Via Vino No. 55 "Les Saveurs du Palais"

<大統領の料理人>

<日時・場所>
2014年4月26日(土)12:00〜15:00 丸の内「エスカール・アビタ」 
参加者:24名
<今日のワイン>
白・辛口「ドメーヌ・ユエ・ヴーヴレ・ル・オー・リュー・セック 2012年」
白・辛口「ドメーヌ・ルーロ・ムルソー・レ・ルシェ 2011年」
赤・辛口「シャトー・オー・マルビュゼ2008年」
赤・辛口「シャトー・ラヤス・シャトー・ド・フォンサレット・レゼルヴ 2006年」
<今日のランチ>
ダニエル・デルプシュの卵料理(スクランブルエッグ)
キャベツとサーモンのファルシ ソース・ブールブラン
牛フィレのパイ包み焼き ソース・マデイラ
トリュフとパン
サントノーレ
コーヒー又は紅茶

    


1.大統領の料理人「孤独と挫折こそ、本当の挑戦のはじまり」

ミッテラン大統領の心を虜にした女性の専属料理人の実話。
南極基地から始まり、エリゼ宮へと繋がる料理の物語。
「バベットの晩餐会」の現代版にして前日談とも言える作品。


  ペリゴール地方の田舎に住む女性料理人のオルタンスは、高名なジョエル・ロブションの推薦によりフランス大統領専属の料理人に抜擢されます。彼女は田舎の素朴な素材を活かした料理を求める大統領の期待に応えて、自ら食材を調達して挑みますが、規則第一のエリゼ宮の男性料理人達や、コスト優先の管理者達が立ちはだかり、ジレンマに陥ります。

 何故か主人公の名前は変えられているものの、主人公のモデルはダニエル・デルプシュという実在の人物で、1988年から2年間、ミッテラン大統領の専属料理人を勤めたとされています。1997年にレシピ付きの自伝を出版した後に、2000年には南極調査隊の料理人に志願し、14ヶ月間勤め上げたそうです。最後にエリゼ宮を去ることになる場面には、ほろ苦い結末ながらも、そこからが本当の挑戦の始まりだったのかも知れないというメッセージが感じられます。

 この映画を観て思いだしたのが「バベットの晩餐会」。あの物語では、一流の料理店「カフェ・アングレ」の女性料理人だったバベットが、故郷フランスでの家族と仕事を失って北の果てノルウェーへと辿り着き、場違いなところで自分の技を披露しますが、この映画の冒頭でも、エリゼ宮を離れた主人公は地の果てとでも言うべき南極で腕を振るうのです。まさにこの物語は、「バベット」の現代版にして前日談と言えるのではないでしょうか。

2.「大統領の料理人」に登場するワイン

 フランス料理がテーマの映画なので、当然のことながらフランスワインが数多く登場するだろうと思ってはいましたが、実際にワインの造り手まで登場してしまうところはさすがに驚きました。ブルゴーニュ地方のムルソーの造り手として名高いドメーヌ・ルーロの当主ジャン・マルク・ルーロが、給仕長として活躍します。役名がジャン・マルク・ルシェ。同じ「ジャン・マルク」という名前で、姓はルーロ Roulot をルシェ Luchet としています。ちなみに、ここのドメーヌでは「レ・ルシェ(Les Luchets)」という名の畑を所有しているのです。

 それから、途中で女性ソムリエが出てきて、ある日の食卓でサービスするワインをオルタンス、ジャン・マルクと共に話し合って決めるシーンがありますが、その女性はなんとジャン・マルク・ルーロの奥方のアリックス・モンティーユ。こちらも映画「モンドヴィーノ」で知られるブルゴーニュ地方のヴォルネイの高名な造り手ドメーヌ・ド・モンティーユの娘にあたる方です。

