Via Vino No. 56 "Japanese Food with Sherry 2"
<和食とシェリー2>
<日時・場所>
2014年6月7日(土)18:30〜21:00 渋谷「ねぼけ渋谷店」
参加者:18名
<今日のシェリー>
マンサニージャ「アントニオ・バルバディージョ・マテオス・セレクション・サクリスティアAB」
フィノ「ウィリアムズ&ハンバート・コレクション・フィノ 」
<コロシア社日本スペイン交流400周年記念ボトル>
「グティエレス・コロシア・フィノ」
「グティエレス・コロシア・アモンティリャード」
「グティエレス・コロシア・オロロソ」
パロ・コルタド「カジェタノ・デル・ピノ パロ・コルタド ソレラ・スペリオール 1/10」
クリーム「テレサ・リベロ・ラウレアード・クリーム」
<今日のディナー>
【先付】平目とトマトとクリームチーズのマリネ
【造り】石鯛焼霜造り
【焼物】カジキマグロのアスパラ焼
【強肴】炭火焼 鰹のたたき
【煮物】あさりのバター煮
【酢物】土佐和牛サラダ仕立て
【食事】焼鯖棒寿司
【甘味】ゴマようかん・焼茄子アイス
1.和食とシェリー
辛口から極甘口まで、多彩な味わいを持つシェリー。
現地では食前酒というよりもむしろ食中酒。
魚介類を中心とした日本料理とは抜群の相性を見せてくれる。
日本ではシェリー、特にドライ・フィノ・シェリーは、代表的な食前酒として扱われています。シェリーを輸入していた英国では、コース料理の中で辛口は食前、甘口は食後に親しまれていた部分もあり、日本もその影響を受けたと言えるかも知れません。しかし、現地スペインでは、バルなどでタパスなどと共に気軽に食中酒として楽しまれています。
原産地であるヘレスやマンサニージャは海に近く、魚介類と一緒に飲まれていて、アルコールが高く酸が低いところなども日本酒に通じるものがあります。濃厚なスタイルのアモンティリャードなどは、日本の古酒やみりん、中国の紹興酒に通じる香ばしさを備えています。日本でももっと親しまれて良いお酒だと言えるでしょう。
昨年の5月26日は「ワールド・シェリー・ディ」でしたが、本年は6月2日から8日まで「インターナショナル・シェリー・ウィーク」となり、昨年以上に様々なシェリー関連のイベントが各国で開催されます。ここ日本でシェリー・ウィークを祝うのなら、やはり日本料理がふさわしいでしょう。今回は純国産ともいうべき土佐料理とスタンダードなシェリーの組み合わせを提案いたします。
2.インターナショナル・シェリー・ウィーク
本年のインターナショナル・シェリー・ウィーク(International Sherry Week (ISW))は、José Pizarro ホセ・ピサーロ氏、Ángel León アンヘル・レオン氏、ソムリエの Cristina Losada クリスティーナ・ロサーダ氏ら著名人をアンバサダーに迎えて開催されます。 「昨年1日では物足りなかったという声を頂きまして、今年は、1週間に期間を引き延ばすことにしました」と、インターナショナル・シェリー・ウィーク主催者の Chelsea Anthon チェルシー・アンソン氏は語っています。今年は、インターナショナル・シェリー・ウィークと名付け、6月2日から8日まで世界中でシェリーイベントが展開されました。
↑インターナショナル・シェリー・ウィークを祝ってヴェネンシアを披露。
3.シェリーの種類と製法
@ マンサニージャ Manzanilla
サンルーカル・デ・バラメーダで造られるドライ・シェリーです。「サンルーカルで造られるフィノ・タイプ」と言われますが、実際にはフィノより歴史は古く、1781年にはマンサニージャが造られていました。フロールと呼ばれる産膜酵母の影響で、酸化がある程度抑えられ、淡く透明なすっきりとした辛口の味わいに仕上がります。より海に近い地域で造られるため、若干の塩気が感じられると言われます。
