Via Vino No. 41 "France vs America"<フランスvsアメリカ>

<日時・場所>
2012年1月14日(土)12:00〜15:00 丸の内「エスカール・アビタ」 
参加者:16名
<今日のワイン>
白・辛口・発泡性「シャンパーニュ・ムータルディエ・キュヴェ・カルト・ドール」
白・辛口「シャトー・モンテレーナ・シャルドネ 2009年」
白・辛口「ジョセフ・ドルーアン・ボーヌ・クロ・デ・ムーシュ・ブラン2009年」
赤・辛口「スタッグスリープ・ワインセラーズ・フェイ  2007年」
赤・辛口「シャトー・モンローズ 2007年」
<今日のランチ>
オードヴル盛り合わせ (海老とアボガドのタルタル、ロースハムのムース他)
サーモンムニエルクリームソース トリュフ風味
仔羊のロースト と 鶏もも肉のグリル

  


1.はじめに〜「1976年パリ・テイスティング」

●ブラインドテストでアメリカワインがフランスワインに勝利した日。
●伝統とテロワールの世界から、国際化と評価点の世界へ。
●ワインの均一化か、それともワインの発展か。
 
 業界のプロ達のブラインド・テイスティングにおいて、無名で樹齢の若いカリフォルニアワインが、名だたるフランスのボルドー、ブルゴーニュワインを打ち破ってしまった1976年の「パリ・テイスティング」。あくまで販売店とワインスクールの宣伝のために企画されたこの試飲会は、あまりにも意外な結果と受け止められたために、その後数十年にわたって議論を巻き起こすことになったのです。
 それまでフランスを中心としたヨーロッパの歴史と伝統に強く結びついた、詩的で閉鎖的だったワインの世界は、新世界へと波及し、このイベントをきっかけに、客観的な評価のもとにグローバルに取引される物へと変化したと言えるのです。
 地元フランスでこそ真価を発揮するとされた葡萄品種は、条件さえ揃えば、全く気候の異なる新世界の地でも素晴らしいワインを作り出すことが証明されました。結果として、世界各国で同じフランス由来の品種が栽培され、マイナーな品種が駆逐されてしまう状況を生み出した訳ですが、一方で規制に縛られた格付けの世界から、より開放的で自由な選択が許されるようになったとも言えるのです。

 今回は、この「1976年パリ・テイスティング」をテーマにした映画「ボトル・ドリーム」(原題「ボトル・ショック」)を紹介しながらのワイン会。フランスのワイン業界に何とか食い込もうとする、アラン・リックマン扮する英国人スパリュアが、ブラインド・テイスティングを企画し、倒産寸前のシャトー・モンテレーナで奮闘する親子が、紆余曲折を得ながらやがて栄光を勝ち取るまでを描いています。
 内容からしてフランスの協力は受けていないと思われるアメリカ映画なので、本来パリのインターコンチネンタル・ホテルで行われたはずのテイスティングが、どう見ても同じアメリカの田舎にしか見えない「バリ郊外」にてオープン・スペースで行われる、というのはご愛敬ですが、1970年代の音楽などが使われていて、当時のアメリカ、カリフォルニアの雰囲気が味わえます。

 

2.カリフォルニアのワイン産地について 

 アメリカのワインの約90%が西海岸のカリフォルニア州で生産されています。他の生産地は、ワシントン州やオレゴン州などの北部太平洋岸と、東部のニューヨーク州を中心とした地域に限られています。建国当初から、アメリカ全土でワイン用葡萄栽培が試されましたが、地場品種はフォクシーフレーバーが敬遠され、ヨーロッパ品種はアメリカの害虫フィロキセラに耐性がなく、東海岸側で多くのワイナリーが次々と挫折していく中、地中海性気候でヨーロッパ品種との相性が良く、フィロキセラも生息していなかったカリフォルニアは、1850年代から急速に発展してきたのです。

