Via Vino No. 82 "To the Memory of an Angel"
メモリー・オブ・エンジェル


<日時・場所>
2018年12月8日(土)18:30〜21:30 広尾「マノワ」
参加者:17名
<今日のワイン>
辛口・白・発泡性「ランソン・ノーブル・キュヴェ・ブリュット 2002年」
やや辛口・白「ポール・ブルケール・リースリング・グラン・クリュ・ケフェルコプフ 2016年 」
辛口・白「ヴァンサン・ジャン・ピエール・シャルトン・メルキュレ・プルミエ・クリュ・クロ・デュ・ロワ 2016年」
辛口・赤「セレクション・マノワ・ニュイ・サン・ジョルジュ・ヴィエイユ・ヴィーニュ2012年」
辛口・赤「シャトー・ムートン・ロートシルト 2002年」
辛口・白・発泡性「ドン・ペリニヨン・エノテーク・ブリュット 1995年」
<今日のディナー>
マノワの3種のアミューズ (熊本県の日本鹿のテリーヌ、北海道・岩見沢のキジのクロケット、和歌山県のイノシシのリエットと栗のムース)
蝦夷あわびの冷製・日本鹿のコンソメジュレ
スコットランド山ウズラのロースト・山鶉のジュとごぼうのソースで
岐阜県ひどり鴨のロースト・サルミソースで
北海道上川町のヒグマのシヴェ
マノワの球体モンブラン

     


1.メモリー・オブ・エンジェル

 今回のテーマとなる「メモリー・オブ・エンジェル」は、2018年東京創元社第15回ミステリーズ!新人賞の最終選考に残った短編ミステリーで、ベルク作曲の「ヴァイオリン協奏曲"To the Memory of an Angel"(ある一人の天使の思い出に)」の演奏シーンがクライマックスとなっています。  
 交響曲の作曲家であり時代を席巻した名指揮者だったマーラー。その妻だったアルマが、夫との死別後に建築の巨匠グロピウスとの間に授かった一人娘マノン。そのマノンの早すぎる死を悼み、ヴァイオリン協奏曲を作曲したベルク。そのいわば哀しみの連鎖の中に生まれた傑作を演奏するためにコンクールに自らの運命を賭けて挑戦しようとした盲目の主人公は、決勝戦を前にして両親を二人とも失ってしまう……。  
 年代物のヴァイオリンの所有者で、すぐれた五感を持ち、ワインの鑑定に才能を発揮する主人公の友人は、まさにその鋭い耳で事件の背景を読み取っていきます。この作品には「シャトー・ムートン・ロートシルト2002年」「ドン・ペリニヨン・エノテーク1995年」が、ストーリーの中で重要なキーワードとして登場します。今回は物語に登場する極上のワインを、ベルクやマーラーの音楽と共に楽しみたいと思います。。

2.「メモリー・オブ・エンジェル」について

【あらすじ】
 盲目のヴァイオリニスト、藤恵利子は、「ロン・ティボー・コンクール」に参加するために、両親、そして家庭教師でヘルパーも務めるアンヌと共に、パリのホテル「ラ・クレ・ルーヴル」に長期滞在していた。彼女は今回のコンクールのために、友人であり、母親が経営する会社の大株主であるロビンズ財閥の令嬢でもあるリリー・ロビンズから、ストラディヴァリウスに優る至高のヴァイオリン「グァルネリ・デル・ジュス」を借りていた。そして、いよいよ決勝戦を三日後に控えた夜、恵利子の両親はホテルで殺害される。身体に十字の傷が刻まれていることから、殺害者はイギリスから渡ってきた殺人鬼クロス・カッターと見なされた。別の部屋に泊まっていた恵利子とアンヌは難を免れたが、恵利子はその夜に、グァルネリがすり替えられていることを直感的に気付いてしまう。  
 彼女は両親を失い、頼みの綱のグァルネリも持たぬまま決勝戦に臨み、課題曲であるベルクの「ヴァイオリン協奏曲"To the Memory of an Angel"」を弾くことになる。心乱れた彼女が響かせる旋律に、オーケストラは付いていくことができない。決勝戦の行方は、そして殺人犯は誰なのか……

