===============>>>>> JPEG GRAPHIC DATA DOCUMENT <<<<<================ 【タイトル 】: 午後の漂流(その5) 【初 出 】: 2003年1月12日 【ファイル名】: ginb185.jpg & ginb185.htm 【使用ハード】: DOS/V(Celeron1GHz+512MB-RAM) + GT5000WINS + UD608R ===================================================================== この絵の製作時サイズは上に表示されているものの3倍。面積にして9倍、 レイヤー統合前のフォトショップファイルはディスク収納時71メガバイト、 フォトショップで操作している最中は約150メガバイトありました。 パソコンネットへのアップロードやWEBページ展示のために画像サイズ やファイルサイズを縮小するのは、時に口惜しく、時にうしろめたいもので す。口惜しいのは「せっかく描き込んだ会心の『見せ場』が画像縮小でつぶ れてしまう」時。うしろめたいのは「少々自信のなかった細部がごまかせた」 時。 この絵の製作のきっかけは、いただいたリクエストでした。「女の子の十 字磔絵を。全裸か、着衣ならば赤か白のブーツで」とのご要望でしたが、ご 満足いただけたでしょうか?>リクエストくださったかた。 「おはなし」の方の誕生のきっかけは、某巨編SF小説に出てきた「太 陽の中に女の子ひとりで500万年間放置プレイ」エピソード。なかな か衝撃的でした。そこで私もちょっと挑戦してみたというわけであります。 しかし私の頭でひねり出せる範囲のネタでは500万年間はとても無理そう です。 〜〜〜おはなし(抄録)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「洋上気象観測ブイの住み込み管理。年契約。専門知識優遇。委細面談」 自主退学………名を聞いたこともない地の果ての研究所への 気象観測! 専門知識! なによりも住居付き! ………固体惑星物理、中でも地球の水圏と対流圏の相互作用の解析をコンピュータの中で延々と続けてきた私を、しかも来月のアパート代すら不如意な私を、まさに名指しで呼んでいるような仕事ではないか。うまくやればフィールド経験としてキャリアに組み込めるかもしれない。論文のひとつふたつ出せればラッキーボーナスポイントだ。 私は迷うことなくポップアップウィンドウの応募ボタンを押し、新しく開いた窓に履歴書一式を送りこんだ。 * * * 気象管理庁のとある外郭団体の応接室。採用担当官とのオフライン面接は順調だった。こちらの経歴と健康診断結果に先方はいたく御満足のようだし、もとより私も仕事の内容に細かい注文をつけるつもりはない。現金収入とキャリアアップの可能性。このふたつがカモネギにノコノコやって来るなんてことは平凡な普通の人生においてはまずあり得ないことなのだ………ということを、私はここ数年間の勤労学生生活で嫌というほど学んだのだから。 「では、まずは三年間の契約でよいですね」 「はい。ところで勤務地はどのあたりになるのでしょう? まだはっきりと伺っていなかったと思うのですが」 「ああ、決まった勤務地というものはありません。漂う観測ブイにまかせっきりになります。少々の自走能力があるにはあるのですが『航海』まではさすがに無理ですから」 「住み込みということですからそれは納得していますが………たとえばどのへんの海域とか」 「海流に乗ってかなり広範囲に動き回るでしょうからねぇ………なんとも言えません。でも、どこであっても生活面の心配はまったくありませんよ。気象管理庁の専用衛星回線でネットワークとの接続はどこの都市よりもずっと良好ですし、緊急医療用のナノマシンシステムも最新版を装備しています。奢侈品を購入した時くらいですかね、本土との若干のタイムラグを感じるのは」 ならばもう異存はなかった。認証用音声に切り替える。「OKです。よろしくお願いします」。そして通常音声モードに復帰。 「こちらこそありがとうございます。