“おふろ うど(温泉の狩人)”
湯煙の向こうに自分が見える
  
                            
温泉人 鈴木和夫

 
“家族”それは、かつて一つの囲炉裏やランプの灯りに集まり、命という灯りが延
々と繋がってきた証を確かめながら毎日を暮らしてきたのではなかったか。

 “旅”という言葉の発祥について、民族文化映像研究所姫田忠義さん(映像人類
学者)からお話をお伺いし、とても感銘を受けた。

「ある島や沖縄の風習に、女性がお産をするために特定の庵に入るときに“たび”に
行くと言う。近年、ペルーの遺跡からミイラが発掘され、その腰に木の皮で編んだ入
れ物の中に火の燃えかすが発見されたとのこと。そして、秩父に残る通過儀礼の中に
、お産の用意にかまどの火でお湯を沸かすが、生まれた子供の顔を拭くために用意す
る湯は、七輪などの他の火で沸かす。つまり、“他の火”、“他火”、“たび”なの
ではないだろうか。」

生まれる子供は、両親の持っている命の“火”をもらいながら、両親から自立した
命の火、つまり“他火”として明々と灯りをともし、次の世代へと命の灯りを繋いで
いってほしいとの願いが込められているのだろう。

その、家族として一つの灯りを感じて生きていくことの楽しさ、それを温泉の湯煙
を求めて草深い山里をめぐり、湯煙の中に身を浸しながら出会った多くの人々や、と
りまく気配から感じてきた。

今出会っている様々な人々、今出会っている様々な生き物、“いきものの気配”を
体じゅうに感じて生きていく感覚、そんなものを呼び起こしてくれた。

限られた人生の時間軸を見つめた。そして、人生の時間軸上で、一つの灯りで繋が
った家族として関わっていきたいと思い、極力、自然と積極的に関わった人生を歩み
たいという強い思いの中、休日のほとんどを各地の温泉に、家族で浸りつづけてきた
。その湯煙の中で出会った事柄を通して、その土地の宝物、自然や出会いの人との中
で自分自身を見てきたように思う。
知らず知らずに、日本人としての自然観、東北山形の山懐に発祥した先祖から受け
継いだ命の灯りが、自然との出会いの中でどのような心の動きをするのかが、ここに
見えてきた。