【ワインについて】
 この作品には二箇所ほどワインが登場するシーンがあります。物語前半で、恵利子とリリーが杯を傾けるのは「シャトー・ムートン・ロートシルト2002年」です。ラベルには無限に向かって渦巻くような無数の羽根が、白い紙の上に細く黒い線で描かれており、リリーは「天使の思い出」のタイトルを持つ課題曲にふさわしいと考えてこのワインを選びます。
 物語後半では、恵利子の決勝戦での演奏を聴いたリリーが、今夜はこれしかないと恵利子へ差し出すのが、盲目の修道士ドン・ピエール・ペリニヨンにちなんだ「ドン・ペリニヨン・エノテーク1995年」。リリーは彼女の演奏を、まるで上質なヴィンテージ・シャンパーニュから美しい泡と濃厚な香りが湧き上がるかのようだったと讃えるのです。

【ヴァイオリンについて】  
 年月を経ることで他からは得難い価値が生まれる、という点で、ヴァイオリンという楽器はどこか熟成ワインに共通する要素があると思っていたのですが、「アルコール熟成入門」(日本食糧新聞社)には、まさにアルコール熟成の現象を説明する際に、ストラディヴァリウスの科学的研究の成果について触れられているのです。ヴァイオリンの用材に防虫剤として使用されたボラックス、すなわちホウ酸ナトリウムによって、材質が絶妙な状態まで硬化し、数百年経った楽器にしか出せない美しい音色が得られるようになるのだそうです。これはワインのアルコールが緩やかに水分子と結合し、ポリフェノールが重合していくことで、数十年を経た銘醸品にしか出せない香りと味わいが得られるのと、ある意味似ているのです。

3.マーラー、アルマ、ベルクについて

 本編で主人公が課題曲として取り上げるには、ベルクのヴァイオリン協奏曲ですが、その曲について語ろうとすると、ベルクがこの曲を捧げたマノン・グロピウスに触れざるを得ませんし、マノンについて語るなら、その母アルマ、そしてその最初の夫で、ドイツ・ロマン派の巨匠であり、ベルク達の属した新ウィーン楽派を支援したグスタフ・マーラーについて触れざるを得ません。もちろんその先に、ワーグナーという存在が音楽の歴史に、いやまさにヨーロッパの歴史に大きく関わっていく訳ですが、まずは話をマーラー、アルマ、ベルクに絞っておきましょう。

【グスタフ・マーラー】
 グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860年〜1911年)は、主にオーストリア、ウィーンで活躍した作曲家・指揮者。1878年にウィーン音楽院を卒業し、その頃作曲したカンタータ「嘆きの歌」をベートーヴェン賞審議会へ提出したが落選、「もしあの時、審議会が私の作品に賞を与えてくれていたら、この呪われたオペラ指揮の仕事もやらずに済んだかも知れない」と彼は後に記していますが、心ならずも名指揮者としての未知を歩み出したマーラーは、プラハ、ライプツィヒ、ブダペスト、ハンブルクを渡り歩き、1897年にはウィーン宮廷歌劇場指揮者に就任、1907年にはアメリカにも渡っています。全て音楽第一の態度で臨み、ワーグナーの楽劇をカットして演奏することを止めたのも、曲が終わるまで聴衆に拍手をさせるのを止めさせたのも、マーラーが最初だったと言われています。  マーラーの交響曲は長いもので演奏時間が100分(第三交響曲)、1,000人の演奏者を要する場合もあり(第八交響曲)、フルオーケストラに合唱まで混じることのある、極めて長大な作品群となっていますが、これらを多忙な演奏活動の合間に年に一作近いペースで仕上げていったというのですから驚きです。ベートーヴェンやブルックナーが第九交響曲を完成させた後に亡くなったことを怖れ、九番目の交響曲「大地の歌」には番号を付けずに、次の交響曲である「第九」を完成させたのですが、結局その次の作品「第十交響曲」を完成させることなく、1911年に敗血症のため50歳で亡くなりました。

