Via Vino No. 60 "Italy"
イタリアワイン


<日時・場所>
2015年2月21日(土)12:00〜15:00 東銀座「トラットリア・ダ・フェリーチェ」 
参加者:15名
<今日のワイン>
白・辛口「カンティーナ・カステルヌォーヴォ・デル・ガルダ・ビアンコ・ディ・クストーザ・ルーベンス2013年」
白・辛口「ディ・マーヨ・ノランテ・ファランギーナ・テッレ・デリ・オスチ 2013年」
赤・辛口「エミリオ・ブルフォン・チャノロス2013年」
赤・辛口「ヴァルディカヴァ・ロッソ・ディ・モンタルチーノ2011年」
赤・辛口「ヴァルディカヴァ・ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ2007年」
<今日のディナー>
ジャガイモのスープと赤海老、帆立、ドライトマトのマリネ
ホワイトアスパラのオーブン焼き パンチェッタとスクランブルエッグ
ホタルイカと菜の花のトマトソース イカスミ練り込んだタリオリーニ
子羊の鞍下肉のロースト ゴルゴンゾーラソース
パンナコッタ ベリーソース

    


1.「イタリアワイン」について

古代ローマ以前から葡萄が栽培されワインが飲まれていたイタリア。
全世界の生産量の約2割を占め、常にフランスと首位を競う。
地場品種が再発見され、斬新なラベルデザインが次々と登場する。

 イタリアは非常に古いワイン文化を誇ります。古代ローマ帝国の時代、いやそれ以前から、ギリシャから葡萄栽培が導入され、ワインが宗教や芸術に根付いていました。ファレルナムといった葡萄の畑が銘醸地として確立したのもイタリアなら、ヴィンテージという概念が生まれたのもイタリアでした。まさに、歴史と伝統に支えられた古いワイン産地なのです。

  そしてイタリアは非常に新しいワイン文化の発信源でもあります。モダンなイラストや、子供や動物が描かれるイタリアワインのラベルは、格付がしっかりと定められ滅多にデザインの変わることのないフランスワインのラベルと対照的です。そもそもDOCGという最高格付けのワインは毎年のように更新されていて、それでいて最高品質のワインが、格付けの規制を嫌う生産者によってIGTといった地酒ワイン格付けで発売されたりするのです。

  古くて新しい、それがイタリアワインの一番の本質のように思われます。他のワイン産地がカベルネやシャルドネなどのフランスの葡萄品種を受け入れていく一方で、イタリアでは古くに栽培されていた地場品種が次々と再発見されています。まさに古いワイン産地だからこそ成し遂げられる新しさと言えるでしょう。

2.イタリアワインのラベルについて

【イタリアワインのラベル】
 「世界中どこのワインを見ても、イタリアワインのラベルほど美しく、革新的で、独創性にあふれるものはなく、瓶にさえ同じことが言える。」(マット・クレイマー「イタリアワインがわかる」白水社)  
 イタリアワインの楽しさはそのラベルにも現れています。今回はどちらかというと宗教画的なラベルのワインを選んでいますが、一方で非常にオリジナリティの溢れる、ある意味意外性のあるラベルも多いのです。。

【人物】  
 「ピエモンテのカッシーナ・カストレットが作ったラベルには、1950年代の古いカラー写真があり、小さな女の子が四人、しゃれたドレスを着て、古いヴェスパに座ったり立ったりしている様子が写っている。瓶の中はバルベーラだというのに、何でここまでするのか? 別になにも。だが、なんとも可愛いベッラ・フィグーラ(美しいかたち)ではないか。」(マット・クレイマー「イタリアワインがわかる」白水社)  

 「モンテヴェルティーネ・レ・ペルゴレ・トルテ」は、サンジョベーゼ100%で造られるトスカーナのワインで、アルフレッド・マンフレディ氏の描いたヴィンテージごと異なる女性の肖像画ラベルでリリースされます。

   

【動物】  
 「スピネッタ・バルバレスコ」はサイのラベルがユニークで、まだそれほど知られていなかった頃に、とにかくデザインに惹かれて購入しました。今やすっかり有名になったピエモンテを代表するワインの一つです。「チニャーレ」はトスカーナでカベルネやメルローなどのブレンドで作られるワインで、イノシシのイタリア語がそのままワイン名に。イノシシのデザインは毎年変わります。

