Via Vino No. 58 "English Wine"
<英国のワイン>
<日時・場所>
2014年10月11日(土)12:00〜15:00 丸の内「エスカール・アビタ」
参加者:13名
<今日のワイン>
白・辛口・発泡「キャメル・ヴァレー・コーンウォール・ブリュット2010年」
白・辛口・発泡「ナイティンバー・プルミエール・キュヴェ・ブラン・ド・ブラン 2003年 」
ロゼ・辛口「チャペルダウン・イングリッシュ・ロゼ2012年」
赤・辛口「ボルニー・エステート・ピノ・ノワール2010年」
<今日のランチ>
サーモンのマリネ
シェパーズパイ
スコッチエッグとサラダ
フィッシュ&チップス
ローストビーフ・スティルトンのソース
シェリー・トライフル
カフェ
1.近年注目を浴びつつある、『英国のワイン』
10世紀まで記録をさかのぼることのできる葡萄園の存在。
地球温暖化により生産量が増えつつある、古くて新しいワイン産地。
シャンパーニュと同じ土壌を持つイングランド南部を中心に発展。
英国と日本とは、同じく大陸の近くに位置する島国という点で、色々共通点も多いように思います。しかしこと食の世界のこととなると、イギリスに旅行して料理が美味しかったという話をあまり聞きません。ヨーロッパ大陸からアメリカ大陸、インド、アフリカ、オーストラリアにまで勢力を拡げ、ワインに限らず、お茶や砂糖、香辛料に至るまで世界の食材を全て手にすることのできた大英帝国ですが、革命により職を失った王宮の料理人達がレストラン文化を花開かせたフランスと異なり、貴族の食文化が広く一般に開放されることはありませんでした。
ワインの世界では、イギリスは生産国としてではなく、流通を握る国として、これまで重要な地位を占めて来ました。フランス・ボルドーの発展も、シャンパーニュでのスパークリングワインの誕生も、スペインのシェリーやポルトガルのポートの生産も、全てイギリスによって引き起こされたものです。ワインの評論の世界や、マスター・オブ・ワインのような啓蒙活動の分野でも、一部アメリカが台頭してきたとはいえ、今でもイギリスが重要な地位を占めているのです。
しかし本来は、イギリスもヨーロッパ本土同様、修道院が葡萄畑を所有してワイン造りを行っていたという点で立派な生産国なのです。近年は地球温暖化も影響して、南部イングランドでは非常に質の高いワインが造られるようになりました。今回はワイン生産国としてのイギリスにスポットライトを当ててみたいと思います。
2.英国のワインについて
【英国のワインの特徴】
大陸同様修道院によって葡萄園が守られワイン造りが行われていましたが、その後の気候変動や修道院の解体により、葡萄栽培とワイン生産は衰退し、英国はワインの輸入国となりました。しかし、優良な生産者の積極的な投資によって、現在ではイングランド南部とウェールズを中心に、約400の葡萄畑と約30のワイナリーがあります。輸出に対応できるほどの大規模なワイナリーはまだ数が限られていますが、その品質は近年めざましく向上しています。
【気候と土壌】
地殻変動以前は、イギリス諸島はユーラシア大陸の一部だったため、フランスのシャンパーニュやシャブリを特徴付ける、ジュラ紀後期の牡蠣の化石を含む石灰泥灰土壌(キンメリッジ)は、海峡を隔てて南イングランドと続いています。保水性と排水性に優れた土壌は、良質なシャルドネやピノ・ノワールの栽培に適した物となっています。大西洋海流の影響で南部は比較的気温も安定しており、シャンパーニュとは平均気温も1度ほどしか変わらないため、本格的なスパークリングワインの生産が行われるようになりました。。
【主な葡萄品種】
以前はミュラー・トゥルガウやセイヴァル・ブラン(2つのセイベル交雑種からの交配品種で、発芽・成熟が早く冷涼な気候に向く)といった、耐寒性があり病虫害に強い交配品種に限られており、高品質なワイン生産は望めないとされていましたが、近年ではピノ・ノワールやシャルドネといった冷涼な気候を好む国際品種が栽培され、上質なワインの生産が進んでいます。
【イングリッシュワインとブリティッシュワイン】
イングランド国内生産の葡萄のみで造られたワインを「イングリッシュワイン<English Wine>」と呼ぶのに対し、南仏等の地中海沿岸地域産の葡萄の濃縮マストを輸入して英国内で醸造したワインを「ブリティッシュワイン<British Wine>」と呼びます。後者はEUの規定上ではワインとしては扱われません。「イングリッシュワイン」は、統制名称としては「English Table Wine」(テーブルワイン)と、「English Vineyards Quality Wine」とに分かれます。