 その際、ロワールの素晴らしい造り手の名前が4つ挙げられていました。「ユエのヴーヴレ」「ダグノーのシレックス」「ニコラ・ジョリーのクーレ・ド・セラン」「フコーのクロ・ルジャール」といったところです。ユエのヴーヴレはシュナン・ブランから造られる白ワインの筆頭ですし、ディディエ・ダグノーのシレックスはソーヴィニヨン・ブランから造られる辛口白ワインの筆頭で、石の写真がラベルとなっていることで有名です。ディディエは2008年に事故で亡くなってしまいましたが、その後は息子のルイ=ベンジャミンと娘のシャルロットが造り続けています。「クーレ・ド・セラン」はビオデナミの推進者ニコラ・ジョリーによるシュナン・ブランから造られるサヴニエールの白ワインです。クロ・ルジャールはソミュール・シャンピニーの赤で、ブドウはカベルネ・フラン。いずれもロワールの中では代表格の生産者達です。

 実際に画面に登場するワインについては、最初に出てくるのがシャンパーニュの「ルイ・ロデレール・クリスタル」です。ロシア皇帝アレクサンドル2世専用シャンパーニュとして特別に造られたもので、クリスタル製のボトルに瓶詰めされていたことからこの名がつきました。

 更に、物語終盤、オルタンスが厨房を訪れた大統領にワインを注ぐシーンがあります。ローヌ地方南部のシャトーヌフ・デュ・パプの銘品「シャトー・ラヤス1969年」が、トリュフを並べたパンと共に出されます。物語の設定を考えると約20年の熟成を経ていると考えられます。1998年物を試飲したことがありますが、黒砂糖を思わせるどこか暖かみのある甘い香りと、みずみずしいバラのような香りが重なった、非常に華やかな印象の赤ワインでした。

3.ワインテイスティング
 
    

「ドメーヌ・ユエ・ヴーヴレ・ル・オー・リュー・セック 2012年」(タイプ:白・辛口  品種:シュナン・ブラン  産地:フランス/ロワール)
 ドメーヌ・ユエは、ワインの本場フランスで最も信頼されているクラスマンが最高評価(3つ星)を贈る、1928年創立のロワールの名門で、1991年からはビオデナミを採用しています。ロワール川沿いの緑色の粘土や二酸化ケイ素を含む石灰岩土壌に8haのこの畑を所有し、優美で繊細なワインを産み出します。グレープフルーツやライムのアロマとシャープなミネラルを含み、ひきしまった酸と、ドライでさわやかな味わいが印象的なワインです。甘い香りとしっかりした酸味が特徴であるシュナン・ブランの良さを、十分に引き出したワインと言えます。映画のモデルとなったデルプシュさんが得意とした卵料理、スクランブルエッグと共に頂きました。

「ドメーヌ・ルーロ・ムルソー・レ・ルシェ 2011年」(タイプ:白・辛口   品種:シャルドネ  産地:フランス/ブルゴーニュ)
 ムルソーの造り手として名高いルーロ家は、1830年にギローム・ルーロ氏がムルソー生産を手掛けるようになってから、高い評価を受けるドメーヌとなりました。第一次世界大戦時ポール・ルーロ氏が畑を改植、その息子であるギイ・ルーロ氏が1950年から1960年代に畑の拡張を行いました。彼の死後、この歴史あるブドウ畑とセラーはアメリカ人醸造技術者のテッド・レモン氏の手に渡りましたが、1989年に、俳優でもあるジャン・マルク・ルーロ氏の手にワイナリーが戻り、ルーロ家による経営が再開されました。ムルソーのレ・ルシェは標高280mの斜面にある1.03haの畑で、斜面を登るにつれ土壌は粘土質から石灰岩へと変わり、この変化がワインに独特のミネラル感をもたらします。映画に登場する最初の料理、「キャベツとサーモンのファルシー」と共に。ムルソーの重たい質感が、ソース・ブールブランとマッチしていました。

    

