日々新たに進歩する自分及び他人を迎え入れる人
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 どうでしょう。これまで、自分らしさについて考えてきましたが、ふと、自分らしさ
といっても、人としての地位など地球のどんな生き物とも比べるものではないこと、と
気づくことがあります。どんな野の花も、人の地位や名声にも比べられないことだと、
自然界の生き物の姿や声を聞いたとき思うことがあります。

 そんなとき、人の進歩とはなんだろうと思うのです。これまで進歩という言葉の響き
には、なにか自分だけが、人間だけがとても偉くなったような錯覚があったのではない
かと思えるのです。良い例が科学技術の進歩です。なにか、科学技術が進んだものが偉
いような思いになってきたように思います。たしかに、産業革命以来、科学技術をうま
く取り入れた所が経済発展をしてきたことは事実です。

 ところが、道具であるはずの科学技術に囲まれた日常生活空間、科学技術に関わる時
間が仕事を通じてもあらゆる業種に携わる人々が相当時間を費やすことになった現代は
、人生に与えられた限りある生涯の時間の中で、私たちが存在を許されているこの空間
において、“いきもの”の声を感じる感性がどんどん失われていっているのではないか
と実感するのです。

 黙っても多くの自然に囲まれた環境がある所に生活することが、最も良いことと考え
ます。しかし、生活の糧を得るために都会での生活をせざるを得ない人が多いことも現
実です。
 そのために、努めて自然の中に積極的に身を置くようにする機会を持つ必要がありま
す。「体はより自然に近く、考え方はより進歩的に」が理想と考えます。

きっと、これから最も進歩的というのは、自らを“いきもの”と実感でき、地球上に
居て感じる自然界の循環の中に、そのままスッととけ込めるような自分を見いだし、振
る舞うことの出来る生き方なのかもしれないなと思うのです。これからは、いきものと
の距離をどんどん近づける生き方をすることが、進歩的生き方と呼べるとなってくるこ
とだと思えるのですが、いかがでしょうか。

近年、自ら写真の展示会にも参加させていただける機会を持ち、これまで大切だと思
っていることを本にまとめて出版する機会がありました。そのことが、きっかけで芸術
活動をされている方とお付き合いいただけるようになりました。その作家の方のお話を
伺う中で学ぶことが多くありました。その一つに、作品を生み出す中で、他の作家と違
った捉え方、表現方法を模索していくのですが、自分自らの手で表現しようとする時は
まだ駆け出しであって、円熟してきた段階では、自然の力を受けて描かされているとい
うような、あるがままの自分はひとつのいきものとして生かされているに過ぎないとい
ったことに気づいて肩の力が抜け、その結果良い作品が生まれてきたというのです。

 自分らしさを求めて、他の人々との違いを求めることということより、もともと自分
に備わったもっとも自然な振舞い方、周りのいきものともやさしく会話し、自分の心
とも会話できるしなやかさが、ここで求める自分らしさの表現なのかもしれません。