Via Vino No. 59 "Gibier & French Wine"
ジビエとフランスワイン


<日時・場所>
2014年12月13日(土)18:30〜21:30 広尾「マノワ」 
参加者:16名
<今日のワイン>
白・辛口・発泡性「シャルル・プジョワーズ・ブラン・ド・ブランNV」
白・辛口「デュラス・サン・ジョセフ・ブラン・レ・シャレー 2011年 」
赤・辛口「レ・セリエ・ド・ラ・クロワ・ブランシュ・ヴォルネイ 2004年」
赤・辛口「ドメーヌ・ジュリエット・アヴリル・シャトーヌフ・デュ・パプ 2011年」
赤・辛口「ドメーヌ・デ・リセ・マキシム・グライヨ ・クローズ・エルミタージュ・エキノックス 2013年」
<今日のディナー>
3種のマノワのアミューズ
キジの胸肉のルーロ仕立て
フランス産青首鴨のロースト サルミソース
伊豆天城山の雌の熟成ニホンジカの腿肉と心臓のロースト その鹿のジュとエピスソース
長野県木祖村の雌の猪の赤ワイン煮込み
球体モンブラン
カフェ

     


1.「ジビエとフランスワイン」について

古代より権力者の宴を飾った、狩猟鳥獣「ジビエ」
その土地の恵みを食べて育ったジビエは、凝縮された野生の旨味を持つ
合わせるワインは、素材の持ち味と料理法で絞り込む

 「ジビエ」(gibier)を訳せば、「野禽・野獣類」「狩猟鳥獣」となりますが、具体的には鴨、鳩、雉などの鳥類、そして鹿、猪、野兎などの獣類がそれに相当します。秋から冬にかけて、動物達は越冬に備えて身体に脂肪を蓄え始めます。本場フランスでは9月頃から猟が解禁となり、それに合わせて秋には様々な茸が、初冬にはトリュフも集まりはじめ、レストランの厨房はがぜん活気づき、その緊張感は2月一杯まで続きます。

 古代ローマの権力者達は、熊や鹿、鶴やフラミンゴなどに至るまで、あらゆる野獣を異国から取り寄せました。中世ヨーロッパでは狩猟とジビエの大饗宴が王侯貴族達によって行われました。当然のことながら、ジビエとワインは古来切っても切れない関係にあります。フランスは今も質・量共に世界第一のワイン生産国ですが、一方でフランスにおける狩猟人口も約135万人に達しており、ヨーロッパ内でも一位を誇っています。

 仏教国として殺生を禁じた日本では、ジビエのような肉食の風習はなかったとされていますが、「日本書紀」には、天皇が神とともに狩猟を楽しむことを「徳」とする記述があるそうです。長野の諏訪大社の「諏訪の勘文」には、「業のつきた生き物はむしろ人間の食用となり、それを食べた人間の功徳を分けてもらい、ついには仏の救いにあずかる」という言葉があります。毎年4月15日に行われる「酉の祭」の中で執り行われる「饗膳儀式」では、山海の幸と酒で神と人が共食を行います。日本にも狩猟で得た獲物を神に捧げ、自らもご相伴にあずかる文化があったのです。

2.ジビエについて

【ジビエの近況】
 ジビエとは「狩猟鳥獣」のことです。鳥類では鴨、鳩、シギ、キジなど、獣類では鹿、猪、野兎などがあります。飼育された動物に比べ、自然の餌を食べて育つジビエには、肉本来の旨味が段違いに含まれているのです。秋から冬にかけて、動物たちは体に脂肪を蓄えるので、味わいも格段に上がります。フランスでは9月中旬頃に猟期が始まるので、11月から翌年の1月頃までがジビエシーズンとなります。  
 2005年に鳥インフルエンザウィルスがトルコに到来して以来、衛生管理に対する取り締まりは厳しくなる傾向にあります。