「シャトー・オー・マルビュゼ2008年 」(タイプ:赤・辛口   品種:カベルネ・ソーヴィニヨン50%、メルロ―40%、カベルネ・フラン10%  産地:フランス/ボルドー)
  メドックの中では男性的で筋肉質のワインを産み出すと言われるサンテステフのワインですが、その中でも人気、歴史の面でも十分な実力を持つと言われています。格付2級のコス・デストゥルネルや、モンローズから程近い土地にある素晴らしい畑から作り出されたワインです。クリュ・ブルジョワ級のシャトーですが、収量を抑え収穫をギリギリまで遅らせた完熟葡萄のみを使用するなど、1級シャトー並の贅沢なワイン作りを行っています。まだ若く濃厚な赤ワインが、牛フィレのパイ包み焼きの味わいを引き立ててくれました。

「シャトー・ラヤス・シャトー・ド・フォンサレット・レゼルヴ 2006年」(タイプ:赤・辛口   品種:グルナッシュ50%、サンソー35%、シラー15%  産地:フランス/ローヌ)
 シャトー・ラヤスは、ブルゴーニュのアンリ・ジャイエにも匹敵するといわれる南ローヌの高名な造り手である故ジャック・レイノー氏が、最上区画の古樹のグルナッシュから造りだしていたワインで、現在は甥のエマニュエル・レイノー氏が後を継ぎ、「シャトー・ラヤス」「ピニャン」「フォンサレット」の3つの区画を所有しています。エマニュエルがジャックから引き継いだ「フォンサレット」は、「ラヤス」と全く同じ手法で造られており、収量は驚くほど低く、比較的短期間の発酵の後、中間から大型のフードルなど何種類かの樽に移され、濾過は行われません。より格上の「シャトー・ラヤス」の持つ、果実香とスパイス香とが渾然一体となった華やかな味わいは、この「フォンサレット」にも見いだすことができます。映画のシーンと同様に、シンプルにトリュフを乗せたパンと共に頂きましたが、トリュフの独特の土っぽい香りが、フォンサレットの持つ中華スパイスやアールグレイティーのような華やかな香りと重なり、まさに極上のマリアージュが体感できました。
 映画の中で、食事制限に苦しめられた大統領が、一人厨房に降りてきて、トリュフを乗せたパンをかじりながらグラスを傾けるシーンは、作品の中でも最も印象的な場面です。やれカロリーだ、塩分だと言われても、最終的には美味しい物が一番自然に喜ばれるのではないでしょうか。料理もワインも、本当に大事なのは、やはり気持ち、ハートではないかなと思うのです。

4.フランス大統領とワイン

 エリゼ宮に貯蔵された約15,000本のワインの中から、饗宴の際何を選ぶかは、歴代のフランス大統領の仕事でもあります。その意味で大統領はワインに対して無関心ではいられないわけですが、ワインに対するスタンスはそれぞれ異なっており、そこに好みやこだわりが垣間見られるとされています。

 第五共和制最初の大統領、シャルル・ド・ゴールは、シャンパーニュを愛飲したとされますが、特に好んだのが「ドラピエ」です。シャンパーニュの生産地としては南端のオーヴ県ウルヴィル村に醸造所を構えるハウスで、1808年からずっと家族経営を続けています。無農薬とノン・ドサージュにこだわる自然派で、かのルチアーノ・パヴァロッティも愛好家の一人とされています。派手な社交会を嫌い、簡素な生活を好んだド・ゴールらしい選択かも知れません。大統領の名を冠した「ドラピエ・キュヴェ・シャルル・ド・ゴール」も造られています。エリゼ宮の公式饗宴を55分に決めたのも、長く座っていることが苦痛だったとされるド・ゴール大統領でした。

 第2代大統領のジョルジュ・ポンピドゥーのお気に入りワインは、メドック・ムーリスのシャトー・シャス・スプリーンでした。ロスチャイルド銀行の頭取をしていたことがあるにもかかわらず、ラフィットでもムートンでもないところに、逆にこだわりが感じられます。ド・ゴールと異なり健啖家で、どっしりした伝統的な料理を好みました。饗宴メニューを大統領自身が決めるようになったのもこの頃です。

