Via Vino
No. 28 "Wine and Modern War"<ワインと近代戦争>
<日時・場所>
2009年10月10日(土)12:00〜15:00 丸の内「エスカール・アビタ」
参加者:18名
<今日のワイン>
イスラエル・白・辛口「ヤルデン・シャルドネ2006年」
レバノン・白・辛口「シャトー・ミュザール1996年」
イスラエル・赤・辛口「ヤルデン・メルロ2004年」
グルジア・赤・辛口「ナパレウリ・タマダ1997年」
レバノン・赤・辛口「シャトー・ケフラヤ2002年」
<今日のランチ>
アラブ風オードヴル ドルマ(詰め物)
鶏肉のケバブ
羊肉とインゲン豆の煮込み
1.はじめに〜「絶え間ない紛争が続く、ワイン生誕の地」
●世界最古のワイン地帯、グルジア
●古代フェニキア人の故郷、レバノン
●紛争の絶えない葡萄と蜂蜜の地、イスラエル
昨年4月、第16回「ワインと戦争」で、第2次大戦下のフランスワインの生産者達の苦難の物語を取り上げましたが、今回はその続編とも言うべき、「ワインと近代戦争」がテーマです。第2次大戦は終わりましたが、戦争自体がそれで終わった訳ではありません。戦争は今も続いており、ワインと戦争の物語も、引き続き現代まで受け継がれているのです。
手塚治虫の後期の作品に、「アドルフに告ぐ」という長編があります。第2次大戦下、戦争に翻弄された3人のアドルフの運命を描くこの物語の、最後の舞台はレバノンです。親友だったドイツ人とユダヤ人の少年は、やがて敵味方に分かれて対立することになります。ユダヤ人差別の反動は中東の紛争にまで持ち越され、友情は憎悪へと変わり、殺し合いの連鎖が続くことになります。第2次大戦終結で締め括られてもおかしくはないこの物語が、敢えて中東戦争にまで続いていくところに、作者の強いこだわりが感じられます。
第2次大戦という世界中を巻き込んだ未曾有の戦禍の中に、ワインにまつわる感動的なエピソードが数多く生まれたのなら、今も続く近代戦争も、ワインの世界と無縁である筈がありません。
今回は、世界の中で、今も激しい紛争が絶えない地域をピックアップしてみました。昨年の北京オリンピック開催の時にロシアと戦争を始めたグルジア、3年前に隣国レバノンに侵攻したイスラエル…これらの地は、複雑で過酷な歴史を背負い、これからも平和への見通しが不透明な紛争国家ですが、一方で非常に興味深いことに、いずれもワイン造り発祥の地として知られています。グルジアは黒海とカスピ海に挟まれ温暖な気候とコーカサス地方の石灰質土壌に恵まれており、レバノンとイスラエルは古代フェニキア人の故郷で、乳と蜜の流れる地カナーンとして知られていました。
恵まれた土地であればこそ、その所有権を巡って争いが生じます。ワイン発祥の地は、まさに戦争発祥の地でもありました。グルジアはペルシャ帝国と東ローマ帝国の間で引き裂かれ、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三つの宗教の聖地とされるエルサレムは、中世の十字軍から近代の中東戦争に至るまで、常に戦争の引き金となってきました。
2.紛争地のワイン生産について
【グルジア】
ヨーロッパのワイン用葡萄品種が石灰質土壌を好むのは、元々葡萄が石灰質の豊富なカフカス(コーカサス)地方原産であることに由来すると言われています。その意味で、黒海とカスピ海に挟まれ、カフカス山脈南麓の谷に多くの葡萄畑を有するグルジアは、まさに世界最古のワイン生産地と言えるのです。 紀元前数千年にもさかのぼる時代に栽培された葡萄の品種が発見されており、ルカツィテリやサペラヴィなど、この地独自の品種は約500種類にも及ぶと言われています。 この地では大壺を地中に埋め、その中で3〜4ヶ月かけて葡萄を発酵・浸漬させるという前古典的醸造法がいまだに守られています。同じ型の三千年前の大壺が発掘された例がありました。西部のイメレチでは、古式醸造した後にアルコールを加えて度数を高めており、南部の首都トビリシの南に広がる平地のカルトリでは、親しみやすいワインを生産しています。より湿潤な北部のラチャ・レシュクミでは、土着品種から甘いワインを生産しています。 グルジア名物の酒は葡萄からつくったチャチャとよばれるウォッカで、これを昼夜問わず飲むそうです。ヨーグルトや果物ジュースも山間部を中心によく飲まれており、主食は山羊や羊の肉を使った料理です。ワインと並んでグルジアの紅茶は世界3大銘茶のひとつとして知られています。
【レバノン】
