Via Vino
No.14 “Japan”<日本>
<日時・場所>
2008年1月19日(土)12:00〜15:00 表参道「真々庵」
参加者:15名
<今日のワイン>
山梨・白「サントネージュ・エクセラント・甲州辛口仕込み」
山形・白「高畠ワイナリー・上和田ピノ・ブラン2006年」
新潟・赤「岩の原ワイン・ヴィンテージ2005年」
長野・赤「井筒ワイン・メルロー・樽熟・スープリーム 2005年」
<今日のランチ>
【前菜】チーズ盛り合わせ、胡麻豆腐・紅白味噌ととんぶり、数の子大観漬け、なまこ雪おろし・京人参ゆず
【吸物】スッポン白玉
【お造り】囲い大根・鮪・鰤・いか
【煮物】扇面かぶら・蓮根・かに・しめじ・菜の花
【強肴】ヒレステーキ、ベビーリーフ、じゃがいも
【飯】じゃこご飯、味噌汁
【甘味】いちご・キウイ・マンゴーソース・セルフィーユ
1.はじめに
● 古くから葡萄を栽培しているが、ワイン生産は明治維新以降。
● 雨が多く土壌が肥沃なため、ワイン用葡萄品種は育ちにくい。
● 葡萄栽培面積は約2万ha。ワイン生産用は1割程度。
雑誌「フォーサイト」2月号には、昨年末各国の日本大使館でのレセプションで、「甲州シュールリー」「グラン・ポレール・シャルドネ」「ソラリス信州千曲川産メルロー」などの日本のワインが出され、非常に好評だったという記事が載せられていました。新潮新書「ワインと外交」の著者、西川恵さんは「10年前には2ワンのワインが本場ものを押しのけて外交ツールになるとは想像もできなかった」と締めくくっています。また、開催当日に本屋に並んでいた「モーニング」掲載の「神の雫」にはコラムに「メルシャン長野メルロー」が、「ビジネスジャンプ」掲載の「ソムリエール」には同じく長野の「ドメーヌ・ソガ・メルロー」がそれぞれ日本のワインを好意的に紹介していました。日本のワインを積極的に取り上げ、広めていこうという動きが感じられます。
ただ、ワインの愛好家を自認する人でも、日本のワインはちょっと……という人は多いようです。銘柄を知らない、味の割に高い、レストランに置いていない等々……。実際のところ、ニュージーランドワインを揃えたニュージーランド料理の店は東京に何軒かあるのに、国産ワインを取り揃えた和食の店は意外と見つかりません。ニュージーランドと日本とでは、ほぼ同じ量
のワインを生産しているにも関わらず……。ワインにこだわる和食の店はむしろフランスワインをしっかり揃えていたりします。以前雑誌に紹介されていた六本木ヒルズの「日本料理・小山」では、日本ワインと和食のマリアージュが楽しめると書かれていたのでチェックしていたのですが、あいにく今はもうお店がないとのこと。今回会場となった懐石料理のお店「真々庵」も、各国のワインを沢山取り揃えているにも関わらず、国産ワインは置いていないとのことで、今回は全て私のセレクトで用意させて頂きました。
1995年の世界最優秀ソムリエコンクールにおける田崎真也氏の優勝、2007年の国際ソムリエ協会における小飼一至氏の協会会長就任など、国際的なワイン市場において活躍している日本人は意外に多いのです。また、ソムリエ資格取得者は1万人を超えており、これは本家フランスをはるかに凌ぐ数となっています。
しかし一方で、日本の酒類市場におけるワインの比率は数%にとどまっており、年間の1人当たり平均消費量
は2リットル程度、ビールや日本酒には遠く及びません。日本の食生活に定着しているとはとてもまだ言えない状況かと思われます。優れた国産ワインがあるにも関わらず、今一つそれが盛り上がっていないのは、何よりもまず日本の食生活そのものに原因がありそうです。
さて、昨年の大河ドラマ「風林火山」では、戦国時代の武田信玄とその軍師、山本勘助が主人公でした。山梨の甲斐の国を本拠地とする武田信玄と、新潟の越後にいる上杉謙信とが、長野の川中島で雌雄を決するべく激突します。その後武田氏は織田信長に破れ滅亡、上杉氏は徳川家康に破れ福島の会津そしてさらに北の山形、米沢へ移封され、上杉鷹山による米沢藩の財政改革で知られるようになりますが、奇しくも武田氏と上杉氏ゆかりの地、山梨、新潟、長野、山形は、実はそのまま国産ワインの中心地ともなっているのです。
