人の悲しみがわかる(その人の立場に立てる人)
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 「人間の中心は情緒である。」「情緒とは、人の悲しみがわかる心」という言葉に出
合ったことが、どれほど勇気づけられたことでしょう。この言葉は、「春宵十話」(岡
 潔著)の出だしに出てくるものですが、私のこれまでの人生で出会った最も大切な本
となっています。

 自分の心がいつも潤いを保ち、そして本当に相手の心を動かすものは何なのでしょう
。決して理屈や道理が正しいからだけではないようです。もっと心の奥底から、突き上
げるような思いの時でした。そのことを、どう説明してもしきれないものを感じていま
した。学生の時に、きっとこれだ!と思えるものが、この言葉だったのです。
私は、小さい頃、よく涙を浮かべることの多い子供だったと思います。なぜ、そんな
に悲しいか説明がつきませんでした。このことを、10代の後半まで一人で考えていま
した。決して、自分が単に弱いということではないことだけは、信じたかったようにお
もいますが、このことをどう解釈すべきかわかりませんでした。

ところが、「人間の中心は、情緒である」ときっぱりと言いのけた岡 潔さんの言葉
は、どれほど自信を持たせてくれたことかわかりませんでした。人間らしさについて、
これほど明解に表現した言葉に、はじめて出会ったのですから。そして、「情緒とは、
人の悲しみがわかる心」と言うのです。もう、迷いはありませんでした。“人の悲しみ
がわかる心の持ち主こそ、最も人間らしい人である”ということなのです。

そして、もうひとり紹介します。冒険家といわれた植村直樹さんの言葉に、「自分は
とても臆病と思う。自然の怖さがわかるだけに、慎重にあらゆることに敏感に反応して
行けないと、自然の中に居ることはできない。自然がちょっとほほえんだときにそこに
立たせてもらうだけなのだ」。それ以来、強さ・弱さの概念が、大きくかわってきたの
です。

 どうですか。この悲しみがわかる心の持ち主こそ、もっともいきものに歓迎される人
に思えてきます。だから、このことを証明するために、生きていこうと決意したのかも
しれません。人の悲しみがわからない人が、人にもいきものにも、暴力を奮っているよ
うに思えます。そのことにこちらが負けるわけにはいかないのです。正しいことを証明
しないといけないと心に強く思ったのです。

 この“人の悲しみがわかる心”は、ゆっくりゆっくり育てていかないと育てられない
ことなのだ、述べています。

 子供のころ、時間を気にせず、飽きること無く眺めていました。草木の花の咲く様子
、雲の移り変わり、そして星の中に吸い込まれるような怖さをゆっくり受け止めていた
過ごし方をしたように思います。この花に何度逢えるのかと涙があふれた青年期、そし
て身近な者との別れなどを通し、本当に人の心を動かし行動を起こさせるものは、決し
て理屈ではないのだということを実感したのです。

 人の悲しみがわかる心を持った強い生き方、今後ともいきものとともに生きていきた
いと強く思っています。