電ミス「書き出し限定」競作コンペ参加作品


薔薇のパズル

橘 音夢


(問題編)

 ここには昨日あったジグソーパズルがなかった。あるはずのものが、あるべき場所にないのは何だか気持ちが悪い。
「あの、ここに掛けてあったパズルは外しちゃったんですか?」
 私の質問に、この館の主人である作家、織原譲(ゆずる)はふっと笑みを漏らした。
「ああ、飽きたんでね。違うのに掛け変えようと思っているんです」
 パズルのあった場所には、鉤型の金具だけが無機質な輝きを見せていた。
 
 私、紺野美紀と友人の笹谷花音(かのん)は大学のゼミ仲間だ。彼女はミステリ研究会なるものに所属していて、何かと推理をしたがるので私としては少々迷惑なのだ。
 この間は私の単行本をいきなり手にとって言ったものだ。
「まあ、この本じゃたいした金にはならないな。読み終わったら私にちょうだい」
 私は驚いた。読み終わったら古本ショップに売りにいこうとしているのがどうして分かったのだろう。
「あのね、あんたはいつも栞を使わずに本のページの端を折り曲げてるわよね。それ自体、本には失礼な行為と思うけれど、まあそれはよしとして、この本には栞が挟んであるしカバーまで掛かっている。綺麗に使って高く売ろうって考えてるでしょ?」
「いやだ。花音にはすべてお見通しなのね」
 私の言葉に花音は愛嬌のある丸い目をちょっと細めて、にやにやしながら答えた。
「そのとおり。この私をごまかせる者は誰もいやしないのよ」

 事の起こりは、九月の終わり。花音のいつもの気まぐれだった。彼女は大学構内のカフェテリアでアフタヌーン・ティーを優雅に楽しむ私の目の前に座ると、にやにやしながら話しかけてきた。
「ねえ、今度の土曜日、暇でしょ? 山梨にいい温泉があってさ。予約したいんだけど一緒に行かない?」
「え、いいけれどどうやって行くの?」
「零次が免許取れたんだって。で、さっそく新車買ったって言うから乗せてってもらうのよ」
 そう言うと花音は何故か意味ありげな笑みを浮かべた。
「な、何よ」
「いいって、いいって。私に任せておきなさいな」
 花音は私が残しておいた半欠けのスコーンを素早く奪い取ると口に放り込んで、にやりと笑った。
「コーヒーはいつものブラックでいいから。ね、美紀ちゃん」
 
 そういうわけで、私は花音と同じミス研の田川零次の三人で山奥の温泉へと向かった。期待した新車は中古の軽自動車ではあったが。
 零次は花音の男友達だ。背が高くて優しい笑顔の持ち主だが、花音に言わせれば「単なるダチ」だそうだ。けれど私は零次が花音にそれ以上の感情を持っているのではないかと思っていた。温泉に行くなんて、ふたりで行けばいいのに行きづらいから私を誘ったのだろうか。私はちょっと複雑な気持ちだった。

「どうしよう。道に迷ったみたいだ」
 零次が不安げに呟いた時、すでにあたりは暗くなりかけていた。
「ええっ、さっきはもうすぐ着くって言ってたじゃない!」
 花音が助手席で地図を広げて溜息をついた。「この印がついているところが、今日行く予定の旅館?」
「そうだけど何か?」
「何かじゃないわよ。この山じゃないでしょう? 目的地はこの隣の山の中よ。だからナビ付けとけばよかったのに」
「うわあ、しまった。どうしよう、どんどん暗くなってくるし」
 花音は地図を畳んできっぱりと言った。
「引き返しましょう。とりあえず麓に下りないと」
 ところが、いくら走っても麓につかない。何処をどう走ったのか山の中から出ることが出来なかった。
「ねえ、あそこに灯りが見えるわ。あそこで泊めてもらえるかもしれない」
 私は少し不安だった。見ず知らずの人間を泊めてくれるのだろうか。
 一応、家に連絡をいれようと携帯を取り出すと、ここは見事に圏外だ。
 私の不安を見越したように花音が首を出してにんまりと笑った。
「大丈夫よ。可愛い女の子がふたりもいるんだもの」
 