【雉(キジ:faisan)】  
  肉が豊富で美味、しかも捕りやすいので先史時代からよく利用され、飼育されてきました。雄は頭の赤い肉垂が目立ち、雌は全体が褐色で黒褐色の斑紋があります。雄より雌の方が肉質も柔らかく、珍重されます。地上で昆虫や木の実を食べ、夜は樹上で眠りますが、秋に木の実をたっぷり食べて脂がのっているキジは格別の味わいとなります。なお、ヨーロッパにキジが伝えられたのは16世紀以降のことで、特有の旨味を出すために、7〜10日ほど冷所に吊して熟成させました。肉の熟成を意味する「フザンダージュ」は、キジのフランス名に由来しているのです。

【青首鴨(アオクビガモ:colvert)】  
 北半球に広く分布し、日本には主として冬鳥として飛来します。水草などの植物を食用としており、血の色が濃く、野趣に満ちた味を持っています。雄の頭部は光沢のある緑色で、首にはっきりとした白い輪が見られます。雌は褐色で、黒褐色の模様があります。雌の方が脂肪層も厚く、風味も強いとされています。ちなみにコルヴェールとは「緑の首」という意味であり、日本語での鴨の異称である「青頸」と同義語です。

【日本鹿(ニホンジカ:chevreuil)】  
 日本に住む鹿には、北海道の蝦夷鹿と、本土の本州鹿(日本鹿)がいます。蝦夷鹿は本州鹿より大きく、雄は体重約140kg、雌は体重約80kgにもなります。肉は赤く脂肪は少なめで、2、3歳までの若い物が柔らかく味が良いとされます。本州に住む本州鹿は、体重約40kgから80kg、肉は赤身できめが細かく、蝦夷鹿よりもさらに柔らかで脂肪が少ないとされます。主として木の葉を食べるため、新緑の季節が良いという説もあります。ちなみにフランスで食べられている鹿の多くは、体重20kg前後の小型の野呂鹿ですが、体重300kg以上にもなる大型の赤鹿なども一部家畜化されています。

【猪(イノシシ:marcassin)】  
 日本でも古くから食用にされ、肉の色から「ぼたん」とも呼ばれています。秋に木の実やキノコなどを豊富に食べて蓄えた脂肪が旨味になるとされています。11月下旬から約1ヶ月間が最も美味とされています。12月後半から発情期を迎え、蓄えた栄養を消費してしまうので、雄、雌ともに味が落ちてしまいます。日本では成獣を狩りますが、フランスでは肉が硬くなるのを嫌って、生後3〜6ヶ月の幼獣を珍重します。味、料理法等は豚肉に準じますが、加熱しても豚肉より柔らかさが保たれます。

3.ワインテイスティング
 
    

「シャルル・プジョワーズ・ブラン・ド・ブランNV」(タイプ:辛口のシャンパーニュ、品種:シャルドネ100%、産地:シャンパーニュ/コート・ド・ブラン)
 4世代前から葡萄栽培を行なっており、10haの自家畑で収穫した葡萄だけでシャンパンを造っている家族経営のRM(レコルタン・マニプラン)です。有名なシャンパンメーカーに葡萄ジュースを提供していたこともあり、その味わいは世界でも認められており、全世界25カ国に点在するフランス大使館公認シャンパーニュとして愛用されています。本拠地であるヴェルトゥス村は、上空から見るとハートの形をしており、シャルル・プジョワーズのラベルには全てにそのハートが描かれています。22℃で発酵を行い、2度の澱引き後1度軽くフィルターをかけています。爽やかな泡が心地よく、すっきりとした味わいで、シャルドネの特徴が良く出ているシャンパーニュです。

