一見無関係と思えるものを関係付ける能力、一見同じように見えるものを違うと言い
 切る能力

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 自然の事柄は、実にたくみに関連をもってバランス良くできているのだろうと思いま
す。自然から学ぶとは、もちろん鳥の飛び方から現在の飛行機や、とんぼからヘリコプ
ターがヒントを得て生まれたことにも一つの例としてわかります。

しかし、自然から学ぶ最も大切なことは、一つ一つの機能を学ぶことだけでなく、様
々なものとの連携で微妙なバランスが保たれていることをもっともっと気づきたいと思
っています。
 たとえば、水について考えてみましょう。水のもつ吸着性、つまりどんなものでも吸
い付ける力があることで、川の水が途中の成分をみな吸い取って下流に流れてくる。そ
して水が気体になることでそれらを離し、その気体は上空で冷やされてまた水となって
降り注ぎ、地球の循環を手伝っていることがわかります。そして、これと同じように、
私たち生き物は、ほとんどが水でできており、その体内を循環する水の働きによって生
命を維持していることに気づきます。

これが、私たちが自然の地球上でいっしょに活動していることで、決して人間が造り
上げた経済社会の各々のしくみだけが例外であってはならないのです。やはり、循環型
の経済になることを自然の有り様から学び、一人一人がすべての活動において実行に移
す覚悟が必要な時を迎えていると思います。

 世の中に、こんな仕事があるとは思っても見ませんでした。既存の制度やしくみを協
力を得てあるべき方向に変えていくために、現状の状況をあるがままに把握する役割で
す。社会に出て始めて、その役割を考えることになったのです。家族を含めたまわりの
ものに、なかなか分かってもらえない内容だったのです。

そこで起こっていることを、あるがままに捉えるというセンスについて考えてみたい
と思います。
 
 いわば、風が吹けば桶屋が儲かる式に、いま起こっている現象からこれから起こるこ
とを推測したり、今の状態がどのようにまわりの事柄と関係して成り立っているのかを
関連づけてみるような見方のことなのです。今生きている宇宙の自然現象から、人が社
会のル−ル・しくみとして築き上げ運用しつづけていることまで、いっさいの事柄につ
いての相互関係に興味がないと、それらの関連が見えず、あるがままに捉えることがで
きないのです。

 このような“あるがまま”に捉えるセンスは、「一見、無関係と思えるものを関係づ
ける能力。一見、同じと思えるものを、違うと言い切る能力。」と表現できることかも
しれません。

ここで大切なのは、このようなセンスを支えるものが、視点、物の見方なのです。良
く切り口ともいいます。視点を武器に問題の本質を見抜くのです。

 この、視点に近い表現に、視野、視座といった言葉がありますので、その違いを確認
しておきましょう。“視座”とは自分が物をみているときの目の高さ、つまりどの立場
・役割からものを見ているかということです。一方、“視野”とは、事柄をどのくらい
の広がりで捕らえているかというときに使う言い方です。よく、あの人は狭い見方をし
ているとか、広い見方の人だといった表現に使われるものです。そして、“視点”とは
、いわば切り口とでも言えるようなもので、より多くの視点を持つことで実態を様々な
角度から見ることが出来、ありのままの実態に近く捉えることができることになるので
しょう。

 このように、見方、視点の置き方によって同じ出来事をいくとおりにも解釈できるよ
うになるわけです。心がどちらの方向を向いているかによって、見え方が変わるのです
ね。

アミエルの日記を紹介します。

が変われば、態度が変わる。

 態度が変われば、習慣が変わる。

 習慣が変われば、人格が変わる。

 人格が変われば、人生が変わる。」


 “”が変われば、態度→習慣→人格→“人生”が変えられるのですね!