3.ワインと英国
様々な歴史的要因が絡んで、英国はメジャーなワイン生産国とはなっていませんが、その歴史的な過程で様々なワインを造り出してきました。ヨーロッパ大陸の隣に位置し流通を左右する島国として、ヨーロッパ各国のワイン生産を左右してきたとも言えるのです。ボルドーワインに始まり、シャンパーニュ、シェリー、ポート、マデイラ…これらのワインは常に英国の影響を受けて来たのです。
ボルドー
現在のボルドーの繁栄をもたらしたのは、この地のアリエノール・ダキテーヌが国王ルイ7世と離婚して、アンリ・プランタジュネと結婚、そのアンリが1154年にイングランド王ヘンリー2世となったことに尽きると言えるかも知れません。単なるワインを積み替える港に過ぎなかったボルドーは、イングランド王権の支持を得て、自ら生産したワインを最優先でイングランドへ販売することができるようになりました。これが結果としてボルドーのワインをレベルアップさせ、それ以外のフランス南西部のワインの没落を招いたとも言えるのです。
シャンパーニュ
オーヴィレール修道院のドン・ペリニヨンは、シャンパーニュの発明者としてその名を知られていますが、彼の功績はアッサンブラージュ(ワインのブレンド)にあるのであって、ワインの泡は当時としてはむしろ欠陥と見なされており、ドン・ペリニヨンはむしろ泡を除くためにたゆまぬ努力を生涯続けたと言われています。発泡性ワインはロンドンで最初に瓶詰めされました。石炭を産出し、それにより商業的なガラス製造が可能だった英国では、コルクの生産国であるスペインやポルトガルとの交易があったことも幸いして、1600年代には既にエールを瓶詰めしてコルクで栓をする技術を完成させていました。当時のフランスにはガラス瓶やコルクはまだ存在していなかったのです。
シェリー
スペインの代表的な酒精強化ワイン「シェリー」は、しかし現地では地名の「ヘレス」と呼ばれます。そもそもスペイン語に「SH(シュ)」の発音はありません。これはあくまで英語読みです。百年戦争当時、フランスと対立していた英国は、スペインのヘレス産ワインを輸入するようになります。酒精強化、すなわちアルコール添加は、酢酸菌の増殖を抑えて航海に耐えられるワインとするための手段でもありました。また、18世紀に英西戦争やオーストリア継承戦争でシェリーが倉庫に溜まるようになったことが、結果的にソレラシステムと呼ばれる、樽を動かさずに中身を移し替える独特の熟成・ブレンドシステムをもたらしたのです。
ポート
1660年にフランスがボルドーに高い税をかけると、英国王チャールズ2世はフランスワインの輸入そのものを禁じてしまいます。その際ポルトガルの濃厚なドウロのワインが、輸送にも耐えられるとして注目されるようになったのです。当初辛口だったドウロワインは、1820年産のワインが高い糖度のために途中でアルコール発酵が止まってしまい、その甘いワインが英国で逆に評判を呼んで、現在のような発酵途中で酒精強化し甘さを残すポートとして定着したと言われています。
4. テイスティング
「キャメル・ヴァレー・コーンウォール・ブリュット2010年」(タイプ:辛口の発泡性白ワイン 品種:セイヴァル・ブラン60%、シャルドネ20%、ライヘンシュタイナー20% 産地:イギリス/コーンウォール)
キャメル・ヴァレー・ヴィンヤードは、元王立軍人パイロットが1989年にイングランド南西端のコーンウォールに設立した家族経営のワイナリーで、キャメル川に沿った南向きの斜面にある24,000本の葡萄の樹から、独特の「コーニッシュ・スタイル」のワインを造っています。2012年インターナショナル・ワイン・チャレンジで金賞を受賞した、フルーツ香とフレッシュな泡立ちが楽しめるスパークリングワインです。イングランドに多く導入された交配品種セイヴァル・ブランを主体に、シャルドネとドイツの交配品種ライヘンシュタイナーから造られています。
「ナイティンバー・プルミエール・キュヴェ・ブラン・ド・ブラン 2003年」(タイプ:辛口の発泡性白ワイン 品種:シャルドネ 産地:イギリス/ウエスト・サセックス州)
