Via Vino No. 79 "The Birth of Wine"
ワインのはじまり

<日時・場所>
2018年6月30日(土)12:00〜15:00 丸の内「エスカール・アビタ」 
参加者:18名
<今日のワイン>
白・辛口・発泡性「ランソン・ブラックラベル・ブリュット・マグナム」
白・辛口・発泡性「カラス・エクストラ・ブリュット 」
白・辛口「シルーフ・クスタン 2015年」
白・辛口「ゲルヴェリ・ケテン・ゲムレク 2011年」
白・辛口「アルマス・ヴォスケハット・リザーヴ 2013年」
オレンジ・辛口「シャラウリ・ワイン・セラーズ・ルカツィテリ 2013年」
赤・辛口「ゾラ・ワインズ・カラシイ 2015年」
赤・辛口「マカシヴィリ・ワイン・セラー・サペラヴィ 2016年」
赤・辛口「シルーフ・マナストゥル 2014年」
<今日のランチ>
パテの盛り合わせ(フムス入り)
鰯のフライ・レンズ豆のスープ
パクチーとイベリコ豚のサラダ
羊肉と茄子のムサカ
牛、鶏肉の赤ワイン煮
骨付き仔羊のロースト

    


1.ワインの誕生〜ワインの歴史は東から

ジョージアワイン〜最先端を行く、数千年の伝統。
アルメニアワイン〜箱舟を造ったノアの子孫が造るワイン。
トルコワイン〜馴染みのない品種の、意外に正統派の味。

 「ギリシャ経済は滅茶苦茶だ。リビア、シリア、エジプトは内乱に呑み込まれ、部外者や外国の戦士がその火をさらに煽っている。トルコもイスラエルも、それに巻き込まれはしないかと気が気ではない。好戦的なイランは周辺国の脅威となり、イラクは混乱の極みにある…」これはまさに現在の話ですが、三千年前にもこの地域は同様の状況にありました。E.H.クラインの著書「古代グローバル文明の崩壊」はこんな魅力的な書き出しから始まりますが、古代オリエント文明の中で互いの文化がせめぎ合いながら、ワイン、言語、宗教が生まれ、広まり、そして崩壊していく様は、決して現代でも無視できないことだと思うのです。 

 コーカサス地方とは、カスピ海と黒海にはさまれ、ロシア、トルコ、イランと隣接する南コーカサス地方の3つの国、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア(ジョージア)のこと。このコーカサス山脈一帯の石灰質土壌と冷涼な気候は、ワイン用葡萄の生育に適しており、葡萄品種はここから各地に広まったとされています。アフリカを離れた人類がそれ以外の地で最初に定住したとさえ言われているコーカサス地方は、インド・ヨーロッパ語の原郷とされ、馬の使用もこの地域から始まり、そしてこの地域を中心に「古ヨーロッパ」の平和な母権制が、戦士の文化と家父長制へと切り替えられたとも言われています。ワイン文化はまさに、そんなダイナミックな流れと共にヨーロッパ各地へと広がったのです。

2.ジョージア、アルメニア、トルコのワイン

 ワイン文化の発祥の地とされるジョージア、自らをノアの子孫と信じているアルメニア、イスラム圏でありながら政教分離でワインを造るトルコ。今回は近年注目を集めつつある、古くて新しいワイン生産国のワインを楽しみながら、古代オリエントにおけるワインの始まりに想いを馳せたいと思います。

【ジョージアワイン】

 8000年の歴史を持つ、世界最古のワインとワイン文化の発祥の地で、約530種もの品種が知られています。1970年には計画経済にもとづく品種削減、1985年にはゴルバチョフの反アルコール政策で打撃を受けますが、独立後はワイン生産を復活、2013年にはクヴェヴリによるワイン造りがユネスコの世界遺産に認めらました。クヴェヴリは古来ジョージアで造られてきたワイン醸造用の素焼きの甕(かめ)で、紀元前2000年代の地震以後は首まで土に埋めて使われるようになりました。白ブドウを赤ワイン同様に長期間スキンコンタクトさせて造る「オレンジ・ワイン」で有名です。ジョージアでは「アンバー・ワイン(琥珀色のワイン)」と言われます。
<主要品種>
ルカツィテリ(Rkatsiteli)