 近づいてみるとそれはかなり大きなログハウスだった。暖かそうな灯りが窓からほんのりと零れている。
 私は正直言ってほっとした。すでに時刻は午後十時をまわっていた。
 車をログハウスの横にある大きな駐車スペースに停めると私達三人は、玄関へと向かった。ドアを開けて出迎えてくれたのは、品のいい初老の婦人だった。
「突然申し訳ありません。車で温泉に来たんですが道に迷ってしまって。あの、よかったら一晩泊めていただけないでしょうか?」
 花音の言葉に老婦人はふんわりとした笑みを浮かべて答えた。
「ええ、構いませんよ。お疲れになったでしょう? 今、譲様に連絡して参りますから中に入ってお待ちください」
 そう言って婦人は私達を広い居間へと案内してくれた。部屋の中央に置かれた木製のテーブルには濃淡のピンクと白の薔薇の花々が活けられた大きな花瓶、よく見るとこれは生花ではなくシルクフラワーのようだ。床に引き詰められた茶系の絨毯とマホガニーのサイドボード、そして暖炉が落ち着いた雰囲気を形作っていた。
「いいわね、この部屋。すごく居心地良さそう」
 花音はそう言いながら、ソファーに座ると薔薇の花瓶をしげしげと眺めている。
「でも俺はちょっとこういうの苦手だな。畳の部屋の方が落ち着くよ」
 零次は手でクッションの効き具合を確かめながら布張りのソファーに腰を降ろした。
 私は部屋の中を一周してみた。壁に飾られた額は良く見るとジグソーパズルだ。縦が五十センチ、横が七十センチくらいだから1000ピースだろうか。薄いグリーンの背景に描かれた真っ赤な薔薇の花束。幻想的に描かれたその花束の周囲には落ちた花びらが散乱している。
 よく見ようと顔を近づけた時、背後でドアの開く音がした。
「なかなか労作でしょう? 完成までかなりかかったんですよ」
 この館の主がそこに立っていた。黒のマオカラーのシャツに黒のズボン。綺麗にウエーブがかかった髪に端正な顔。どこかで見たことがあるよう気がした。
「初めまして、笹谷花音です。突然お邪魔して申し訳ありません」
 花音に続いて私達も立ち上がり、挨拶をすませると、館の主はちょっと首を傾げて、「私は織原譲(ゆずる)と言います。ペンネームですけどね」と少し照れたように答えた。
「織原譲って、あの有名な小説家の?」
 零次の言葉で私も思い出した。彼の恋愛小説は出すたびにベストセラーになるほどで、映画化やテレビドラマ化もされていたはずだ。
「そうです。都内のマンションに部屋もありますが、執筆中はほとんどここに来ているんです。独身の気楽さですね。家事は一切、西野さんにまかせっきりですが。まあ、とにかくお座りください」
 ソファーに落ち着くとドアが開いて、先ほどの婦人がティーセットをワゴンに乗せて部屋に入ってきた。
 品の良いティーカップに注がれたダージリンの香りが部屋を満たし始めた。織原氏はティーカップを持って立ち上がり、窓から外を眺めている。
 その時、西野と呼ばれていた婦人が躊躇いがちに切り出した。 
「あの、譲様。書斎の窓が開いていて、机の上にこれが」
 それはなんの変哲もない白い封筒だった。宛名も何も書いていない。郵送されたものでは無さそうだ。
 織原氏はソファーに戻ってくると封筒を受け取って破り、中身をテーブルの上に出した。手紙は入っていなかった。
 封筒に入っていたものは一枚の真っ赤な薔薇の花びらだった。
「ちょっと見せていただけますか?」
 花音が織原氏から封筒と花びらを受けとった時、西野さんが小さな声で呟いた。
「これ、まさか奈々様が……」
 織原氏の柔和な顔が急に険しくなった。
「馬鹿な。奈々であるはずがない。二度とその名前は口にするな!」
 その剣幕のすごさに私は織原氏の顔をしげしげと見つめてしまった。花音は何事もなかったように封筒を覗き込みながら呟いた。
「あの……奈々さんというのは?」
「私の恋人でした。これ以上は私からは話したくない。西野さん、君が話してやってくれないか」
 西野さんはちょっと躊躇っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「奈々様は半年前に突然失踪されたそうです。私はこちらに来て、まだ一ヶ月なのでお会いしたことはございません。譲様とご婚約なさることも決まっていたそうです。ご家族から失踪届も出されたようですが未だに手掛かりはないようです」
「あの、西野さん。なぜ薔薇の花びらが奈々さんと結びつくんですか?」
 西野さんは壁のジグソーパズルに目をやり、「奈々様は薔薇の花がお好きでした。このパズルも奈々様が買っていらしておふたりで組み立てられたそうですよ」と続ける。
「奈々様が失踪されたのは、ちょうどこれが完成する寸前だったと前に勤めていらした家政婦さんにお伺いしました」
 織原氏は西野さんの顔を凝視してしばらく考え込んでいるようだったが、やがて静かに立ち上がり、こう告げた。
「さて皆さん。お食事はまだでしょう? 西野さん、何か軽いものを作ってやってくれないか。私は先に休ませて戴くよ」
 織原氏は壁のパズルを一瞥すると居間から出て行った。
 
