Via Vino
No. 53 "Gibier & French Wine"<ジビエとフランスワイン>
<日時・場所>
2013年12月7日(土)18:30〜21:30 広尾「マノワ」
参加者:18名
<今日のワイン>
白・辛口「マルゲ・ペール・エ・フィス・ブラン・ド・ノワール・ブリュット」
白・辛口「フレデリック・マニャン・モレ・サン・ドニ・ラレ 1997年」
赤・辛口「ジョルジュ・リニエ・モレ・サン・ドニ2001年」
赤・辛口「ドメーヌ・コンスタン・デュケノワ・ヴァンソブル 2011年 」
赤・辛口「ポール・ジャブレ・エネ・クローズ・エルミタージュ・レ・ジャレ 2010年」
<今日のディナー>
3種のマノワのアミューズ
伊豆天城山の雌の小鹿の熟成テリーヌ
仏産ヤマウズラのロースト・ポルチーニ茸のソース
北海道根室で11月4日に仕留めた雄の3歳のエゾジカの腿肉のロースト・その鹿のジュと7種のエピスのソース
山梨県南アルプス芦安で仕留めた雌のツキノワグマ・パイ包み焼き、その熊のジュと赤ワインソース
ヴァローナチョコレートと洋梨
コーヒー
1.「ジビエとフランスワイン」について
古代より権力者の宴を飾った、狩猟鳥獣「ジビエ」
その土地の恵みを食べて育ったジビエは、凝縮された野生の旨味を持つ
合わせるワインは、素材の持ち味と料理法で絞り込む
「ジビエ」(gibier)を訳せば、「野禽・野獣類」「狩猟鳥獣」となりますが、具体的には鴨、鳩、雉などの鳥類、そして鹿、猪、野兎などの獣類がそれに相当します。秋から冬にかけて、動物達は越冬に備えて身体に脂肪を蓄え始めます。本場フランスでは9月頃から猟が解禁となり、それに合わせて秋には様々な茸が、初冬にはトリュフも集まりはじめ、レストランの厨房はがぜん活気づき、その緊張感は2月一杯まで続きます。
古代ローマの権力者達は、熊や鹿、鶴やフラミンゴなどに至るまで、あらゆる野獣を異国から取り寄せました。中世ヨーロッパでは狩猟とジビエの大饗宴が王侯貴族達によって行われました。当然のことながら、ジビエとワインは古来切っても切れない関係にあります。フランスは今も質・量共に世界第一のワイン生産国ですが、一方でフランスにおける狩猟人口も約135万人に達しており、ヨーロッパ内でも一位を誇っています。
仏教国として殺生を禁じた日本では、ジビエのような肉食の風習はなかったとされていますが、「日本書紀」には、天皇が神とともに狩猟を楽しむことを「徳」とする記述があるそうです。長野の諏訪大社の「諏訪の勘文」には、「業のつきた生き物はむしろ人間の食用となり、それを食べた人間の功徳を分けてもらい、ついには仏の救いにあずかる」という言葉があります。毎年4月15日に行われる「酉の祭」の中で執り行われる「饗膳儀式」では、山海の幸と酒で神と人が共食を行います。日本にも狩猟で得た獲物を神に捧げ、自らもご相伴にあずかる文化があったのです。
2.ジビエについて
【ジビエの近況】
ジビエとは「狩猟鳥獣」のことです。鳥類では鴨、鳩、シギ、キジなど、獣類では鹿、猪、野兎などがあります。飼育された動物に比べ、自然の餌を食べて育つジビエには、肉本来の旨味が段違いに含まれているのです。秋から冬にかけて、動物たちは体に脂肪を蓄えるので、味わいも格段に上がります。フランスでは9月中旬頃に猟期が始まるので、11月から翌年の1月頃までがジビエシーズンとなります。
2005年に鳥インフルエンザウィルスがトルコに到来して以来、衛生管理に対する取り締まりは厳しくなる傾向にあります。
【鹿】
日本に住む鹿には、北海道の蝦夷鹿と、本土の本州鹿(日本鹿)がいます。蝦夷鹿は本州鹿より大きく、雄は体重約140kg、雌は体重約80kgにもなります。肉は赤く脂肪は少なめで、2、3歳までの若い物が柔らかく味が良いとされます。本州に住む本州鹿は、体重約40kgから80kg、肉は赤身できめが細かく、蝦夷鹿よりもさらに柔らかで脂肪が少ないとされます。主として木の葉を食べるため、新緑の季節が良いという説もあります。ちなみにフランスで食べられている鹿の多くは、体重20kg前後の小型の野呂鹿ですが、体重300kg以上にもなる大型の赤鹿なども一部家畜化されています。
【山ウズラ】