A フィノ Fino
マンサニージャ同様、黄色く透明なすっきりとした味わいのドライ・シェリーです。スペイン後の「フィノ」は、英語の「ファインFine」に相当し、「上質」「上品」を意味します。「フィノ」が最初に登場したのは、1823年、ガルヴェー社「サン・パトリシオ」が輸出された時のことですが、シェリーのタイプ名として定着したのは20世紀に入ってからのことです。フロールによる膜が液面に発生し、15%までアルコールが添加され、これによりフロールの活性は妨げられず、酸化による褐変が防止され、黄色く透明なすっきりとした辛口になるのです。
B アモンティリャード Amontillado
フロールの付いていたフィノ・タイプから、フロールが途中で消失した、もしくは人為的に消失させた物は、17%までアルコールが添加され、「アモンティリャード」となります。途中でフロールがなくなるため、ワインは酸化の影響を受け、琥珀色になります。「マンサニージャ」と異なり、殆どがスペイン国外で消費されるため、「アモンティジャード」と呼ばれることは少ないようです。
C オロロソ Oloroso
フロールが付かなかった、もしくは敢えて付けなかった物は、18%までアルコールが添加され、これによりフロールの発生は完全に抑えられるため、酸化の影響で褐色になり香ばしい風味の強い「オロロソ」となります。「オロロソ」は「香り」を意味する「オロール」という言葉の形容詞形で、文字通り香り高く、赤ワインの代わりにもなるほどしっかりしたボディを持っています。
D パロ・コルタド Palo-Cortado
「パロ」は「棒」、「コルタド」は「切った」を意味し、元々は樽に書かれた印を意味しました。醸造学的には「フィノになる可能性の高かったオロロソ」、感覚的には「アモンティリャードの香りと、オロロソのコクを持ったシェリー」とされ、ビターオレンジのような香りとオイリーさが特徴です。近年はその希少性からクローズアップされることが多くなりました。
E クリーム Cream
オロロソにペドロ・ヒメネスをブレンドして造る甘口シェリーで、デザート・シェリーの代表格です。元々ブラウン・シェリーにミルクと呼ばれるタイプがあり、そこから派生したタイプですが、ミルクの方はライト嗜好の影響で淘汰され、今では造られていません。
4. シェリーテイスティング
「アントニオ・バルバディージョ・マテオス・セレクション・サクリスティアAB」(タイプ:辛口/マンサニージャ 品種:パロミノ100% 産地:スペイン/ヘレス/サンルーカル・デ・バラメーダ アルコール度15%)
マンサニーリャの最大手、1821年創設のボデガス・バルバディージョ社の創設者一族であり、シェリー&マンサニーリャ統制協会の会長を20年務めた父を持つバルバディージョ・マテオス氏が、数限りない試飲により厳選した樽のワインだけを集めてブレンドし、ボトリングされました。「サクリスティア」とは、教会でもっとも重要な聖具を納める部屋の事で、門外不出の最高級ワインを熟成している蔵のことをこう呼びます。バルパイナというもっとも良い土壌の区画にある畑で栽培されたパロミノの一番搾り果汁のみを発酵させ、伝統的なソレラ・システムで動的の熟成を8年行い、物理的、科学的処理は一切行わずにボトリングされています。色は輝く黄金色。カモミールやビター・アーモンドのような繊細な香りに、海藻のような塩っぽさや、石灰質土壌からくるエレガントな風味が加わります。刺激的な風味と苦味を伴ったフィニッシュが長く続きます。平目とトマトとクリームチーズのマリネと合わせました。比較的濃いスタイルのマンサニージャだったので、クリームチーズともしっかりマッチングしていました。