ではさっそく」 「へ?」 採用担当官が部屋のコンピュータに何か合図をするのが見えたところで視野が暗転し、何が起きたのか戸惑う間もなく私の意識はとぎれた。 * * * 目を開こうとした。すると実際に目が開く前に茫洋たる海原の「全周が」視野にとびこんできた。視神経がパノラマカメラに接続されているのだとすぐにわかった。波にのってゆったりと上下する感覚が加速度センサと私の内耳の両方から入ってくるが、けっして不快ではない。目覚める前にかなりうまく調整してくれたようだ。 そう。今の私は「観測ブイ」そのものになっている。 運動神経系に接続された仮想的な手足を動かして仮想的な目で見渡しながら観測ブイの内部の仮想空間を調べた。観測ブイのAIは協力的で(人間に協力的でないAIなど見たことがないが)日常業務の全貌はすぐに把握できた。毎秒毎秒の観測データをチェックし、センサーに異常のないことを確認した上でネットワーク上に公開する。これだけなら人間の管理人がここにいる必要はない。機械的なアルゴリズムではけっして見つけられない「予期せぬ」パターンの異常をデータの全体の動向から「嗅ぎ取り」、原因を追及し、ソフトウェア上の問題なら仮想空間内で解決し、ハードウェア上の問題なら適切なナノマシンを選択して海水中の元素を材料にメンテナンスするのが私の仕事なのだ。 要するに普段はヒマなのである。しかも地球の全海洋面上に散らばる数千万個の他の観測ブイからのデータに、しかもしかも気象管理庁の一次処理センターを通る前のナマの状態のものに触り放題なのだ。やった! これで博士論文のひとつやふたつ書けなければそれこそ(私を放逐しようとしたあの教授が決めつけたように)「研究能力ゼロ」とか「無能」とか「やめちまえ」とかいわれても仕方ないだろう。しかしそもそも「立場の強さを悪用した性的関係の強要」の事実をネットで暴露された(こっちは親切にも「匿名の知人から打ち明けられた仮名教授の話」としといてやったんだぞ。ついでに業界内の人間には誰のことか一目瞭然になるようにもしたけどさ)くらいでブチ切れるなんて、よくそんな「か細い」奴が教授なんかやってられたもんだ。しかもそれが学界ではいちおう「重鎮」で通っている。文鎮の間違いだろうと私は信じているのだが………おっと、話が逸れた。 さて、バーチャルなものではあるがこの類い希なる好条件の研究環境に狂喜した私は、次に自分の生活環境を確認しようとした。神経系の接続を観測ブイから自前の肉体に切り替える。 あれ? ………胴体のレスポンスがおかしい。切り替えに失敗したか? いやそうではない。肉体との接続状態は良好。ただ手足を動かそうとしてもなにかに拒まれる、というかそういう反応が返ってくるだけだ。ここで初めて「自前の」両眼を開いた。さきほど観測ブイのカメラを通して見たのとほぼ同じ(彩度がやや落ちるが)蒼天と群青の海原がとびこんできた。まぶしい。そして素肌をなでる風が心地よい。え? 素肌? ………手足と違って首だけは問題なく動かすことができた。自分の体を見下ろす………うぎゃっ! なんだこれは!? ……………………… 目に飛び込んできたのは一糸まとわぬうら若き女体だった。それがまばゆい太陽のもと、観測ブイから数メートルの高さにそそり立つアンテナとおぼしき金属柱に両腕をまっすぐ水平に広げ両脚をぴたりとそろえた姿勢で磔になっているのだ。それほど大きくもない乳房に遮られて胸よりも下はよく見えなかったが左右の腕の状態は目の錯覚でもなんでもない。要所要所で体を固定するベルトは生体材料らしく皮膚と完全に融合している。そこからしみ込むようになにかが体内に入り込んでいるのがなんとなく感じられた。おそらく有線の神経インタフェースと生命維持装置の末端だろう。けっして不快な侵入ではない。不快ではないのだが、えーと、その〜〜〜、これはなんて言えばいいのかというと……… パニクりまくる私の思考をなにか異常事態の兆候とでも勘違いしたのだろう。観測ブイのAIがあわてた様子で割り込んできた。直接接続型AIの常道通りの無時間性非言語的イメージによる割り込みだ。つい先ほどまでの打ち合わせも同じ方式でやっていたのだが、なぜかむかついた。言葉を使わんかい、使えるんだろう? この珪素頭が。だがその怒りのおかげで観測ブイの言いたいことがわかる程度に落ち着くことができた。