 第3代大統領ジスカールデスタンは、時流に敏感で派手好みで知られています。18歳で渡米しコーヒービジネスで成功したニコラ・フィアットが、フランスに帰国して1976年に設立したメゾン「ニコラ・フィアット」は、その2年後、ワシントンでジスカールデスタン大統領を迎える晩餐会で供されてから、一気に有名になりました。

 第4代大統領のフランソワ・ミッテランのお気に入りワインも、先のシャス・スプリーンと同様にクリュ・ブルジョワに位置づけられるメドック・サンテステフのシャトー・オー・マルビュゼでした。こちらも健啖家で、寿司や刺身など日本料理が好物だったことでも知られています。

 エリゼ宮のカーヴが最も充実していたのは、第5代大統領ジャック・シラクの時代だったそうです。ベルナデット夫人がワイン好きで、とりわけポイヤックの高級品にこだわり、当時はマルゴーやムートンなどの1級格付けのボトルがエリゼ宮のカーヴに備えられました。シラク元大統領は大の親日家で、美食家・大食漢としても有名でしたが、ムートンの格付を2級から1級へ引き上げた時の農林大臣でもありました。

 第6代大統領のニコラ・サルコジは、逆にワインを飲まないことで知られていますが、面白いことに、その名を冠した「ピエール・ミニョン・キュヴェ・デュ・プレジデント・サルコジ」というシャンパーニュが造られているのです。ピエール・ミニョンはやはり家族経営のシャンパーニュ・ハウスですが、ロイズの生チョコ「シャンパン」にも使用されています。

 第7代大統領のオランドが就任してから、昨年5月にエリゼ宮でワインが競売に出されました。約1200本のワインを入れ替え用の費用のために売りに出し、その収益でより廉価なワインを買い、残りは国庫収入としたとのこと。エリゼ宮がワインに要する費用は、年間約25万ユーロ(約3200万円)、それを安いと見るか高いと見るかは難しいところですが、少なくとも必要ならいくらでも、とはいかなくなっているのは事実のようです。

5.エリゼ宮のワインの歴史

1718年 フランスの貴族エヴェール伯爵のためにエリゼ宮が建てられる
1764年 ポンパドゥール公爵夫人死去、買い取ったエリゼ宮は遺言でルイ15世に譲られる
1815年 ナポレオン、エリゼ宮にて2度目の退位書に署名する
1848年 2月革命で第二共和制成立、ルイ・ナポレオン大統領となり、エリゼ宮は大統領官邸となる
1852年 ルイ・ナポレオン皇帝となり、チュイルリー宮殿を公邸に、エリゼ宮を私邸にする
1855年 パリ万博にてボルドーの格付が設定される
1867年 パリ万博にてエリゼ宮は迎賓館となる
1870年 普仏戦争勃発、ナポレオン3世捕虜となり、第二帝政は崩壊する
1871年 第三共和制発足後、パリ・コミューン勃発
1874年 マクマオン大統領、エリゼ宮に移り住む
1879年 国民議会、エリゼ宮を大統領官邸とする法案を採択、現在に至る
1896年 エリゼ宮にて、ロシア皇帝ニコライ2世の歓迎晩餐会、18品の料理とデザート
1938年 エリゼ宮にて、英国王ジョージ6世の歓迎晩餐会、10品の料理とデザート
1947年 ジュール・ヴァンサン・オリオールのもとでエリゼ宮のカーヴが造られる
1954年 第四共和制第二代ルネ・コティ大統領の最初の饗宴、8品の料理と4種のワイン
1958年 将軍シャルル・ド・ゴールが第四共和政を倒し、第五共和政を打ち立てる
1969年 ジョルジュ・ポンピドゥー、第2代大統領に就任
1973年 シャトー・ムートン・ロートシルト、第1級格付けに昇格
1974年 ヴァレリー・ジスカールデスタン、第3代大統領に就任
1981年 フランソワ・ミッテラン、第4代大統領に就任
1990年 湾岸危機
1993年 エリゼ宮にて、ブッシュ大統領、ミッテラン大統領と共同記者会見
1995年 ジャック・シラク、第5代大統領に就任
2002年 大統領の任期が7年から5年へ変更となる
2007年 ニコラ・サルコジ、第6代大統領に就任
2012年 フランソワ・オランド、第7代大統領に就任
2013年 エリゼ宮のワイン1,200本が競売に出される