ヨーロッパヤマウズラは、体長約30cmと日本のウズラより大きく、黄褐色で、首から腹部にかけて灰色なので、仏語で「ペルドリ・グリ」と呼ばれます。腹部に黒褐色の部分があり、雄はそれが大きく雌は小さい点が異なります。1回に産む卵の数は平均18.3個と、鳥類では最も多いとされています。農耕地や林に生息して、地上で草の種子などを食べます。肉は白身で、あっさりとしていますが、同じくヨーロッパのウズラで、クチバシと脚が赤い「ペルドリ・ルージュ」よりもコクと旨味が多いとされています。
【熊】
ユーラシアと北米に分布するヒグマと、東アジアに分布するヒマラヤグマ(アジアクロクマ)がいます。ヒグマは体重400kgにも達する大型のクマで、体毛は黒褐色、赤褐色、灰褐色など様々。肉食傾向の強い雑食性で、各種の動物の他木の芽や果実なども食べます。肉は固いものの味にクセがなく、うっすらと甘さを感じる上品な風味と言われます。鮭が遡上する時期は肉に鮭の風味が移って味は落ちるとされ、むしろ果実を多く食べる時期が美味とされます。日本のツキノワグマはヒマラヤグマの日本産亜種で、体重約80kgとやや小型、全身が光沢のある黒褐色で、胸部の三日月状の白い模様があることで知られます。大型の哺乳類を襲うことは少なく、肉は柔らかで弾力に富み、脂に独特の風味があるため、脂身つきのものが好まれます。
3.ワインテイスティング
「マルゲ・ペール・エ・フィス・ブラン・ド・ノワール・ブリュット」(タイプ:辛口のシャンパーニュ 品種:ピノ・ノワール70%+ピノ・ムニエ30% 産地:シャンパーニュ/モンターニュ・ド・ランス/アンボネイ)
1870年からブドウ栽培をはじめ、1905年から自社のシャンパーニュを販売している由緒あるドメーヌの5代目であるブノワ・マルゲは、有機栽培に興味をもち、2004年にデュヴァル・ルロワ社で醸造長を務めていたエルヴェ・ジェスタンを訪ね、以来2006年から本格的に二人の共同作業が始まりました。アンボネイ村の特徴である綺麗な酸味に、ピノ・ノワールに由来する風味豊かな香りとコクがバランスよく兼ね備えられています。ボディがあり、果実味が豊かで、プラムやイチジクの果実を食べているような柔らかい味わいがありました。
「フレデリック・マニャン・モレ・サン・ドニ・ラレ 1997年」(タイプ:辛口の白ワイン 品種:シャルドネ50%+ピノ・ブーロ25%+ピノ・ブラン25% 産地:フランス/コート・ド・ニュイ)
モレ・サン・ドニで先祖代々ドメーヌを持つマニャン家の5代目であるフレデリックは、理想のワイン造りにすべての情熱を注ぐため、自分の名前「フレデリック・マニャン」を冠したネゴシアン・ワイン造りを始めました。今では葡萄耕作会社を設立し、契約した畑での葡萄栽培を、自身を含め自前のスタッフで行っています。ラレの畑はヴィラージュ・クラスながら、クロ・デ゙・ランブレの畑の上部に隣接し、ブドウ栽培に非常に適したテロワールとなっています。非常に品種構成の珍しい白ワインで、ピノ・ブランとピノ・ブーロからもたらされる柑橘系の風味に、シャルドネのキリッとした味わいが重なります。ピノ・ブーロは本によってピノ・グリの古名であるとか、ピノ・ノワールのクローンの一種であるとか説明されているフランスの土着品種ですが、これが混じることでシャルドネとはまた異なる風味があるように感じられます。1997年物ということもあって独特の熟成感があり、芳香がとても豊かで、後口に爽やかに残る酸味が印象的でした。
「ジョルジュ・リニエ・モレ・サン・ドニ 2001年」(タイプ:辛口の赤ワイン 品種:ピノ・ノワール100% 産地:フランス/ブルゴーニュ)
モレ・サン・ドニにある小規模ながら秀逸なドメーヌで、シャンボール ミュジニーやジヴレイ・シャンベルタンの各村も含めて15haの畑を所有しています。当主ジョルジュ・リニエは、内気で控えめな性格ながら、造りだすワインは芳醇で力強く個性的。いとこのユベール・リニエと共に産地を代表する生産者の一人としてその名を知られています。果実のアロマに革やチョコレートの複雑な風味が加わっており、濃過ぎず果実味あふれるスパイシーな味わいはリニエならではのものです。12年の熟成を経てややまろやかになっており、非常に口当たりの良いワインでした。
