Via Vino No.17 “South Africa”<南アフリカ>

 

<日時・場所>
2008年5月31日(土)12:00〜15:00 神楽坂「Tribes」 
参加者:23名
<今日のワイン>
南アフリカ・スパークリングワイン「アーニストン・ベイ・ブリュット・キャップ・クラシック」
南アフリカ・白「タンディ・シャルドネ2005年」
南アフリカ・赤「アマーニ・メルロー2005年」
南アフリカ・赤「ガーディアン・ピーク・フロンティア2006年」
南アフリカ・赤「モイプラース・ピノタージュ2003年」
<今日のランチ>
ボボティ(キッシュのような食べ物)をフィンガーサイズで
クリームチーズとオリーブのカナッペ・カジキマグロのレモンソース
ミンチマトンとトマトのフェンネル風味スープ
ワニのソテー 
マンゴーソースで ホロホロ鳥のソテーピスタチオトッピング 
モーリシャス風 パルミット(椰子の新芽)と赤カブの酢漬けの南ア風サラダ
南アフリカのオリジナルソーセージ
シーフードを使ったクスクス・モロッコ風鶏肉
チーズの盛り合わせ

        


1.はじめに
 アフリカというと、グラスに上品に注がれたワインよりも、サバンナを駆け巡る「ジャングル大帝」のイメージの方がふさわしいように思われますが、アフリカ大陸の最南端に位 置する南アフリカは、南極海流の影響を受ける大西洋からの冷たい風によって、葡萄の生育に適した冷涼な生産地となっています。白ではシュナン・ブランと同種のスティーン、赤ではピノ・ノワールとサンソーの交配種ピノタージュなどが有名ですが、次第にカベルネ・ソーヴィニヨンなどの国際品種が中心的になりつつあります。  
  数年前にピノタージュやカベルネのブレンドなどを飲んでいた時は、面白い風味だと思いつつもあまり気にとめてもいなかった南アフリカですが、最近ではよく本や雑誌などで取り上げられるようになり、人気のあるものなどはなかなか手に入らなくなってきました。ためしにと思って最近「ミアルスト」という南アフリカワインのピノ・ノワールを、ブルゴーニュの中でもわりとしっかりしたタイプのワインを造るルイ・ジャド・モレ・サン・ドニとブラインド比較してみたのですが、しっかり間違えてしまいました。上質の南アフリカワインは、カリフォルニアなどのワインと比べるとずっとヨーロッパに近いスタイルなのだと思い知りました。ちなみに、「ミアルスト」の創業は1693年。300年近い歴史があるのです。南アフリカワインは、現在のアメリカやオーストラリアなどの新世界ワインよりも古い歴史を持っているのです。  
  1652年のオランダ東インド会社上陸、1688年のユグノー(フランス人新教徒)の移住などによって、17世紀には早くもワイン生産が開始されますが、この頃既に、甘口マスカットワインのコンスタンシアなどのような、かのシャトー・ディケムをも凌ぐとされた銘醸ワインも登場します。17〜18世紀は南アフリカワインにとっての黄金期とも言えます。そして、むしろそれ以降、植民地主義の影響で衰退が始まります。  
  ワインの歴史には常に戦争の影が付きまとってきましたが、まさに南アフリカにおいても、1795年のイギリス軍によるケープ占領から、1902年のボーア戦争終結に至るまで、人種差別 と植民地主義に席捲された不幸な歴史がありました。そして20世紀に入ると、むしろ時代に逆行するかのように、悪名高いアパルトヘイトによって人種隔離政策が徹底され、国際市場から締め出された結果 、南アフリカワインにとっての暗黒時代が続くことになります。  
  1991年のアパルトヘイト撤廃により、国際社会への復帰を果たした後は、それまで輸出が禁じられていたワインも世界市場を相手にできるようになり、安価なバルクワインから高級ワイン生産への転換が始まっています。まだまだ政治的にも文化的にも多くの課題を抱えていますが、まさにそれ故にこそ、南アフリカワインは、ヨーロッパのワインと同様に、紆余曲折を経て複雑味を備えていくのではないでしょうか。