「ウィリアムズ&ハンバート・コレクション・フィノ」(タイプ:辛口/フィノ 品種:パロミノ100% 産地:スペイン/ヘレス アルコール度15%)
1877年、イギリス人のアレクサンダー・ウィリアムズが義父のアーサー・ハンバートと共に興した、スペイン最大のボデガを持つウィリアムズ&ハンバート社。同社が世界的名声を築き上げてきたルイス・パエス社の「ドン・ソイロ」ブランドを引き継ぎ、より優れた品質と長い熟成を重ねたシェリーとしてリリースしたのが「ウィリアムズ&ハンバート・コレクション」です。厳選したパロミノ種のファーストプレスの果汁のみを使い、ホワイトオーク樽でのソレラ・システムによる熟成を経て生まれる辛口のフィノで、かすかに緑色を帯び、輝く透明感のある黄色の色調があります。その香りはストレートで華やかで、すっきりとした酸味を持ちながらも丸みがあり、口中には熟成による繊細な複雑さが広がります。歯ごたえのある石鯛焼霜造りと共に頂きましたが、鯛の旨味とフィノの香ばしさが非常に合いました。
<コロシア社日本スペイン交流400周年記念ボトル>
2014年は支倉常長率いる慶長使節団がスペインを訪れてから400周年の記念の年であり、シェリーの街の一つであるサンルーカル・デ・バラメーダに到着して400年でもあり、また、アルフォンソ10世により、ヘレスがスペインに奪還(レコンキスタ)されてから750周年を迎えます。さらに、シェリーの中心地、ヘレス・デ・ラ・フロンテラがヨーロッパワイン都市 2014年に選出されました。そこで、インターナショナル・シェリー・ウィーク(ISW)の発案で、アルタミラ株式会社の福本氏の強力なサポートのもと、Bodegas Gutierrez Colosia グティエレス・コロシア社より日本・スペイン交流400周年記念限定ボトルのシェリーが発売されることになりました。ラベルのデザインはシェリー・マンサニーリャ原産地呼称統制委員会公認ベネンシアドールの嶋田 愛紀氏(バル・デ・オジャリア銀座店)が担当しています。 グティエレス・コロシア社は年間生産わずか50,000本。最初のワイナリーは1938年に設立され、現在もほとんと当時そのままに保存されています。その後何度か所有者が変わり、20世紀初頭に現当主の曽祖父であるホセ・グティエレス・ドサル氏の所有となりました。1969年、グティエレス・コロシア家がクンブレエルモサ伯爵邸跡を購入し、そこにワイナリーを新たに2棟建設。グティエレス・コロシアは現在、グアダレーテ河口に面する唯一のワイナリーで、河口からの湿気がシェリーに欠かせない「フロール(産膜酵母)」の形成に最高の環境を作っています。
「グティエレス・コロシア・フィノ」(タイプ:辛口/フィノ 品種:パロミノ100% 産地:スペイン/ヘレス アルコール度15%)
非常にフルーティーで繊細な辛口シェリーです。フロールの香りが華やかで、アフターは切れが良く すっきりとした味わいです。カジキマグロのアスパラ焼きと合わせました。
「グティエレス・コロシア・アモンティリャード」(タイプ:辛口/アモンティリャード 品種:パロミノ100% 産地:スペイン/ヘレス アルコール度18%)
ヘーゼルナッツの芳しい香りが口腔にやさしく広がり、やわらかく深みのあるアフターを誘います。炭火焼・鰹のたたきと共に味わいました。
「グティエレス・コロシア・オロロソ」(タイプ:辛口/オロロソ 品種:パロミノ100% 産地:スペイン/ヘレス アルコール度18%)
ローストしたナッツやアーモンドの香り。フルボディの赤ワインを彷彿させる丸みのあるアフターが特徴的です。あさりのバター煮と共に味わいました。
「カジェタノ・デル・ピノ パロ・コルタド ソレラ・スペリオール 1/10」(タイプ:辛口/パロ・コルタド 品種:パロミノ100% 産地:スペイン/ヘレス アルコール度20.5%)
