Via Vino No.13 “The Study of Bordeaux”<ボルドー研究>

<日時・場所>
2007年12月8日(土)12:00〜15:00 代官山「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」 
参加者:26名
<今日のワイン>
白・辛口「シャトー・レイノン 2004年」
赤・辛口「シャトー・ド・カンダル 1999年」
赤・辛口「シャトー・グラン・コルバン 2002年」
白・甘口「バルトン・ゲスティエ・ソーテルヌ 2005年」
<今日のランチ>
【前菜】ホタテのマリネ・ヴィネガーソース添え
【パスタ】越前の鯛のポワレ
【メイン】富士豚のロティ
【デザート】リンゴのコンポート
    


1.はじめに
● フランスで最も広大な高級ワイン産地。年間約10億本のワインを生産。
● ガロンヌ、ドルドーニュ、ジロンドの三つの河と大西洋の影響を受ける。
● 歴史的にも、地理的にもイギリスの影響が強い。

 新世界ワインの台頭や飲酒の規制強化などの影響で、フランスワインの低迷が問題視される中、三大名産地であるシャンパーニュ、ブルゴーニュ、そしてボルドーの高級ワインは依然として高騰を続け、その有名銘柄はますます入手困難になりつつあります。特にボルドーワインは、2000年、2003年と優良年が続き、今回高額ワインがリリースされる2005年はさらにグレートビンテージとして価格が上がると言われています。
 世界の著名なワイン産地は、狭い渓谷内に押し込められていることが多いのですが、ボルドーの11万haにも及ぶ栽培地は大西洋から沖積平野へと広がっており、その景観は他の産地とはかなり異なっています。元々「ボルドー」の名は「オー・ボール・ド・ロー(水の辺)」という言葉が語源となっているのです。また、イギリスと歴史的な繋がりの多いボルドーは貿易で栄えた町であり、「ワインは旅をさせない」という言葉とは全く逆を行くスタイルを貫いてきました。砂礫土壌を主体とする左岸にあるメドック、そして粘土質土壌を主体とする右岸にあるサンテミルオンとポムロールは、その歴史的名声故に、数々の格付けや規定に縛られつつ、常に新興勢力と市場で熾烈に競い合うことを今も昔も運命づけられているのです。

2.白ワインのテイスティング
● 白ブドウは辛口タイプがソーヴィニヨン・ブラン主体、甘口タイプがセミヨン主体となる。
 
 「シャトー・レイノン 2004年」(上図)の辛口白ワインを用意しました。
 ボルドー白ワインの「法王」とまで称される、ボルドー大学教授ドニ・デュブルデュー氏が自ら畑を所有し手掛ける白ワインです。
 デュブルデュー氏自身のコメントによると、2004年は乾燥した春に続き、夏も暑さの中に涼しさがありやはり乾燥していた年。とても色の綺麗なワインで、フルーティな爽やかさが特徴とされます。柚子のような清々しい香りがあり、わずかに甘苦い味わいが後口に感じられるワインです。