【ノース・コースト(ナパとソノマ)】  
 サンフランシスコ以北の海岸線に近いエリアで、最高級ワインの生産地がひしめき合っています。特に有名なのがナパとソノマで、多彩な地質が混じり合う土壌と、冷涼な気候によって、旧世界の銘醸地に優るとも劣らない優良なワインを生み出しています。  ナパとは現地のワポ族インディアンの言語で、“豊潤の地”という意味。初期の開拓者の一人であるジョージ・ヨーントが1838年にナパに初めて葡萄を植栽。1966年のロバートモンダヴィ・ワイナリーの創立によりナパヴァレーのワインは世界中に知られるようになりました。  その隣のソノマの歴史はさらに古く、1812年、太平洋沿岸のフォート・ロスにて、ロシア系殖民によって最初に葡萄が植えられました。1857年、カリフォルニアワインの父とも言われるハンガリー人のアゴストン・ハラスティ伯爵が、ソノマに葡萄畑を購入し、ブエナ・ヴィスタと改名して以来、高品質なワイン産地として定着しています。

【セントラル・コースト(サン・ベニートとサンタ・バーバラ)】
 サンフランシスコからロサンゼルス北方までの海岸に近いエリアで、霧や海流の影響で気温は低く、内陸は乾燥気候となっています。モンテレー湾とポイント・コンセプションの間の海岸部が中心で、サンタクルーズ郡、サン・ベニート郡、モントレー郡、サンルイスオビスポ郡およびサンタ・バーバラ郡に掛かっています。サン・ベニートとサンタ・バーバラは特に冷涼気候で育つ品種の銘醸地として知られていて、特にサン・ベニートのマウント・ハーランは、ピノ・ノワールで有名なカレラ・ヴィンヤーズのために設定された重要なAVAです。

【その他の地域】
 サクラメントやサン・ホアキンなどで知られる、カリフォルニア州の中央部を縦貫する最も暑い地域であるセントラル・ヴァレーは、大手バルクワインの生産地です。ネバダ州との境に近いシエラ・フットヒルズは標高の高い地域で、ジンファンデルが多く栽培されています。最も歴史のあるサウスコーストは、日常ワインの生産地です。

3.シャンパーニュ
 
  

「シャンパーニュ・ムータルディエ・キュヴェ・カルト・ドール」(タイプ:辛口の白・発泡性 品種:ピノ・ムニエ85%+シャルドネ15%  産地:フランス/シャンパーニュ)  
 まずオープニングはシャンパーニュで。珍しくピノ・ムニエが主体となる、バランスが取れている一方で非常にまろやかな味わいのシャンパーニュ。

4.白ワイン

   

 さて、今回は実際のパリ・テイスティグ大会にちなみ、白ワインと赤ワインを、それぞれブラインドで試飲して頂きました。一応候補となるワインの銘柄は提示しておき、2つのグラスのどちらが好きか、どちらがアメリカワインと思うかを答えて集計させて頂きました。ちなみに、白も赤も同ビンテージとなりました。
 まずは白ワイン。ブラインドでP、Qそれぞれを試飲。Pは香りも味わいも強く、インパクトがありボディもある、アルコール度高めのワインで、Qはそれに比べると香りも味わいも上品でソフト。後から徐々に香りが開く感じ。個人的には今飲むならPかなと思いましたが、人気投票では6:10でQの勝ち、なおかつ16人中12人がPをアメリカワインであると答えました。
 正解はPがシャトー・モンテレーナ、Qがドルーアン・クロ・デ・ムーシュ。同じシャルドネとはいえ、スタイルの違いは明らかで、この会に参加されている皆さんにとっては意外に判断しやすかったかも。1976年に白ワイン部門を制したモンテレーナの力強い味わいは印象的でしたが、ドルーアンの洗練された味わいもやはり卓越したもので、今ではこの勝負も簡単には決着しないかも知れません。

   