 歴史遺産に指定されている大統領官邸「エリゼ宮」は、3階建て、延べ1万1千平方メートルのロココ様式の建築物で、周囲の建物と比べても比較的こじんまりとしているそうです。大統領の住む場所としてこのエリゼ宮が選ばれたのは、権力者の専横を防ぐため民衆の監視下に置く狙いがあったとされています。

 もともとエヴェール伯爵の館として建設されたエリゼ宮は、伯爵が亡くなった後、相続した息子が館を売りに出し、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール公爵夫人がこれを買い取って改装しました。夫人が43歳で亡くなると、館は遺言でルイ15世に譲られますが、その後民間に払い下げられ、フランス革命で接収され、結果として5度目に最終的に国家所有となるのです。ナポレオンが私邸とした後、甥のルイ・ナポレオンは大統領としてエリゼ宮に入りますが、ナポレオン三世として帝政を打ち立てると、チュイルリー宮殿を公邸に、エリゼ宮を私邸にします。その後普仏戦争で再び帝政は倒れ、パリ・コミューンの混乱で多くの建物が焼失した後、無傷で残ったエリゼ宮は再び大統領官邸となりました。

 さて、そのナポレオン三世が1855年にパリ万博を開催し、その時にボルドー商工会議所によって現在のボルドーの格付けが設定されました。しかし実態としては、それ以前にもボルドーの格付けは存在し、1855年の格付け自体も当時の価格に基づいて客観的に順位が付けられたに過ぎないとされています。ワインは「食品の加工と保存」のカテゴリーに属する物として、魚の燻製や乾燥フルーツ、チョコレートなどと共に展示されました。格付けワインは決して万博の目玉であったわけではなく、それまでの市場でのワインの評価をそのまま再確認したものだったのです。逆に言えば、今日の五大シャトーは、パリ万博の格付以前から圧倒的な評価を得ていたということになります。  

 現在のエリゼ宮の饗宴は、料理は5品、シャンパーニュを含むワインは3種と数が決められていましたが、エリゼ宮が官邸となった十九世紀後半は、まだ貴族文化が健在な時代でした。1896年のロシア皇帝ニコライ2世の歓迎晩餐会では、18品の料理と8種の飲み物が出されたのです。その後世界大戦によって貴族社会は終わりを告げ、最後の豪華な晩餐は第二次大戦前夜、英国王を招いた晩餐会で、10品の料理と最高格付のワイン3種、シャトー・ディケム1923年、シャトー・オー・ブリオン1921年、そしてシャンベルタン1921年が出されました。今でもエリゼ宮が最高格付のワインでもてなすのは英国女王です。王室を自ら廃したフランスが最大の敬意を払うのがヨーロッパの王室であることは、ある意味大きな矛盾でもありますが、エリゼ宮の、そして格付けワインの成り立ちを考えると、とても自然なことなのかも知れません。

6.エリゼ宮で供されたワインと料理

 この4月のオバマ大統領来日に伴い、天皇・皇后両陛下主催の宮中晩餐会が開かれました。供されたワインは「コルトン・シャルルマーニュ」「シャトー・マルゴー」「ドン・ペリニヨン」と錚々たるラインナップ。しかしこれは、国賓に対してはいつもとほぼ同レベルのものとされています。基本的に皇室においては、「誰にも平等に、最高のもてなしを」という姿勢を取っているので、相手が変わったからといって差はつけない訳です。ある意味非常に珍しいこととも言えるわけで、外交の場であるエリゼ宮などでは、なかなかそういうわけにもいかないわけです。