【アルマ・マーラー】
 アルマは、1879年、ウィーンに生まれ、1964年、アメリカ、ニューヨークのマンハッタンで亡くなりました。生まれ育ったシンドラー家は、風景画家の父ヤコブと、母アンナは声楽家でした。ツェムリンスキーに作曲を学んだ後、グスタフ・マーラーと結婚、二人の娘をもうけましたが、その一人は幼くして亡くなります。1911年にマーラーが亡くなると、建築家でバウハウスを創設したワルター・グロピウスと再婚、美しく聡明な娘マノンをさずかりますが、小児麻痺にかかり車椅子生活を余儀なくされ、病気により急逝しました。その後年下のユダヤ人作家ヴェルフェルと結婚、戦時下にナチスを逃れロスアンジェルスに居を構えました。早産で男の子を産みましたが、10か月で亡くなっています。同じくヨーロッパから亡命していた若き才能たちが、ヴェルフェルとアルマの元に集まり、1964年、85歳で生涯を終えるまで、コルンゴルト、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、シャガール、トーマス・マン、バーンスタイン、ショルティ等との親交がありました。作品として、計16曲の歌曲が残されています。

【アルバン・ベルク】
 アルバン・ベルクはアルノルト・シェーンベルクに師事し、アントン・ヴェーベルンと共に、無調音楽を経て十二音技法による作品を残したオーストリアの作曲家です。1914年、無調音楽のオペラ「ヴォツェック」の作曲を始めます。この年に第一次世界大戦が勃発、翌年から兵役に服する事になり作曲が不可能になったが、1917年になって休暇を与えられ、歌劇「ヴォツェック」 の作曲再開に踏み切り、5年後に完成させます。1928年、歌劇「ルル」の作曲に取り掛かるも、翌年には「ルル」の作曲を一時中断、演奏会用アリア「ワイン」を作曲した。「ヴォツェック」の成功によって順調であるかに見えたベルクの作曲家人生は、1933年のナチス・ドイツ政権発足によって暗転、師シェーンベルクと共に、ユダヤ人ではないベルクの音楽も「退廃音楽」のレッテルが貼られ、ドイツでの演奏が不可能になってしまいます。1935年、アルマ・マーラーの娘でベルクも可愛がっていた、マノン・グロピウスの訃報に接し、「ルル」作曲の筆を再び置いて、ベルクとしては異例の速筆でヴァイオリン協奏曲を書き上げます。しかし、協奏曲完成の直前に敗血症を発症、この年の12月24日に50年の生涯を閉じました。

4.ワインテイスティング
 
      

「ランソン・ノーブル・キュヴェ・ブリュット 2002年」
( タイプ:白・辛口・発泡性、品種:シャルドネ70%+ピノ・ノワール30%、産地:フランス/シャンパーニュ)

 ランソン社は、シャンパーニュ地方の中心地ランスに1760年に創業して以来、約250年にわたって世界中で愛され続けている、最も著名なシャンパンメーカーのひとつです。英国王室御用達シャンパーニュであり、また、英国スポーツを代表するウィンブルドンテニストーナメントのオフィシャルシャンパーニュとして30年以上も親しまれています。「ノーブル・キュヴェ・ブリュット」は、蜂蜜や柑橘系の果実の香りと、ふくよかで複雑味のあるボディのヴィンテージ・シャンパーニュで、ベリーやダークチョコレートのような深い香りと、樽熟成の豊かで凝縮した味わいを持っています。「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2017」にてトロフィーを、「ジャパン・ワイン・チャレンジ2016」にてインターナショナル・トロフィーを受賞しています。

「ポール・ブルケール・リースリング・グラン・クリュ・ケフェルコプフ 2016年」
(タイプ:白・辛口、品種:リースリング、産地:フランス/アルザス)

 ポール・ブルケールは、7世代にわたり伝統を守るアルザスの名門です。アルザス・アンマーシュヴィアの農家としてぶどう栽培をスタート。父から子へと脈々と伝統が受け継がれ、現当主で7代目を数ます。環境に配慮したリュット・レゾネを実践。全生産の7割弱がフランス国内で消費されます。美しく輝くライムグリーンがかった若々しいレモンイエロー。魅力的なフレッシュ感と爽やかな花やフルーツのブーケ。白桃、青りんご、レモンバーム、ライムの花、ワイルドホップの花やフレッシュな苔を思わせる、心地よくクラシックなリースリングです。