昨年秋、山形、山梨、新潟のワイナリーを訪問する機会がありましたので、今回はその時に試飲した物の中から、これはと思ったものを選んで用意させて頂きました。
俗に武田信玄の合理主義に対して、上杉謙信の精神主義がよく取り上げられます。同様にワインについても、国産ワインの中心地は山梨ですが、国産ワインの父とされる川上善兵衛は新潟の人でした。有名な戦国大名と、黎明期の国産ワインには、何か通
じるものがあるように思われます。
2.白ワインのテイスティング
●国産品種としては山梨の甲州種が有名。国際品種としてはシャルドネなどが栽培されている。
白ワインは日本固有の品種である甲州種から作られた山梨の「サントネージュ・エクセラント・甲州辛口仕込み」(写
真右)と、フランス品種であるピノ・ブランから作られた山形の「高畠ワイナリー・上和田ピノ・ブラン2006年」(写
真左)を用意しました。いずれも1000円前後で購入できるワインですが、和食との相性が良いのであえて選んでみました。
山梨県には百軒近い醸造元があり、国産ワイン生産の4割近くを占める国内第一の生産地となっています。この地では鎌倉時代から葡萄が育ち、かの武田信玄も食したとされていますが、基本的には全て生食で酒が造られることはありませんでした。しかし古来栽培されていた甲州種は、欧州のワイン用品種ヴィティス・ヴィニフェラに属しており、何故この地に欧州系の品種があるのか未だに謎とされています。山梨ではこの品種から何とか優れたワインを造りだそうと様々な試みがなされてきました。酸味の弱さと口当たりの柔らかさは力強さという点では国際品種に及びませんが、コミック「美味しんぼ」でも紹介されている通
り、素材の味を生かし甘酸よりも出汁の旨みをベースとする和食との相性は抜群です。甲州葡萄は甘口も辛口も作ることができ、樽熟成させたものやシュールリー製法を使用したものなど様々なタイプが作られていますが、甘めの香りと低めの酸が、和食との相性を高めていると思われます。
「サントネージュ・エクセラント・甲州辛口仕込み」は、山梨県産甲州種葡萄を100%使用して辛口に仕込んでいます。果
汁に雑味が出ないよう、圧搾せず自然に流れ出るフリーラン果汁のみを使用し、12〜18℃の低温でじっくり発酵させ、シュールリー製法(澱引きせずに熟成させる製法)で熟成させて甲州種本来のフレッシュでフルーティな香味を引き出しています。やさしく繊細な香りとキレの良い後味が特徴で、白身魚の刺身などと非常に相性が良いワインとなっています。
山梨では勝沼を中心に数多くのワイナリーで甲州ワインを作っています。中央葡萄酒の「グレイス・ワイナリー」の「キュヴェ三澤」や、丸藤葡萄酒の「ルバイヤート」、原茂ワインの「HARAMO・VINTAGE」等が有名で、東京でも入手できます。メルシャン社やサントリー社などの大手の生産拠点も山梨にあり、甲州以外の国際品種も多く栽培されています。両社はそれぞれ城の平や登美の地でカベルネ・ソーヴィニヨンを主体とした最高レベルの赤ワインを造っています。
山形県は東北の中でも有数の果樹生産地で、リンゴ、サクランボ、葡萄が主要品目であり、葡萄の生産量
は山梨、長野に次いで第3位となっています。明治初期に西洋の果実品種が多く山形に持ち込まれ、高畠に農業試験所を設けて栽培を奨励したのがその始まりですが、当初は寒冷な気候を克服できず失敗することが多かったようです。平成14年には山形県産ワイン認証委員会を設立し、後述の長野県にやや遅れをとっているものの、品質向上と知名度獲得につとめています。現在約十ヵ所のワイナリーがありますが、品質と規模の点で「高畠ワイナリー」「タケダワイナリー」の2ヵ所が他を引き離しています。
高畠ワイナリーは、山形県南部の置賜盆地にある1990年創業の比較的新しいワイナリーです。昼夜の寒暖の差が激しく、葡萄の生育に適した土地から、高品質で手頃な価格のワインが数多く作られています。その設備はかなり近代的で徹底したものでした。タケダワイナリーは山の斜面
の畑に樹齢の高い葡萄を持ち、あえて雑草を取り除かないことで、畑の生態系を自然な状態に保っています。