 1992年にミッテラン大統領エリザベス英女王を招いた時は、「シャトー・ディケム」「シャトー・ラトゥール」「クリュグ」という風に、1級格付のワインが用意されました。 通常前菜にブルゴーニュ、主菜にボルドーが定石なのですが、この時は白も赤も英国領だったボルドーのワインで揃えています。これが同じ英国でも1988年のサッチャー首相来訪となると、「シャサーニュ・モンラッシェ」「シャトー・ピション・ロングヴィル ・コンテス・ド・ラランド」と、白は村名格付け、赤は第2級格付けと、高いレベルではあっても最高格付ではありません。

 日本を招待した場合はどうでしょう。1994年の天皇来訪の際には、非公式晩餐会のためよりレベルが高いということもありましたが、「モンラッシェ」「シャトー・ムートン・ロートシルト」「クリュグ」と、ワインは全て最高格付け。しかし同じ年の羽田首相来訪の際には、白はロワールの「プイィ・フュメ」、赤はプロヴァンスの「ドメーヌ・ド・ラ・ベルナルド ・サン・ジェルマン」。フランスの銘醸地としてはボルドー、ブルゴーニュの二大名産地に、ロワールとローヌを加えるのが一般的ですが、この四つの地方に入らない地方のワインを一国の首脳の歓迎宴で供すること自体が珍しいとされています。これは羽田内閣が短命に終わることを見越したもので、同じ首相クラスでも、2001年の小泉首相来訪の際には、「シャトー・タルボ・カイユ・ブラン」「シャトー・シュヴァル・ブラン」「サロン」といったかなりレベルの高いラインナップとなりました。シュヴァル・ブラン(白い馬)は、小泉首相が午年生まれであることを踏まえたものとされています。

 アメリカ大統領は、さすがにレベルの高いもてなしを受けています。1993年のブッシュ大統領を招いた晩餐会では、「コルトン・シャルルマーニュ」「シャトー・シュヴァル・ブラン」「クリュグ」が出されました。しかし、後のクリントン大統領の時に出された赤ワインは、よりマイナーなポムロールのもの。通好みには味わい深いワインには違いありませんが、新しい政権に対してまだ様子見の段階であったとも受け取れます。

 社会主義国が相手となると、華美な贅沢は逆に反感を持たれるとの判断もあるかも知れませんが、全てを最高級で揃えることはなかなかないようです。1989年に熱烈な大歓迎を受けたゴルバチョフ書記長に出されたのは「ムルソー・ジュヌヴリエール」「シャトー・グラン ・ピュイ・ラコスト」「クラマン・ド・マム ・ブラン・ド・ブラン」。赤はメドックの5級であり、ある意味微妙な位置付け。後のエリツィン大統領の際にも、ワインのレベルは大差なし。また中国の場合、1994年江沢民主席来訪の際には「シャトー・ディケム」「シャトー・ラ・ルヴィエール」「ドン・リュイナール」が出されましたが、白がソーテルヌの最高格付けであるのに対して、赤はグラーヴの格付け外であり、こちらにも天安門事件後の社会主義国に対する、微妙な距離感が垣間見られます。

 相手が国王クラスか、大統領か首相か、はたまた西洋諸国か社会主義国か…表向きには大歓迎でも、出されたワインにしっかり差を付けているところに、全方位外交を進めながらもどこかしたたかでぶれのないフランスのポリシーが感じられます。このようなラインナップを見ていると、なぜフランスのワインが厳格に格付が決められているのか納得できるような気がします。

<今回の1冊>

 
   
西川 恵「エリゼ宮の食卓」(新潮文庫)
 今回、エリゼ宮で出されるワインに関して、非常に参考になったのがこの西川恵さんの「エリゼ宮の食卓」です。映画「大統領の料理人」のパンフレットにも寄稿されていますが、ワインという切り口で外交を読み取っていくその一貫した姿勢には非常に納得させられました。「ワインと外交」(新潮新書)、「饗宴外交」(世界文化社)と読み進めば、「ワインと料理」という非常に身近な話題が、外交と政治を説明する重要なキーワードとなることが分かります。

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