「シャトー・モンテレーナ・シャルドネ 2009年」 (タイプ:辛口の白ワイン 品種:シャルドネ  産地:アメリカ/カリフォルニア州 )
 伝説の1976年パリ・テイスティングにおいて、蒼々たるブルゴーニュ銘醸を迎え撃ち、見事圧倒的第一位に輝いた白ワインが、シャトー・モンテレーナのシャルドネ、1973年ヴィンテージです。その際のラベル産地表記は現在と異なり、“ナパ&アレキサンダー・ヴァレーズ”と記された複数形。ナパとソノマの両郡を代表する銘醸地で選ばれた果実がブレンドされていました。マロラクティック発酵により、バターやアーモンドを感じさせ、まるでスキムミルクのようなコクを持つ味わいに仕上がっています。

「ジョセフ・ドルーアン・ボーヌ・クロ・デ・ムーシュ・ブラン 2009年 」 (タイプ:辛口の白ワイン 品種:シャルドネ  産地:フランス/ブルゴーニュ)
 ジョセフ・ドルーアンは、ボーヌに本拠地を置くブルゴーニュの老舗で、ワインは歴史ある地下セラーで熟成されています。第一次大戦後モーリス・ドルーアンが家業を継いだ際、このクロ・デ・ムーシュを含めいくつかの畑を購入しました。第二次世界大戦でのモーリスの苦難の日々は、「ワインと戦争」の回でもご紹介した通りです。クロ・デ・ムーシュはボーヌ地区の南端に位置する一級畑で、ポマール村と接しており、白亜質の泥灰土に覆われた砂質土壌から、赤ワインと白ワインの両方を生産しています。

5.赤ワイン

 さて、次は赤ワインです。ブラインドでRとSを試飲して投票。Rは香りにやや青っぽさがあり、シャープな酸とタンニンの強さが、若くて凝縮感のあるワインであることを感じさせます。一方でSはベリーやチェリーを感じさせるフルーティな香りで、非常にバランスの取れたフルボディのワインでした。Rはまだ今飲むには早いかも、という印象でしたが、人気投票では9:7でRの勝ち、なおかつ16人中9人がSをアメリカワインであると答えました。
 正解はRがシャトー・モンローズ、Sがスタッグス・リープ・ワイン・セラーズ。2007年というビンテージはやはりまだこのクラスの赤ワインでは若いといえるでしょう。モンローズのやや青い香りは、ある意味フランやメルローの影響かも知れません。白、赤両方ともフランスワインが勝ったというのは、飲み頃を考えると実は意外でもあるのですが、やはり集まった皆さん、フランスワインがお好きのようで。

   
「スタッグスリープ・ワインセラーズ・フェイ 2007年」(タイプ:辛口の赤ワイン  品種:カベルネ・ソーヴィニヨン   産地:アメリカ/カリフォルニア州)

 スタッグスリープには、現在「アルテミス」「FAY」「S.L.V.」そして「Cask23」といった銘柄があります。「FAY」は、スタッグスが所有するもう一方の畑「S.L.V.」とは異なる魅力を持ち、後者が「火のワイン」と呼ばれるのに対して、「水のワイン」と呼ばれます。互いに隣接しながらも、「S.L.V.」の力強さは火山性土壌によるものですが、クラシカルな美点に溢れる「FAY」のエレガント且つしなやかな酒質は、川の侵食活動による沖積土壌に由来するとされています。1968年、フェイ・ヴィンヤードのカベルネ・ソーヴィニヨンを初めて体験したウィニアスキ氏は、この地に畑を持つ決意を抱きます。1969年、隣接する畑を購入したウィニアスキ氏は、それを“スタッグス・リープ・ヴィンヤード(通称S.L.V.)”と命名。そして、後の1986年には、ネイサン・フェイ氏からのオファーにより、フェイ・ヴィンヤードを購入するに至るのです。ちなみに、スタッグスのフラッグシップであるカスク23は、この二つのヴィンヤードからの果実をブレンドして作られています。 風味には、スミレ、ダークチェリー、リコリス、白檀、シガー、プラム、ビターチョコを感じさせます。タンニンはとても滑らかで、品格を維持する酸が溶け込んでおり、過剰な厚みを感じさることはありません。発酵は全てステンレスタンクで行われ、100%のフレンチオーク(新樽57%)で25ヶ月熟成させています。

