●近代ボンバーSTG考察! ※98年夏の原稿の若干修正文

今回は「ボンバーシューに対する最近の世間の見解にモノ申す」てな話題です。超長文ですがSTG好きな方はお付き合いお願いしまする。

要はボンバーシューに対するネガティブな意見「真似・保守的・安定・アイデア想像力なし・おおざっぱてきと〜娯楽」等々に対する反論でございます。何故ボンバーシューメーカーがそれ系統のみを追求するか? それは上の様な理由ではなく「シンプル至上主義」であったからだと、私は認識しています。STGで最もシンプルな形とは「レバーで動いてボタン1つで撃つ」でしょう(固定画面左右移動STGとかは割愛)。これが最も万人に理解され易く入り易い、即ち最も敷居の低い形です。

前にもチラっと話ましたが、近年のボンバーシューは、上級者は「生存の為のボンバー」を撃たなくなるような作りになっています。例えば怒蜂のマキシマムやガレッガ、ライデンFシリーズの得点取得目的でボンバー使い切り、等。よってそういう層のみのプレイヤーをターゲットにするのでしたら、ボンバーのないシステムの構築も十分可能と思われます。

では逆に何故ボンバーという要素を入れるかと言うと、それはもっと下のプレイヤー層を考慮したからこそ、と言えます。アーケードという不特定多数の客層を相手にする上で最も大切な事は、上手い人から初心者・一般者まで全ての客層に対応する事、に他なりません。シンプルである事、幅広いキャパシティ、これらはゲーセンの多くのプレイヤーに対する優しさです。

プレイヤー層の幅の広さというのは、同時に一人のプレイヤーに対する上達の過程の充実でもあります。つまり誰だって出会ったばかりは初心者であり、だんだんと上手くなっていくという事。この過程においてボンバーというシステムは、単純ながら劇的に優れた効果を発揮します。即ち慣れない内はボンバー連発、先の到達地点の為のボンバー温存(&ある程度の余裕の発生)によるボンバー使用数減少、果てはノーボンバー攻略・・・ 個々の場面に対して、その人の上達具合(&様々な客層)に応じてその姿を変化させ、早い段階から通過させてくれつつも最終的にはその数段上の攻略量を持って完全制覇させる、多くの人に長く対応する「深さ」。アーケード界での成功にはこういった事が作用しているのは間違いありません。
(余談ですが、非ボンバーシューでいく開発者は、それぞれ何か別に これに匹敵する対多様性を持たせなきゃアカンですよ!)

ライジングの蒼穹紅蓮隊、個人的にあれの攻撃方法は画期的だったと思っています。敵を狙うという手法について、レイフォはゼビウス&アフターバーナの血統でしたが、蒼穹は完全な「新種」なのでは? そしてこれはそれのみを推し出して非ボンバー新系統シューとして売り込む事も可能だったように思えます。その方が、ある種の支持を増加させたかもしれません。では何故ライジングはこのSTGにボンバーを入れたのか? それは恐らく先のような理由によるものではないでしょうか?

現実的にSTG界は最上級層と一般層との格差が広がり過ぎています。実際にハイスコアラー層では蒼穹ノーボンバープレイが繰り広げられていました。しかしあれからボンバーを取ったら大半のプレイヤーはついて行く事が出来ませんし、逆にそれを考慮して調整すれば最上級層には簡単過ぎてしまいます。他にも、例えば怒首領蜂の1周クリアに際して、「ボンバー撃ちまくり残機使いまくりクリア」と「ノーミスノーボンバークリア」との間には圧倒的な格差がある事は、後者を目指した事のある人でしたらお分かりの事でしょう。そしてそれは即ちこのゲームが、それだけの幅広いユーザー層(&個人の長い上達過程)を内包し得たSTGであった事を示しています。ここで、例え前者のプレイでもその本人にとっては充分以上に楽しめている、 という点も重要ですね。更に多くのプレイヤーに自然と後者を目指させるようにした仕組み作りも見事!