「高畠ワイナリー・上和田ピノ・ブラン」は、有機栽培の里として知られる高畠町上和田地区の、樹齢15年の葡萄から作られた、爽やかな酸味と余韻の長さが特徴の、ワイナリーを代表する白ワインです。昨年10月の「秋の収穫祭」に参加した際試飲し、その味わいに非常に驚かされました。ピノ・ブランはシャルドネ等に比べてあまり人気がなく、特徴に乏しい品種とされていますが、この高畠ワイナリーの作品は、シャルドネにも劣らないポテンシャルを持っています。合わせて試飲した数千円レベルのシャルドネと比べても、遜色ない味わいだと思い、敢えて選ばせて頂きました。
3.赤ワインのテイスティング
●国産品種としては交配品種であるマスカット・ベリーA、国際品種としてはメルローが有名。
赤ワインは日本でベリー種とマスカット・ハンブルク種の交配種であるマスカット・ベリーAを使用した新潟の「岩の原ワイン・ヴィンテージ2005年」(写
真右)と、フランス品種であるメルローから作られた長野の「井筒ワイン・メルロー・樽熟・スープリーム
2005年」(写真左)を用意しました。4000〜6000円とやや高価格帯に位置するワインですが、ヨーロッパのワインとも充分張り合えると思えます。
新潟県には、国産ワインに生涯を捧げた川上善兵衛が数多くの交配品種を育てた「岩の原葡萄園」があります。明治元年に上越の地主の息子として生まれ、15才の時に上京、福沢諭吉の慶応義塾に席を置き、師と仰ぐ勝海舟家に出入りしていた善兵衛は、独学で英語と仏語を学習、茨城県牛久の神谷伝兵衛に教えを乞い、名園とされていた自宅の庭園を壊して葡萄の栽培を始めます。雪に閉ざされた不毛の山林地帯を農地として活用することが目的で、日本の気候に適した葡萄を求めて品種改良に没頭しました。「マスカット・ベリーA」を始めとして40種近い優良交配品種を世に送り出し、雪を利用した低温発酵などの技術開発にも尽力し、「国産ワインの父」と呼ばれています。しかしあまりにも採算を度外視したため経費がかさみ、大正に入ると経営は破綻してしまいます。後にサントリー社によって復興されることとなりますが、その結果
善兵衛の娘婿、川上英夫氏がサントリー社の所有する登美の丘の管理を任されることとなります。川上善兵衛の著書「葡萄全書」は日本のワイン学の金字塔であり、開発した交配品種「マスカット・ベリーA」「ブラック・クイーン」は今も全国25県にわたって栽培されているのです。
「岩の原ワイン・ヴィンテージ」は、完熟マスカット・ベリーAとカベルネ・フランを、ステンレス密閉タンクで発酵させた後、フレンチオーク樽にて長期熟成させたもので、濃厚で果
実味の強いこの品種の味わいを生かしつつ、さらに凝縮感のあるフルボディの赤ワインに仕上げています。昨年秋に新潟の岩の原葡萄園を訪問したところ、氷室を残した古い醸造設備や樽の貯蔵庫、資料館などを見学することができ、なかなか感慨深いものがありました。「ヴィンテージ」もその時試飲したものですが、濃い色でしかもどこか野生味を残したその味わいに驚き、あらためてマスカット・ベリーAの底力に感じ入りました。
全国第2位の果樹生産県である長野県は、東西南北に山があり、その傾斜面はワイン用葡萄の生産に最適な条件を備えています。2002年には原産地呼称管理制度を導入しました。塩尻の桔梗ヶ原に住む林五一氏は、当時コンコード種による酸味の強い生ワインしかない頃に、国際品種を多数取り揃え栽培を始めたものの、その後の寒波で全滅。山形大学から分けてもらったメルローのみが枯れなかったことから、この品種の栽培に没頭し、やがて桔梗ヶ原にメルローありと知られるようになります。1970年代、メルシャン社はこの地の農家と栽培契約を結び、「シャトー・メルシャン信州桔梗ヶ原メルロー」を発売、1985年物は国際コンペティション赤ワイン部門で大金賞を獲得しました。試行錯誤を繰り返すゆとりすらない状況で、品種をメルローに絞って果
敢にワイン作りに挑戦していった経緯は、当時メルシャンに勤めていた麻井宇介氏「ワインづくりの思想」(中公新書)に詳しく記されています。