データベースをひっかきまわしてこのアルバイト契約の穴を探したが、それは無駄骨におわった。「財団法人気象データ頒布協会」云々のあのおっさんはさすがだ。天下りノンキャリ役人(に違いない)だけのことはある。しっかりしてるじゃないか、こんなところだけは。しかもナノマシンたちに健康状態を完全にモニタされているので急病にかかることすらできない。 質問の方向を変えて見る。 ところで、どうしてこんな悪趣味なデザインになったんだ? あんたは。
* * * 意外でも何でもないが、巨大隕石の衝突でも無い限り、嵐も吹雪も赤道直下の日射しも氷山の海も「住めば都」だった。どんな過酷な環境の中でも最も健康で快適な状態になるよう観測ブイの生命維持装置が私の体を内部から調整してしまうからだ。それに甘んじてほとんどの時間、私は自前の目は閉じて仮想空間の中で気象データの解析や研究者仲間(誰も私が物理的に「どこに」居るかを知らない)との議論を続け、二ヶ月に一報程度の小さな論文を投稿し、その査読結果に癇癪を起こしてレフェリー(に違いない)何人かの学者に供給される校正用観測機器特性データに軽い悪戯を仕込んだりもしたことがまったくなかったとは言わなくもなくもないが、まあそんなこんなで月日は平穏に過ぎていった。 ひと仕事終えて接続を自分の体に切り替えれば、夜ならばそこは満天の星。大洋のただ中にも砂漠と同じように空気が乾燥しきっている海域というものがあってそこでは水平線間際まで天頂と同じように鮮やかな星が見える。熱帯地方では波にもまれる夜光虫がすぐ足下の水面をも星空模様に塗りあげてくれる。そんな時はまさに「天球」の中央に浮かんでいる気分だ。昼ならば様々なスケールの構造を見せながら彼方上方宇宙空間にまで広がる大気の海と水平線までは遮るもののない水の海。………これらばかりは陸の研究室にこもっていては絶対に知ることのできなかった世界だ。残念ながら星々のことは私の守備範囲外でただただ「きれいだなぁ、すごいなあ、欲しいなあ」と口を開けて見とれることしかできないのだが、重なり合う大気層の姿はまさしく、私が何年間もコンピュータの中に作ってきた仮想世界の現実世界への射影であり私の計算の正しさの証明に他ならなかった。 * * * ある日、ふと思いついた。そういえば、いくら広い海の上とはいえ何ヶ月間も客船も貨物船も全然みかけないというのはおかしいんじゃないか? このちょっと恥ずかしい(だいぶ慣れてきたが)姿を人に見られなかったのはそれはそれで嬉しいけど。 間髪をいれずに観測ブイが答えをよこした。
稼働中の「有人」洋上観測ブイは他に何機ある?
メンテナンス用ナノマシンを流用して服を作ろうとしたが、観測ブイの思わぬ抵抗で実現できなかった。しかもけしからんことに抵抗の理由を観測ブイ自身は説明できなかった。観測ブイの自信なさそうな言い訳によれば、設計者が組み込んだ基本行動規則マトリックスが「私の体を覆う不透明物体」の存在との間に破壊的な矛盾を引き起こすように構成されているとかで、本来ならかなりの再帰的自己裁量能力のあるこの組込型AIにも手の出しようがないらしい。 裸なのは私だけ? しかもそれを覆うことができないようにAIが作り込まれている? おぼろげながら、なんらかの目的志向的な意志を感じた。これを世間では作為と呼ぶ。設計者が誰なのかを観測ブイは知らなかった。しかしこれだけ大きな機械装置をなんの足跡も残さずに設計製作し、しかも気象管理庁という公的機関(の下請け法人)が使えるわけがない。タダで済ませるものか。研究活動を一時棚上げし、私は犯人探しを始めた。 手始めは役所の公開データベース。この観測ブイの開発製造の発注に関する資料はすぐに見つかった。そこから設計に関わった人間を割り出すのは容易い………はずだったが、受託メーカは納入直後に解散していた。運用を引き継いだ会社もない。今はあの財団法人のどこかの部署の直轄だ。なんだこりゃ。いきなりあからさまに怪しい袋小路じゃないか。 