル・グロは非常にお気に入りの造り手なのですが、今回は女性が主人公の映画ということも加味して、アンヌ・グロのクロ・ヴージョを選びました。

5.修道院とワイン

 修道院の歴史は色々な意味でワインの歴史と重なります。6世紀にイタリアに設立したベネディクト会がその最初であり、12世紀に至るまで西方教会唯一の修道会でした。「服従」「清貧」「純潔」を戒律とし、イギリスからスペインに至るまで広範囲にわたって活動し、歴史記録、自然研究、土木建築とあらゆる方面に影響を与えました。
 しかし、修道院が広大な領地や財産を持つようになると、これに対して改革を求めてさらに戒律の厳しいシトー会が派生していきます。ベネディクト会士は黒服を着ていたので「黒い修道士」、対するシトー派は白服を着ていたので「白い修道士」と呼ばれました。
 ベネディクト派から派生したクリュニー大修道院は、ブルゴーニュ最大の土地所有者で、クロ・ド・ベーズを含むジュヴレ一帯の畑を所有していましたし、ヴォーヌのサン・ヴィヴァン大修道院はヴォーヌ・ロマネの著名な畑を所有していました。一方シトー派は、ヨーロッパ屈指の畑、ブルゴーニュのクロ・ヴージョとドイツのエーバーバッハの生みの親となったのです。
 修道士達の生活は厳格な戒律に従った過酷なもので、葡萄の栽培やワインの醸造は、彼らが自ら畑を開墾して作り出した物でした。ワインは神の血に相当するものであり、枝を継いで育てることのできる葡萄は死ぬことのない永遠の生命の象徴だったのです。ワインは生活に潤いを与え歓びをもたらすものでありながら、命を削る過酷な労働の産物でもあったわけです。
「バベットの晩餐会」では、あらゆる悦楽を拒絶する慎ましいプロテスタント達の元にカトリック教徒であるフランス人が訪れ、音楽の歓びと料理の愉しみを垣間見せることになります。そこで登場するワインが、シトー派の造り出したクロ・ヴージョだったということは、どこか象徴的な意味合いがあるように思われるのです。シトー派はプロテスタントとは異なりますが、より厳しい戒律を求めて従来の教会体制に反抗して設立されたという意味では、プロテスタントに通じるところもあったのではないでしょうか。

6.「バベットの晩餐会」関連年表

529年  聖ベネディクトゥス、モンテ・カッシーノにベネディクト会を創設
910年 クリュニー会がベネディクト会から派生、改革運動が起こる
1098年 ロベール・ド・モレーム、ニュイ・サン・ジョルジュ近くのシトーにシトー派設立
1110年 ヴージョの土地がシトー会に与えられる
1115年 シトー派の聖ベルナール、クレルヴォー大修道院を創設
1135年 シトー派によりエーバーバッハ修道院の建設始まる
12世紀初頭 マインツ大司教がエーバーバッハ修道院にシュタインベルクの丘を与える
1336年 シトー派、ヴージョの全ての畑に対する完全な支配権を獲得
1772年 銀行家フィリップ・クリコ、結婚によりブージィ、ヴェルズネイの畑を入手する
1790年 クロ・ヴージョ、ナポレオン・ボナパルトの命により革命政権に没収される
1803年 フィリップの子フランソワ死去、未亡人のクリコ・ポンサルダンが跡を引き継ぐ
1810年 ヴーヴ・クリコ最初のヴィンテージ物
1818年 ヴィクトル・ウヴラールがクロ・ヴージョを買い取り単独所有者となる
1870〜71年 普仏戦争、ナポレオン3世の敗北、フランス第3共和政
1871年 パリ・コミューン、自治政府宣言とヴェルサイユ政府軍による鎮圧       
フランスから亡命したバベットが、マチーヌとフィリッパの姉妹の元を訪ねる
1885年 バベットが晩餐会を開く
1889年 ブルゴーニュのネゴシアン15名がクロ・ヴージョを買い取る
1940年 ナチスのフランス侵攻、第3共和政の終焉
1950年 カレン・ブリクセン「バベットの晩餐会」発表
1987年 ガブリエル・アクセル監督「バベットの晩餐会」公開
1988年 映画「バベットの晩餐会」第60回アカデミー外国映画賞受賞

 普仏戦争で敗北したフランスは、第3共和政を宣言しプロイセンに降伏して武装解除しますが、パリ市民は降伏を認めず、革命政府パリ・コミューンを発足させます。ヴェルサイユに退いた政府軍は、プロイセンの援助を得てパリ・コミューンを攻撃、三万人にのぼる戦死者を出してパリは鎮圧されます。フランス人バベットは、パリ・コミューン支持派であり、「血の1週間」と呼ばれる戦闘で夫と息子を殺され、ノルウェー(映画ではデンマーク)に亡命して来るのです。
 高級レストラン「カフェ・アングレ」のコックだったバベットの顧客は、パリ・コミューンを制圧した将軍や公爵達であり、パリにあった家族も顧客も失った彼女は、その意味ではもはやフランスへ帰る意志は毛頭なかった訳ですが、彼女の料理に対するこだわりは、遠く故郷を離れた村で、最高のフレンチを再現するという、ある意味無謀で見返りのない行動となって現れるのです。みなさまのため、ではなく、わたしのためだったと言い切るバベットは、単なる料理人ではなく、最高の作品を作ろうと挑み続ける芸術家の一人として描かれているのです。
 1885年を舞台とした物語で出されるワインは、1860年のヴーヴ・クリコと、1848年のクロ・ヴージョです。ヴーヴ・クリコはシャンパーニュの銘柄なので、ほぼ絞り込めますが、クロ・ヴージョは特級畑名で、原作には生産者までは記されていません。それもそのはず、クロ・ヴージョは今では50haの畑が80近い生産者に分割されていますが、1889年まではウヴラール家による単独所有が続いていたのです。その後畑はフィロキセラで荒廃し、ブルゴーニュのネゴシアン15名がこれを買い取ったのでした。

<今回の1冊>

   
イサク・ディーネセン「バベットの晩餐会」(ちくま文庫)
 小説「バベットの晩餐会」は、デンマークの女流作家カレン・ブリクセンの作品。主人公バベットも、彼女が遣える老姉妹も女性で、ある意味女流作家らしい優しさの感じられる作品となっていますが、本の著者名は「イサク・ディーネセン」と男性名になっています。作者は殆どの作品を英語とデンマーク語で書き、英語版はイサク・ディーネセンという男性名で、デンマーク版はカレン・ブリクセンという女性名で発表したのだとか。元々の本名はカレン・クリステンツェ・ディーネセンで、スウェーデン貴族ブロア・ブリクセンと結婚し男爵夫人カレン・ブリクセンとなり、離婚後もカレン・ブリクセンと名乗り続けました。コーヒー農園の経営に失敗し、文筆活動に入ったのは50歳近くなってからで、男性と女性の二つの筆名を使い分けた背景には、色々な精神的な葛藤もあったと思われます。一夜の晩餐会を描いた、どこかファンタジックな物語でありながら、料理やワインの描写などに見られる細部の独特のこだわりに、作者の一筋縄ではいかない生涯の重みといったものが感じられます。

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