西岡恭蔵 Live Report
西岡恭蔵 Live Report
西岡恭蔵 Live Report

 


97年12月18日
「バナナ・ホール」

    あがったさん が、ニフティ・サーブ FBEAT7番会議室にアップされたものを転載させていただきました。ありがとうございます。

 

 

今宵一夜限りの神様−西岡恭蔵ライブ

 

 

クリスマスが嫌いだ。けばけばしく飾り立ててやってくる、クリスマスが大嫌い。

「24日の夜は何処かへ連れていってよ」同居人Bは臆面もなく僕に要求する。
「いったい、24日はいかなる日であることかよ」白々しく僕は、答える。
「クリスマス・イブに決まってる」当たり前の如く同居人Bは返事をするんで、
「君はいつから宗旨変えをしたんだ。僕ならまったくの無宗教」と宣言する。

ほおっておけば、まだまだ図に乗って来そうな勢いだったし、
図に乗られれば、「宗教を信じる自由、信じない自由」なんぞを引っぱり出しては、
滔々と語り出してしまいそうな僕だったので、這々の体で、妥協を計る。
「ばあちゃんの全快祝いをするというのなら」僕はいたって同居人Bには弱いんだ。

そんな僕が、開けっぴろげに「Glory hallelujah」を大声出して唄う夜。

僕は恭蔵さんが好きだ。なんともいえない笑顔がとっても素敵な恭蔵さんが大好き。
ずっと昔から聞いてきた。「プカプカ」「サーカスにはピエロが」はそらで唄える。
数え切れない位ライブにも行ったし、「春一番」もまた未だにそらで唄えてしまう。
アルバムは全部持っている。違った、「ヨーソロ」「ニューヨーク・トゥ・ジャマイカ」は持ってない。

でも、カセットブック「パラダイス カフェ」なんぞは、自慢の一枚だし、
「ハーフムーンにラブコラージュ」なんぞは、今やもう廃盤に違いない。
それになにより「ライブ・はっぴいえんど」での、「春一番」はこれ一曲で、
西岡恭蔵ここに在り、という程の名曲・名演には違いなく。

ただ、一連のクリスマス・ソングやラブ&ピース賛歌には、ちと鼻白む時がある。

あまりに直裁じゃないか。あまりに綺麗すぎるんじゃないか。
恥ずかしいじゃないか。僕のシャイさはついそう愚痴をこぼしたくなるときがある。
それでも、このFBEATでエフさんから、恭蔵さんのクリスマスを教えていただき、
三年前にはいそいそと出かけることになった。昨年は、高熱出して、行けず。

今年は、雑誌「胡散無産」二号に、原稿まで書いていただけて、
あろうことか「あがったさんへの手紙」などという望外なタイトルまでついており、
それにKUROさんがお亡くなりになった、そんな年のクリスマスだったし、
四年振りのアルバム「Farewell Song」が、全く素敵なアルバムで。

花束まで抱えて、出かけていった蔵さんの「Glory X'mas」。

バナナホールはありったけの椅子を出してすら立ち見が出るほどの盛況さで、
僕たちはといえば、左側最前列という絶好のロケーションに陣取る。
開演前の賑やかなホールの中を、恭蔵さんの巨躯が行く。
黄色いキャップの巨躯が行く。あっちであいさつ、こっちでチケット手配。

  今年のタイトル・ソング「Glory X'mas」がオープニング。
ゴージャスなバック。駒沢・はちみつぱい・裕城、国府・ソーバッドレビュー・利征
上原・ごまのはえ・裕、秋本・モーガンズバー・節、後藤・笑わすぞ・ゆうぞう、
大庭・怒り出す・珍太。コーラス:大上・ゴスペル・留利子、他一名(ゴメン!)

「おまえが夜空で 天使達と唄うよ」と逝った人と生きる人が声をあわす。

蔵さんのクリスマス・ソングが贅を競い、包容力のある唄声がますますに、輝く。
場内の熱気はいやが上にも高まり、演者のテンションの高まり、留まるを知らず。
「サーカスにはピエロが」「プカプカ」「自転車に乗って」三連発には割れんばかし
僕がずっとずっと一緒に大声で唄っていたことは隠しようもない。

そして、新アルバムから二曲。「Glory Hallelujah」「Soul X'mas」
それぞれの唄は延々と続き、「Glory Hallelujah」の大合唱は、まさに天に届く。
「Soul X'mas」のリフレインと共に、若者達は踊りだし、老若男女が声を限り。
唄うさ。日頃のシャイや意地や恥ずかしさなんて、知らぬ存ぜぬ。

帰り際、二枚目の「Farewell Song」に「to 胡散無産さん」という蔵さんのサイン。

大きな手としっかりと握手を交わし、丸眼鏡の向こうの優しげな目を見つめながら、
「今年は、どうも。来年も、よろしく」とさようならのあいさつを交わす。
もっともっと唄いたかったんだ。もっともっと聞きたかったんだ。
お名残を残し、でも、お名残は惜しむものではなく、大切にするもの。

バナナホールを一歩出ると、そこはいかにもおどけた風を装った年の瀬の街で。
いつものように酔っぱらい達が、束の間の快楽を貪るように、わめき散らし、
さんざめく街角一杯に、忘れてしまいたい「今年」が放り出されている。
僕は、忘れることのない年をしっかりとしまい込んでは、長いコートに包む。

蔵さんのクリスマスなら、僕は許そう。蔵さんのクリスマスが、僕は大好き。

ps
思う壺、思いっきり書いてしまった。好かったんだ!>エフさん


 


Thanks to KYOZO NISHIOKA.
1998(C) MAKOTO GOTOU
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