では………と、行政情報開示請求を出しまくってこれが作られたころの役所のなんたら検討委員会(下位部会まで含めてやたらとたくさんある)の招待委員名簿を漁る。たくさんの見知った名前が出てきた。この中にこの観測ブイを気象管理庁に売り込んだか、でなければ設計に関わった人間がいるのだ。獲物を追いつめる高揚感とともに次々と条件をかけてANDで絞り込んでいくと………なにも残らなかった。 気をとりなおしてこんどは部品メーカの顧客リストから追う。こんどこそは………と思いきやこれも最後の一歩のところで網のなかからすべての魚が漏れ出ていってしまう。しかし取っ替え引っ替え手当たり次第の手がかりで攻撃をかける内に見えてきた。いるじゃないか。この業界に居ながらどんな方向から攻めても、最初の段階にすら決して名前が上がってこない人間がひとりだけ………あはは、バッカでぃ。頭隠してなんとやら。それだけで充分に名乗りを上げてんのといっしょだよ。 ターゲットは決まった。あの教授だ。ちくしょう、このアルバイト自体が最初っから奴の仕掛けた罠………ふむ。けっこう手の込んだこともやればできるんだねえ。お姉さんは思わず褒めてあげちゃうよ。でも詰めが甘かったね。やっぱり文鎮はおとなしく文鎮してるのが分相応。アブラヒヒというかアカヒョウモンダコモドキというかはたまた疥癬トラフグカガミモチがニタニタにたついた顔で私の衛星写真をねぶねぶしながら×××を××××してさらに再構成三次元ハードコピーまで作って××する情景(その風景が現実に存在したことを私はあとで知ることになった)が脳裏に浮かびかけたのをあわててねじ伏せて静かな怒りのエネルギーに変換し、作戦を練った。とことん冷静に。 * * * 役所というものは概して口ばかりだ。偉そうなことを言う割に自分たちの実像は全然顧みない。コンピュータのセキュリティに関しても同様なのも衆知のこと。しかも私はいま、気象情報のナマデータが飛び交うネットワークの内側にいるのだ。家庭用のコンピュータにちょっかいを出せばすぐに警備保障会社やコンピュータセキュリティ企業がミツバチの巣のように騒ぎ出すが、ここではそんな心配はない。役人が紙の上で「安全」とひとこと宣言するだけで、現実とは無関係にそれはそうなったことになるのだから。 そういうわけで、私の作ったウイルスはなんの妨害も受けることなく静かに着実に広がっていった。感染場所は気象情報処理に専従しているコンピュータのOSの奥深く。それ以外のコンピュータに感染しても種だけまいてすぐに自殺するので気づかれる可能性は極めて低い。用心を重ねて「感染成功」報告を私に返す機能も盛り込まなかった。あくまでも静かに広がらせ、この狭い業界に充分に行き渡ったころあいをはかって私は引き金を引いた。 月軌道の外側の宇宙空間にまで張り巡らされた地球観測センサ群がはき出すデータの、個々の数値の有効数字よりも下の桁の値は本来はランダムなはずだ。従ってそこになにか一定の傾向の偏差や有意なメッセージが盛り込まれてもそれに気付く人間はまずいない。そして、そのデータを処理する各所のコンピュータのアプリケーションには、前回の定期バージョンアップに乗じてちょっとしたプラスミド………じゃない、パッチがすべりこませてある。本来なら有効数字未満の桁の数字が出力に影響するはずなどないのだが、あるパターンをそこに認めた時にのみ出力にちょっとばかりのバイアスをかけるパッチだ。 * * * 結果が出るまでにまるまる一年かかった。予想通り、最初は論文ではなくマスコミリークで始まった。震源は当然あの教授である。記事の見出し曰く「大変動。人類滅亡の日まで、あと365日!」。 通信各社の伝える教授の説によれば、来年は全地球規模で「大荒れ」になるのだという。熱帯地方の陸地は季節に無関係に常に暴風雨に覆われ、シベリアの大地は融解して大氾濫を起こし、ベーリング海峡は氷の橋でつながって原潜を北極海にとじこめ、鯨がレミングのごとく集団上陸自殺し、ペンギンが虐待され、北米の穀倉地帯は豊かな水田になり、ロプノール湖が再来し、アマゾン川は逆流して満州に渡ってジンギス汗になり、渚で蛹が大当たりし、火星に虹が現れ、竜が卵を産んで星が震え、鉄製の宇宙戦艦が「濃」硫酸の海に溶けて艦橋を失い、しまいには木の葉が浮かんで石が沈むのだそうだ。