「ヴァンサン・ジャン・ピエール・シャルトン・メルキュレ・プルミエ・クリュ・クロ・デュ・ロワ 2016年」
(タイプ:白・辛口、品種:シャルドネ、産地:フランス/ブルゴーニュ)
 ドメーヌ・シャルトンは、1941年から続く家族経営ドメーヌですが、現在の当主はまだ31歳という若さです。除草剤などは一切使用しない栽培を行っています。収穫は手摘みで行い、実が潰れないよう小さなカゴを用いて健全で熟した果実のみを選果しています。クロ・デュ・ロワは間違いなくメルキュレ村で1番良い畑で、ほとんどがピノ・ノワールなのですが、そこにあえて、シャルドネを植えています。とても珍しい、メルキュレの白ワインです。高いポテンシャルを感じられる、若手の未来を感じることのできるワインです。また、2016年は近年では非常に生産量の少ない貴重なヴィンテージでもあり、抜栓してから時間が経っても、高いクオリティを維持できる白ワインに仕上がっています。

      

「セレクション・マノワ・ニュイ・サン・ジョルジュ・ヴィエイユ・ヴィーニュ2012年」
(タイプ:赤・辛口、品種:ピノ・ノワール、産地:フランス/ブルゴーニュ)
 セレクション・マノワは、マノワのオリジナルワインです。オーナーソムリエ中村豪志氏が自らフランスへ赴き、真摯に取り組む優良生産者と交流を深め、畑を視察し、試飲を重ね、ワインをセレクトしています。どのアイテムも自信を持ってお薦めできる高品質なブルゴーニュワインです。このワインも非常に有名な生産者に作って頂いているとのことです。ニュイ・サン・ジョルジュは、ブルゴーニュで最も力強く、男性的なワインを生産するアペラシオンです。 豊かなタンニンと豊満さが融合し、骨格もしっかりしていて余韻も長く、長期熟成に向いています。特に2012年は、ヴィンテージも非常に恵まれ、また数年の熟成を経て、ワインに円みと気品さが備わり、今まさに飲み頃を迎えた、秀逸なブルゴーニュの赤ワインと言えます。

「シャトー・ムートン・ロートシルト 2002年」
(タイプ:赤・辛口、品種:カベルネ・ソーヴィニョン78%+メルロ12%+カベルネ・フラン9%+プティ・ヴェルド1%、産地:フランス/ボルドー/ポイヤック・メドック格付1級)

 メドック地区四大シャトーのひとつで、1855年の格付けでは2級格付けでしたが、フィリップ・ロートシルト男爵の努力が実り、1973年の格付け見直しで例外的に第2級から唯一昇格し1級を取得しました。ラベルには、「我一級たり、かつては二級なりき、されどムートンは変わらず」の文字が書かれています。また、1945年以来ラベルを毎年世界の著名な画家がデザインすることでも知られており、ミロやダリ、ピカソ、シャガール、コクトーなど、1979年は日本人の画家堂本尚郎氏、1991年はSETSUKO(巨匠バルテュス夫人)の絵がラベルを飾っています。ボルドーの2002年は、カベルネ種主体のメドックが主役のヴィンテージで、ムートン・ロートシルト2002は、「2002年ボルドー・ベスト・ワイン」にポイヤックから選ばれた1つです。「ワイン・アドヴォケイト」にて94〜96+点の評価を得ています。木製の醗酵槽で21〜31日間発酵、オーク樽(新樽率100%)でおよそ19〜22ヶ月間の熟成を経ています。タバコや西洋杉、ベリーやカラントの果実など複雑性に富んだ香りに溢れ、重量感とコク、果実とよく熟したタンニンの確固とした芯が通り、2002ヴィンテージの傑出したワインの一つとされています。

「ドン・ペリニヨン・エノテーク・ブリュット 1995年」
(タイプ:白・辛口・発泡性、品種:ピノ・ノワール+シャルドネ、産地:フランス/シャンパーニュ)
 ドン・ペリニヨン・エノテークは、通称「ドンペリ・ブラック」とも呼ばれ、高品質なぶどうが収穫された年にだけ作られるドン・ペリニヨンの中でも、より優れた品質のものを選んで、最低13年もの間長期熟成させることで得られるシャンパンです。現段階では最後に出されたヴィンテージは1996年物ですが、パーカー・ポイント97点、ジェームズ・サックリング99点と最高評価を獲得しています。通常のドン・ペリニヨンよりもアロマ感が深く、様々なエキス分がより凝縮されているため、繊細で複雑な香りを持つものになっています。香りの中心には、バターやアーモンドといった芳醇な成分がしっかりと腰を据えていて、その周りをエレガントないちじくや柑橘類などのフルーティーな風味が取り巻いており、さらにオーク樽の香気までもが存分に引き出されています。エノテークという言葉は、イタリア語でエノテカ、ドイツ語でヴィノテークと称され、ワインの収蔵場所を意味しますが、同社のオールド・ヴィンデージを集めたワインセラーにつけられた名前でもあり、至高の技術と能力を有した醸造最高責任者だけが、そこに眠っている古酒を手がけることが出来るとされています。