行き着く先は(対生存用)ノーボンバープレイと言う近年ボンバーシュー、既にボンバーとは、ゲームの骨組みとしての位置付けではなく、難易度調整としての付加要素、となっている様に思えます。システムというよりも調味料、潤滑油的な存在とでも言いましょうか。

一連のボンバーシューを指差して「てきと〜に遊べばそれなりに進ましてくれる、ちょっとやって爽快感を楽しむゲーム」と称する光景を(最近割と)見かけますが、それは入り口のみの話。現実として、クリアうんぬんのレベルの話は全く異なります。その攻略量、プレイの緻密さ、生存の為の情報処理の多さ&複雑さ、そして集中力、それらをひっくるめた多大なプレイヤーの「情熱」、一つのゲームをクリアするという事はそれだけの事を持ってして為されている事を、経験者は知っているでしょう。

趣向系に対するシンプル系STG、これの目指す点は先に述べた通り「レバーで動いてボタンで撃てればプレイ出来る」STGです。これってある意味「STGそのもの」でもありますね。

趣向系と違い、これは一つの理想に収束方向にある、という事を意味します。もちろんこれではあまりに無味乾燥なので、武器の使い分けとか溜め撃ちとかある程度の趣向は混ざりますし、そしてある程度なら単純対応と同居出来るかもしれません。でも、古来数千年前より人間という生物は個別能力が進歩していないとの通り、直感対応可能を重視する以上はそのラインは今後も変わる事はないと思われます。

セイブが初代雷電を出したときの宣伝文句は「原点」です。システム的に凝らずシンプルで行く事、それはもう8年も前から宣言されていた事。と言いつつ雷電は武器をメインとサブを組み合わせたりボンバーが2種類になったりと案外複雑(?)だったのですが、その後は更なる単純化を進め、ファイターズではアイテム一系統(<しかもどっちを取っても成長する)ボンバー一種類、と簡素化に磨きがかかっています。

これは彩京とか別メーカーも同じ事。結局そういう方向を目指しているメーカーに対して「同じである」事、「凝りのない」事を非難するってのは少々意識がズレていると言うか今更と言うか・・・ そういうのを求める事事体が間違っている、てなものではございませんか?

そしてシステム的に凝らないからこそ、個性は別の所で出しているんです。ゲームの奥の深さとは、「全然ままならないもの」から「完全制御下におく」、そこに至るまでの道のりの長さです。その中で「死ぬ」から「生きる」もしくは「それ以上の何か」に至るまで、少しづつ拮抗しながらもプレイヤーの情熱でおし上げて行く、その拮抗具合の構成こそがゲーム作りそのものです。(能動的に、ゲームの面白さとはこういう事です。受動的には他にも色々あるで しょうが・・・)

この構成は実は趣向ゲーの方が具体的なんです。もちろん優れたシステムを考案出来た場合の話ですが、そうすればそれの修得&活用、という点で既に多くの拮抗斜面を構成し得ます。意地悪い言い方をするなら、それに「頼る」事が出来るのですね。しかしシンプル系はそうはいきません。即ち「作者の実力」のみがその「深み」を構成する唯一の糧となります。そして現在成功して来た開発者達は、実際にそれだけの実力があります。かつ、実際にそれらに燃えて来たプレイヤーは「そこに惚れている」んです。

全く同じシステムを採用していてもその出来はぴんきり、100点満点をあげたいものもあれば20点程度のものもある。シンプル系STGにおいて、操作系のシステムとはそのゲームを確立する上での表層20%程度にしか過ぎない。そして開発者は残り約80%で勝負している。まぁこの割合には人それぞれ異論はあるでしょうが、システム以外のものが大半を占める、という点は納得して下さります、よね?

しかし、この「表層」ってのがポイントなんであります。即ち、表面しか見ない人にとっては同じに見えるっつ〜事。今のSTGの大半は真似ゲー、やる前から飽きてる、例え面白くてもそれは過去の遺産のお陰、等々・・・

個性は確かに重要です。それなきゲームは淘汰されて然るべきでしょう。でも、個性ってのは決して「趣向のみ」で為される訳ではない、てのを多くの人に知ってもらいたいです。もちろん趣向に凝れば個性は出せます。でも趣向に凝らなきゃ個性は出せない、てのは大間違い、でしょう。

現実的にシンプル系STGの比率が高まってしまった事は事実です。趣向系(つ〜か非ボンバーシュー)をもっとやりたい、という気持ちが現れるのは良く分かります。でもそれとボンバーシュー事体を責めるのとは別問題なはずです。「つまらない」という理由で非難されるのは構わないですし当然受けるべき。でもそれ以外のいわれは納得出来ません。