世界中の研究者が追試というか同じシミュレーションを行ったが結果は若干控えめながらもほぼ同様。教授しか注目してこなかった多くの気象データがシミュレーションに盛り込まれていたが、それらがすべて教授の手元から供給されたものなのだからある程度は当然だ。 あまりにも予定にぴったりの説を教授が出してきたので私は笑いが止まらなかった。しかも、堂々と発表したことで教授が私の仕込みに気付いた可能性も否定された。あとは放っておいても自滅してくれる。教授だけが注目してきたものではないデータだけを使うとまったく違う、平穏な予測しか出てこないことなどすぐにわかるはずだからね。 その通り。直後から教授に対する反論がはじまった。その反論は教授の反撃にあい、反撃は制裁攻撃や報復攻撃や経済封鎖を生み、あとは学術性もへったくれもない反吐まみれの戦争への6車線一方通行直線道路だった。戦場を用意したのはマスコミの人々。観客は大衆。そして無理矢理引っ張り出されて審判席に座らされたのが天気図ひとつ読めないお役人さんたちだ。 お役人の仕事は、すべてを知ったような偉そうな顔をしながら実は何にも理解していない事象について裁定をくだすことだ。当然責任なんぞとりようがない。だから責任を回避するシステムだけは何重にも整備されている。そのシステムの動作の結果としてしばしば役所の位相が時間軸において世間のそれとずれることになるが、これは必要悪というものだろう。 教授の説の信憑性が彼の名声や人物評とともに地に落ちきったころ、気象管理庁から指針が示された。曰く、教授の説が正しいかどうかはまだ確定的ではない。しかし将来に大きく影響し、正しいならば早急な対応が必要であることを鑑みると、間違っているとも言い切れない部分があるという事実を無視することは許されない。そこで、教授の提案する対策の半分を実施する予算を計上する…………ぎゃははははは。しかしこのせっかくの120%の大成功にも、笑おうにも腹筋が引きつってそれ以上は笑えないところまで、私はすでに登り詰めていた。これは私の人生最高の日々だった。あとになって振り返って見れば。 * * * ………………………… * * * さて、あれから何年が経ったのか………観測ブイの沈黙とともに時計にもカレンダーにもアクセスできなくなってしまったのでまったくわからない。基本的なハウスキーピング機能だけは生きているおかげで、観測ブイの筐体は製造直後と変わらない良好な状態に保たれている。かつて観測ブイが保証したとおり、私の体もまったく老けていない。 あの時、「教授の提案する対策の半分だけ」を実施するとどうなるか、正しいデータに基づいて様々な地球モデルでシミュレートしてみたのは私だけではなかった。しかしいったん承認された予算は執行されねばならない。その結果、世界中の地球物理学徒が「あ、あ、あ、ちょっと待って………あのですね、そんなことをするとその……」とかなんとかと晒す間抜け面の真ん前で、降ってわいた慈雨のごとき公共投資に喜び勇んで庭駆け回るゼネコンJVたちの手によって大規模な気候干渉工事が実施されてしまった。 その翌年。ネットを通して手に入れられるデータは面白いほどに悲惨の一語に尽きていた。食料生産は全地球規模で壊滅的打撃を受けた。日照過多や強烈な寒波が直接の原因となった死者も膨大な数に上った。世界の偏った地域で起こった暴動は、上昇する海面に追われて圧縮されるのに比例して温度があがって活発になってついには連鎖核融合反応を起こし、やがて世界中の老若男女に偏りなく降り注ぐテロリズムの嵐へと大爆発していった。地域対抗花火大会のような火器の撃ち合いがネットを日夜にぎわせた。核兵器に汚染された都市からの難民とBC兵器に侵された農村部からの難民が先進国途上国を問わずいたるところで繰り広げる肉弾戦は「文字通り」血湧き肉躍るとりわけ楽しい映像だったのだが、そのすべての原因が教授にあることを誰も覚えていないことだけは口惜しかった。初期のテロに巻き込まれて既に死んでしまっていたので仕方がないのかもしれないが。いや、口惜しかったのはあいつを踊らせてすべてを引き起こしたのがこの私だということを誰も知らないということの方だったのかもしれない。