当初、「恋が生まれる日」というタイトルで発売される筈だったこのアルバムは、恭蔵さんが、このホームページへのメッセージに書かれてみえるように、ガンで長い間、闘病生活を送っていた愛妻、KUROさんが「元気な時に考えていた」タイトルであります。
とすると、タイトル曲の「恋が生まれる日」というのは、KUROさんへの特別な意味があったのではないかなぁ、亡くなられてから「Farewell Song」に変えられたという事は、闘病生活のKUROさんを励ます為に、「早く元気になって、あなたと、また新しい恋をしよう」と、生きる事への希望を贈った歌ではないかな?と、聞きはじめて1週間ぐらいの時に突然思えてきました。
「辛い夢に泣いた夜は」というフレーズに、KUROさんの闘病生活の不安が読み取れる気がします。
そう思って聞くと、当初、クラリネットの甘い調べにのった、普通のラブソングと思っていたのが、全然違った意味を持って聞こえます。
私自身の勝手な思いこみかもしれませんが(よくあるんだ、これが!)、この歌を聞いて、マトモに泣いてしまったのは自分でもビックリしました。
まず最初に、当初CDのタイトルになるはずだった「恋の生まれる日」に触れましたが、この他にも、苦しみや悲しみを乗りこえよう、という意味の内容の歌詞が多く、直接的・間接的にKUROさんへのメッセージと受け取れる詞が、全編を通して流れているように思います。
それは、とりもなおさず、このアルバムを手にとられる皆さん一人一人への励ましと いたわり・慰めでもあると私は感じるのです。
私は、あまり「言葉」に敏感でもないので、まず、最初に一通り聞いてみて、頭に残ったのが「Soul X'mass」。
今年の12月は、この曲が商店街のスピーカーや、デパートの中で流れたら、とてもウキウキした風景に溶け込んで、ステキじゃないだろうか?と思ってしまう、とても陽気な、まるで「南米旅行」を彷彿させる曲。
どこかの商店街の方、やってみません?
手拍子が入っているのですが、これが、けっこうタイミングの取り方が難しいのです。
次のライブ迄にはマスターして、ハンド・クラッピン担当を受け持ちたいものです。
しかし、恭蔵さんのつくるクリスマス・ソングは、どの曲も、どうしてこんなに幸せになれるのでしょうか?
「コンケーンのおじいさん」は、ライブで何回も聞いた記憶があり、曲自体は馴染んでいるのですが、このCDでは、曲のイメージを、さらに膨らませるような、とても素晴らしい壮大なアレンジになっています。
この曲に欠かせないのが、駒沢裕城さんのペダルスティール・ギター。
犬が「くぅ〜ん」と切なく泣くような音色で異国の雰囲気を盛りあげてくれます。
1曲目の「Glory Hallellujah」と2曲目の「I wish」ですが、この2曲は、感性の鋭い方は、聞いてすぐにハマッテしまわれるようです。
この2曲を聞いて、いきなり泣いてしまって、「プカプカ」しか知らなかったのに、恭蔵さんて、こんな唄もうたうんだぁ、と言って、今は「Farewell Song」にハマッテしまった方も、おみえになる。
私は、通勤の車の中で聞いていたせいか、「Glory,Glory Hallellujah」と「Oh,I wish,Oh,I wish」という繰り返しの言葉ばかり耳についてしまって、かんじんな歌詞が入ってきたのは、随分とたってからでした。
「私が私である事を願いながら
あなたが、あなたである事を願いながら」
というフレーズは、逆に、現代の管理社会に於いては、それがいかに難しい事であるか、という事の裏返しとも、サラリーマンの私などは思ってしまう。
もちろん、そういう事に限らず、傷ついて、自分を見失ってみえる方に、まず、1曲目で希望の灯をともす事を宣言しているようにも受け取れます。
この部分を、実際に声を出して歌ってみると、やっぱり、目の前が霞んできてしまう時もあります。
ライブの時は、ゴスペル調の曲にのって、皆で、是非、コーラスの部分は歌いたい曲ですね。
「I wish」ですが、これは、粋なピアノがカッコイイ。
それでいて、歌詞は、1曲目を、さらに突っ込んだ感じの詞で、
「私達は傷つくために生まれてきたんじゃない。
私達は悲しむ為に生きているんじゃない。」
これは、もう、落ち込んでる時に聞いたら、私なぞは絶対に泣きます。
KUROさんを意識して作られた曲がどうかは、わかりませんが、十分にそう考えられる曲である事には、間違えないでしょう。
そして、少なくとも私には、必要不可欠な曲な2曲に、既になってしまいました。
「街角のアコーディオン」。
「生きてさえいてくれたら・・・」という歌詞だけ胸に残れば、あとは、何も説明のいらない曲だと思います。
「5月の恋」を聞くと、私は、KUROさんと恭蔵さんが寄り添っている情景が浮かんできます。
考え過ぎかもしれませんが、忍び寄る病魔の不安にさらされながらも、いや、だからこそ、一日一日を大切に二人で共有していこう、と聞こえます。
「Glory Hallellujah」「I wish」「恋が生まれる日」「街角のアコーディオン」「5月の恋」「Farewell Song」だけを通して聞くと、その向こうには、はっきりとKUROさんの姿が見えるような気がします。
「Soul X'mass」に、KUROさんと次のクリスマスを一緒に過ごせるように、という願いが込められている、と勝手に解釈してみたりもしますし、復活した「春一番」の主催者でいらっしゃる福岡風太さんへ捧げられた曲であろう「我が心のヤスガース・ファーム」も、「春一番」がお休みだった「15年の年月」の間もKUROさんと過ごした年月、と考えれば、これも、KUROさんのお姿が歌の後ろに見えてしまう。
ここに書いている内容の一部分に近い内容を恭蔵さんにお手紙差し上げたのですが、その後に、お会いしたときには、「HPに先日の手紙のような内容でCDの感想を書こうと思ってます。」と言うと、恭蔵さんは「読みました。」とだけ言われ、否定も肯定もされないで、ただ、胸に手をあてて、思いだけを受けとめていただいたかの如く、無言でうなづいてくれました。
(これは、恭蔵さんの御好意で、ひと足先に聞かせていただいた ごっちゃん の全く個人的な感想です。)