5.ワインを音楽に合わせて

当日流した音楽は以下の通りです。
@ ベルク「ヴァイオリン協奏曲」第一楽章(イザベル・ファウスト、クラウディオ・アバド指揮、モーツァルト管弦楽団)
A マーラー「交響曲第五番」第四楽章「アダージェット」(レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)
B マーラー「亡き子をしのぶ歌」(トーマス・ハンプソン、レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)
C アルマ・マーラー「収穫の歌」「恍惚」(リリ・パーシキヴィ、パヌラ指揮、タンペラ・フィルハーモニー管弦楽団)
D ベルク「ワイン」(アンネ・ソフィー・フォン・オッター、クラウディオ・アバド指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)
E ベルク「ヴァイオリン協奏曲」第二楽章(イザベル・ファウスト、クラウディオ・アバド指揮、モーツァルト管弦楽団)
F マーラー「交響曲第十番」第五楽章「フィナーレ」(ダニエル・ハーディング指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

 

【「ランソン・ノーブル・キュヴェ・ブリュット2002年」を、ベルク「ヴァイオリン協奏曲」第一楽章と】
 まずは最初の一杯目は、ヴィンテージ・シャンパーニュ「ランソン・ノーブル・キュヴェ・ブリュット2002年」です。ランソンは英国王室御用達シャンパーニュとして有名で、ウィンブルドンのオフィシャルシャンパーニュとしても親しまれています。「ノーブル・キュヴェ・ブリュット」は、「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」「ジャパン・ワイン・チャレンジ」でトロフィーを受賞している逸品で、12年もの瓶熟成を経ているため、蜂蜜や柑橘系の果実の香りと、ふくよかで複雑味のあるボディのヴィンテージ・シャンパーニュに仕上がっています。まずはこの最初のシャンパーニュを、ベルクのヴァイオリン協奏曲・第一楽章と楽しみたいと思います。ベルクの音楽は十二音技法という、比較的前衛的な手法を用いていて、口ずさみやすいメロディーは見られないのですが、それだけに感情をそのまま叩き付けるような一種の厳しさ、激しさを持っています。この曲はマノン・グロピウスという少女の死を悼んで作曲されました。第一楽章は若いマノンのポートレイトを音楽で綴ったものと言われています。時間にして10分程度。4本の解放弦の音で始まるヴァイオリンのソロが印象的で、純粋無垢なマノンを象徴しているとされています。

【「ポール・ブルケール・リースリング2016年」を、マーラー「アダージェット」と】
 ベルクのヴァイオリン協奏曲について語ろうとすると、ベルクがこの曲を捧げたマノン・グロピウスに触れざるを得ませんし、マノンについて語るなら、その母アルマ、そしてその最初の夫で、ドイツ・ロマン派の巨匠であり、ベルク達の属した新ウィーン楽派を支援したグスタフ・マーラーについて触れざるを得ません。
 20世紀初頭にウィーンで活躍した名指揮者マーラーは、今では交響曲作曲家として知られています。マーラーの交響曲は長いもので演奏時間が百分、千人の演奏者を要するものもある、極めて長大な作品群となっていますが、これらを多忙な演奏活動の合間に年に一作近いペースで仕上げていったというのですから驚きです。全て音楽第一の態度で臨み、ワーグナーの楽劇をカットして演奏することを止めたのも、曲が終わるまで聴衆に拍手をさせるのを止めさせたのも、マーラーが最初だったと言われています。  
 マーラーの中で最も有名な曲が、映画「ベニスに死す」で使われた、第五交響曲の第四楽章「アダージェット」でしょう。弦楽器だけで演奏されるこの10分程度の曲は、ベストセラーの「アダージョ・カラヤン」でも第一曲に取り上げられ、マーラーの非常に純粋な内面性を示した名作だと思います。マーラーのイメージに合わせるワインは、やはりドイツ文化圏で活躍し、混じりけのないピュアなスタイルを貫くという点で、リースリングで決まりかと思われます。アルザスのリースリング、保全農法でクラシカルなスタイルを貫くポール・ブルケールのグラン・クリュ・ケフェルコプフを楽しみました。