自分はそれほど酷い奴ではないとは思うのだが、実はあまり自信がない。 いつのまにか冗長系の塊のようになっていたコンピュータネットワークは、あの混乱の中でずいぶんとがんばったものだと思う。それでも、なんだかんだで世界の人口の2/3が失われただろう、というどこかの国(の名残)の政府(の名残)の公式発表を最後に唯一残っていた地上波接続も切れた。今となっては確かめようがないが「長生きしたいのならしばらくは契約を延長してでも海上にいたほうがよいのではないか」という観測ブイの提案はおそらく正解だったのだろう。それからしばらくは観測ブイと私だけのちょっと退屈だけれども平穏な日々が続いた。 そしてあの日、最初の3年の契約期間の最後の日、やはり気象管理庁とは連絡取れないねぇ、「戦争や大規模な天災などの不可抗力により」っつぅ条文の適用でしばらくバイト期間を延長させてもらうことになりそうだな、などと仮想空間内でだべっていたその真っ最中に、突然観測ブイがアラームを立てた。
観測ブイのAIの気配が消え、どこかに格納されていたらしい音声データが仮想空間内に響き渡った。忘れようもない声。奴だ。「ぐふふぐふふふ」というにちゃにちゃした耳を覆いたくなる笑いに続けて、声だけの教授が言った。 「今日でまた失業かね? 仕事熱心な君のことだ。きっと悔し涙に暮れているんだろうなあ」 「そこでだ。これは元指導教官としての若干の好意と受け取ってほしいのだが、実はな、私はこの観測ブイに、君のキャリアにとってすこぶる有意義なものとなるだろうこの仕事の契約を自動的に更新し続けるようプログラムしてあげたのだ。ぐふふふ、嬉しいだろう。君の喜ぶ顔を衛星写真で見るのがとても楽しみだよ」 「そうそう。気象管理庁には話をつけてあるからそっちは心配無用なのだな」 「まさかとは思うがこのプレゼントに何か不都合や不満な点があったらその旨連絡してくれたまえ。なに、ボタンをひとつ押すだけで済むようにしておいてあげた………ところでその時に言うべきひとことはわかっているね? わからなければ君が以前私に言っていた『常識』とやらに教えてもらいなさい」 ばかやろう。どこに霊界通信ボタンがあるんだよ。見せてもらおうじゃないか。 * * * 教授の言葉が消えたあとも観測ブイのAIは沈黙したままだった。できる手はすべて尽くしたのだが再起動にすらいたらず、観測ブイの仮想空間はそのただ中に教授へのホットラインボタン(純白のひらひらレースに縁取られたピンクに輝く横長ハート形のボタン。すみれ色のオーラ付き………ウゲェ。故人だろうともウゲェはウゲェ以外の何物でもない)が脳天気に浮かんでいるだけ。他のすべてのインタフェースは灰色に非活性化されている。唯一生きているその「愛の指導教官ホットライン:学位が欲しいかワンと鳴け」(と書いてあるのだな本当にこれが。虹色ホログラムのまる文字体でくねくねと)ボタンを押しても「ネットワーク接続に失敗しました」というメッセージ窓がしばらく開くだけでまた元に戻ってしまう。 その仮想空間から現実の肉体に切り替えても、周囲は常に灰色の大嵐の海。あの気象改変の結果世界中の大洋がこうなってしまったのかそれともSAFEモードの観測ブイが故意にこうゆう天候の海だけを追いかけるようにプログラムされている(あいつならやりかねん)のかはわからないが、巨大なビルほどの高さの波のエレベーターに振り回されながらすさまじい風の中でいつまでもいつまでも大粒の雨に打たれ続けなければならない。雷の直撃で死ぬたびに蘇生されるのにももういい加減慣れた。星空にも群青の海原にも長いことご無沙汰している。 最近ようやく、私は思うようになった。教授か私か………勝ったのはどっちなんだ? いったい。 |
〜〜〜〜〜〜おはなしおわり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 銀茄子(欧字形:Agnus) http://www2c.biglobe.ne.jp/~agnus/ =====================================================================