ナイティンバーは、「新しい木造の家」を意味しますが、その歴史は11世紀まで遡り、イングランドを征服したウィリアム1世による土地台帳「ドゥームズディ・ブック」にも登録されています。1986年から本格的なスパークリングワイン生産に乗り出し、瓶内2次発酵後約6年の熟成を経たヴィンテージ物を展開、英国王室御用達のワインとして、女王即位50周年記念式典でも供されました。2003年ヴィンテージは、桃や柑橘、アーモンドの香りを持ち、レモンやライムの風味が感じられると共に、優しい泡立ちとバランスの良さを兼ね備えたワインとなっています。
「チャペルダウン・イングリッシュ・ロゼ2012年」(タイプ:辛口のロゼワイン 品種:ピノ・ノワール、レゲント、ロンド、ピノ・ムニエ 産地:イギリス/ケント州)
チャペルダウンは、「ロンドンの台所」と呼ばれるイングランド南東部の農業地帯、中でも多くの良質なワインを生産する地域であるケント、サセックス、エセックスにまたがり、約50haの契約葡萄園と約81haの自社葡萄園を所有する、イギリス最大のワイナリーです。ストロベリー、レッドカラントやサンザシを思わせるようなアロマがあり、デリケートでやさしい果実の特徴を備えた、上品な酸味のバランスがとれたロゼワインに仕上がっています。ピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、そして交配品種レゲント、ロンドから造られています。
「ボルニー・エステート・ピノ・ノワール2010年」(タイプ:辛口の赤ワイン 品種:ピノ・ノワール 産地:イギリス/ウエスト・サセックス州)
南イングランドの小石の浜が広がる有数の観光地ブライトン、そこから北へ14マイルの丘にブッカーズ・ヴィンヤードがあり、ボルニー・エステートが建てられています。1976年からワイン造りを始めた、家族経営の小さな生産者でありながら、国内外でも多数の賞を受賞。現在の経営はその娘サム・リントナーに引き継がれ、所有する畑も38エーカーと大きくなりましたが、グリーンサンド砂岩土壌の葡萄畑の葡萄のみを使用するこだわりを持って、最高の手作りワインを少人数のチームで生産しています。ピノ・ノワール2010年は、バランスの取れたミディアムボディで、赤いサクランボと焼かれたオーク樽を思わせる香りが、味わいに複雑さを与えています。イギリス・ウェールズワインコンテストでモンターギュ賞を受賞しています。
5. 英国ワインの歴史
280年 ローマ皇帝プロブス、ガリア、スペイン、ブリテン島の葡萄栽培を許可する
597年 聖アウグスティヌス、イングランドに上陸、カンタベリーを拠点に布教を始める
731年 尊者ベーダ「イギリス教会史」完成。「葡萄の樹が方々に植えられた」の記載あり
794年 ベーダの修道院が略奪される。デーン人の侵略。
955年 エドウィ王、グラストンベリー修道士達に葡萄栽培の許可を与える
1086年 ドゥームズディ・ブックに修道院所有の38の葡萄園の記載あり
1125年 歴史家であるマムズベリーのウィリアム、グロスターのワインを賞賛
1152年 カンタベリーのクライストチャーチの葡萄畑での支柱に支えられた葡萄樹の記録
1154年 ヘンリー2世即位。以後大量のワインがフランスからもたらされる
1155年 王宮ウィンザー城で自家製ワインの記録あり
1220〜1260年頃の夏の天候不順、中世イングランドの葡萄栽培に打撃を与える
1325年 ロチェスターのヘイモウ司教、エドワード2世に自家製ワインを献上する
1336年 ハンプシャーのビューリのシトー会大修道院長、騎士達とワインを飲み非難される
1348〜1370年 黒死病の流行、修道会に壊滅的な打撃を与える
1350年 最後のカンタベリーの葡萄畑が放棄される
1448〜1449年 300万ガロンのワインがボルドーから輸入される
1453年 百年戦争終結
1509年 イングランドの葡萄畑が139ヶ所となる
1534年 ヘンリー8世による国王至上法(首長令)、イングランド国教会の成立
1530年代後半 修道院の解体、葡萄畑は貴族に接収される
1536年 ウスター最後の大修道院長ダン・ウィリアム・モア辞任、会計明細書に輸入ワイン記録あり
1538年 ヘンリー8世、教皇パウルス3世により破門
1542年 イングランドのすべての修道院が解散となる
1554年 ウスターシャーのアバトンにて修道院解体後もワインが造られていた記録あり
1586年 ウィリアム・キャムデン「ブリタニア」出版
1588年 アルマダの海戦。スペイン無敵艦隊、英国海軍に敗北
1662年 英国人クリストファー・メレ、瓶内2次発酵スパークリングワインを造る