イメレティ地方の小都市ワニの近くで発見された白葡萄品種。カヘティ地方の主要品種。名前は茎(rka)が赤い(ziteli)に由来します。霜に強くベト病にも耐性があり、果皮が厚く酸味もありますが、香りはやや控えめ。
ムツヴァネ(Mtsvane)   
ジョージア語で「緑の」「若々しい」を意味します。酸度が高く収量も高い白葡萄品種で、果皮が薄くタンニンは控えめで華やかなアロマを持っています。キシやルカツィテリとブレンドして華やかさと複雑味を加えることがあります。
サペラヴィ(Saperavi)    
「染色する」という意味の名の古い黒葡萄品種です。カヘティ地方の主要品種。ジョージアで最も盛んに栽培されており、全土の葡萄畑面積の約10%を占めています。辛口から酒精強化の甘口まで様々なスタイルのワインがあり、アロマはテロワールの影響を受けやすく、山からの冷涼な風により、赤い果実を思わせるエレガントなワインとなります。

【アルメニアワイン】  

 ジョージアとならび古くからのワイン造りの伝統を持つ、紀元301年以来のキリスト教国です。国土のほとんどが標高900m以上の高地にあり、昼夜・夏冬の寒暖差が非常に大きく、ステップ気候と高地地中海性気候に属し年間降水量は約300mmしかありません。素焼きの甕(アルメニアではカラスと呼ぶ)が遺跡で発見され、現在もヴァヨッツ・ゾール地域のゾラーなど一部の生産者が採用しています。1920年代から約70年間にわたり続いたソヴィエト連邦の支配下で、アルメニアはブランデーの主要産地として位置づけられ、収穫量を優先したワイン造りが行われてきたので、高品質な葡萄栽培も忘れ去られていました。ジョージア、トルコとの関係は未だ微妙な状況にあります。
ヴォスケハット(Voskehat)   
比較的上級のワインに使われる白品種です。アレニと同じヴァヨッツゾール地方のほか、アララト盆地でも栽培されます。シャルドネを彷彿とさせるフレッシュな口当たりで、豊かな果実感と酸を併せ持ち、余韻はスムーズなのが特徴。
カングン(Mtsvane)   
主に大衆的な白ワインに用いられる白品種です。ジョージア品種ルカツィテリからの交配で誕生した品種で、特徴も類似しており、若草の香りを持つ爽やかな飲み口のワインになります。
アレニ・ノワール(Areni Noir)    
非常に古くから存在する品種で、アゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァンに隣接する、中南部のヴァヨッツゾール地方が原産の黒葡萄品種です。寒暖差に耐性を持ち、大半はヴァヨッツゾール地方で生産されます。ヴァヨッツゾール地方にあるアレニ村は、毎年10月には大規模な収穫祭で盛り上がります。近郊のアレニ1洞窟では、6100年前のものとされる、最古の醸造所跡が近年発見されています。

【トルコワイン】  

 ブドウ生産量は世界第6位で、約1,200種もの品種が生産可能ですが、ワインの原料となるのはその数%程度、殆どがレーズンとなり、ドライ・レーズン生産で世界第1位を誇ります。国民の9割がイスラム教徒ですが、政教分離をかかげており。20世紀からワイン生産を推進しています。ただしアルコールにかかる税金も高く、ワインは殆ど普及していません。地元ではブドウから作られる蒸留酒「ラク」が人気で、造られたワインの1/4はラクとなります。
ナリンジェ(Narince)   
半辛口で、豊かでバランスの取れた味の白ワインを造る白葡萄品種です。トルコでは珍しく木材の樽で長期間保存することができます。
エミル(Emir)   
カッパドキアとその周辺地域で生産されています。独特で繊細な香りとさわやかなおいしさが特徴のドライワインの原料となる白葡萄品種です。
スルタニエ(Sultaniye)   
あまりに美味しいため「スルタン(オスマントルコの王様)の口にも合う」という意味からこの名前がついたのだとか。生で食べるのにも、干しブドウにも、ワインにも、ブドウジュースにも活用できるオールマイティな白葡萄品種です。軽くてフルーティなワインになります。
オクズギョズ(Okuzgozu)    
最も肉厚・大粒の黒葡萄品種で、ワインに適しています。
ボアズケレ(Bogazkere)    
アナトリアで最も古いとされる黒葡萄品種で、タンニンの割合が高いため単独ではかなり渋みがあります。重く粗いワインになるので、上記オクズギョズと共に醸造されることが多く、この二つの相性は抜群です。
カレジックカラス(Kalecik Karasi)    
トルコの老舗ワインメーカー、カヴァクリデレ社とアンカラ大学の研究で絶滅の危機からよみがえった幻の黒葡萄品種です。

