Via Vino No. 35 "Bourgogne & Bordeaux"<ブルゴーニュ&ボルドー>

<日時・場所>
2010年12月4日(土)12:00〜15:00 「アルヴィナール」 
参加者:20名
<今日のワイン>
白・辛口「ニコラ・マイエ マコン・ヴィラージュ2008年」
白・辛口「エール・ド・リューセック2007年」
赤・辛口「エルヴェ・シャルロパン マルサネ クロ・デュ・ロワ2008年 」
赤・辛口「シャトー・モン・ペラ2008年 」
<今日のランチ>
アミューズ
信州サーモンのテリーヌ 柚子のマーマレードソース
フランス産鴨の燻製、洋梨添え フルムダンベールソース
サツマイモのスープ
エゾ鹿のグリエ 赤ワインヴィネガーとハチミツのソース
マカロンのモンブラン

   


1.はじめに〜「最高のワインは、果たしてどちらか……?」

世界至高のワインを生産しようとせめぎ合う、対立する2つの文化。
文字通り天と地と人が造り出してきた、ブルゴーニュのテロワール。
まさに国や経済とのせめぎ合いの中で鍛えられた、グローバルなボルドー

「…本物のワインはボルドー地方にしかない。ワインはボルドー地方の産でなければまがいものだ。もちろんブルゴーニュにもワインはある! だが、あれときたらあまりにも血液じみて、例の循環がない。つまり、光が透ける時にワイン成分のおりなす、ああいった様々な様相の変化を目にできない。……だから、私にするとブルゴーニュ地方のワインを好む者は、言ってしまおう、みんな田舎者だ!」(ボルドー人フィリップ・ソレルス)

「薬用の使命、『病人用のワイン』という悲しい宿命は、喜んでボルドーのワインにゆだねてきた。こっちは『健康な人間』用に甘んじて」(ブルゴーニュの詩人ジャン・フランソワ・バザン)「以前はいつもボルドーのワインは、子供の頃に学校の生徒達が使っていたインクに似ていると思っていましたが、もう壮年になってるんだし、これからは喜んで少しは飲んでみます」(オータンの街のワイン商人)……以上、ジャン・R・ピット「ボルドーVSブルゴーニュ」(日本評論社)から。  

 なで肩のボトルと怒り肩のボトル、大陸性気候と海洋性気候、単品種ワインとブレンドワイン、ドメーヌ・ワインとシャトー・ワイン、「旅をさせない」宮廷御用達ワインと、海からイギリスへと運ばれた輸出用ワイン……非常に対照的な2つのワイン文化圏が競い合うことで、ある意味フランス独自のワインのスタイルが完成したと言えるのではないでしょうか。

2.白ワインのテイスティング

   

「ニコラ・マイエ マコン・ヴィラージュ2008年」(タイプ:辛口の白ワイン 品種:シャルドネ  産地:フランス/ブルゴーニュ)
「エール・ド・リューセック2007年」(タイプ:辛口の白ワイン  品種:セミヨン70%、ソーヴィニヨン・ブラン30%    産地:フランス/ボルドー)
   
 ドメーヌ・ニコラ・マイエがあるヴェルゼ村は、マコンの中でもヴィラージュを名乗ることのできる村の1つで、現在の当主ニコラは4代目に当たります。醸造学を修めた後、アルゼンチン、アメリカ、スペイン、スイスと世界中に渡ってワイン造りに携わり、1999年に本拠地マコンでワイン造りを始めました。畑面積は合計でわずか5.5ha、樹齢50年以上で、中には100年以上の古樹もあります。飾らない野性味を備えながら、芳醇さが口いっぱいに広がる、満足度の高いマコン・ヴィラージュに仕上がっています。シャープな酸味がありながら、しっかりしたボディがあるので、サーモンと野菜のテリーヌと素晴らしい相性が楽しめました。
 ラフィット・ロートシルト家がソーテルヌ地区においてシャトー・ディケムの隣に位置する畑で造る、格付第一級「シャトー・リューセック」の辛口白ワイン。リューセックの貴腐ワイン用のブドウ収穫が始まる前に、厳選して摘み取られたわずか30%のセミヨン種とソーヴィニヨン種から造られる、ソーテルヌを代表する辛口白ワインです。全体の20%前後を樽発酵することで、熟成のポテンシャルを高め、同時にブドウの持つフレッシュな果実味を大切にしています。ライチやマンゴー、パイナップル等のトロピカルフルーツ系の独特な香りが感じられ、辛口でありながらどこか甘い味わいが後に残りました。

3.赤ワインのテイスティング

  

「エルヴェ・シャルロパン マルサネ クロ・デュ・ロワ2008年」(タイプ:辛口の赤ワイン  品種:ピノ・ノワール    産地:フランス/ブルゴーニュ)
「シャトー・モン・ペラ2008年」(タイプ:辛口の赤ワイン  品種:メルロー80%、カベルネ・ソーヴィニョン12%、カベルネ・フラン8%  産地:フランス/ボルドー)
 