「コンスタン・デュケノワ・ヴァンソブル 2011年」(タイプ:辛口の赤ワイン 品種:グルナッシュ75%+シラー25% 産地:フランス/ローヌ)
長年「ドニ・モルテ」のワインを購入し続けていた無類のワイン愛好家ジェラール・コンスタンとドゥニーズ・デュケノワ夫妻は、ワイン好きが高じて2004年にベルギーからローヌに移住、2005年ヴィンテージからAOCに昇格したヴァンソブルでワイン造りを始めました。以来、夫妻はドニ・モルテのフラッグ・シップの一つである「ラヴォール・サン・ジャック」の熟成に使われたフランソワ・フレール社製の場リックで自身のワインを熟成させています。同時にアルザスのルネ・ミュレの指導を受けてバイオダイナミック農法にも取り組み、ドメーヌは短期間で劇的進化を遂げました。インクのような紫の色調で、春の花、クレーヌ・ド・カシス、墨・黒煙・トリュフの香りが感じられます。濃厚でフルボディ、力強さを持ちながらも、しっかりとバランスが取れているワインです。
「ポール・ジャブレ・エネ・クローズ・エルミタージュ・レ・ジャレ 2010年」(タイプ:辛口の赤ワイン 品種:シラー100% 産地:フランス/ローヌ )
ポール・ジャブレ・エネの歴史は1834年にアントワーヌ・ジャブレによって始まりました。ローヌ渓谷の恵まれたテロワールとワイン造りへの情熱はその次の世代であるポールに受け継がれ、 「ポール・ジャブレ・エネ」として7世代にわたり、ローヌのエルミタージュを本拠地として卓越した品質のワインを造り出しています。テロワールが存分に発揮されたローヌのシラー「レ・ジャレ」は小石の意。カシスやブラックベリーの豊かな果実の香りにスパイシーな黒胡椒をわずかに感じます。味わいは熟したベリーに、ビターチョコレート、リコリスの甘みとスパイスが溶け込んでいます。タンニンがきめ細かく、滑らかな口あたりのワインです。
4.日本のジビエについて
古代の日本において、狩猟は人々の生活の糧であっただけでなく、土地の支配者が神と交流するという意味もあったとされています。王の狩猟は、大地が生み出す初物を狩り、神に捧げる生産儀礼でもあり、大地に対する領有権を確認するものでした。
その後仏教伝来により、「殺生禁断」が唱えられるようになると、獣肉食は忌避されるようになり、天皇の狩猟も鷹狩や鵜飼へと移っていきました。本格的な武家政権を打ち立てた源頼朝は、将軍就任の翌年に富士の裾野で大規模な巻狩(まきがり)を行いましたが、これは軍事政権の首長としての儀礼だったとされています。その後幕府においても、狩猟禁止令が出されるようになります。
しかし全く狩猟が途絶えてしまったわけではありません。諏訪大社の「酉の祭」で執り行われる「饗膳儀式」などでは山の幸、海の幸と酒が振る舞われ、江戸時代後期に菅江真澄という旅人が残した記録によると、神前には75頭もの鹿の首が献じられたとあります。
ちなみに鹿肉は牛肉と比べて脂肪が1/10以下と少なく、タンパク質はほぼ2倍と多いことが知られています。また脳の働きを活発にし、善玉コレステロールを増やす働きのあるDHA(ドコサヘキサエン酸)をはじめとする不飽和脂肪酸が多く含まれており、栄養価の高い食材であることが証明されています。
天敵であるニホンオオカミが絶滅したため、北海道でも長野でも、近年鹿の数が増えて農林業への被害が拡大しています。食材としてのジビエを見直し、適正な捕獲と消費で、人間と自然の共存を図ろうという試みが各地で始まりつつあります。
5.ジビエとワインの歴史
B.C.4世紀頃 古代ギリシャのミタイコスの料理本(大部分は失われた)
B.C.121年 最古のビンテージ「オピミアン・ファレルヌム」
4〜5年 古代ローマ、現存する最古の料理本「アピキウス」、コース料理の紹介
66年 ネロ帝の側近、「サテュリコン」の作者ペトロニウスの死
1193年 源頼朝による富士の巻狩り
1395年 タイユヴァン(本名ギョーム・ティレル)の死
1533年 カトリーヌ・ド・メディシスとアンリ(アンリ2世)の結婚〜フィレンツェ料理を宮廷に持ち込みフランス料理を改革