「シャトー・モンローズ 2007年」(タイプ:辛口の赤ワイン  品種:カベルネ・ソーヴィニヨン主体   産地:フランス/ボルドー)
 メドック地区北端のサンテステフ村にある、格付け第2級のシャトーです。葡萄が植えられる前に生い茂っていたヒースのバラのように赤い蕾から、モンローズ(バラの丘)と名付けられました。砂利と黒砂土に覆われた粘土質土壌と泥灰土から成る67haの畑に、カベルネ・ソーヴィニヨン(65%)、メルロー(25%)、カベルネ・フラン(10%)が植えられています。熟成に時間がかかると言われるワインですが、新オーナーのブイグ・テレコム社が抜擢した総責任者は、オー・ブリオンの管理を息子のジャンに譲ったばかりの巨匠ジャン・ベルナール・デルマス氏で、2006年以後デルマス氏が手がけるワインがどう変わっていくかが注目されています。 30日間ステンレスタンクで発酵させ、新樽20%で12ヶ月間熟成。濃いルビー色で、フルーツ、コーヒー、微かにトーストのアロマが感じられます。果実味と酸味とタンニンが複雑に絡み合い口の中にひろがります。

6.1976年「パリ・テイスティング」の概要

 1976年、世界中のワイン関係者を震撼させた事件が起きました。アカデミー・デュ・ヴァンの創始者スティーヴン・スパリュアが主催したブラインド・テイスティングにおいて、まったく無名のカリフォルニアワインが、バタール・モンラッシェ、ムートン、オー・ブリオンといった最高のフランスワインを打ち破ったのです。米国『タイム』誌のジョージ・テイバーは、有名なギリシャ神話の挿話になぞらえて、『パリスの審判 Judgment of Paris』という記事をすぐさま発表します。 「パリスの審判」とは、トロイア戦争の発端とされるギリシャ神話の物語で、イリオス王プリアモスの息子パリスが、ヘラ、アフロディテ、アテナの三美神のうちで誰がもっとも美しいかを判定するよう迫られます。ルーベンスほか、さまざまな画家が「パリスの審判」を題材とした絵を描いています。  
 1970年、29歳のスティーヴン・スパリュアは、故郷イギリスを離れ、フランスのパリへ移ります。開店休業中の酒屋、「カーヴ・ド・ラ・マドレーヌ」を買い取り、高級品に特化したワインショップを開き評判となります。そのうち店の隣にあったビルが空いたので、スパリュアはそこで本格的なワイン学校を始めることにします。一般のワイン愛好家を対象とした学校は、パリでも始めてのものでした。「アカデミー・デュ・ヴァン」と名付けられたこの学校は、現在も世界最大規模のワインスクールとして知られています。
 そして1976年、この年はアメリカ独立200周年にあたっており、多くの記念イベントが予定されていました。スパリュアはカリフォルニア産のワインをフランスワインと比べて試飲するという企画を思い付きます。フランス産とカリフォルニア産の白ワインと赤ワインをそれぞれ10本ずつ選び、審査員たちにブラインドで試飲させて点数をつけさせるというもので、ブドウ品種もそろえ、白はシャルドネ、赤はカベルネ・ソーヴィニヨンを選び、カリフォルニア産のワインをブルゴーニュ地方の白及びボルドー地方の赤と比べてみようというものでした。
 開催は5月24日、パリのインターコンチネンタル・ホテルのパティオが会場に選ばれました。ラベルのないボトルから白ワインがグラスに注がれると、審査員たちは20点法での採点を開始。スパリュアも審査員とともに採点しましたが、集計には自分の点数を含めないこととしていました。当初は白赤両方の試飲が終わってからまとめて結果を発表するつもりでしたが、赤の試飲の準備がホテル側の不手際で遅れてしまい、残り時間が少なくなっていたこともあって、スパリュアはやむなく赤の試飲の前に、白の結果を発表します。1位になったのは「シャトー・モンテレーナ」、一見フランス風の名が付けられた、カリフォルニア産のシャルドネでした。会場に衝撃が走ります。審査員たちは次の赤こそフランスワインをと意気込みますが、赤の部門で首位となったのは、やはりカリフォルニアワイン「スタッグスリープ・ワイン・セラーズ」のカベルネ・ソーヴィニヨン。同ワイナリーの初ヴィンテージのワインで、原料ブドウは樹齢わずか3年の木についたはじめての房でした。 唯一の報道関係者としてその場に居合わせたジョージ・テイバーが、『パリスの審判』なる記事を米国『タイム』誌に発表すると、ニュースが世界中をかけめぐります。フランスでもアメリカでも多数の媒体が追加取材をし、カリフォルニアの勝利/フランスの敗北をセンセーショナルに書きたてました。アメリカでは、CBSテレビの夜のニュースでも報道されたほどです。
 スパリュアは後日、カリフォルニアワインが勝つとはまったく思っていませんでしたし、正直そうなってほしいとも思っていなかったと語っています。実際、カリフォルニアワインがまかり間違っても勝たないように、審査員も全てフランスのワイン業界人で固め、当時品質的に弱いとされたラフィットやマルゴーの1971年や1970年を含めず、力強さとフィネスを兼ね備えたムートンやオー・ブリオンといったワインを選んだとされています。
 スタッグスリープのワレン・ウイニアルスキーは、次のように語っています。「フランスは、偉大なワインを生産可能な唯一の土地でない――この事実が明らかになったことが、何よりも大きい。パリ対決の結果は我々に自信を与え、新たな向上心を植え付けた。皆がそれまで以上に、畑やセラーで品質向上に取り組むようになったのだ。それ以前は漠然と良くなることを望んでいただけだったが、努力すれば結果が伴うことが証明されたのだから」