東地中海に面し、「中東の宝石」と呼ばれたレバノンは、イスラエルと共に古代では葡萄と蜂蜜の地カナーンとして知られていました。聖書の登場人物ノアが住み、初めてワイン生産が行われた地域の一つです。晴天に恵まれ、ワイン用葡萄栽培に必要な条件を全て備えています。各国にワイン造りを広めた古代フェニキア人の故郷とされていますが、イスラムに征服されてからワイン醸造は忘れられたままとなっていました。 第一次大戦後はフランスの委任統治下に入り、第二次大戦後に独立した後もフランスとの緊密な関係は続いています。東地中海を代表するワインとして、内戦の続く中ワイン造りを続けたシャトー・ミュザールが知られています。
【イスラエル】
栽培面積はレバノンの半分に過ぎませんが、レバノン以上のワイン輸出国として知られています。ユダヤ祭式向けのコーシャ・ワインが中心でしたが、1980年代以後、冷涼なゴラン高原に、国際品種と醸造技術が導入され、ゴラン・ハイツ・ワイナリーのヤルデンを筆頭に、高品質なワインが造られるようになりました。 なお、ゴラン高原は1967年第3次中東戦争以後不当占領している土地でもあり、シリア政府はこれに対して現在も抗議を続けています。
3.白ワイン
まず白ワインのテイスティングです。シャルドネで造られたイスラエルの「ヤルデン」と、レバノンの地場品種で造られた「シャトー・ミュザール」です。
「ヤルデン・シャルドネ 2006年」(タイプ:白・辛口 品種:シャルドネ100% 産地:イスラエル)を造るゴラン・ハイツ・ワイナリーは1983年、葡萄品種の生育に最適であるといわれているゴラン高原にある小さな街カツリンに誕生しました。火山灰の土壌は優れた水捌けの良い土地であり、気候は比較的涼しく栽培期間も長く、夏季には灌漑による水が得られます。最先端を行く科学技術と伝統的な醸造法を組み合わせることにより高品質なワインを多く造り出しており、数々の賞を受賞するなど国際的に高い評価を受けています。熟した洋ナシ、林檎、パイナップル、柑橘の風味が、オークとヴァニラの個性と重なり、芳醇なバターの風味が感じられます。熟した果物のような香りがバランスよく調和し、凝縮されたコクのあるボディーと、複雑で上品な余韻が印象的です。フレンチオーク(50 %新樽+50%約2年樽)で発酵、シュール・リーで7ヵ月熟成させています。
「シャトー・ミュザール1996年」(タイプ:白・辛口 品種:オベイデ、メロワ 産地:レバノン)は、レバノン・ベッカー渓谷の海抜1000メートルの高地に畑を所有し、 35hl/haという低収量でブドウを栽培しています。畑は、周囲の山々のお陰で霜害とは無縁で、気温は年間を通して平均25℃、 長く穏やかな気候の夏と、年間雨量500mmの雨期の冬という 理想的な環境に恵まれています。赤ワインには、カベルネ・ソーヴィニヨン、サンソー、カリニャンといったフランス系品種が使われますが、白ワインには、それぞれシャルドネとセミヨンの原型種と言われているオベイデ、メロワというレバノン地場品種を使用、素晴らしいフィネスを持ったワインに仕上がります。色合いはさらに濃く、黄金色に輝いており、香りは非常にユニーク、10年以上の熟成を経ているため、乾燥イチジクやドライフルーツのような独特の風味がありました。
4.近代戦争について
グルジアは、1991年のソ連解体に伴い、グルジア共和国として独立を果たします。しかし政局は不安定で、2004年に「国民運動」党が選挙で勝利し、親米派のサアカシュヴィリ政権が発足すると、2008年には独立の機運が高まる南オセチアを巡って北京オリンピック開催時にロシアと戦争が起きました。軍隊は引き揚げたものの、ロシアとは断交状態にあります。ちなみに日本語名の「グルジア」はロシア語名に基づくもので、英語名のGeorgiaと同じく、キリスト教国であるグルジアの守護聖人、聖ゲオルギウスの名に由来するとされています。なおグルジアを意味する英語名は、アメリカ合衆国のジョージア州とスペルおよび発音も同一です。2009年3月、グルジア政府は、日本語における国名表記を現在のロシア語表記から英語表記「ジョージア」へ変更するよう要請しています。それにしても、「ジョージア」とは…日本では缶コーヒーの名前になってしまいますが…。