 私たち三人はキッチンの横の小部屋で西野さんの作ったサンドイッチとコーヒーをご馳走になった。花音は私と零次より五分ぐらい遅れて部屋に入ってくると、さっそくツナサンドを頬張りながら西野さんに問い掛けた。
「西野さん、どうしてここにお勤めになったんですか? 住み込みの家政婦さんは何かと大変でしょう?」
 西野さんはコーヒーを注ぐ手をちょっと休め、遠くを見つめるような表情で話し始めた。
「私は一年程前に主人を亡くしましてね。それから一人暮らしをしていたんですが、だんだん寂しさに耐えられなくなってきて。そんな時にここの求人が新聞広告に載ったんです」
「けっこう倍率が高かったんじゃないですか?」
「いいえ、これだけ不便なところですからね。面接に来たのは私だけでした」
「ここだと買い物も大変でしょう?」
「ええ、一週間に一度、私が車で麓のスーパーまで行ってまとめ買いをしてくるんです。慣れてしまえば結構快適な暮らしです。ああ、そうだわ。ケーキを焼いたんですけど召し上がりますか?」
 零次がとたんに目を輝かせた。
「あ、俺、甘いものに目がないんです。いただきます」
 西野さんが出してきたのはチョコレートケーキだった。ケーキの上には見事なリボン状の飴細工が飾られている。彼女はそれを切り分けて小皿に乗せた。
「うわ、素敵ですね。これご自分でお作りになったんですか?」
 私の問いかけに、西野さんは恥ずかしそうに答えた。
「ええ、昔、ケーキ職人を目指していて本格的に習ったことがあるんですよ。このリボンは飴を鍋で溶かして引き伸ばして作ったんです」
 はにかんだ笑顔は少女のようだった。リボンを乗せたケーキは舌の上でとろけるように柔らかくておいしかった。

 それから私達は電話を借りて旅館と自宅に連絡を取り、二階にある客間に泊った。私と花音はベッドで、零次はソファーで毛布にくるまっていた。
 夜中に私は目が醒めた。ベッドから降りて窓の外を見ると山林の一角が妙に明るい。何だろうと思ったがそのうちに眠気が襲ってきて早々にベッドに戻った。
 隣の花音は安らかな寝息をたてている。温泉、行きたかったなあ。どんな夕食だったのかな。そんなことを考えながら私は深い眠りへと落ちていった。