7.スイスワインの歴史

【パリ・テイスティングの審査結果】

 イベントの審査員としてスパリュアが選んだのは、パリの三ツ星ラ・トゥール・ダルジャンのシェフ・ソムリエ、クリスチャン・ヴァネケや、シャトー・ジスクールのオーナーであり、ボルドー・グラン・クリュ協会事務局長でもあるピエール・タリ、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの共同経営者オーベール・ド・ヴィレーヌなど、フランスのワイン業界を代表する蒼々たる顔ぶれでした。当時若干34歳だったスティーヴン・スパリュアが、フランスのワイン業界の中に確固たる地位を築いていたことがわかります。  
 白部門・赤部門、それぞれメイン品種をそろえてはいるものの、ヴィンテージは1969年から1974年までバラつきがあり、カリフォルニアワイン6種に対しフランスワイン4種と、必ずしも統計的に公正なテイスティングとは言えませんでした。特に赤ワイン部門は、首位と2位〜4位の差はわずかなものです。それでも「共にカリフォルニアが首位を獲得した」ということが非常に強い衝撃となって歴史に刻まれることになったのでした。  
 下記はその順位。なお、カッコ内の数字は獲得点数を表しています。

<白ワイン部門>
【米】Château Montelena Chardonnay 1973 (132)
【仏】Meurault-Charmes 1973 / Roulot (126.5)
【米】Chalone Vineyards Chardonnay 1974 (121)
【米】Spring Mountain Chardonnay 1973 (104)
【仏】Beaune Clos des Mouches 1973 / Joseph Drouhin (101)
【米】Freemark Abbey Chardonnay 1972 (100)
【仏】Batard-Montrachet 1973 / Ramonet-Prudhon (94)
【仏】Puligny-Montrachet Les Pucelles 1972 / Leflaive (89)
【米】Veedercrest Chardonnay 1972 (88)
【米】David Bruce Chardonnay 1973 (42)