レバノン は、歴史的にはシリアの一部でしたが、山岳地帯にキリスト教徒達が住み着き、第1次大戦後はフランスの統治下にあったこともあって、比較的キリスト教徒の比率が高く、第2次大戦後に独立してからは、観光地として大きく発展しました。しかし、1970年代にそのバランスが崩れ、パレスチナゲリラは小国レバノンに流れ込み、シリアとイスラエルが衝突する内乱の地となってしまったのです。1996年にイスラエル国内で連続爆弾テロが発生、レバノンの過激派ヒズボラの犯行と断定したイスラエル軍はレバノン南部を空襲します。これは「怒りの葡萄作戦」と呼ばれました。イスラエル軍は2000年に南部から撤収しますが、2006年7月にヒズボラがイスラエル兵士2名を拉致、イスラエル軍は報復としてレバノンに侵攻、レバノン政府は軍の攻撃による死者が1000人に達したと発表しています。
5.赤ワイン
次に赤ワインのテイスティングです。イスラエルの「ヤルデン」、グルジアの「ナパレウリ・タマダ」、そしてレバノンの「シャトー・ケフラヤ」です。
「ヤルデン・メルロ 2004年」(タイプ:赤・辛口 産地:イスラエル 品種:メルロ85%、カベルネ・ソーヴィニヨン14%、カベルネ・フラン1%)
ヤルデンの赤は、濃縮感、優雅なタンニン、しなやかさ、といった特徴を持っていますが、メルロもまた例外ではなく、熟したベリーやプラムの香りがオークやヴァニラ香と層をなし、またオレンジ、クローブ、チョコレート、さわやかで新鮮なハーブなどの香りを持っています。フルボディで、長く複雑なフィニッシュは、ベリー、オレンジ、オークの香りを伴います。フレンチオークの樽で、18ヶ月熟成させています。メルロは中華料理などスパイシーな料理に合うと言われますが、実際鶏肉のケバブと合わせてみると、ケバブのクミンの風味との相性が非常に良いことが実感できました。
「ナパレウリ・タマダ1997年」(タイプ:赤・辛口 品種:サペラヴィ 産地:グルジア)
美しいダークルビーの色合いと柔らかく豊かなブーケが特徴の辛口赤ワイン。サペラヴィ種は、グルジア独自のブドウ品種で、なめらかなタンニンの味と色が満ち溢れています。複雑な味覚とフレーバーを加えるためにワインはブレンドされ、3年間オーク樽の中で熟成されます。グルジアとオランダの出資によって1994年に創業したGWS社は、このナパレウリを製造する数少ないワインメーカーの一つで、国際コンクールにおいて金メダル6つと銀メダル2つを受賞しています。「タマダ」とは、グルジアで宴会のリーダーのこと。グルジアを訪れた外国人は、もてなし好きの人々に囲まれ、その開放的な雰囲気に驚いたといいます。グルジアでは、いくら飲んでもきちんと宴会をぶち、自分の考えを述べることができる健康的で強靱な肉体と精神が求められるのだそうです。実際に飲んでみると、ジンファンデルのような野性味のある味わいがあり、酸も比較的強く、10年以上の熟成を経ているにも関わらず、力強い果実香が後まで残りました。
「シャトー・ケフラヤ2002年」(タイプ:赤・辛口 産地:レバノン 品種:カベルネ・ソーヴィニヨン、シラー、サンソー、ムールヴェードル)
シャトー・ケフラヤはレバノン最大のワイナリーです。内戦の際も銃弾の飛び交う中ワインを造り続けたレバノンの復興を象徴するワインです。首都ベイルートの南東約30キロ、国土の中心に広がるベッカー高原の南の、標高900〜1100メートルの見晴らしの良い斜面で1951年からぶどう栽培を始めたミッシェル・ド・ビュストロス氏は、1970年にカーヴを作って本格的にワイン生産を開始しました。色は美しいガーネット色で、香りはカシスに加え、花と若干の動物香が感じられます。果実味にあふれた味わいで、やさしいタンニンが印象的です。余韻には息の長い酸と穏やかな甘さの心地よい絡み合いが感じられます。ボディがあり、レーズンのようなまろやかさがありました。中東らしく、羊肉とインゲン豆の煮込みとの相性を楽しむことができました。
6.グルジア、イスラエル、レバノンの歴史
BC1241年 モーゼの出エジプト
BC11世紀頃 パレスチナの地に古代イスラエル王国誕生
4世紀 グルジア、キリスト教を国教化
6世紀 西グルジア(コルキス王国)は東ローマ帝国の、東グルジア(カルトリ王国)はペルシャ帝国の支配下に置かれる
636年 イスラム、エルサレムを占領
1089年 グルジア統一王国に。その後東ローマ帝国支配下へ
1095年 クレルモン宗教会議〜エルサレムへ十字軍派遣
1857年 イエズス会、レバノンにクサラのセラーを構築
1873年 グルジア、ロシアに併合
1882年 ロスチャイルドのエドモン男爵、イスラエルに喜捨
1930年 レバノンにシャトー・ミュザール設立