エルヴェ・シャルロパンは、1985年に父親が持っていた5haの畑とドメーヌを引き継ぎ、1998年に自社元詰めを始めたばかりですが、フランス国内では既に人気の高い生産者となっています。オーク樽で発酵と熟成を行っており、完熟度や凝縮感のある色合いがあります。グリオットやプルーンのような繊細でアロマティックな香りがあり、舌触りは滑らかですが、タンニンも豊かで全体として力強さを感じる濃密なスタイルのワインとなっています。シャープなベリーの風味が、エゾジカのしっかりした赤身と絶妙な相性を見せてくれました。
 デスパーニュ家が栽培面積16ha、平均樹齢約30年の畑から、1本当たり6〜8房まで収量を落とし、新樽100%で7ヶ月、その後ステンレスタンクで7ヶ月の熟成を経て瓶詰めした、凝縮した果実味と複雑さを兼ね備えた高品質なボルドーワインです。醸造責任者であるミッシェル・ロランの名声と、ロバート・パーカーの高評価を背景に、コミック「神の雫」掲載後日本でも大評判となりました。とろけるような甘味と、舌に絡みつく酸味が感じられる、パワフルでモダンな仕上がりの赤ワインです。非常に満足度の高いワインで、そのどこか甘い風味がヴィネガーと蜂蜜のソースと非常にマッチしていました。

4.ジビエについて
 ジビエ(仏: gibier)とは、狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣のことです。本来はハンターが捕獲した完全に野生のもの(仏: sauvage、ソバージュ)を指しますが、飼育してから一定期間野に放ったり、また生きたまま捕獲して餌付けしたものもドゥミ・ソバージュ(仏: demi sauvage、半野生)と呼び、ジビエとして流通しています。今回はもっとも一般的な、エゾジカのグリエを用意しましたが、中にはかなりクセのある味わいのものもあります。

シカ(シュヴルイユ)  
 クセの少ない淡白な赤身肉です。エゾ鹿肉のカロリーは、牛肉・豚肉に比べて約3分の1、タンパク質はおよそ2倍。脂質は10分の1以下、鉄分は3倍と栄養面でも優れており、もっともヘルシーな食肉だと言われています。

イノシシ(サングリエ)/仔イノシシ(マルカッサン)  
 日本でも古くから食用にされ、肉の色から「ぼたん」とも呼ばれます。木の実を豊富に食べた11月下旬から、発情期を迎える12月下旬までが最も美味とされます。フランスでは特に生後3〜6ヶ月の仔イノシシをマルカッサンと呼んで珍重します。

野ウサギ(リエーヴル)/ウサギ(ラパン)  
 フランスでは「ジビエの女王」と呼ばれ、生後3〜8ヶ月が美味とされます。独特のクセがあり、丸ごと煮込んだロワイヤルと呼ばれる調理法が代表的。家畜のウサギはラパン(雄)/ラピーヌ(雌)と呼ばれ、より淡泊な味わいとなっています。

マガモ(青首鴨・コルヴェール)/アヒル(カナール)  
 雄の頭部は光沢のある美しい緑色で、青首と呼ばれますが、雌の方が脂肪層も厚く濃厚な味となります。血の色が濃く、野性味のある味わいです。アヒルは鴨が野禽化されたものですが、ドゥミ・ソバージュとして扱われています。

ヤマウズラ(ペルドロー/ペルドリ)  
 生後1ヶ月以下の、肉の柔らかい若鳥をペルドローと呼び、それ以上をペルドリと呼んで区別します。体長は30cm以上あり、日本のウズラよりも大型です。肉は白身であっさりとしていますが、コクと旨味が多く代表的な鳥のジビエとされています。

キジ(フェザン)  
 日本の国鳥でもあり、肉は美味でしかも捕りやすいので、先史時代から飼育もされ、宮中の御膳には欠かせない食材とされてきました。ヨーロッパに伝えられたのは16世紀以後で、その名は料理の前に7〜10日ほど冷所につるして熟成される「フェザンタージュ」の由来となっています。

ライチョウ(グルーズ)  
 日本では天然記念物となっていますが、フランスでは一般的なジビエとなっており、スコットランド産の物は日本でも食べることができます。赤身の肉は独特の風味と苦味を持っています。

ヤマシギ(ベキャス)  
 水辺に棲むため独特の風味があり、特に内臓が珍重され、合わせて調理されます。フランスでは「ジビエの王」と呼ばれていますが、乱獲されたためフランス産の物は取引が禁止されており、スコットランド産やベルギー産が流通しています。