2.スパークリングワインのテイスティング
●田崎真也も認めた、シャンパーニュ方式による36ヶ月熟成のスパークリングワイン
   
 最初の乾杯は、「アーニストン・ベイ・ブリュット・キャップ・クラシック」です。内陸のステレンボッシュで、シャルドネ、ピノ・ブラン、ピノ・ノワールなどから造られる正統派のスパークリングワインです。  
  南アフリカでは、シャンパーニュ同様瓶内2次発酵で作られるスパークリングワインを「キャップ・クラシック」と呼びます。「アーニストン・ベイ・ブリュット」は中でも36ヶ月もの間瓶内熟成を行うため、かなりきめ細かい泡を持っています。洋梨やリンゴのようなフレッシュな果 実香があり、グレープフルーツのようなほろ苦さもある辛口のスパークリングワインでした。あの田崎真也氏も、ワイン専門誌「ヴィノテーク」では20点満点中18点という高得点をつけています。小売1,000円台のスパークリングワインなのに、評価はトップクラスです。シャンパーニュとの価格差はまさに人件費の違いを反映しているのです。  
  葡萄栽培地の殆どは西ケープ州の沿岸地域に集中しており、沿岸地域はステレンボッシュ、パール、コンスタンシア、ダーバンヴィル、スワートランド、タルバグの6地区に分かれていますが、特に内陸にある冷涼なステレンボッシュは、優れたワインの生産地として有名です。今回ご紹介するワインもその殆どがこのステレンボッシュで造られています。

3.白ワインのテイスティング
●南アフリカの「虹の国」を体現する「愛」という名のワイン 
  
 南アフリカの白ワインというと、シュナン・ブランのクローンともいうべき「スティーン」が有名ですが、今回はあえてシャルドネを使用した「タンディ・シャルドネ2005年」を用意して頂きました。  
  1988年に果樹園を経営する元脳外科医のポール・クルーバー氏が始めたワイナリーです。「タンディ」とは、アフリカ系コーサ語で「愛」を意味します。ワインのラベルには、母親が子供を抱いている絵がデザインされており、このワインを大事に育ていきたいという、生産者達の願いが表されています。新樽30%使用で樽発酵、その後熟成8ヶ月。比較的樽の風味が強く感じられました。トロピカルフルーツのような柑橘系の香りがあり、フレッシュで爽やかな酸味が印象的です。  
  ここのワイナリーの特徴は、大型機械を使わず、一つ一つのワイン生産工程を手作業で行っていることです。上質で仕上がりの良いワインを作るため、ワインの熟成に使われる樽はフランスの5つのメーカーから取り寄せ、組み合わせて使っているというこだわりようです。そして何よりも大事なことは、白人も非白人も同じレベルで一緒になって働いているという点で、新生南アフリカの目指すべき「レインボーネーション(虹の国)」を実現していることでしょう。

4.赤ワインのテイスティング
●女性醸造家の作る「平和」という名のワイン、野生ライオンを保護するワイン、そして「美しい庭園」という名のワイン
       
 赤ワインは3種類用意して頂きました。「アマーニ・メルロー2005年」「ガーディアン・ピーク・フロンティア2006年」そして「モイプラース・ピノタージュ2003年」です。
  「アマーニ」は、南アフリカ初の黒人女性ワイン醸造家カルメンさんの活躍する、1997年設立の新興ワイナリーです。「アマーニ」とは、スワヒリ語で「平和」を意味するそうです。かつてアパルトヘイト(人種差別 政策)があった頃は、黒人女性は白人から差別され、男性からも差別されるという二重差別 に苦しんでいました。それ故にこそ、優れたバランスのワインを目指す彼女の活躍は、多くの黒人女性に夢と希望を与えていると言えるでしょう。ステンレスタンクで発酵後、100%フレンチオークで14ヶ月熟成。シナモンや熟したプラムの香りがあり、豊かな果 実味と樽のバランスの良い、エレガントで綺麗な仕上がりのワインです。サイトなどで紹介されている、カルメンさんのワインのティスティング・プレゼンテーションは実にユニークで、しかも理にかなったもの。ワインの一つ一つのニュアンスを目で見て、そして舌でも分かるように、お皿にオレンジ、ライム、アプリコット、チョコレート、シナモンなどの果 物やハーブを綺麗に並べて、これらをつまみながらワインをテイスティングするのだそうです。人に伝えたいという気持が素直に現れたプレゼンテーションだと思います。非常に上品なメルローで、わずかに新世界のチリなどに見られる青いハーブのような香りがある、なめらかな味わいの赤ワインでした。  
 「ガーディアン・ピーク・フロンティア」は醸造所を一望するステレンボッシュ山脈の最も高い峰の名です。1694年設立のラステンフレーデ社によるワインで、このメーカーのワインはネルソン・マンデラ大統領が1994年のノーベル平和賞晩餐会で選んだことでも知られています。熟したダークベリーと香ばしいモカ、そしてエキゾチックなスパイスのフレーバーが見事に調和したワインです。アフリカの野生ライオンの保護のために売り上げの一部が寄付されるということで、これはもう皆で飲むしかあるまい、と思いアイテムに加えさせて頂きました。カベルネが主体ですが、シラーの風味が強く感じられ、ある種野性的な、エスニックな味わいの赤ワインに仕上がっていました。  
  「モイプラース・ピノタージュ」は、まさに南アフリカ独自の品種、北フランスのピノ・ノワールと南フランスのサンソーを交配して造られたピノタージュを使用しています。元々発育が早く、病害にも強いということで栽培されてきた品種ですが、中には果 実味が強くしっかりした味わいのものもあり、なかなかあなどれません。モイプラースとは「美しい庭園」という意味。ワイナリーの歴史は1704年まで遡りますが、1963年からルイス・ルー家の所有となり、栽培から熟成までを家族で管理しています。濃い赤紫で、ドライフルーツのような凝縮した甘い香りがあり、まろやかに溶け込んだタンニンと、コクのある果 実味が特徴的です。軽やかなピノ・ノワールよりもジューシーなサンソーの個性がより強く現れているように思われました。
 今回は最後に、おまけとしてシラー主体の「ガーディアン・ピーク・SMG」も飲ませて頂きました。カベルネ主体のものと比べて、さらにシラー独特のスパイシーな風味が強調されていて、ある意味よりアフリカらしいワインでした。
 