  

3.ワインテイスティング
 
    

「カンティーナ・カステルヌォーヴォ・デル・ガルダ・ビアンコ・ディ・クストーザ・ルーベンス2013年」(タイプ:辛口の白ワイン、品種:ガルガネガ50%+トレッビアーノ20%+トレッビアネッロ20%+コルテーゼ10%、産地:イタリア/ヴェネト州)
 1959年に11人の組合員によって創立されたカステルヌォーヴォ・デル・ガルダは、ヴェローナ近くの歴史ある村です。1154年にドイツの赤ひげ王・フェデリコ・バルバロッサによってこの地を破壊された後、新しい城を建て直したこの村の名前を「Castelnuovo=新しい城」と呼ぶようになりました。現在は清潔感のある近代的な醸造技術が導入され、組合員は260人になり畑の面積は12,000haにまで広がりました。ビアンコ・ディ・クストーザはステンレスタンクにて発酵、かつ3ヶ月熟成させています。ペールイエローの外観で、爽やかな果実の香りと、芳しいフローラルな香りがあり、口中では綺麗な酸が感じられ、フレッシュな味わいが広がります。ジャガイモの冷たいスープに生の赤海老と帆立、ドライトマトのマリネを加えたお料理と合わせましたが、白ワインの爽やかな酸味カルパッチョの冷製スープ仕立てといったお料理をより引き立ててくれました。

「ディ・マーヨ・ノランテ・ファランギーナ・テッレ・デリ・オスチ 2013年」(タイプ:辛口の白ワイン、品種:ファランギーナ100%、産地:イタリア/モリーゼ州)
 ディ・マーヨ・ノランテは、州都でもあるカンポバッソ県で1800年代以来葡萄栽培に従事している生産者です。フィロキセラの害により一時ワイン造りから離れていましたが、1960年にラミテッロ地域で見事に復活し、以来モリーゼ州で最も重要な生産者として世界に知られています。現在およそ120haの自家葡萄園を化学肥料等の人工的な物を使わずに耕作し、最新の技術と熱い情熱によってワインが造られています。スキンコンタクトを24〜36時間してから、ステンレスタンクに入れ16〜18度で発酵します。マロラクティック醗酵は行わないため、酸がしっかりして、爽やかなシトラスと甘い花が混ざった香りが印象的です。こちらは先の1杯目の白に比べてボディがあり、しっかりとした味わいのホワイトアスパラと絶妙なマッチングを見せてくれました。

      

「エミリオ・ブルフォン・チャノロス2013年」(タイプ:辛口の赤ワイン、品種:チャノーリエ 100%、産地:イタリア/フリウリ・ウェネツィア・ジュリア州)
 エミリオ・ブルフォンはフリウリのポッツオーロの農業学校を卒業し、何件かのフリウリの生産者の元で修行をした後、1964年に現ワイナリーをヴァレリアーノに起こします。1970年代、ワイナリーの位置するピンザーノ・アル・タリアメント市とカステルノーヴォデル・フリウリ市周辺の丘陵地帯で、古い土着品種が絶滅に瀕していることを知り、その品種の研究と復興活動に尽くしました。収穫は全て手摘みで行い、ステンレスタンクにて醗酵後、スラヴォニアンオーク樽で3ヶ月熟成。チャノーリエ種は、他はもとよりフリウリですらほとんど栽培されていなかった品種ですが、熟成にもある程度耐えられるとされています。アメリカンチェリーなどの赤い果実を中心としたエレガントな香りがあり、口当たりはまろやかで、タンニンは穏やか。ほのかな甘味があり、非常に親しみやすい味わいです。イカスミを練り込んだパスタと意外に良い相性を見せてくれました。ラベルは彼らの醸造所があるヴァレリアーノの1300年代の古い教会「サンタ・マリア・デイ・バットゥーティ」に現存するフレスコ画「最後の晩餐」をモチーフにしています。