「デュラス・サン・ジョセフ・ブラン・レ・シャレー 2011年」(タイプ:辛口の白ワイン、品種:マルサンヌ80%+ルーサンヌ20%、産地:フランス/ローヌ北部)
 デュラスは1835年、北部ローヌ地区にチャールズ・オーディブルとフィリップ・デュラスによって設立されたメゾンです。1977年、シャンパーニュのドゥーツを運営していたアンドレ・ラリエ氏がデュラス家からこのエステートを買い取り、1996年、ラリエ氏引退後は、元ルイ・ロデレールの副社長ファブリス・ロセ氏が新たに社長となりました。1997年、デュラスはワイン・メーカーとして、ディジョン大学卒業後シャプティエやジャン・リュック・コロンボで学んだジャック・グランジ氏を迎え入れ、ぶどう園とセラーの改良に着手、典型的なローヌ・スタイルのワインを気品高く優雅に表現し、ワイン界の注目を集めるようになりました。レ・シャレイは3つの区画サン・テスピン、トゥルノン、ヴィオンからのブレンド。ピュアな花や柑橘系の香り。ハチミツヤアプリコット、カリンといった味わいで飽きのこない複雑さと果実の新鮮さを楽しめます。今回のジビエの中では比較的白身肉と言えそうなキジの胸肉と共に楽しみました。

     

「レ・セリエ・ド・ラ・クロワ・ブランシュ・ヴォルネイ 2004年」(タイプ:辛口の赤ワイン、品種:ピノ・ノワール100%、産地:フランス/ブルゴーニュ)
 セリエ・ド・ラ・クロワ・ブランシュはボーヌの南、ブリニー・レ・ボーヌを拠点にするネゴシアンです。各地のドメーヌを回り、蔵に眠っているお買い特の古酒を見つけては買い付け、オリジナルラベルで販売しています。ポマールとムルソーの間にあるヴォルネイのワインは、色が濃過ぎたり重くなりすぎたりすることがなく、なおかつ構成のしっかりしたもので、絹のような柔らかさを備えており、コート・ド・ボーヌで最良の赤となることが多いとされています。熟成感のあるブルゴーニュと野鳥のジビエは最高の組み合わせ、ということで青首鴨のローストと合わせました。

「ドメーヌ・ジュリエット・アヴリル・シャトーヌフ・デュ・パプ 2011年」(タイプ:辛口の赤ワイン、品種:グルナッシュ・ノワール70%+シラー20% +ムールヴェードル10%、産地:フランス/ローヌ南部)
 18世紀にシャトーヌフ・デュ・パプの領主であったアヴリル家を祖先に持つドメーヌで、シャトーヌフ・デュ・パプがAOCに認定される以前の1928年頃に、ジュリエット・アヴリルの父であるジャン・アヴリルが他の著名な生産者達と共にシャトーヌフ・デュ・パプのワイン生産の基礎を築き、その後のAOC昇格(1936年)へ導いたとされています。所有する合計30haの畑のうち22haがシャトーヌフのワインに充てられます。一部除梗、ステンレスタンクで2週間の醸造後、10%は600リットル入りの大樽、90%はステンレスタンクで8ヶ月間熟成。ガリーグ(南仏特有の低灌木)の香りやフレッシュな赤いベリーの華やかな香りが特徴です。ローヌのスパイシーな赤には動物のジビエを、ということで雌の日本鹿の腿肉と心臓のローストと合わせました。腿肉も心臓も低温で調理されていて、絶妙な柔らかさでした。

「ドメーヌ・デ・リセ・マキシム・グライヨ ・クローズ・エルミタージュ・エキノックス 2013年」(タイプ:辛口の赤ワイン、品種:シラー100%、産地:フランス/ローヌ北部)
 ドメーヌ・デ・リセの当主であり、クローズ・エルミタージュを代表する造り手アラン・グライヨの愛息子であるマキシム・グライヨ氏は、ブルゴーニュで醸造学を学んだ後、カリフォルニアのターリーなどで修行し、2003年に畑を購入。初ヴィンテージの2004年で早くも話題を呼び、パリの有名なワイン・ショップ『カーブ・オジェ』の店頭にそのワインが並ぶなど、注目の存在になりました。チェリーの香りが感じられ、果実味とエレガントな酸があり、タンニンもつきすぎず非常に良いバランスとなっています。新樽も5〜10%に抑えており、父親譲りの伝統と現代的な醸造技術が共存した造りのワインだと言えます。ちなみに「エキノックス」は「春分・秋分」を意味しています。シラーは野性味のある肉の煮込みを、ということで雌の猪肉の赤ワイン煮込みと共に味わいました。