1943年 レバノン、フランスから独立
1947年 ユダヤ人国家建設の国連決議
1948年 イスラエル建国宣言、第1次中東戦争
1981年 イラン・イラク戦争
1991年 湾岸戦争、グルジア独立
2006年 イスラエルのレバノン侵攻
2008年 南オセチア紛争(ロシア・グルジア戦争)
西アジアの北端にあるグルジアは、紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャに、紀元前1世紀には古代ローマに支配されます。その後東西に分裂、6世紀には西グルジアは東ローマに、東グルジアはペルシャに支配されますが、その後アラブに併合、9世紀にアラブから解放された後に統一王国を築きますが、またも東ローマ帝国の支配下に置かれます。その後もモンゴル、オスマン、ロシアなどに支配され、ソビエト連邦に加盟することとなります。かのスターリンはグルジアの出身であり、共産党員の割合が最も高い国でもありました。そのことが、1991年の独立後にも大きな影響を与え、政局不安の一因となっているのです。ロシアにとってグルジアは、カスピ海の原油を確保し、南の玄関口である黒海へと連なる要衝として重要な地であり、グルジア国内の民族問題に関与することで影響力を強めようとしています。
パレスチナの地に古代イスラエルが誕生したのは、紀元前11世紀のこととされていますが、その後王国は分裂、ユダヤ人達は新バビロニア、マケドニア、古代ローマの支配に屈し、その民族は各国へ離散、20世紀に現代イスラエルが建国されるまで、長い時間が流れたのです。その間、ユダヤ教から派生したキリスト教、イスラム教との対立が、その立場を非常に厳しいものとし、様々な差別や紛争に苦しめられることになります。
アッシリア、マケドニア、古代ローマ、アラブに支配されたレバノンは、その山岳地帯に多くの少数派が逃げ込み、独自の共同体が生まれていました。第1次大戦後、キリスト教徒が多くフランスにとって統治しやすかったレバノン山地は、シリアから切り離されてフランス委任統治領レバノンとなったのです。レバノンは、マロン派キリスト教徒が政治の主導権を握り、比較的欧米やイスラエルとは協調的でした。しかし人口増加率の高いイスラム教徒がこれに挑戦するという情勢が続いています。レバノンもトルコも、その長い歴史を反映して、キリスト教世界とイスラム教世界の両方に属しており、その狭間で民族的にも、そして心理的にも分裂を招いてしまうのです。
7.おわりに
度重なる戦争は、土地も人々も疲弊させます。三十年戦争や普仏戦争の例を挙げるまでもなく、多くの豊かなワイン産地が地図から消えていきました。情勢が悪化する一方のグルジアやレバノンで、生産者達が歯を食いしばって育て上げた葡萄畑は、猛威を振るう破壊兵器の前に、明日にも吹き飛ばされてしまうかも知れないのです。 数十年もの間生き続け、接ぎ木で増えることができ、少ない水分と乾いた大地でこそ実を結ぶ葡萄は、それ故に永遠の生命の象徴となりましたが、一方で遺伝的に不安定で、異国からの訪問者である害虫フィロキセラによって絶滅の危機に瀕したこともあります。その強靱さも脆弱さも、どこか人間に通じるものがあるように思われます。
<今回の2冊>
城アラキ/松井勝法「ソムリエール」集英社
今連載中のワイン・コミックの代表格「神の雫」が、ひたすら先入観なく味わい表現することに特化していることに対して、もう一つの作品「ソムリエール」は、ワインの背景や歴史に対するアプローチがあり、マイナーな銘柄や生産国が多く紹介されています。「ソムリエール」には、今回取り上げたレバノンやイスラエルのワインも登場するところがユニークです。
第3巻には、「シャトー・ミュザール」が登場。レバノンに単身赴任して橋を架けた男のエピソードが描かれます。その橋を戦車が通り街を破壊しているのを見た男は無力感にかられますが、主人公は橋がなければこのワインも遠くまで運ばれることはなかったかも知れないと語りかけるのです。
第10巻には、「ヤルデン」を巡るエピソードも紹介されています。シリア出身のアーティストは、パーティの会場で、イスラエルのゴラン高原産のワインが供されたことに激怒します。ゴラン高原は第3次中東戦争以来イスラエルが占領してゴラン高原と名付けているだけだ、と。主人公は芸術もワインも、先入観を超え国境を超える物なのだと諭し、その場を収めるのですが、実際にイスラエルがこのワインを国連首脳陣に贈呈したことに対して、シリアが猛烈に抗議したことが知られています。