 古代オリエントは、まさにワインを生み出し、育て、広めた母体となった地域ですが、禁酒を掲げたイスラム教が7世紀に登場しこの地を席巻すると、ワイン生産は禁止され、葡萄栽培はドライ・レーズン用へと切り替えられました。ワイン文化は言語の発展や宗教の変化に応じて姿を変えていきましたが、楔形文字が消え、古代アッカド語が消え、享楽的な多神教が禁欲的な一神教に駆逐されると、ワイン文化も最終的にはまさにその宗教の変化のあおりをまともに受けて、この地から退場することとなったのです。

3.ワインテイスティング
 
     

「ランソン・ブラックラベル・ブリュット・マグナム」
(タイプ:白・辛口・発泡性、品種:ピノ・ノワール50%、シャルドネ35%、ピノ・ムニエ15%、産地:フランス/シャンパーニュ)

 ランソン社は、1760年にシャンパーニュ地方のランスで、判事フランソワ・ドゥラモットによって創業された最も古いシャンパンメーカーのひとつであり、マロラクティック発酵を行わない数少ないシャンパンメーカーのひとつでもあります。トーストのニュアンスに加え、さまざまな花の蜜の香りがあります。余韻が長く、あらゆる機会に楽しませてくれます。

「カラス・エクストラ・ブリュット」
(タイプ:白・辛口・発泡性、品種:コロンバール 35%+フォル・ブランシュ 35%+シャルドネ 20%+カングン 10%、産地:アルメニア/アルマヴィル)

 アララト山の北麓、アルマヴィル地方産のブドウをブレンドした、辛口スパークリングワイン。 手摘みで良質な果実を厳選し、タンク内二次発酵後に瓶詰めされます。 色は明るいイエロー、繊細な泡と柑橘の風味が爽やかな、バランスの取れた飲みやすいワインです。

「シルーフ・クスタン 2015年」
(タイプ:白・辛口、品種:マズローナ60%+ケルクシュ40%、産地:トルコ/マルディン)

 トルコの希少品種、マズローナとケルクシュをブレンドした白ワイン。色はオレンジがかった黄色、ハーブのような風味とほのかな残糖が感じられる、個性的で濃密なワインです。収穫は手作業で行い果実を厳選し、ステンレスタンクで発酵後、マロラクティック発酵を4月まで実施、12ヶ月熟成させます。「クスタン」とは、オーナー家族の出身の村です。

「ゲルヴェリ・ケテン・ゲムレク 2011年」
(タイプ:白・辛口、品種:ケテン・ゲムレク、産地:トルコ/カッパドキア)

 エスカール・アビタ様からの特別進呈アイテム。ゲルヴェリではアナトリア産のアンフォラ「キュプ」で、ビオロジック農法を用いて土着品種から少量のワイン生産を行っています。畑面積は2.2haで、平均生産量は年間6,000本から8,000本程度。ケテン・ゲムレクは「麻のシャツ」という意味。 この品種は果皮がとても薄くて透き通っているため、上等な麻製のシャツのように 見えることに由来しています。 やや濃いめの黄金色。 ボリュームがあり、杏やブランデーの特徴的な香り。 生き生きとして、芯の強さを感じる味わいがあります。

「アルマス・ヴォスケハット・リザーヴ 2013年」
(タイプ:白・辛口、品種:ヴォスケハット、産地:アルメニア/アラガツォトゥン)

 アルメニア随一の高貴な品種、ヴォスケハットを使用したプレミアムワイン。 良質な果実を厳選し、一番搾りの果汁のみを使用。色は輝くようなゴールド、リンゴや白い花の風味に樽のニュアンスが絡み合い、凝縮した果実味と豊かなミネラルの感じられる、余韻が美しく長いワインです。牡蠣や白身肉料理、チーズと合います。