創業は1886年。カジェタノ・デル・バスケスがスペインの南アンダルシア州、ヘレス・デラ・フロンテーラにて創業。以来、家族経営を続けており、現在は一族の2人がシェリー造りに従事しています。そのボデガでは、容量36@(36アロバ:約600L)の樽に1,655樽のシェリーが熟成を続けています。最近ではイギリスの会員制ワインショップ「Wine Scaiety」向けに、サンチェス・ロマテ社で瓶詰めした商品が極少量リリースされたのみで、ボデガのオフィシャル・ボトルは今回の『パロ・コルタド ソレラ・スペリオール 1/10』が世界に先駆け初めてのリリースとなります。ボデガが所有しているシェリーの中でも、20年以上熟成した特別なシェリーです。10年程前まで所有していた自社畑の特に優れた果汁のみを手元に残しシェリーの原料としていたため、他のボデガと比べ驚くほど高品質なシェリーとなっています。中でも『ソレラ・スペリオール 1/10』はパロ・コルタドとして熟成をした「ソレラ」と呼ばれる樽から、さらなる熟成を経た僅か10樽しかない希少なシェリーで、年間の販売量はその品質を維持するため限定で1,200本のみ。その全てが日本市場のみでの限定販売となります。アモンティリャードとオロロソの良いところを兼ね備えた、まさに理想的な味わいのシェリーでした。土佐和牛のサラダ仕立てと共に。パロ・コルタドの上品な風味が、和牛の繊細な香りと見事な調和を見せてくれました。
「テレサ・リベロ・ラウレアード・クリーム」(タイプ:甘口/クリーム 品種:パロミノ65%+ペドロ・ヒメネス35% 産地:スペイン/ヘレス アルコール度18%)
ボデガ・カイシャは1803年創業で、サンルーカル・デ・バラメーダ最大手の協同組合でしたが、2010年よりグループ・ガーベイの傘下になり、ボデガス テレサ・リベロとなりました。厳選された葡萄を使用し、最新設備を導入、良質のワイン造りにたゆまぬ努力を続けています。ラウレアード・クリームは約8年熟成され、色は濃い赤褐色。贅沢な香りで、バランスの取れた温かい味わいの甘口シェリーです。ゴマようかん・焼茄子アイスと共に楽しみました。
5. シェリーと料理の相性
シェリーは、辛口から極甘口まで、多様な味わいを持つワイン。いろいろなタイプがあるので、どんなお料理とも相性が良いのです。 よく冷やしたフィノやマンサニーリャは、オードブルやタパス各種、エビ、蟹、貝類、白身魚などを塩味系で調理したもの、マイルドなチーズなどに合います。天ぷらの起源のような魚介のフライは、シェリーの産地の得意料理。アモンティリャ―ドは、各種スープやコンソメ、白身肉、青身魚を各種ソースで調理したもの、熟成タイプのチーズと好相性。中華系ソースともマッチします。 オロロソは、ジビエや赤身肉、しっかりした味の煮込み、熟成タイプのチーズに。また、アジア系スパイスが効いたエスニック料理にも。ペイル・クリームはフォアグラやフレッシュ・フルーツ、そして中華の辛口およびスパイシーな料理や甘辛ソース味のものとどうぞ。ミディアムも軽く冷やしたものはパテやキッシュに最適。アジアン・テイストの甘辛酸っぱい味付けにも。クリームはボディと甘さがあるためデザート類に合うシェリーです。ペドロ・ヒメネスもどんなデザートにも合いますが、アイスクリームのソースになるし、チョコレート系スイーツやブルーチーズにも合います。
<シェリーと日本料理>