1976年 ボルニー・エステート設立
1988年 ナイティンバー、最初の植樹
1994年 リッジヴュー設立
2006年 ワイン&スピリッツ国際大会でナイティンバー1998年が金賞受賞
およそ10世紀から14世紀にかけて、中世のヨーロッパは今より比較的温暖だったとされています。この時期、農業生産力は拡大し人口は増加して、ヴァイキングがより北のグリーンランドまで侵攻したことも、ロマネスク建築やゴシック建築が流行したことも、十字軍派遣など軍事活動が活発化したことも、そしてイギリスでワイン生産が盛んであったことも、全て中世の温暖期での現象として説明できるというのです。実際、15世紀から寒冷化が始まると共に、百年戦争、宗教改革、修道院解体、三十年戦争といった出来事が進むと共に、ドイツやイギリスのワイン生産は大きく落ち込むようになりました。
11〜12世紀に、イングランドのワイン造りは最も盛んとなり、それを支えたのは修道院でした。12世紀のカンタベリーのベネディクト会の修道士達には、1日1人1ガロンのワインが許されていたと言われています。しかし13世紀の天候不順で多くの畑が放棄され、14世紀の黒死病で修道士達の数は半減し、15世紀に大陸からワインが大量に輸入されるようになると、修道院でのワイン造りは次第に衰退せざるを得ませんでした。ドイツも三十年戦争を機に多くの葡萄畑が失われましたが、大修道院経済と密接に結びついた葡萄栽培と、ライン川やモーゼル川を活用した運搬経路は国産ワインの内需を支え、現在に至っています。イングランドには、大陸に匹敵する広大な地所を持つ、より組織化された大修道院は元々ありませんでした。その意味では、イングランドがワイン生産国とならなかったのは、地理的な事情というより歴史的な事情によるところが多いと言えるのです。
16世紀にヘンリー8世による修道院解体が行われると、イングランドのワイン生産は遂にその命脈を絶たれることになりました。当初カトリックの擁護者だったヘンリーは、世継ぎ欲しさにキャサリンと離婚しようとしてローマ教会を敵に回し、遂に自らイギリス国教会を立ち上げる一方で、800近くあった修道院全てを解体して財産を没収します。これによりイングランドの土地の5分の1が王室の所有となりましたが、肝心の世継ぎにはさほど恵まれず、6回の結婚と処刑を繰り返した揚げ句、その子エリザベス女王が死去するとテューダー朝は断絶しステュアート朝へ以降することになります。修道院解体の後も、わずかながらワイン生産は続けられていたようですが、往年の繁栄を取り戻すことはありませんでした。
そのエリザベス女王の時代に、イギリスはアルマダ海戦でスペインの無敵艦隊を破り、これ以後徐々に海を経由して他の大陸への侵攻を進めていくことになります。フランスからフランスワインを、フランスと戦争している時はスペインワインやポルトガルワインを輸入し、流通を握ることである意味ワインの国内生産にこだわる必要がなくなったとも言えるのです。また、イングランドでは石炭が豊富で、それが結果的に産業革命の発展に繋がりました。17世紀後半におけるイギリスの石炭生産量は、全世界の約85%を占めていたとされています。フランスに先立ってガラス瓶が普及したのもその影響が大きく、スパークリングワインの発明もエールの瓶詰め技術を元にしたとされており、現在英国で高品質なスパークリングワイン生産が盛んになっているのは、ある意味先祖返りとも言えるのです。
<今回の1冊>
デズモンド・スアード「ワインと修道院」(八坂書房)
そもそもイギリスワインに興味を持ったのは、コミック「ソムリエール」第一巻で「ナイティンバー」が登場したのがとても印象的だったから。しかしそれ以外については、イギリスのワインといってもなかなか資料がないなあと悩んでしまったのでした。今回参考にしたのは、D. スアード著「ワインと修道院」です。ワインの発展を修道院の歴史から紐解こうという本で、この第九章はまるまる「イングランドの修道士とワイン」。イギリスにも修道院があってワイン造りが行われていたが、ヨーロッパ本土と比べるとその規模は小さく、ヘンリー8世による修道院廃止だけがワイン衰退の理由ではないと記されています。
さて、ワイン会に参加された方から紹介頂いた本が洋書Hugh Barty-King著「English Wine」。こんな本もあったのですね! 1977年出版ですが中古でも入手できるとのことで、さっそく会の終了後に予約注文したのでした。果たしてちゃんと読めるのかどうか…。