長野の地元ワイナリーでは、林五一氏の立ち上げた「五一ワイン」と「井筒ワイン」が双璧をなしています。いずれも最上級ブランドとして素晴らしい樽熟メルローを作っていますが、品薄でなかなか手に入りません。
井筒ワインは1933年の創業以来、長野県桔梗ヶ原で一貫して国内産の葡萄のみでワインを造り続けてきました。標高700メートルで雨の少ないこの地域は、メルローの栽培に適した地として知られています。「樽熟・スープリーム」は、オーク樽に約1年間貯蔵熟成させた井筒ワインの最高峰で、「長野県原産地呼称管理委員会認定品」に選ばれています。
早熟で粘土質土壌を好むメルローは、最も日本の地に適した赤ワイン国際品種とされていますが、特にこのワインは、濃厚な赤紫色と複雑な香りを持っていて、とても国産とは思えないほど本格的な味わいに仕上がっています。
長野・信州は現在ジビエの普及を活発に行っていますが、仏教伝来以降、基本的に殺生を禁じていた中で、信州の諏訪大社では毎年4月に御頭祭(酉の祭)の中の饗膳儀式で、狩猟の獲物を神に捧げていました。信州の地は稲作・仏教主体の日本の中で、狩猟文化を温存し続けてきたという点で、国産ワインを造り味わうのに非常に適していたと言えるでしょう。
4.日本のワインの歴史
718年 僧行基が甲斐国(山梨)に葡萄を伝える(伝承)
1186年 雨宮勘解由(かげゆ)、城の平(山梨)にて野生の葡萄を発見、生育(伝承)
1549年 フランシスコ・ザビエル、日本にワインをもたらす。一部特権階級に南蛮酒として普及
1853年 ペリー来航、交渉役の香山栄左衛門、黒船にてシャンパーニュの接待を受ける
1872年 甲府にてワイン醸造始まる
1876年 北海道にて葡萄酒製造場完成、試醸行われる
1883年 鹿鳴館開館、甲州産ワインが提供される
1912年 山梨にてフィロキセラ大発生
1922年 寿屋「赤玉ポートワイン」女優松島恵美子のポスター話題に
1927年 川上善兵衛、マスカット・ベリーAの交配に成功
1970年 大阪万国博覧会、第一次ワインブーム
1985年 ジエチレングリコール混入事件、ワイン消費落ち込む
1995年 第8回世界最優秀ソムリエコンクールにて田崎真也氏優勝
1997年 赤ワインブーム、年間平均消費量約3リットルに
2007年 日本ソムリエ協会会長小飼氏、国際ソムリエ協会会長就任
葡萄は日本に古くからありましたが、葡萄酒は日本を含めアジア一帯では殆ど根付くことはありませんでした。稲作中心の農業の中で、酒といえばまず日本酒が定着していたためです。実質的に日本人がワインと付き合うようになったのは、西洋文明がなだれ込んできた明治維新以降のことです。ペリーが来航し、神奈川条約が締結されることになり、交換儀礼として艦上レセプションが行われましたが、日本の食事のあまりの貧しさと酒の席でのあまりの醜態ぶりはアメリカ側をかなり呆れさせたと言われています。
明治政府は積極的に西洋文明を取り入れ、あらゆる地域でワイン造りが奨励されましたが、その殆どは現在跡形もなくなっています。ヨーロッパ品種が日本の気候風土に合わなかったこと、醸造技術が未熟だったことなどが理由として上げられますが、何より第一に、酸味のある酒を日本人が受け付けなかったのが最大の原因でした。日本酒の世界では、酸っぱくなった酒はそのまま劣化を意味したのです。従って国産ワインの歴史はまず、甘味を好む日本人向けに人工甘味ブトー酒を開発することから始まったのです。
現在のサントリー社の前身にあたる寿屋の「赤玉ポートワイン」は大成功をおさめ、その売り上げを元手に、同社は国産ウイスキーの製造へ乗り出しますが、一方で登美の丘ワイナリーを入手、メルシャン社と並ぶ国産ワインメーカーとなっていきます。国産ワインの実に50%以上のシェアがこの両社によって占められているのです。
5.おわりに
ヨーロッパは、ラテン民族を中心とするワイン文化圏と、ゲルマン民族を中心とするビール文化圏とに明確に分けることができますが、前者が古代ローマの昔から飽食とも言えるほど食の豊かな農業国家であったのに対し、寒冷地に属する後者は近世に至るまで食糧不足に苦しめられてきました。果