5.南アフリカワインの歴史
300年頃 赤道付近に住むバンツー系諸民族が南アフリカに移住
1652年 オランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックがケープに上陸
1657年 オランダ人がケープに定住、アフリカーナと呼ばれる
1659年 最初のワインが生産される
1688年 ユグノー(フランス人新教徒)がケープに移住
1795年 イギリス、ケープ占領。アフリカーナとイギリス人(同じ白人同士)の対立
1838年 ブラッドリバー(血の川)の戦い。アフリカーナとバンツー系民族との対立
1856年 ナタール、イギリス植民地となる。海岸沿いのケープ・ナタールはイギリス領、内陸部のトランスバール共和国・オレンジ自由国はアフリカーナ領となる
1861年 イギリスがフランスワインへの関税障壁を撤廃、南アフリカワインは市場を奪われる
1872年 トランスバール東部にて金の発見。ヨハネスブルクの誕生
1880年 第1次ボーア戦争
1899年 第2次ボーア戦争
1902年 ボーア戦争終結、イギリス、トランスバール共和国・オレンジ自由国を併合
1918年 KWV(南アフリカワイン醸造者協同組合)設立
1961年 アフリカーナの台頭とイギリス連邦からの脱退。南アフリカ共和国の発足
1973年 原産地統制呼称(W.O.=Wines of Origin)制定
1976年 ソウェト蜂起(高校生を警察が銃撃)
1990年 ネルソン・マンデラ釈放
1991年 アパルトヘイト撤廃、国際社会への復帰
1994年 南アフリカ総選挙、ネルソン・マンデラ大統領就任
1997年 KWVの会社化(South Africa Wine Industry Trust)
1999年 南アフリカ総選挙、ターボ・ムベキ大統領就任

 南アフリカの歴史は、ダイヤモンドや金の発見が逆に人種差別を助長してしまうという、不幸な側面 を持っていましたが、そこには単なる白人対黒人という単純な構図にはとどまらない、さらに複雑で錯綜した対立関係がありました。白人の側ではオランダ系とイギリス系の対立が、黒人の側にも民族間の対立があり、かつ混血のカラードや移住してきたインド人などが加わって、それぞれの層が異なる思想や主義に基づいて異なる政治団体を支持していました。
  ANC(アフリカ民族会議)に入党したネルソン・マンデラは、1963年に国家反逆罪で終身刑を宣告されます。1990年までの27年間投獄された後に釈放されたマンデラは、1993年にノーベル平和賞を受賞、1994年に大統領へと就任します。「南アフリカは黒人・白人を問わず、そこに住む全ての人々のものである」とする「自由憲章」に基づき、マンデラは他のアフリカの独立国とは異なり、黒人独裁の道を敢えて選択しませんでした。  