「ヴァルディカヴァ・ロッソ・ディ・モンタルチーノ2011年」(タイプ:辛口の赤ワイン、品種:ブルネッロ 100%、産地:イタリア/トスカーナ州)
 現オーナー、ヴィンツェンツオ・アブツェーゼ氏の祖父ブラマント・マルティーニ氏は、ブルネッロ協会の創立メンバーの一人で、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの発展に寄与してきました。醸造はコンクリートタンク及びステンレス、熟成はオーク大樽で行われます。チェリーやスパイスを感じさせる香り、多様で芳醇なワインに仕上がっています。フランソワ1世に招かれてフランスに赴き、フォンテーヌブロー城の改築に関わった16世紀のイタリアの画家ロッソ・フィオレンティーノが描く天使をモチーフにしています。

「ヴァルディカヴァ・ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ2007年」(タイプ:辛口の赤ワイン、品種:ブルネッロ 100%、産地:イタリア/トスカーナ州)
 1953年創業のヴァルディカヴァでは、1987年から本格的にブルネッロ・ディ・モンタルチーノを生産しています。醸造はコンクリートタンク及びステンレス、熟成はオーク大樽36〜40ヶ月、区画ごとに管理されたぶどうを厳選し、スラヴォニア産オーク樽で熟成させています。しっかりとした骨組みをもち、豊かな果実味と芳醇な味わいがスケールの大きさを感じさせます。ロッソよりも重厚な味わいとなっています。ラベルには、シエナのサン・ニコロ・デル・カルミネ教会にある、ベッカフーミ作「アルカンジェロ・ミケーレ」という作品が描かれています。ロッソとブルネッロは、ゴルゴンゾーラソース仕立てのラムと共に楽しみました。

4.ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ

 トスカーナのキャンティが、非常に古い歴史があり、紆余曲折を経てDOCG格付ワインとなったのに対し、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは、1988年に突如として現れた新しいワインと言えます。しかもそのスタイルは、ビオンディ・サンティ家というたった一つの生産者によって造り出されたものでした。

ビオンディ・サンティ  

 フェルッチオ・ビオンディ・サンティが、サンジョベーゼの優れたクローンであるサンジョベーゼ・グロッソを100%用いて、大樽で4年間熟成させて造りあげたのがブルネッロ・ディ・モンタルチーノの始まりで、最初の記念すべきヴィンテージが1888年でした。しかもそれが1967年にDOCに昇格するまで、他の生産者によって造られることはなかったのです。  
 しかも1967年の段階では、サンジョベーゼに10%まで他の品種のブレンドが認められており、2年熟成のロッソ・ディ・モンタルチーノも認められていました。これをよしとしなかった当時のビオンディ・サンティの当主は生産者協会への加盟を拒否、規定がサンジョベーゼ100%となり、協会と和解したのは1980年のことでした。現在、樽熟成期間は当初の4年間から2年間以上へと短くなり、大樽ではなく小樽を用いる生産者も増え、結果としてはビオンディ・サンティの造り出したスタイルが保持されているとは言えないようです。

カステッロ・バンフィ  

 ブルネッロの生みの親がビオンディ・サンティなら、その普及に貢献したのがイタリア系アメリカ人マリアーニ兄弟の設立したバンフィです。一部の愛好家のみの市場しかなかったブルネッロを、畑を購入し土壌を分析し、クローンを選出すると共にマーケティング・プロモーションを大々的に展開して、量と質を備えたブランドの確立に成功したのです。

ヴァルディカヴァ  

 ヴァルディカヴァはワイナリー名であると共に土地の名前でもあります。生産者協会創設メンバーでもあった当主の祖父は、1968年から元詰めを開始、当初はビオンディ・サンティの手法を模倣していたものの、次第に独自の道を進むようになります。一つは単一畑のワインの販売で、もう一つは自然農法の採用です。ビオンディ・サンティは基本的に複数の畑のブレンドですが、ヴァルディカヴァの「マドンナ・デル・ピアーノ」はブルゴーニュのグラン・クリュのように単一畑で造られた最初のブルネッロなのです。そして自然農法の大家、福岡正信氏の「自然農法わら一本の革命」に触発され、自然のバランスに従って正直にワインを造っているとのことです。