実を実らせるのにはある程度の日照量が必要ですが、寒冷地で実を結ぶのは麦のような穀物だけで、葡萄の収穫できない地域では麦から酒を作るしかありませんでした。フランス、イタリア、スペインといったワイン文化圏の食事をけなす人も、イギリスやドイツのビール文化圏の食事を褒める人もあまりいないようですが、そこにはなかなか超えることのできない環境に根差した文化的背景があるように思われます。ベルギーのようにフランス文化圏とゲルマン文化圏とが重なる国では、葡萄を造ることができないので、ビールに木苺などを漬け込んだクリークと呼ばれるビールをワイン代わりに飲んでいます。炭酸ガスを含まない中世のビールは、まさに麦から作った味の落ちる白ワインのようなもので、これもベルギーで一部「ランビック」として飲まれています。ワインはまさに、豊かさの象徴でした。
現在、日本は食糧のおよそ3割を廃棄するほどまでに豊かな国となりましたが、ほんの数十年前まではとても満足な栄養状態にあったとは言えず、今でも食糧の自給率は先進国の中でも最も低いとされています。日本人は本当に自分たちで思っているほど豊かな食生活を送っていると言えるのかどうか、あらためて考えてみる必要があるのではないでしょうか。
別にワインをあまり飲まないから日本の食生活は豊かとは言えないのだ、等と主張するつもりはありませんし、日本には元々雨の少ないヨーロッパでなかなか栽培することのできない米から日本酒という素晴らしい醸造酒を作っているのですから、それらを本当の意味で大事にしているのなら、何も言うことはないのです。しかし、日本が本当の意味で食文化を大事にしているのかどうか、正直なところ疑問が残ります。
食生活の変化により、ワインはやっと日本の家庭でも親しまれるようになりましたが、ワイン造りの現場では、いまだしっかりした法律がなく、国産葡萄を半分以上使えば「国産葡萄使用」と表示でき、輸入した濃縮果
汁を国内で醸造すれば「国内産ワイン」と表示できるという現状は、本場のワイン生産国では到底考えられないものです。フランスやイタリアでは、国産ワインを名乗る場合、果
汁を輸入して醸造することは禁じられており、さらに生産地や生産品種まで細かく規定されています。これはワインに限らず、ビールやウイスキー、日本酒といった酒類全般
に渡って言えることですが、日本では酒税をいかにして徴収するかということが酒類の製法や区分全てに渡って優先されていて、本来その酒がどうあるべきかという観点から規定するということがなされていないのです。そして、ワインに限らず、食品全般
に対する日本の姿勢に対して眉をひそめる人は少なくありません。輸入に頼る日本では、本当の意味であるべき食品を大事に作っていくということに対する意識が低いように思うのです。
日本のワインが好評だったという記事の載った同じ号の「フォーサイト」には、「アジア市場を席捲するEU基準」に関する記事もあり、アジアの食品輸出業者は、安全性の高い食品は最も基準の厳しいEUに回し、日本を残飯市場とみなしていると書かれています。日本の消費者は日本の基準こそ世界一厳しいと思い込んでいるが、それは事実ではないというのです。既に米国以上の農産物輸出国となっているEUと、食糧の6割を輸入している日本との差がそこに現れています。
たとえ世界各国の料理が味わえるようになり、世界のガイドブックにレストランが紹介されるようになったとしても、本当の意味で、日本の食文化を世界に誇ることはできないでしょう。むしろ、我々の食文化はまだスタートラインにようやく立てたに過ぎないレベルなのだということを、あらためて認識する必要があるのです。
<今回の1冊>
山本博「日本のワイン」早川書房
日本のワイン作りの実情をかなり細かいところまで記した本です。日本のワイナリーの紹介にとどまらず、その歴史や問題点などがかなり突っ込んだところまで書かれています。
著者の山本博さんはフランスワインやワインの歴史などについて多数の著作を執筆されている方で、ワイン愛好家は必ず何冊かは自宅に揃えているかと思いますが、本業は弁護士。そういえばあのロバート・パーカーも弁護士でしたっけ。医師とか弁護士とかでワインにはまる方は多いようです。