日本料理は魚介が中心となり、ワインと合わせようとすると、特に生ものや干物、塩辛などは生臭さが強調されてしまう場合があります。ワインに含まれる鉄イオンや二酸化イオウが、魚介のDHA成分と結びつくことで、生臭さの原因となるアルデヒドなどの物質が発生するとされています。その点シェリーは、酸が低くアルコール度が高い点で日本酒や紹興酒に近い味わいをもっており、あらゆる魚介類と抜群の相性を見せてくれるのです。 マンサニージャは海に近いサンルーカル・デ・バラメーダで作られており、磯の香りとさっぱりした味わいが魚介の刺身に合うとされています。フィノはより味わいが強いので、すこし炙りを入れたサーモンや、塩味を利かせた焼き魚などが合います。 アモンティリャードは、コンソメとの相性が良いとされていますが、出汁を利かせた煮魚などの味も引き立ててくれます。オロロソは肉料理やチーズと合いますが、その意味では和風の上品な味付けの肉料理とも赤ワイン以上の相性を見せてくれます。 甘口シェリーであるクリームは、あんみつや和菓子など、砂糖の味を利かせた甘い物と合わせます。さらに濃厚な甘さを持つペドロ・ヒメネスは、黒蜜の代わりにもなるので、かなり幅広く応用できます。
6. シェリーと日本の歴史
B.C.1000〜700年 フェニキア人による葡萄栽培導入
711年 イスラムの侵入
1264年 レコンキスタ〜アルフォンソ10世によるヘレスの征服
1338年 英仏百年戦争の勃発、英国でヘレスのワインの需要が高まる
1483年 スペインにおいて葡萄栽培者やワイン醸造者達によって協同組合が作られる
1485年 英国のヘンリー7世による航海条例、英国への輸入は英国籍船のみに認められる
1488年 ポルトガルのバーソロミュー・ディアス、アフリカ南端の喜望峰を発見
1492年 グラナダ陥落、スペインからのイスラムの撤退、コロンブスのアメリカ大陸発見
1494年 トルデシリャス条約により、分界線より西がスペイン領、東がポルトガル領となる
1529年 サラゴサ条約により、ニューギニア島中央部を走る子午線より東がスペイン領、西がポルトガル領となる
1534年 英国にて600以上の修道院が解体される。パリにてイエズス会発足
1543年 ポルトガル船が種子島に上陸
1549年 イエズス会のフランシスコ・ザビエル、薩摩に上陸、島津貴久に謁見
1570年 長崎に港が開かれる
1580年 ヘレス・イエズス会大学設立資金に、シェリー・ブランデーの税金が投入される
1587年 英国のフランシス・ドレイク、カディスを攻略、三千樽のシェリーを奪う
豊臣秀吉、博多のイエズス会の船でワインを飲む。同年切支丹禁止令
1588年 アルマダ海戦でスペイン無敵艦隊が大敗
1600年 英国東インド会社設立
1602年 オランダ東インド会社設立
1611年 セヴァスチャン・ビスカイノ来日、徳川家康、秀忠と謁見、シェリーで乾杯の記録
1613年 伊達政宗の命により、支倉常長がスペインに向け出港、翌年サンルーカルに到着
英国東インド会社のジョン・セールス、シェリーを持参し家康に献上
1624年 スペイン船の日本への来航が禁止される
1651年 オリバー・クロムウェルによる航海条例、輸入品の英語化が進む
1653年 最も古いCZブランドによる税金支払いの記録
1682年 英国人フィッツ・ジェラルドによる産地に取引会社を設立した最初の外国人の記録
1781年 マンサニージャの登場
1823年 フィノの登場、ガルウェー社のフィノ、サン・パトリシオが輸出される
1834年 ヘレスのギルドの解散、シェリーの貯蔵熟成が自由化される
1870年 日本で洋酒の輸入が始まる
1885年 明治屋創業。目録に「しゑりー酒」登場