<赤ワイン部門>
【米】Stag‘s Leap Wine Cellars Cabernet Sauvignon 1973 (127.5)
【仏】Château Mouton-Rothschild 1970 (126)
【仏】Château Haut-Brion 1970 (125.5)
【仏】Château Montrose 1970 (122)
【米】Ridge Cabernet Sauvignon Monte Bello 1971 (105.5)
【仏】Château Leoville-Las-Cases 1971 (97)
【米】Mayacamas Cabernet Sauvignon 1971 (89.5)
【米】Clos Du Val Cabernet Sauvignon 1972 (87.5)
【米】vHeitz Cellars Cabernet Sauvignon Martha’s Vineyard 1970 (84.5)
【米】Freemark Abbey Cabernet Sauvignon 1969 (78)

【パリ・テイスティングのその後】

 カリフォルニアワインは確かに上質かも知れないが、フランスワインの真髄はその熟成にある。熟成させたものでなら結果は違っていたはず…当時既にそのような見解が出されていたようで、さっそく10年後の1986年9月、リターンマッチが開催されます。舞台はニューヨークの米国フランス料理協会で、再びスティーヴン・スパリュアがオーガナイザーをつとめます。審査員にはアメリカのワイン業界人8名が選ばれました。結果は次の通り。またしてもカリフォルニアワインの勝利に終わりました。

【米】Clos Du Val 1972
【米】 Ridge Monte Bello 1971
【仏】Château Montrose 1970
【仏】Château Leoville-Las-Cases 1971
【仏】Château Mouton-Rothschild 1970
【米】Stag‘s Leap Wine Cellars 1973
【米】Heitz Cellars Martha’s Vineyard 1970
【米】Mayacamas 1971Château
【仏】Château Haut-Brion 1970  

 それから20年、パリ対決から丸30年が経過した2006年5月24日に、またもやリターンマッチが開催されます。今回は、イギリスのロンドン、アメリカのナパの2地点同時開催で、それぞれの会場で別々の審査員が同じワインを審査するという形式でした。ロンドン会場の審査員を務めたのは、ジャンシス・ロビンソン、ヒュー・ジョンソン、マイケル・ブロードベントら超大物ワイン評論家たち。しかし、フタをあけてみると、みたびカリフォルニアワインに軍配があがり、しかも1位〜5位を独占するという劇的な結果となりました。

【米】Ridge Monte Bello 1971 (137)  (カッコ内は点数)
【米】Stag‘s Leap Wine Cellars 1973 (119)
【米】Heitz Cellars Martha’s Vineyard 1970 (112)
【米】Mayacamas 1971 (112)
【米】Clos Du Val 1972 (106)
【仏】Château Mouton-Rothschild 1970 (105)
【仏】Château Montrose 1970 (92)
【仏】Château Haut-Brion 1970 (82)
【仏】Château Leoville-Las-Cases 1971 (66)
【米】Freemark Abbey 1969 (59)  

 リッジ・ヴィンヤーズの最高醸造責任者 ポール・ドレーパーは、2006年の勝利直後に「そろそろ(この対決も)終わりにしたほうがよいでしょう」とコメントしており、かくしてパリ対決という「伝説」は、一応の最終決着を迎えたのです。

 さて、映画「ボトル・ドリーム」では、ラストでスパリュアが、静かにつぶやきます。「次は…南アメリカか、オーストラリアか……はたまた中国か、インドか……」そして最後にグラスを掲げて一言「Welcome to the future!(未来へようこそ!)」。パリ・テイスティングをきっかけに、ワインはヨーロッパを一等とするものから、世界各国がしのぎを削るよりグローバルなものへと発展しました。まさに、ワインの可能性が一気に花開いた瞬間であったと言えるのかも知れません。

<今回の1冊>
   
ジョージ・M・テイバー「パリスの審判」日経BP
 パリ・テイスティングを取材したタイム誌の記者によるノンフィクション。著者のテイバーは実は映画「ボトル・ドリーム」でも「匿名の記事を書く記者」と紹介されています。フランスワインを制したカリフォルニアワインが、いかにして誕生したか、その経緯がかなり細かく記されており、当時のカリフォルニアのワイナリーが互いに協力し合い、競い合って品質を高めていったことが分かります。パリ・テイスティングの細かい採点状況がしっかり記載されていることはもちろん、その後のワイン業界の変貌までをしっかりと描いていて、非常に好感が持てます。

 

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