「シャラウリ・ワイン・セラーズ・ルカツィテリ 2013年」
(タイプ:オレンジ・辛口、品種:ルカツィテリ、産地:ジョージア/カヘティ)
 シャラウリ・ワイン・セラーズは、ジョージア東部に位置するカヘティ地方、シャラウリ村に2013年ギガ・マカラウズ氏によって設立されました。国際品種を使用せず、ジョージア固有品種を自然農法で栽培し、醸造所の地下に埋めた29のクヴェヴリ内で天然酵母を利用し、ブドウを自然醗酵させます。ナッツやアプリコット、ドライフルーツなどの甘やかな香り、ふくよかでリッチなボディとドライな口当たりが魅力で、豊潤かつ極上のアンバーワイン(オレンジワイン)です。ジョージア・インターナショナル・ワインコンペティション2016にて最優秀白ワイントロフィを獲得しています。

    

「ゾラ・ワインズ・カラシイ 2015年」
(タイプ:赤・フルボディ、品種:アレニ・ノワール 、産地:アルメニア/ヴァヨツ・ゾル)
 イタリア人醸造家のアルベルト・アントニーニ氏が手がけるゾラ・ワインズでは、何千年も前からこの地で栽培されてきた世界最古のブドウ品種の一つで、アルメニアで最も重要な固有品種「アレニ・ノワール」を使い、カラシ(アンフォラ)を使用し昔ながらの伝統的な手法と現代の技術を融合させワイン造りを行っています。 初ヴィンテージ2010年では、ワインライターのエリン・マコイ氏が監修する「Bloomberg2012」で、4000を超えるワインの中から、世界TOP10ワインににランクインしました。

「マカシヴィリ・ワイン・セラー・サペラヴィ 2016年」
(タイプ:赤・フルボディ、品種:サペラヴィ、産地:ジョージア/ブルゲンラン)
 1982年設立のヴァジアニ・カンパニーは、ジョージア固有の伝統的なワイン造りを守り続けるワイナリーです。2012年にはジョージア最古のワイン産地カヘティ地区、テラヴィに近代的な醸造所を構えました。マカシヴィリ・ワイン・セラー・シリーズは、貴重なクヴェヴリを用い、ジョージアの固有品種でワインを造っています。深いルビーの色味と、品種由来の鮮烈なアロマを持ちます。ジューシーなカシスの凝縮感に、適度なタンニンが寄り添い、心地よいフィニッシュを誘います。

「シルーフ・マナストゥル 2014年」
(タイプ:赤・フルボディ、品種:ボアズケレ、産地:トルコ/マルディン)
 トルコの土着品種、ボアズケレを使用した赤ワイン。 色は濃い紫、干しブドウの香りが感じられる、タンニン豊富で濃密なフルボディです。「マナストゥル」とは、トルコ語で修道院を意味します。

4.ワイン発祥の歴史

【ワインはジョージアから】

 コーカサス地方とは、カスピ海と黒海にはさまれ、ロシア、トルコ、イランと隣接する南コーカサス地方の3つの国、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア(ジョージア)のことです。このコーカサス山脈一帯の石灰質土壌と冷涼な気候は、ワイン用葡萄の生育に適しており、葡萄品種はここから各地に広まったとされているのです。ジョージアの首都トリビシ南部のドマニシで約160〜180万年前の人類化石(ホモ・ゲオルギクス〜ホモ・エレクトゥスの前段階の種)が発見されましたが、これはアフリカ大陸外では最古の人類の発見とされており、ジョージアはその意味でも注目を浴びました。
 栽培されたぶどうの種子で最古のものが、このジョージアで発見されました。紀元前6000-5800 年の時代で、ヴィティス・ヴィニフエラ・サティヴァ(「栽培された」の意:雌雄同体株) と同定されています。2017年11月に新たにぶどう栽培とワイン醸造の有形遺物がペンシルバニア大学の科学ディレクター、パトリック・マクガヴァン氏が率いる国際的なチームによって発見されました。