【「シャルトン・メルキュレ・クロ・デュ・ロワ 2016年」を、アルマ・マーラー「収穫の歌」と】
 マーラーの妻として有名なアルマ・マーラーは、42才のマーラーと結婚した時はまだ22才、まるで女優のような写真が多数残されていますが、当時クリムトと交流がありツェムリンスキーにも学び、作曲もこなすアルマは既に社交界の花形、一方で早くに母親を亡くし兄弟を養っていたマーラーは音楽一筋の自分にも他人にも厳しい性格、マーラーはアルマに、彼女の誇りでもあった作曲を禁じてしまいます。しかもマーラー自身は有名人なのでいつも仕立てられた服をしっかりと着こなしているのに、自分にはろくに服も買ってもらえない生活、それだけならまだしも、彼女が最も傷付けられたのは、2人目の娘が生まれたばかりの時に、「なき子をしのぶ歌」を作曲したことかも知れません。「私にはその神経が理解できなかった」と回想していますが、その後実際に長女マリアを猩紅熱とジフテリアの併発によって失うことになります。つまりマーラーは「なき子をしのぶ歌」を作った後に子を亡くすことになったわけで、マーラーはもともと悲観主義的な人ではありますが、自ら不幸を予告してしまうようなところがあり、その作品群に独特な悲哀を感じさせるものとなっています。  
 さて、マーラーは死の前年にはアルマの作曲能力を認め、その出版を後押ししようと言い出します。その十五の歌曲は今ではいくつかのCDで聴くことが出来ます。「収穫の歌」は、歌詞にワインが登場するので特に取り上げました。「恍惚(エクスタシー)」という曲も、これはマーラーならまず取り上げないタイトルだなあと思ったので敢えて紹介しようと思います。
 マーラーがリースリングなら、アルマはシャルドネでしょうか。アメリカ演奏旅行中に倒れ、ウィーンに戻るとほぼ同時に50才で亡くなったマーラーですが、アルマは戦時下にナチスを逃れアメリカに渡り、そこで84年の生涯を終えます。三人の著名な芸術家の妻となり、1日にウイスキーをボトル1本空けることのできる酒豪だったと言われていますが、そのたくましさは適応能力が強く、閉じ込められてもその殻に収まらない、様々にスタイルを変え世界に広まったシャルドネに通じる物があると思うのですが、いかがでしょうか。ワインはドメーヌ・シャルトンのメルキュレ・プルミエ・クリュ・クロ・デュ・ロワです。シャルドネ100%で作られた珍しいメルキュレの白で、かつ非常に生産量の少ない2016年物、高いポテンシャルを感じさせるワインです。

【「セレクション・マノワ・ニュイ・サン・ジョルジュ・ヴィエイユ・ヴィーニュ2012年」を、ベルクの歌曲「ワイン」と】
 大学生の頃マーラーを聴きまくった私ですが、ベルクの作品はマーラーほど聴きやすくはないので、正直敬遠していました。しかし2012年にワイン会で「ワインと音楽」を企画した際、ワインにまつわるクラシック音楽はないかと探していた中で出会ったのが、ベルクのオーケストラを伴うコンサート用アリア「ワイン」という作品でした。ボードレールの有名な詩集「悪の華」の中から、「ワインの魂」「恋人同士のワイン」「孤独な男のワイン」の三つの詩に曲を付けています。これをきっかけに、ベルクが切り裂きジャックが最後に登場する「ルル」という異色のオペラを作曲していたこと、そしてその作曲を中断して、少女マノンの死に寄せて「ヴァイオリン協奏曲」を作曲したことを知り、まさに自分の中で、ベルク〜クラシック音楽〜ミステリー〜ワインが見事に絡み合いました。今回は6年前にも披露した、ベルクの歌曲「ワイン」を流しました。合わせるワインは、こちらはマノワさんオリジナル、セレクション・マノワ・ニュイ・サン・ジョルジュ・ヴィエイユ・ヴィーニュ2012年です。ニュイ・サン・ジョルジュは、ブルゴーニュで最も力強く、男性的なワインですが、特に2012年は、ヴィンテージも非常に恵まれ、また6年の熟成を経ているので、円みと気品さが備わり、今まさに飲み頃を迎えたワインとなっています。

