●ここが凄いぞ!雷電  - 困難度関係 -

 雷電ってプレイしてて、怖いとか、死にそう、とか感じる時間が長いと思いません?
いいかえれば、このゲームって死にそうで死なないゲームなんです。更にいうなら、死にそうな目にあう事が、わりとはやく(2、3秒位?)から分かるゲームなんですよ。
「うひゃーつらすぎるぅ!ここで更にそいつを出すかぁ!死ぬぅ!あぁ、でもなんとか逃げ伸びた...ぜいぜい...」これが雷電だ!!
 反論のある方は、他のゲームを思い浮かべて下さいな。あ、と思ったときにはどかーん(笑)てなゲームの多い事ったら...
 まぁこれはプレイヤーの腕により感触が変わる事なんですが、取り敢えず中級以上の人から見たとして、雷電ってゲームは明らかに他の多くのゲームに比べ、不意討ち系の攻撃が少ないんです。(※1)
(もちろん、気付かない内に小屋から出てきた奴にやられた、スクロールアウトしてた敵にいきなり撃たれた、不意討ちだ、なんて人もいるでしょうが(笑)、そういったレベルの話しは抜きにして...)

※1 これ書いていた頃は、RaidenFightersシリーズはまだ出ていなかったんです。このシリーズからはちょっとそこらのメーカーと同じようなノリが発生してしまいました。それでもまだまだ全然少ない方なんですが... とりあえずこの部分は旧雷電シリーズを想定して下さるようお願いします。

 不意討ちじゃないって事は、プレイヤーがミスるときに、その攻撃を目視、認識してたって事を意味します。やられるべくしてやられた、ああ避けてれば良かった、こう思わせる事が重要なのです。
なに?いまの、とか、知らなきゃどうしようもないじゃん、とか思わせちゃいけないんです。

 ゲームを作る側として、まず簡単な面を考えますね。そうしたら当然進むにつれ難しい攻撃を考えなければなりません。ゲームってのは全ての場面でプレイヤーにミスを経験してもらうのが理想的なんです。つまるところ、いかに死んでもらうか?的な攻撃を考えなくてはならないのです。
 さて、どうやって殺しましょうか?登場するなり、弾撃ちまくりましょうか?レーザーをかましますか?高速弾を連射するのも効果的、巨体をつっ込ませたり、画面の大半を敵のからだや極太レーザーでおおうのも良さそうだ。誘導弾を多用しちゃえば簡単だ。近距離で乱射すりゃいちころだ(笑)。
(ここで更に、プレイヤーの怒りは素晴らしい背景技術で濁らせろ、なんていうとちょっと嫌味かしらん)
 とまぁ、単にプレイヤーを殺すだけならいくらでも思い付きます。ひどい攻撃や、不意をつく攻撃こそ、作る方としては簡単につくれるのです。でも、こんな攻撃って嫌じゃありません?

 こういった攻撃の最大の問題点は、プレイヤーがその攻撃を、怖い、と思う暇がない事なんです。認識させない以上アドリブで対処出来ない。予め覚えておかないとどうしようもない。不意をつけばつくほど、そのゲームはリアルタイム覚えゲー、と化していくんです。

 雷電の敵って、どれも非常にスローモー、っていうか静的ですね。特に雑魚以外の中型、大型キャラってのは、登場してから本格攻撃を始めるのがとても長い。まるで、俺はここにいてこれからつらい攻撃するから注意しな、といってるようです。
 どんな強い敵も、どんなつらい場面も、セイブは必ず軽いジャブから入ります。プレイヤーに先の事を連想させ、心の準備をさせる事に、セイブは細心の気をつかっているのです。そしてプレイヤーの用意がととのったところで初めて、敵は全力を発揮します。もう容赦はしません(笑)。
 これこそが雷電の真骨頂ではありませんか。

 更にセイブのもう1つの特徴として、彼らは(多分、間違いなく)パターンプレイを嫌ってます。パターンプレイってのは覚えゲーの最たる特徴なのですが、雷電シリーズでは、雑魚の出現場所やアイテム変化をランダムにしたり、複数攻撃の周期をわざとずらしたりと、かなりのアドリブプレイを強要します。確かに初代雷電の復活や、周期変化まで熟知した上でのボス戦など、パターンプレイが効果的な一面もありますが、通常面における避けで、これ程アドリブが混じるゲームってのはそうは見当たりません。(※2)

※2 これも、Fighters系はパターン色が強くなってしまいましたが...

 たかがゲームといっても、そこには実に多くのものが存在します。パターンをなぞる事はルーチンワークでしかありません。それは単なるゲームであって、闘いではありません。それでも、そこにはクリアする喜びと満足があるでしょう。勿論、試行錯誤の上で見つけたパターンってのは誇らしいものですし、欲求は十分満たされるでしょう。そこにはプレイするに値するだけの価値が存在しています。
 けれど、セイブ開発の求めたものはそこにはなかったのだと思います。純粋なプレイヤーの避けと、虚をつかず真正面から立ち向かう敵。崇高なまでに美しい力と力のぶつかり合い。避けて倒す、それ以上の何かを求めてこそ、この世に、雷電、というゲームが存在出来たんです。
 正統派の冠は、こういった思いによってこそ支えられるものなのです。

 この雷電のスタンスは、諸刃の剣でもあります。何故なら、そこには(心理的な)逃げ道が用意されていません。そこを乗り越えるには、シューターとしての実力のみが問われてしまうのです。正々堂々としすぎているんですね。
覚えゲーってやつはたしかに最初はひどいんだけど、1回覚えてしまえば後はわりと簡単です。つまり、体感的に上達が早いのです。これは非常に有利な点でしょう。
 それに、やっぱり雷電のそれは理想でしかない部分も多少あります。というのは、世の中のA級シューターって方々は、ひどい攻撃をかけない限り死んでくれないんですよ、困った事に(笑)...
 また、全体的に個々のゲームが短命になっていく中、雷電のような上達に時間のかかるゲームを、プレイヤーがやり続けてくれるか、て問題もあります。あの作り方じゃなかなかビジネスとして成りたたないのです。
(それがまたセイブの凄さを表しているのですが)

 ここら辺メーカーの方も悩みどころでしょうね。つまるところ、私も決してセイブのやり方がたった1つの正解だとは思ってません。メーカーにはメーカーの色があるんだし、その色をつき進めていく事により、セイブ以上のヒットシューティングを世に出しているメーカーもいくつかあります。彼らのシューティングに対する意気込みは決してセイブに劣るものではないし、その作品は全く妥協なくつくられています。私もそこら辺のゲーム、わりと好きです。

 ただ、ただですよ、やっぱりこのセイブのスタンスは、私は極めて志し高いものだと感じて来たし、この事は、世の中でもうちょっと評価されていいんではないかと思うんですが、どうでしょうか?みなさま方...

追伸:
くどいようですが、この文はまだFightersが存在していない頃に、旧雷電シリーズを想定して書いたものです。今、読み直してみると、セイブはFightersでかなりの部分においてスタイルを変えている事が実感出来ます。また、セイブは一見難易度上がりまくりにさえ思えるFightersに対して「難易度を落とした」と公言しています。この事に関して、非常に考えさせられるものがあります。(もちろん、新しい姿勢を否定する気は、私も全くありません)



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