 翌朝、私達は例の小部屋で朝食をいただくと、居間に集まった。地図を取り出して睨めっこしていると織原氏が入ってきた。相変わらずの黒ずくめだ。
「場所が分かりづらいでしょう? あとで私が麓まで車で降りますから、ついてきてください」
「ああ、そうします。ありがとうございます」
 零次はほっとしたように答えた。
 私は昨日まで壁に掛けてあったジグソーパズルがないのに気付き、そのことを織原氏に尋ねた。
 織原氏の答えは納得の行くものではなかった。
 
 午前十時頃、西野さんがワゴンを押しながら入ってきた。コーヒーのポットから香ばしい香りが漂ってくる。
 カップに注がれるコーヒーの暖かい湯気を眺めながら、私はなんとなく幸せな気分になった。
「ああ、これは邪魔ね。どけましょう」西野さんはそう呟いて薔薇の花瓶を抱え上げ暖炉の上に持っていった。 
 ミルクポットとシュガーポットをテーブルに並べ、コーヒーを配る。
「ごめんなさい。トングが見つからないから角砂糖は手で取ってね」
 私が一個、シュガーポットから角砂糖を取ったあと、西野さんはコーヒーを淹れたカップのひとつに角砂糖を一個、慎重につまみ出して入れ、スプーンでゆっくりとかき混ぜた。
 西野さんはそのカップを織原氏の前にそっと置いた。
「ああ、ありがとう」
 織原氏はカップを手に取り、立ち上がるとゆっくりと窓に歩み寄った。「今日は一雨来そうだな」
 そうしてこちらに背を向けたままコーヒーを口に運んだ。
 がしゃん、とカップが床に落ちた。織原氏が突然、苦悶の叫びをあげながら喉を掻きむしり血を吐いた。そしてそのまま足をもつれさせて床に倒れ、転げまわって苦しんでいる。
「譲様! どうなさったのですか? 譲様!」
 西野さんが駆け寄り、織原氏の身体に覆い被さるようにして抱き起こそうとしたが、織原氏は身体を痙攣させて動かなくなった。
「西野さん! 織原さんから離れて!」
 花音はそう叫んで素早く傍に行くと織原氏の脇にひざまずき、首筋に手を当てた。
「……もう死んでいるわ」
 私と零次も恐る恐る近づいて覗き込む。白目をむいたその表情は凄まじく、私は慌てて顔から目をそらした。花音は織原の口にそっと鼻を近づけ、匂いをかぐ。
「すごく甘酸っぱい匂いがする。たぶんシアン化カリウムね。いわゆる青酸カリだけど」
 ズボンのポケットから何かが覗いている。花音がハンカチでそっと摘み取るとそれは写真大の小さなジッパー付きのポリ袋だった。中に白い粉末が残っているのが見える。
 私は気分が悪くなり、少しよろけた。すると零次が後ろから私の肩をそっと支えてくれた。
「大丈夫?」
「……うん。ありがとう」
 何故か顔が火照ったように熱くなってきたのは、ショックのせいだけではなかったようだ。
 花音はポリ袋を織原氏のポケットに戻すと立ち上がって、呆然と立ち尽くしている西野さんに声を掛けた。
「西野さん、織原さんは亡くなっています。警察に連絡して下さい」
「あ……はい、すぐに連絡します。あの、それで……」
「それで、何でしょうか」
「自殺でしょうか? 自分で毒薬を持っていたみたいだし」
「でもコーヒーに入れるところは見ていないでしょう?」
「ええ、でもこちらに背中を向けていたし、自分でコーヒーに入れたんじゃないんですか?」
 花音は西野さんの顔を正面から見つめて問い掛けた。
「それは違いますよね? 西野さん」
 西野さんはしばらく花音の顔を眺めていたが、やがてしっかりとした声でこう答えた。
「あなたは、私が譲様を殺したと思っていらっしゃるの? でも私は何も隠し持っていないわ。調べてもらえればすぐに分かるわ」



<読者への挑戦>
 さて、この事件の犯人は西野です。西野はどのようにしてシアン化カリウムを部屋に持ち込み、織原のカップに入れたのかを考えてみてください。
 手掛かりはすべて与えられています。
 

(問題編・終わり)

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