【アルメニアのワインのはじまり】

 2011年には、6100年前の醸造所跡が、ヴァヨッツゾール地方のアレニ1洞窟内部で発見されました。これは2017年にジョージアにてさらに古い遺跡が発見されるまで、世界最古の醸造所跡とされていたのです。ノアの箱船がとどまったアララト山は、トルコとアルメニアの間に広がるコーカサス山脈の最高峰で、ある意味アルメニアのワイン文化の象徴とも言えます。創世記によれば、初めてワインを造ったのはノアでした。方舟はアララト山に漂着し、ノアは上陸して葡萄を育て、ワインを造ります。「彼はワインを飲み、酔ったそして天幕の中で裸になった。」ノアはその裸を見た息子のハムを呪い、劣った種族(カナン)の父として運命づけました。これ以後旧約聖書では、ユダヤ人達が移り住むまでその地にいたカナンの人々を否定的に扱っています。

【トルコのワインのはじまり】

 おそらくは世界最古の都市である、トルコの「チャタル・フュック」およびシリアのダマスカス、レバノンのビュブロスで、紀元前8000年頃の新石器時代の地層から、葡萄の種子が発見されています。この葡萄の種は先のジョージアのものよりもさらに古いものですが、雌雄同体株でない野野生葡萄であることから、 ワインではなく生食用として扱われていたと推測されています。その後この地にもワイン文化は広まり、現在トルコ共和国に位置するアナトリア地方に紀元前1680年頃に建国されたヒッタイト王国の法律書には、ワインやブドウ価格についての記述があります。ワイン(wine)の語源であるvinやvinoという言葉はヒッタイト語でワインやヴィネガーをさす言葉だったとされています。

【紀元前1200年のカタストロフィ】

 メソポタミアから地中海東岸にかけて高度なネットワークを形成していた青銅器文明は、紀元前1200年頃に一気に崩壊してしまいます。
この時期に下記の出来事が一気に起こり、その後しばらくは停滞が続くことになりました。
・ヒッタイト帝国の滅亡
・ミタンニ王国の滅亡
・ミケーネ文明の滅亡
・エジプト帝国の衰退
・カナンの陥落
・キュプロスの陥落
 この時期に、多神教から一神教への移行が始まったとされています。
B.C.1353年 アクエンアテンのアマルナ革命
B.C.1250年頃 トロイア戦争
B.C.1250年頃 モーセの出エジプト
B.C.1177年 海の民、エジプトに侵入、ラムセス三世これを撃退する

<多神教から一神教へ>
 古代オリエントの宗教は本来多神教で、各地で地母神、女神が信奉されていました。やがて人間の集団の組織化と共に、神々の間に階級が作られ、神々を統一する主神が後から作られるようになります。有名なギリシャ神話で、ゼウスが正妻がいるにも関わらず多くの浮気を重ねてあちこちに子供を残したことになっているのは、まずアテナやアフロディテなどの多くの女神が各地に存在し、それを後から統合する必要が出てきたので、結果として様々な女神の父としてゼウスは後から位置付けられたのだと考えられています。
 様々な神々は次第に統合されていきましたが、それと同時に文字の数も数千から数十へと絞り込まれていきます。豊かな多神教の世界がよりシンプルに分かりやすく統合されていくと同時に、文字の世界も、バリエーション豊かな世界からより機能的でデジタルなものへと移行していったのです。
 最初の一神教は、エジプトのアテン信仰とされています。ファラオ自らが宣言し、他の神々を否定する排他的な一神教としては最初のものです。それまでは神に優劣や地域性はあっても、他の神を否定することはありませんでした。やがてこの排他的な絶対神を掲げる一神教は、ユダヤ教のヤハヴェ信仰、そしてキリスト教、イスラム教へと繋がっていきます。全ての者へ等しく救いを与える「唯一の神」は、逆に絶対者であるが故に身も心も捧げ、規律と道徳、そして禁欲を強いる存在となていきます。キリスト教はヨーロッパにおけるワイン文化の担い手となりましたが、古代ギリシャやローマのおおらかな飲酒文化から、節制を旨とする禁欲主義的で純粋主義的な文化へと移行していきます。そしてイスラムの禁欲主義は、ついにワインそのものを否定するに至ったのです。