5.イタリアワインの歴史

B.C.8世紀頃  シチリアにてワイン栽培始まる。
B.C.197年 ローマ人、スペインのタラゴナへ進出
B.C.146〜A.D.330年 ローマ帝国支配下に
B.C.121年 史上空前の「偉大なるヴィンテージ」
B.C.100〜50年 シーザー、クラッススによりフランス各地にワイン栽培広まる
92年 皇帝ドミティアヌスによるブドウ栽培禁止令
280年 皇帝プロブス、ブドウ栽培禁止令廃止
476年 西ローマ帝国滅亡
14世紀〜16世紀 ルネッサンス
1449〜1559年 イタリア戦争
1716年 トスカーナ大公国コシモ3世、キャンティの区画を定める
1847年 ベッティーノ・リカーソリ男爵、キャンティの混醸比率を定める
1861年 サルディーニャ王国によるイタリア統一、王国成立宣言。ベッティーノ・リカーソリ男爵、最初の首相となる
1873年 ウィーン万国博覧会にて、多数のイタリアワインが入賞、国際的評価を受ける
1883年 フィロキセラ、イタリアへ
1888年 ビオンディ・サンティの最初のブルネッロ・ディ・モンタルチーノのヴィンテージ生まれる
1924年 優良ワイン保護のための最初の法律制定
1937年 ワイン法の改正
1946年 国民投票で王制廃止、共和制となる
1963年 本格的なワイン保護法の制定
1967年 ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、DOCに昇格
1975年 バルバレスコのガヤ、新酒(ノヴェッロ)始める
1978年 イタリア系アメリカ人のマリアーニ兄弟によるバンフィ社設立。

 紀元前750年頃、ロムルス兄弟によるローマ建国の頃、ワインは厳しく制限され、婦女子の飲酒は厳禁、男性も35才から、もし婦人が飲んで騒いだら死刑、という厳しいものでした。およそ200年間ワインは殆ど飲まれず、神への捧げ物も牛乳だったと言われます。ポエニ戦争の頃、ギリシャの神々に祈ったところ、御利益あってかハンニバルを打ち破り、ギリシャの神々と共にギリシャの文化がワインの水割りも含めて怒涛のように入ってきました。当時ワインは水で薄めて飲まれていましたが、その後大きな転換期が訪れます。史上空前の初のヴィンテージ、紀元前121年の登場です。歴史家パテルクルスはこの紀元前121年物が百五十年経ってもまだ美味しかったと記しています。これを契機に医薬用以外は水割りだったワインがそのまま飲まれるようになりました。    

 しかしローマ帝国の崩壊とともに、ワイン文化も停滞してしまいます。イタリアは分裂し、ローマ教会と神聖ローマ帝国が対立する中、北部の都市国家ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェなどが海運業や商業により繁栄し、ルネッサンスで黄金期を迎えます。イタリア戦争によりフランス、ドイツ、スペインの侵略を受け、結果的にスペインがナポリを、ハプスブルク家がミラノを領有し、実質的に国土の殆どが外国の支配下に置かれてしまいます。その間フランスワインが文化的にも経済的にも国際的に展開していったのに対し、イタリアワインはあくまで閉鎖的で家庭的な地酒の地位にとどまっていました。  

 その後ナポレオンによる支配と分割を経て、イタリアが再び王国として統一されたのは1861年のことです。フランスがカペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝、ナポレオン帝政と長きにわたって統一国家としてヨーロッパに君臨したのに対し、イタリアはローマ帝国の崩壊以降、約150年前の統一に至るまで、長い間都市国家に分かれていました。このことが、権威を重視し、殆ど変更されない格付けや規制の厳しいAOCに縛られがちなフランスワインと、自由を尊び、DOCG・DOCにこだわらない生産者が続出するイタリアワインとの違いに反映されているように思われます。。 

<今回の1冊>

 
   
ファブリッツォ・グラッセッリ「イタリアワインマル秘ファイル」(文春新書)
 建築家として来日、その後日本に永住して、東京に住んで20年あまりという著者による、イタリアワインの紹介本。「日本人はだまされている!」というなかなか強烈なあおり文句が帯に記されていますが、内容的にはそれほど過激なものではなく、最後の「飲むべきリスト」も、確かに耳慣れない生産者名は多いものの、ジャコモ・コンテルノのバローロや、ガヤのスペルス等、ある意味真っ当なアイテムが並びます。フランスワイン愛好家に比べて、イタリアワイン愛好家の本はやや語調が激しくなりがちのような気がしますが、もっと評価されてしかるべき、という論調には同意したいところです。

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