3.赤ワインのテイスティング
● ボルドーで最も多く生産されている黒ブドウはメルロー。左岸の砂礫土壌ではカベルネ・ソーヴィニヨンが有名。

  
 「シャトー・ド・カンダル 1999年」(上図左)「シャトー・グラン・コルバン 2002年」(上図右)を用意して頂きました。
 「シャトー・ド・カンダル」は、 マルゴー第3級「シャトー・ディッサン」のセカンドワイン。マルゴーACを名乗れるアルザック村内にあり、「ジスクール」をはじめとするマルゴー屈指の畑に囲まれた非常に優れたテロワールにありながら、格付け当時はまだ畑ではなかったため「オー・メドックAC」となっています。現在は名称が「オー・メドック・ディッサン」に変わり、ラベルも変更されています。樽熟成によるエレガントな味わいが特徴で、濃いルビー色の輝きを持ち、熟成により丸く滑らかな口当たりになっています。甘い果 実味とタンニンのバランスがちょうど良い状態にある赤ワインです。
 「シャトー・グラン・コルバン」は、 ポムロールの銘醸「セルタン・ジロー」のオーナーでもあるジロー家の所有するシャトーで、ポムロールとの境界線近くに位 置するワインです。サンテミリオンのグラン・クリュ・クラッセに格付けされています。しっかりした醸造と新樽を使用した贅沢な樽熟に由来する、芳醇な果 実の風味ときめ細かくなめらかなタンニンが特徴で、ふくよかな後味も楽しめます。2002年物は果 実味も十分感じられバランスのとれたワインとなっています。
 「シャトー・ド・カンダル」はカベルネ・ソーヴィニヨンが、「シャトー・グラン・コルバン」はメルローが主要品種となります。通 常はカベルネ・ソーヴィニヨンの方がメルローよりも濃厚で固い味わいとなりがちなのですが、今回はむしろメルロー主体の「グラン・コルバン」の方がしっかりした味わいとなっているので、「シャトー・ド・カンダル」をブルゴーニュグラスに、「シャトー・グラン・コルバン」をボルドーグラスに注いで頂きました。

 デザートワインはボルドーの貴腐ワインをぜひとも、ということで、通常はかなり高額でなかなか手の出せないソーテルヌをお願いしてしまいました。
 
 「バルトン・ゲスティエ・ソーテルヌ 2005年」(上図)を特別に用意して頂きました。
 B&G社は、アイルランド出身のトーマス・バルトンが、ダニエル・ゲスティエと共に1725年に設立したワインの販売会社です。3世紀に渡る歴史の中で培った技術と経験、幅広い人脈を駆使して、現在でも高品質ワインを世界の130以上の国や地域に出荷しています。
 ソーテルヌでは、貴腐菌の作用により糖分の濃縮されたブドウから、独特の甘口白ワインを造っています。輝く黄金色と、ハチミツを想わせる香りを身にまとったワインで、若干の爽やかな酸味が甘味をやわらげ、飲みやすくしています。

4.ボルドーワインの格付けについて
 メドック及びソーテルヌの格付けは、1855年のパリ万博に合わせて、大陸封鎖令により経済低迷に喘いでいたボルドー地区の振興策の一つとして制定されました。最大の特徴は、当時の取引価格によって序列を付けられたことで、その取引価格自体には所有者が有力な貴族であるかどうかが反映されていました。畑の潜在能力よりも、所有者の格が重視されたのです。
 1855年のメドック格付けは、本来ジロンド地区全体の格付けとして制定されていたのですが、メドック以外でリスト入りしたのはオー・ブリオンのみであることに対し非難が集中したため、看板だけ「メドック」と塗り替えられたのです。グラーヴ独自の格付けは、紆余曲折を経て1959年に成立しましたが、格の中に等級を設けず、白も赤も対象としたところに進歩が見られます。
 メドックでブドウ栽培が始まる千年以上も前に、サンテミリオンではローマ帝国の文人アウソニウスが、ブドウ園からワインを造っており、その名は第1特別 級Aクラスの「シャトー・オーゾンヌ」として残っています。サンテミリオンの格付けは10年ごとに味覚審査を行い修正していくことが定められており、それ故に常に実力の裏打ちのあるものとなっています。
 ボルドーの格付けは、こうして貴族主義的な権威付けから、より品質を重視するものへと変化しつつありますが、自由な試みに挑戦し、レベルの向上を成し遂げようとする生産者達にとっては重い足枷ともなっています。2007年前半、ボルドーの格付けを巡って大きな事件が起こりました。一つはメドック、クリュ・ブルジョワの2003年格付けが破棄されたこと、もう一つはサンテミリオンの新しい格付けが3月に“停止”させられたことです。共に、審査に公正さを欠くという生産者達の異議申し立てを受け入れたものですが、品質という主観的な基準で格付けを行うことの難しさを物語っているように思われます。