で、何故比率がこうなったんでしょうか?メーカー&流通が保守的だから?アイデアが停滞しているから?ユーザ−が安定志向だから?(余談、この安定志向扱いにすげぇバカにされた気がするのは私だけですかね?)
いえ、私はもっと根本的な原因があると思っています。というのは「淘汰の末、生き残った結果」というもの。

開発者は皆、作りたいものがあったからプロになって作る側に立った訳ですよね。で、趣向派開発者、シンプル派開発者はそれぞれ自分の理想を目指してゲームを作る訳です。そして時代は変わる。消費税、格闘バブル、アミューズメント化一般層増加、エレメカプライス等非ビデオゲーム系の台頭、こんな感じで個々のSTGの果たすべき要求は高まる一方。辛い世の中ですね〜、ホント。

で、結果的に多くのメーカーが撤退(もしくは倒産!)していって、今のメーカーが残ったと言う訳なんです。去っていったのは決して趣向系ばかりだったのではなくシンプル系も含めて、多くが消えていきました。アイレム・コナミ・ナムコ・デコ・ジャレコ・NMK・アルユメ、とか頑張っていたんですけどね〜。コナミはまだ希望ありますよね? ビデオシステムってもう撤退なんでしょうか? 他に何か忘れてたらスイマセン(^^;)。NTC? FACE?日物?

また、今とは違って90年前後の家庭用(特にPCエンジン・メガドラ)市場に目を向けてみますと、有象無象のマイナーSTGの嵐でした。私も少々スキモノ(^^;)でして目に付くSTGを手当たり次第にやりまくったものです。もっとも史上全STGの5割程度でしょうが・・・ その頃には様々な趣向を凝らしたSTGが飛び交ったものでしたが、今にして思えば例えその筋の人(^^;)に受けたとしても、真に市場に胸を張って提示出来たモノはその内のどの程度だったでしょう?もちろん名作は確実にありました。でも逆に、趣向に凝ってるけど結局はつまらない、というSTGも多数存在していました。それらにちょっとうんざり、恐らく昔からのシューターの方にはこういった経験をして来た方も少なくないのではないでしょうか?

そういう時代を経て、このバブルは一度崩壊して、そして今の時代があるのです。

スト2爆発によるSTGの辛かった時代、そんな中でも地道にかつ着実に「面白い」STGを出し続けたメーカー達、こんなサバイバルの波を生き抜くには甘えは通用せず、「実力」だけが頼りでした。実力不足や体力不足なチームの作品が世に認められなかったのも、残酷なようですが仕方がなかった事なんです。(私はそれでも個人的には随分突っ込んだモノでしたが、結局は足らなかったようでございます。悲しいね、心から)

つまり、なんで世の中ボンバーシューばっかしになったかと言うと、それは趣向派開発者達がいなくなっちゃったのが悪い、て事。 事実ですよね?だから、もしもっと今後趣向派STGの比率を増やしたかったら、今の世の中で生き残るだけの実力をもった趣向派メーカーが、それを作っていくしかないんです。復活&新規参入も含めて、です。

仮に市場に信用がなくて流通が滞ったり、現状プレイヤー層の適応意識不足&ある種の訓練不足が足枷になったとしても(<私はそうは思いませんけど)、それはそういうのを継続出来なかった趣向派メーカーの先人を悔やむのみ、後は全て「自分自身」で再構築していかなくてはなりません。大変ですが。そして少しづつ実績作っていくしかないでしょう。要はボンバーシュー関連の事をどうこう言っても、多分関係ないぜ?って事でございます。市場活性を怠ったとか、そんな言われはお門違いと申し上げます。

って、こりゃまた長くなっちゃいました。結局何が言いたかったのかと言いますと「STGは面白い・面白くないという観点で評価して欲しいなぁ」って事です。の割にはなんか無闇に敵対しがちな内容っぽくなってしまいましたが・・・ すいませんです。私個人は面白ければどんなSTGだってやりますよ!

更新 2001/10/29 多少文章見直して、贅肉&トゲ(^^;)落とし



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