<イスラムの禁酒>
 禁酒について何回か啓示を受けたムハンマドは、ついに全面禁酒の啓示(コーラン5章90〜91節)を受けます。酒は嫌悪すべきものであって、サタン(シャイターン:悪魔) の業であり信仰を妨げるものであるから、これを避けよ、という命令でした。飲酒はハラーム(禁断)であり、酒類の製造・販売も禁止されました。第2代カリフ、ウマル1世がプドウ、ナツメヤシ、蜂蜜、大麦、小麦の5種を原料とした飲物をハムル(酒)と断じて決着をつけたと言われています。ウマル1世は「酒とは人智を曇らすもの」と言っており、以上の5種を原料としたものはもちろん、飲んで酔うものはすべてハラーム(禁断)であるとの考えが支配的になりました。
 ワイン発祥の地で、禁酒を旨とする宗教が他を圧倒して今の時代も周辺の地を支配しているということは、そこだけ取り出すと非常に不思議に思われます。しかし宗教・文化の流れで考えると、それは緩やかでおおらかな女神信仰に基づく多神教から、禁欲的で絶対主義的な一神教へと移行する時に、既にその兆候はあったのであり、実際には極めて自然な成り行きだったのだとも言えるのです。互いに文明がぶつかり合い、戦いが生じ、そこで豊穣を祝うことよりも戦勝を祈願するようになると、より強い神、絶対的な主神、男神への信仰が求められるようになりました。そして武器の確保、エネルギーの確保、流通の確保が優先される中で、禁酒と節制を要求する一神教が頭角を現すのはある意味必然だったのではないでしょうか。

B.C.9000年 アナトリアのギョベックリ・テペ遺跡、石の鉢と酒杯の出土
B.C.6000〜5800年頃 ジョージアにて最古の栽培ブドウ種子発見 (ヴィティス・ヴィニフエラ・サティヴァ)
B.C.4100年 アルメニアのアレニ洞窟内の醸造所跡 
B.C.4000年頃 アナトリアでワインが造られていたとされている
B.C.2470年 エジプト第五王朝 ワインの記録あり
B.C.2000年 ギリシャにワイン造り伝わる
B.C.1800年 バビロニア「ギルガメッシュ叙事詩」にワインの記載あり
B.C.18世紀 インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト王国が建国 、ヒッタイト王国の法律書にワインの記載あり
B.C.1600年 クレタ島のミノア文明、最古の足踏み破砕器
B.C.1177年 エジプトに「海の民」侵入。オリエントにおけるカタストロフ 〜ヒッタイト、ミタンニ、ミケーネ、カナン、キプロス陥落
B.C.188年 アルメニア王国の成立
B.C.128年 ペルシャから中国へ、ワイン用ブドウがもたらされる (ペルシャ後期のブドウを意味する言葉は「ブダワ」/中国語・日本語「葡萄」)
330年 ビザンティウムがローマ帝国の首都コンスタンティノポリス (現在のイスタンブール)となる
1038年 セルジューク朝の樹立
1299年 オスマン帝国の樹立
1571年 レパントの海戦、オスマン帝国はスペイン艦隊に敗れる
1683年 トルコ軍のウィーン包囲 オスマン帝国の領土が最大となる
1895〜6年 トルコによるアルメニア第一次虐殺 
1915〜7年 トルコによるアルメニア第二次虐殺
1920年 アルメニア共和国、ソビエト連邦へ加盟
1922年 軍人ムスタファ・ケマル(アタテュルク)のトルコ革命、帝国滅亡
1923年 トルコ共和国の樹立 、指導者アタテュルクによるワイン国営醸造所の設立が始まる
1926年 トラキアにドルジャ社設立
1929年 首都アンカラにカヴァクリデレ社設立
1985年 ゴルバチョフによる酒類生産規制・価格引き上げ
1991年 3月ジョージア独立、9月アルメニア独立
1992〜4年 ナゴルノ・カラバフ戦争(アルメニアVSアゼルバイジャン)
2013年 ジョージアのクヴェヴリワイン造りがユネスコ世界文化遺産に