5.ボルドーワインの歴史
1152年 アキテーヌのアリエノール、ルイ7世と離婚、アンジュー伯アンリと結婚
1154年 アンリ即位、イングランド王ヘンリー2世となる(プランタジネット朝)ボルドーは英国領に    
1203年 ボルドー、ジョン王に取り入り、早積み出荷の特権を得て、イングランドに乗り出す
13世紀 ガスコーニュ人ワイン交易商組合(後のワイン商人組合)、中世ロンドンのワイン交易を独占
1338〜1453年 英仏百年戦争
1452年 フランス、ボルドーを攻撃、トールボット将軍の敗北
 英仏百年戦争終結、シャルル7世、ボルドーの諸特権を回復させる
 シャトー・ラトゥール、シャトー・タルボの逸話
1534年 ヘンリー8世、首長令発布〜修道院の解体、英国内ブドウ畑の消滅
1660年 イギリス向けボルドーワインの税が上がる〜輸入禁止・ポルトガルワインへの関心
18世紀 メドックの干拓と造成
1851年 ロンドン万博の成功
1855年 ナポレオン3世、パリ万博でのボルドー(メドック・ソーテルヌ)の格付け
1954年 サンテミリオンの格付け
1959年 グラーヴの格付け

 ボルドーとイギリスとの密接な関係は、12世紀にアリエノールとの結婚によりボルドーを受け継いだアンリが、英国王ヘンリー2世となったことから始まりますが、この頃はまだ国家や政府といった概念そのものが存在しませんでした。ヘンリー2世自身はアンジュー伯としての意識が強く、英語を話すことはなかったと言われています。
 英仏百年戦争、そして修道院の解体により、イギリスはボルドーを失い、国内のブドウ畑も消滅してしまいます。これ以降、イギリスはワインを全て輸入に頼ることになりますが、結果 としてイギリスとフランスとの関係が変化する度に、スペインやポルトガルのワインまでもがその影響を受けるようになります。シェリーやポートなどはそのような背景を元に開発されました。
 ところで、もともとボルドーのワイン産地は、現在のガスコーニュ地方が中心で、後に17世紀頃、シャトー・オー・ブリオンに代表される、砂礫質土壌に恵まれたグラーヴ地方のワインの名声が高まった頃、現在のメドックは海側に張りだした大湿地帯に過ぎませんでした。もともと貿易港として発達していたボルドー市は、アフリカや新世界との交易によって得られた富をメドックの干拓に費やし、19世紀にはメドックの隆盛はグラーヴをも上回るようになります。
 現在に至るまで受け継がれているメドックの格付けは、このような状況を背景に、イギリス在住経験の長かったナポレオン3世の指示のもと、ロンドン万博の成功を受けて、パリ万博において制定されました。ボルドーの優れた品質も、厳格な格付けも、イギリスとの交易を始めとした大規模な経済の流れが生みだしたものだと言えます。

 さて、次回は「日本のワイン」がテーマ。輸入ワインと比べて価格的に割が合わないと敬遠されがちな国産ワインですが、近年の製品の品質には驚くべきものがあり、国内よりもむしろ国外での評価が高まっています。じっくりと味わう良い機会だと思うので、お楽しみに。なお、今回は次回以降のテーマについてアンケートを頂きました。その結果 も考慮して、2008年も引き続き面白い会にしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

<今回の1冊>

ウィリアム・エチクソン「スキャンダラスなボルドーワイン」ヴィノテーク社
 原題は「NOBLE ROT:A BORDEAUX WINE REVOLUTION」(貴腐ワイン〜ボルドーのワイン革命)。貴腐のことをNOBLE(貴い) ROT(腐敗)と呼びますが、このNOBLEにボルドーの貴族社会の意味をだぶらせています。ボルドーのヴィンテージを巡る狂騒の中で、格付けの裏に潜む貴族社会と新興勢力のせめぎ合いが描かれていて非常に興味深い本になっています。


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