4.日本のジビエについて

 古代の日本において、狩猟は人々の生活の糧であっただけでなく、土地の支配者が神と交流するという意味もあったとされています。王の狩猟は、大地が生み出す初物を狩り、神に捧げる生産儀礼でもあり、大地に対する領有権を確認するものでした。

 その後仏教伝来により、「殺生禁断」が唱えられるようになると、獣肉食は忌避されるようになり、天皇の狩猟も鷹狩や鵜飼へと移っていきました。本格的な武家政権を打ち立てた源頼朝は、将軍就任の翌年に富士の裾野で大規模な巻狩(まきがり)を行いましたが、これは軍事政権の首長としての儀礼だったとされています。その後幕府においても、狩猟禁止令が出されるようになります。

 しかし全く狩猟が途絶えてしまったわけではありません。諏訪大社の「酉の祭」で執り行われる「饗膳儀式」などでは山の幸、海の幸と酒が振る舞われ、江戸時代後期に菅江真澄という旅人が残した記録によると、神前には75頭もの鹿の首が献じられたとあります。

 ちなみに鹿肉は牛肉と比べて脂肪が1/10以下と少なく、タンパク質はほぼ2倍と多いことが知られています。また脳の働きを活発にし、善玉コレステロールを増やす働きのあるDHA(ドコサヘキサエン酸)をはじめとする不飽和脂肪酸が多く含まれており、栄養価の高い食材であることが証明されています。

 天敵であるニホンオオカミが絶滅したため、北海道でも長野でも、近年鹿の数が増えて農林業への被害が拡大しています。食材としてのジビエを見直し、適正な捕獲と消費で、人間と自然の共存を図ろうという試みが各地で始まりつつあります。

5.ジビエとワインの歴史

B.C.4世紀頃 古代ギリシャのミタイコスの料理本(大部分は失われた)
B.C.121年 最古のビンテージ「オピミアン・ファレルヌム」
4〜5年 古代ローマ、現存する最古の料理本「アピキウス」、コース料理の紹介
66年 ネロ帝の側近、「サテュリコン」の作者ペトロニウスの死
1193年 源頼朝による富士の巻狩り
1395年 タイユヴァン(本名ギョーム・ティレル)の死
1533年 カトリーヌ・ド・メディシスとアンリ(アンリ2世)の結婚〜フィレンツェ料理を宮廷に持ち込みフランス料理を改革
1671年 コンデ公によるシャンティイ城の大祝宴、料理人ヴァテールの死
1814年 ウィーン会議、タレーランのもとでのアントナン・カレームによる料理
1825年 ブリア・サヴァラン「美味礼賛(原標題:味覚の生理学)」刊行
1833年 アントナン・カレーム「19世紀のフランス料理術」刊行
1891年 ペレグリーノ・アルトゥージ「料理の科学と美食の技法」刊行〜イタリア地方料理の集大成
1895年 日本における「狩猟法」の制定
1903年 エスコフィエ「料理の手引き」刊行
1933年 キュルノンスキー「美食の歓び」刊行
1950年 カレン・ブリクセン「バベットの晩餐会」刊行
2005年 長野県にて「信州ジビエ」の取り組み開始。捕獲した鳥獣の有効活用へ。