5.ブルゴーニュとボルドーの歴史
 
1108年 シトー派修道院、「クロ・ド・ヴージョ」建立
1146年 聖ベルナール、ヴェズレーで第2次十字軍の決起を促す
1152年 アンリ2世とアキテーヌのエレノアとの結婚
1154年 アンリ2世は英国王ヘンリー2世となり、ボルドーは英国領に
1214年 失地王ジョンの譲歩により、ボルドーワインの免税特権
1338年 百年戦争始まる(〜1453年)。
1395年 ブルゴーニュ公国フィリップ、ガメ種を禁止する
1453年 ボルドーはフランス領になるが、ボルドー特権は維持される
1760年 コンティ大公によるロマネの買収
1789年 フランス革命、貴族領地没収
1804年 ナポレオン法典による土地の細分化
1855年 ナポレオン3世の時代、パリ万博でのボルドー格付け」
   
 ブルゴーニュもボルドーも、古代ローマ時代の終わりには既にワインの主要生産地でした。ブルゴーニュにワインを伝えたのはジュリアス・シーザー、ボルドーに伝えたのはライバルのクラッススとされています。ブルゴーニュは百年戦争の頃にはブルゴーニュ公国として栄え、さらにその昔にはブルグンド王国として、「ニーベルングの歌」を始めとする神話を生んでおり、ある意味本家フランスよりも隆盛を誇っていました。バーガンディというイギリスでの呼び名も、このブルグンド王国に由来します。キリスト教が支配的になると、修道院がワイン造りを推進していきます。ブルゴーニュの特級畑もこの修道士達によって、石灰質土壌を多く含む土地が慎重に選ばれ、開墾されていきました。

 さて、そんな中、シトー派の聖ベルナールが、ブルゴーニュの町ヴェズレーで第二次十字軍の決起を促したのが1146年のこと。これに感化されたフランス王ルイ7世が、十字軍に参加し、同時にそれに付いて行くのを嫌がったエレノアと離婚。ボルドーを領有するアキテーヌ公国のエレノアは、アンジュー伯アンリ・プランタジュネと再婚しますが、このアンリが英国王ヘンリー二世となったために、広大なボルドーの土地はそのまま英国領となりました。ブルゴーニュとボルドーの因縁はまさにこの頃から始まるわけです。この当時、そもそも国境という意識もなく、王家の人間達が親子・親戚で領地争いをしていただけなのですが、結果としてボルドーでは英国式の長子相続が採用され、広大な土地が分割されずに残りました。

 一方、ブルゴーニュ公国はイギリスと結んでパリを押さえていたほどでしたが、結果としてはアルマニャック党と和解して、その後フランス王国に組み込まれていきます。この間、領主であるブルゴーニュ公フィリップは、不味いという理由でピノ・ノワールの三倍の収量が得られるガメ種の根絶を宣言しています。ボルドーでは品種の違いなど意識もしていなかった時に、既に領主がこのようなこだわりを持っていたことに驚かされますが、時代が下って、フランス革命と同時に王侯貴族のブドウ畑は没収、ナポレオン法典によって長子相続が廃止されると、ブルゴーニュの畑はさらにバラバラになっていきます。この現象は今日まで続き、結果としてわずか8haのモンラッシェの畑に、10以上の生産者の造るワインが存在することになります。それぞれの生産者は醸造法、清澄・濾過の有無、熟成期間が異なるため、同じ畑のワインなのにその仕上がりは千差万別、結果として数倍以上の価格差が生じることになるわけです。

 ナポレオン三世の時代になると、パリ万博に合わせてボルドー・メドックの格付けが行われました。この格付けは一部を除いて百年以上の間変わっていません。ちなみに、ボルドーの「オー(eau)」は水を意味し、「水に囲まれた」土地を意味します。17世紀までのメドックは、海側に張り出した大湿地帯でしたが、新世界との交易から貿易都市ボルドーに流れ込んだ金は、オランダ人技師達によって、メドックの干拓と造成に費やされました。18世紀末には、メドックの葡萄園は既に完成され、現在の高級ワイン産地という名声を確立していました。一方、交通の便の悪いブルゴーニュのワインは、パリの王室で古くから親しまれていたとは言え、海外どころか国内でも殆ど出回ることはありませんでした。「ワインは旅をさせるな」というのはあくまでブルゴーニュワインのことだと言われます。。

<今回の1冊>
 
 ジャン・R・ピット「ボルドーVSブルゴーニュ」(日本評論社)
 ボルドーとブルゴーニュ、今やあらゆるワインが日常的に愉しまれている中で、あえて昔ながらの二大産地のライバル関係を題材に取り上げているところが逆に新鮮です。歴史的な逸話を豊富に紹介してくれており、実際のところ、その嗜好性も製造法も歴史的背景も、ある意味対極にある二大ワインであることをあらためて教えてくれます。


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