●雷電の評価
よく雷電は正統派シューティングと表現されます。ところで正統派ってのは一体なにを指しての事なのでしょうか?
世間一般では、自機の操作、攻撃方法を指すのが一般的なようです。例えばグラディウスのオプションやR−TYPEのフォースのような、自機本体以外の攻撃手段を持ったゲームを技巧派、趣向派とか呼べば、それに対するのが正統派、といえます。
しかしながら、私は昔から雷電の事を正統派の一言で済ますのが好きじゃありませんでした。というのは、雷電の特徴、ていうか本来持っている魅力ってのは、いわゆるその他大勢の「正統派」シューティングゲームとは明らかに違っていたんです。
セイブ開発の求めた理想ってのは、知れば知る程、深く、高いものなんです。そして私が思うにそれこそが、私にとっての真の正統派の条件であったのでした。
こういったセイブ開発さんのポリシー、思い入れって、世の中でどれほど認識されてるんでしょうか?そこら辺がちょっと悲しいところなんですよ。
それで今回はそこを追求してみたいのであります。
もちろん、雷電シリーズってのはシューティングゲームとして、非常に高い評価をされています。初代雷電はもの凄いロングヒットになりました。ゲーミスト大賞ではシューティング部門2位、翌年の総合人気&インカム部門では前年のゲームなのに(その年の他ジャンルゲームに混じって)ベスト5に入る程です。なんとその翌年におけるシューティング部門1位のゲームよりより上(!)なんですよぉ。
そして、あのコインジャーナル誌でもそのロングヒットをたたえ特別表彰を送ってくれました。ファンとしては非常に嬉しい事です。
この時代って、結構ゲームを純粋に評価してくれていたと思います。それについて私も満足してました。
余談ですが、スト2に代表される格闘ブームが始まるのって、ちょうどこの直後位なんです。これにより、シューティング(というか、非格闘)の辛い時代がやってくるのであった。逆にいえば、初代雷電の時代ってのは、今とは全く違うものだったんです(まぁそんな事について語ってもしょうがないですけど...ちなみに私だってリュウ・ケン・ザンギで1コインクリアするまでやりまし)。
そして続編、雷電2、雷電DXの発売ですが、もう素晴らしい、の一言。やってやってやりまくっちゃいましたよ、私は。
で、一番凄いと思ったのが、全編通してセイブは、雷電の雷電らしさってやつを貫き通した、て事なんです。これの何が凄いというと、ゲーム界全部を通して、続編で前作の良さを失わなかったゲームってのは、本当に微々たるものなんです、いやほんと。まぁここで例をあげてそれをけなすのもなんなので(笑)それはひかえますが、続編の作者達が同じ会社なのに、前作の良さを分かってないケースの多い事ったら...
その雷電らしさって、何だと思います?先に述べた正統派ってやつでしょうか?敵キャラの意図的な共通性の事でしょうか?いえいえ、それらはその半分にしかすぎないのです。
家庭用PS版も発売され(これがまた、素晴らしい移植でして)、雑誌等で雷電シリーズの評価が載る機会も増えました。これも、かなりの評価を得ているとは思います。特に購入後ユーザー満足度で評価している所では、そろそろ1年近くたつにもかかわらずいまだにベスト10に名をつらねています(※1)(もっともこういう評価のしかたは、本当に好きな人しか買わないような、多少マイナーなゲームの方が有利なんですけどね)。
しかし、しかしですよ。どうもその手のPS系雑誌とかアーケード系の雑誌を読んでると、彼らが雷電の評価すべき他のゲームとの違いを分かっているのか、不安になっちゃううんですよ、私。
えらく長い前おきになっちゃいましたが、そんな訳で今回ちょっとばかり雷電について語らせていただきます。皆さん最後までつきあって下さいませ。
※1 これもPSソフトの増大もあり、96年1月辺りより10位圏外に落ち込んでしまいました。今ではちょっと探すのも難しいくらい...残念。PS版雷電DXの発売の頃、僅かな期間だけベスト10に返り咲いた(笑)んですけどね。