 古代メソポタミアでは、食肉として山羊と羊が飼育され、羊が最も美味とされました。ウズラなどの野鳥も食べられましたが、後期には鶏が飼育されるようになります。古代ローマは、当初は比較的貧しかったものの、領土の拡大と共に美食の伝統が広まり、その集大成として、ケーナ(正賓)のコースメニューが細かく記された料理書「アピキウス」が登場します。美食を極め、空腹を怖れて服毒自殺したマルクス・ガイウス・アピキウスによる著書という説もあれば、アピキウスは実在の人物ではなく、食通の愛称として用いられたという説もあります。ローマでは肉と魚は同等に扱われたとも言われていますが、メインの肉料理としては猪や野豚、子羊や子ヤギを焼いた物などが出されました。

 ローマの肉食はゲルマン貴族にも受け継がれ、カロリング朝のカール大帝も狩りの獲物を調理した料理を好んだようです。ヴァロア朝のシャルル6世の調理人タイユヴァンは、30種類の野鳥料理を残していますし、コンデ公の元でルイ14世を招いた大祝宴を行った料理人ヴァテールは、食材の到着が間に合わないことに責任を感じて自殺したとも言われています。14世紀頃から盛んとなった「アントルメ」は、現在では口直しの料理に過ぎませんが、当時は客を喜ばせる余興として、孔雀や白鳥の料理や、城や噴水をかたどった豪華な装飾にまで発展しました。こうした貴族の料理は、フランス革命以後、宮廷料理人達が開いたレストランによって一般の人々にも紹介されるようになるのです。

 狩猟はヨーロッパやアメリカでは、銃規制の問題も絡み決して簡単ではないものの、文化として定着しています。アメリカは狩猟大国で、総人口の約6%に相当する1370万人が狩猟を行っており、その数は今も増加傾向にあります。フランスの狩猟人口は135万人でヨーロッパ第1位であり、猟期・地区・猟手法が決められていて、合法的に狩猟をするには狩猟免許が必要です。イギリスには48万人の狩猟者がおり、土地所有者が狩猟権を持っていて、狩猟免許も狩猟者登録もありません。ドイツでは森林管理と狩猟が密接に関係していて、森林官の殆どは狩猟免許を取得しています。

 ちなみに、日本の狩猟人口は高齢化が進み減少傾向にあります。2007年時点で狩猟人口は16万人程度、許可されている銃は約30万丁と、国際的にはかなり低い登録率となっています。銃をタブーとする国民性が影響していますが、一方で鹿、熊、猪による農林業被害は深刻で、伊豆半島では2万頭生息するニホンジカを5千頭以下まで抑えるべきとされているにも関わらず、国の統一見解はまだ存在しない状態です。 

<今回の1冊>

 
   
水島弘史「ロジカル・クッキング」(亜紀書房)
 昔は肉を焼くときは「最初は強火で、肉の回りに焦げ目を付けて肉汁を閉じ込めて、その後中火、弱火に落として中に火を入れていく…」と教わったような気がするのですが、今はむしろ「最初は弱火で、徐々に温度を上げて、でも中火以上には上げない」というのが主流のようです。今回のジビエでも、調理法を聞くと、「腿肉は55℃で加熱し、最後に高温にします…etc.」と、とにかく温度の調整がデリケートで、お風呂よりちょっと熱い程度では? といった温度で肉が固くならず旨味が味わえるようにしているとのこと。
 この本でも、「タンパク質の凝固やメイラード反応、ペクチンの硬化や糖転化のスピードなどを考慮して、それぞれの料理にあった最適な火加減で加熱します」とあります。「ロジカルクッキングにおいて、基本となる火加減は『弱火』と『弱い中火』の2つです」とも言い切っています。レストランでの肉料理は、数種類のオーブンを使い分けるなかなか複雑なものらしいのですが、自宅でのフライパンとガスコンロレベルの料理でも、もう少し気を遣わねばと反省した次第。なかなかこの本の通りの調理はやりきれていないのですが…。

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