6.おわりに
 ある意味、ちょうどタイミングを合わせたかのように、横浜でアフリカ開発会議が開催され、5月17日からは映画「マンデラの名もなき看守」が公開されました。この作品は、元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラが唯一自らの映画化を認めた作品とのことです。どちらかというと真面 目な、ドキュメンタリーのような内容なので、映画として傑作なのかどうかは少々判断しにくいのですが、南アフリカのアパルトヘイト時代の雰囲気を味わうことができるという点で、ぜひともお薦めしたい作品です。  
  アパルトヘイトは、当初異なる人種それぞれの文化を尊重し、それらが失われることを防ぐための隔離政策なのだという名目で始められたと言われています。全てが欧米の文化に染められてしまってはいけない、民族の文化を尊重せよ、というお題目はある意味それ自体珍しいことではなかったのですが、蓋を開けてみると、文化の尊重どころか人の命を何とも思わないような凄まじい差別 が横行することになってしまいました。居住区の中にそびえ立つ火力発電所から、白人達の住む町へ送電線が伸びているその下で、貧しい女性達が石炭の燃え滓を拾ってなんとか暮らしている……「南アフリカ〜『虹の国』への歩み」(岩波新書)には、そんな光景が象徴的に描かれています。映画の中でも、泣き叫ぶ黒人女性から、抱きかかえた赤ん坊が乱暴に引き剥がされて、道路へ放り投げられるというショッキングな場面 が登場します。  
  民族固有の文化を守り、他を排除する……我々の文化は数えきれないほどの年月を経て完成させたものなのだから、他所者が簡単に乱入してもらっては困る……クラシック音楽の世界でも、国技の相撲の世界でも、はたまたワインの世界でも、どこかで必ずそういう話を聞くことがあります。そしてそこから、ユダヤ迫害や黒人排斥、日本にもある差別 に至る道は決して遠くはありません。そんなことに目くじら立てるなんてつまらない、美味しいものは、誰が作っても、誰が食べても美味しいじゃないか……そう言い切ることは、意外と多くの人々にとって難しい事なのかも知れません。
  自身は酒をたしなまなかったマンデラですが、「自伝・自由への道」(NHK出版)によれば、その囚人生活の最後の段階で、ワインにまつわるささやかなエピソードがあります。マンデラが最後に収容されたのは、ケープタウンの北東にある著名なワイン生産地パールにあるヴィクター・フェルスター刑務所で、そこは牢獄というよりも台所やプールまで備えた矯正施設でした。引越祝いにケープ・ワインが1ケース届けられたそうです。客を迎える時にはワインを出すようにしていたマンデラですが、彼を世話するアフリカーナの元看守、スヴァルト准尉は良い顔をしません。マンデラの指定する甘口ワイン、パールのニーダーバーグは安物で美味しくないのだというので、それならば実験してみようと弁護士の友人達が訪れた時いつもの甘口ワインと辛口ワインを並べて出すことにしました。「客達は迷わず辛口ワインを選び、スヴァルト准尉はにんまりとした」とマンデラは自伝の中で締めくくっています。  
  何故これが心温まるエピソードなのかというと、スヴァルト准尉は最初、肉体労働に従事していた囚人時代のマンデラを虐待していたという過去があるからです。アフリカーナ達にとって、独立運動を指揮するマンデラ達は単なるテロリストに過ぎませんでした。それだけ離れた立場にいた二人が、最後にはワインを巡って無邪気に賭けをするところまで打ち解けることができたということは、南アフリカの歴史を知る人にとっても、またワインを知る人にとっても、非常に印象的な一場面 に違いありません。

<今回の1冊>
 
ネルソン・マンデラ「自伝・自由への長い道(上・下)」NHK出版
 映画「マンデラの名もなき看守」を観た後に急いで買って流し読みしたので、内容を深く理解したとはまだとても言えない状況ですが、投獄から釈放へと至る道が、映画と比べてもそれほど平坦ではなかったことは確かなようです。獄中にあるマンデラを支え続けたウィニー夫人、アパルトヘイトを撤廃しマンデラを釈放したデクラーク大統領との関係も、最後までめでたしめでたしという訳には行かず、物事はそれほど一本調子には進まないと言えばそれまでかも知れません。しかしその一方で、この本を構成するさまざまな心揺さぶられるエピソード一つ一つの積み重ねが、さながら万華鏡のように、人間社会そのものの渾沌とした有様を映し出しているように思われます。


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