<今回の3冊>

   
P.E.マクガヴァン「酒の起源」(白揚社)
 以前は何となく酒の起源は四大文明のメソポタミア文明、エジプト文明から…と漠然と思っていたのですが、最近になって次々と新発見が続き、関連著書も出版され、酒の起源についておぼろげながらもくっきりとした像が浮かぶようになってきました。ワインの発祥の地が、メソポタミアよりもさらに中央アジアに位置するジョージアであることはほぼ確実のようです。さて、この「酒の起源」によると、9000年前には人類の歴史の中に酒が誕生し、しかもその最古の遺跡はヨーロッパではなく中国にありそうだ、ということになっています。葡萄を原料としたワインが生まれたのはジョージアですが、土器が生まれたのは中東よりも中国の方が早かったとのこと。最古の酒は穀物や果実を混ぜて造られた物と推定されていて、確かに考えてみれば、歴史を下るほど原料を絞り込んで純粋な物だけを選んでいく、という傾向はありそうです。著者のマクガヴァン氏は、発酵飲料に関する生体分子考古学プロジェクトのサイエンスディレクターで、ジョージアの8000年前のワインの痕跡を発見した人でもあります。その著書「Ancient Wine(古代のワイン)」が翻訳されていないのは何ともくやしい限りではありますが…。

E.H.クライン「B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊」(筑摩書房)
 A.I.やiPS細胞が、不可能と思われていたSFの世界を実現しつつある現代にいると、どうしても文明という物は過去から未来へと進歩し、人間という存在も年を経る毎に賢くなっていく…と思い込んでしまいます。しかし私たちも生まれたときは原始人、あるいはより抵抗力を失い本能を失った出来の悪い生物だったわけで、文明の進歩も人間の進歩もある意味タチの悪い思い込みなのかも知れません。中世の人間は、むしろ過去の古代ローマや古代ギリシャこそが黄金時代で、人間の栄光はむしろ過去にあったと思っていたはず。ワインの成り立ちを想うとき、見方を変えると、昔の人々の英知と努力、そしてそれに引き替え現代人の怠惰と限界を感じずにはいられません。オレンジワインにしてもクヴェヴリワインにしても、ワインは過去の原点を振り返ることでのみ新しく前に向かう、と感じることがあります。今飲むことができるワインは、昔の王侯貴族が望んでも得られなかったほどの高品質なもの…それはその通りなのですが、アルコール依存症が社会問題となる一方で、極端な禁酒に向かう宗教や共同体もある、そんなどこか窮屈さのある現代に比べると、初期のアルコール文化は、もっと自然や精神性と深く結びついた、バランスの取れたものだったように感じられるのです。さて、本書では、現代において宗教や民族問題、エネルギー問題で紛争の絶えない古代オリエント世界が、3000年以上も前に同じ危機と崩壊を迎えたことを詳細に描いています。多神教から一神教へ、錫から石油へ、粘土板からインターネットへ…媒体は変わってもやっていることは同じ。そしてその根底にあるのは、文明が進んだが故の相互依存と格差とのせめぎ合いという、本質的には何一つ変わらない人間の悟性とでもいうべきものです。この「崩壊」は決して過去の物ではなく、この地に生まれたワイン文化が、宗教や文学と密接に結びついていたにも関わらず、最終的にはその宗教の変化を背景に禁酒主義の国となってしまったのと同様に、我々が当然と思っていたものが完全に失われてしまう、その可能性がまだあるのだ、ということについて深く考えさせられました。

島村菜津「ジョージアのクヴェヴリワインと食文化」(誠文堂新光社)
 ワイン発祥の地であるジョージアは、同様に最古からのワイン生産国だったアルメニアと共に、ソビエト連邦からの圧力のもと自由にワイン造りのできない環境に置かれていましたが、両国とも独立を契機に少しずつ伝統的なワイン造りを復興させています。白ワインを醸すオレンジワインや、地中に埋めた土器で発酵を行うクヴェヴリワインの復活は、新しいワイン造りの方向性を示す物として注目されつつあります。トルコもイスラム教国でありながら、政教分離を徹底させ、注目すべきワインを造っています。ワイン文明から一気に禁酒主義国へと向かった中東、そして一気に共産主義・計画経済へと向かったロシア…これらの全体主義的な宗教・経済の圧迫は、ワイン発祥の地の自由なワイン造りを圧迫し続けましたが、そのジョージアのワインが注目を浴び、多く取り上げられるようになったことは大変喜ばしいことに思われます。圧迫と崩壊に向かう社会へのアンチテーゼのように感じるからです。より窮屈な社会と突き進む流れを押しとどめてくれている気がするのです。

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