1492年にアメリカ大陸を発見したジェノヴァ出身のクリストファー・コロンブスは、元々「東方見聞録」にある黄金の国・ジパングに惹かれていて、西廻りでアジアに向かう計画を立てたと言われています。ポルトガルに住んでいたコロンブスは、最初ポルトガル王ジョアン2世に航海のための援助を求めますが、既にアフリカ探検が進められていたため王室はこれを拒絶します。しかしスペイン、カスティーリャのイサベル1世は興味を示し、グラナダ陥落により財政上の余裕ができたこともあって、コロンブスは援助を受けて航海に乗り出し、サン・サルバドル島に上陸します。これはアメリカ大陸の発見でしたが、彼自身は最期までアジアを発見したのだと言い続けました。一方で、ポルトガルのディアスはアフリカ喜望峰を発見し、同じくポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマはアフリカ南岸を経てインド航路を開拓します。
西へ向かったスペインと、東へ向かったポルトガルは、新世界への到達先でしばしば争うようになり、境界線を定める必要が出てきました。1494年のトルデシリャス条約、1529年のサラゴサ条約により、世界はこの両国で2分割されたのです。なお、この条約によると日本は北海道、網走以西はポルトガル領となるわけですが、条約締結時にはまだポルトガルは日本に到達しておらず、1543年に種子島上陸がなされた後も、ポルトガルは日本での領土要求を行っていません。
1549年に来日したイエズス会のフランシスコ・ザビエルは、スペイン、ナバラ生まれのバスク人ですが、ポルトガル王ジョアン3世の依頼でアジアに宣教を行いました。スペインとポルトガルが世界を二分して争っていたことを考えると不思議に感じますが、当時日本との交易を許されていたイエズス会は、カトリックの布教にあたっては出生を問わず受け入れていたとされています。ワインの世界では、ベネディクト派やシトー派の修道院が有名ですが、これらの定住型カトリックに対しドミニコ派、イエズス派は移動布教型で、シェリーやマデイラを扱っていました。豊臣秀吉はイエズス会の船でワインとお菓子を振る舞われたとされていますが、逆にスペイン本国の植民地政策を知り切支丹禁止令に踏み切ったとされています。
1611年にスペインのセヴアスチャン・ビスカイノが来日し、徳川家康と秀忠に謁見、秀忠の日記には「ヘレス(シェリー)」が乾杯に使われたことが記されています。スペインは金銀を狙い、オランダとの交易停止を要求したのですが、家康は話には乗りませんでした。1613年には英国東インド会社のジョン・セーリスが、「サック(シェリーの古称)」を家康に献上、日英通商許可が出され、平戸にイギリス商館が設立されます。その時献上されたシェリーは、長い船旅によって熟成が進んでいたため、おそらくシェイクスピアやジェームズ1世が同時期に飲んだものより濃く香りの高いものだったと思われます。ちなみに当時のシェリーは全て今のオロロソタイプであり、まだフィノもアモンティリャードもない時代でした。
1870年(明治3年)に洋酒の輸入が始まり、シェリーも含めて様々なワインが日本に運ばれましたが、それ以前の戦国時代から江戸幕府にかけての時代に、シェリーが日本に入り、秀吉や家康も口にしたことは間違いありません。そもそも大航海時代の始まりが、黄金の国ジパングへ到達することが目的だったことを考えると、シェリーと日本との関わり合いも非常に深いものがあります。混ぜ物を嫌い定住型の修道院で作られたワインとは異なり、酒精強化によりアルコール度が高く、長旅に耐え、和食や魚介類と相性が良いシェリーは、元々日本に縁の深いお酒なのだと言えるのです。
<今回の1冊>
「THE BIG BOOK OF SHERRY WINE」(JUNTA DE ANDALUCIA)
300ページフルカラーの大判のシェリー本です。シェリー・エデュケーター資格受験の際頂きました。シェリーに関する書籍は、日本では殆ど絶版状態で、アマゾンで検索すると古本でもかなり高額となっていますが、洋書であればこれだけ写真の充実した大著もあるということですね。蒲萄栽培から醸造、生産者紹介から料理との相性まで、シェリーの世界をあらゆる方向から解説してくれています。