1671年 コンデ公によるシャンティイ城の大祝宴、料理人ヴァテールの死
1814年 ウィーン会議、タレーランのもとでのアントナン・カレームによる料理
1825年 ブリア・サヴァラン「美味礼賛(原標題:味覚の生理学)」刊行
1833年 アントナン・カレーム「19世紀のフランス料理術」刊行
1891年 ペレグリーノ・アルトゥージ「料理の科学と美食の技法」刊行〜イタリア地方料理の集大成
1895年 日本における「狩猟法」の制定
1903年 エスコフィエ「料理の手引き」刊行
1933年 キュルノンスキー「美食の歓び」刊行
1950年 カレン・ブリクセン「バベットの晩餐会」刊行
2005年 長野県にて「信州ジビエ」の取り組み開始。捕獲した鳥獣の有効活用へ。
古代メソポタミアでは、食肉として山羊と羊が飼育され、羊が最も美味とされました。ウズラなどの野鳥も食べられましたが、後期には鶏が飼育されるようになります。古代ローマは、当初は比較的貧しかったものの、領土の拡大と共に美食の伝統が広まり、その集大成として、ケーナ(正賓)のコースメニューが細かく記された料理書「アピキウス」が登場します。美食を極め、空腹を怖れて服毒自殺したマルクス・ガイウス・アピキウスによる著書という説もあれば、アピキウスは実在の人物ではなく、食通の愛称として用いられたという説もあります。ローマでは肉と魚は同等に扱われたとも言われていますが、メインの肉料理としては猪や野豚、子羊や子ヤギを焼いた物などが出されました。
ローマの肉食はゲルマン貴族にも受け継がれ、カロリング朝のカール大帝も狩りの獲物を調理した料理を好んだようです。ヴァロア朝のシャルル6世の調理人タイユヴァンは、30種類の野鳥料理を残していますし、コンデ公の元でルイ14世を招いた大祝宴を行った料理人ヴァテールは、食材の到着が間に合わないことに責任を感じて自殺したとも言われています。14世紀頃から盛んとなった「アントルメ」は、現在では口直しの料理に過ぎませんが、当時は客を喜ばせる余興として、孔雀や白鳥の料理や、城や噴水をかたどった豪華な装飾にまで発展しました。こうした貴族の料理は、フランス革命以後、宮廷料理人達が開いたレストランによって一般の人々にも紹介されるようになるのです。
狩猟はヨーロッパやアメリカでは、銃規制の問題も絡み決して簡単ではないものの、文化として定着しています。アメリカは狩猟大国で、総人口の約6%に相当する1370万人が狩猟を行っており、その数は今も増加傾向にあります。フランスの狩猟人口は135万人でヨーロッパ第1位であり、猟期・地区・猟手法が決められていて、合法的に狩猟をするには狩猟免許が必要です。イギリスには48万人の狩猟者がおり、土地所有者が狩猟権を持っていて、狩猟免許も狩猟者登録もありません。ドイツでは森林管理と狩猟が密接に関係していて、森林官の殆どは狩猟免許を取得しています。
ちなみに、日本の狩猟人口は高齢化が進み減少傾向にあります。2007年時点で狩猟人口は16万人程度、許可されている銃は約30万丁と、国際的にはかなり低い登録率となっています。銃をタブーとする国民性が影響していますが、一方で鹿、熊、猪による農林業被害は深刻で、伊豆半島では2万頭生息するニホンジカを5千頭以下まで抑えるべきとされているにも関わらず、国の統一見解はまだ存在しない状態です。
<今回の1冊>
岡本健太郎「山賊ダイアリー」(講談社)
「マノワ」のソムリエの中村さんは、自ら銃を撃ってジビエを調達することもあるそうですが、日本のジビエの問題は、鹿も猪も駆除しなければならないほど数があるというのに、銃免許を持つ猟師の数が足りないことです。アメリカの銃による事故や犯罪の多さに比べれば、銃の規制が厳しいことそれ自体は大事なことなのですが、皆が拒否反応するがために猟師になる人が少ないのは考えもの。ニホンオオカミが絶滅して、天敵がいなくなってしまったのはある意味人間の責任でもあるので、適宜に生息数を抑えるためにも美味しく頂いた方が正解ですね。
この「山賊ダイアリー」は、猟師でもある作者の実体験を描いたコミックです。あのカラスを食べてしまったり、鹿が猟師の間では人気がなかったりと、日本のジビエの裏事情も分かったりしてなかなかユニークです。