【「シャトー・ムートン・ロートシルト2002年」「ドン・ペリニヨン・エノテーク1995年」を、ベルク「ヴァイオリン協奏曲」第二楽章及びマーラー「交響曲第十番」第五楽章と】
 「シャトー・ムートン・ロートシルト2002年」を選んだ理由は、もちろんラベルにあしらわれた無数の羽根。ボルドー1級格付けの「シャトー・ムートン・ロートシルト」は、毎年世界的に著名なアーティストの作品をラベルにしていることで有名ですが、この2002年はウクライナ出身、アメリカ在住のイリヤ・カバコフの作品です。実はこれが「天使の羽根」だとカバコフは明言してはいないのですが、この作品のためのスケッチを見るとそこには背中に羽根を生やした人間の姿が描かれています。
 「ドン・ペリニヨン・エノテーク1995年」は、最低13年以上の長期熟成を経てリリースされる選び抜かれたヴィンテージ・シャンパーニュで、最後のリリースが1996年物なので、今や殆ど出回っていません。エノテークはイタリア語でエノテカ、ドイツ語でヴィノテーク、ワインの収蔵場所、ワインのある意味図書館を意味します。ベルクの『ヴァイオリン協奏曲』は、すんなりと入ってくるメロディーはないのですが、ヴァイオリンの音色その物が生き物のようにあがいているような、演奏する者の感情がそのまま音としてあふれ出るような曲だと思ったのです。そしてその背景にあるのが、十二音技法というある意味デジタルなテクニックと、マノンという一人の少女の死に捧げ、それが自らの最後の作品となってしまうと言うあまりにも人間的なドラマであり、まさにミステリーにふさわしい音楽作品だと思いました。短編ながら殺人を扱っているので、そこには人間の死という重いテーマが被らざるを得ません。その重さと釣り合う音楽作品とワインを取り上げたつもりです。
 さて、この二つのワインに合わせる音楽は、ベルクの最後の作品「ヴァイオリン協奏曲」の第二楽章二加えて、マーラーの最後の作品「交響曲第十番」の第五楽章です。マーラーの第十交響曲は第一楽章しか完成しておらず、残りはスケッチだけが残されました。何人かの専門家達がオーケストレーションを完成させ、私が持っているだけでも、デリック・クック版、カーペンター版、サマーレ・マッツーカ版などのバージョンがあります。本来であれば作者の死後他の人間の手が入るというのは言語道断なのですが、ことクラシックに関しては、モーツァルトのレクイエムにしてもムソルグスキーの展覧会の絵にしても、この手の話は尽きず、名作なんだから仕方がありません。当初アルマはこの補筆版を認めず、出版も演奏も禁止したほどですが、死の前年にそれを取り消したと言われています。また最初のクルシェネクによる補筆版には、ベルクも関わったと言われていて、その意味でも非常に重要な作品なのです。この二つの曲は、まさにマーラー、アルマ、ベルクを繋ぐ作品です。マーラーは50才の時に敗血症で亡くなりましたが、ベルクも同じく50才の時に敗血症で亡くなりました。音楽的な繋がり以上の繋がりがそこに感じられるのです。

6.今回の一冊

 


北條正司・能勢晶「アルコール熟成入門」(日本食糧新聞社)
 ヴァイオリンは、当時使用された防虫剤によって、材質が絶妙な状態まで硬化することで、数百年経った楽器にしか出せない美しい音色が得られるようになります。一方ワインも、アルコールが緩やかに水分子と結合し、ポリフェノールが重合していくことで、数十年を経た銘醸品にしか出せない香りと味わいが得られます。この「アルコール熟成入門」には、ワインや他の蒸留酒の熟成の話に加えて、年代物のヴァイオリンの話が出ていますが、実際にヴァイオリンを演奏する方からも、年代物ヴァイオリンに関して同じような話をお聞きしました。

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