電ミス「書き出し限定」競作コンペ参加作品 |
消えたマジシャン、残されたシルクハット
雨沢流那
(問題編)
そこにはマジシャンがいなかった。あるべきはずのモノが、あるべきはずのところにないのは、気持ち悪い。
いや、本当はそうでないのだ。気持ち悪いのはただ、誰一人として入ることも出ることも出来ないはずの部屋に、ぽつんとシルクハットだけが転がっているという事実。雪深き土地の別荘の一室、真っ赤な絨毯に立派な暖炉、それしかない部屋の真ん中に残された、シルクハット――。
けれど私には、なによりマジシャンがいないということこそが、おかしいことのように思えた。なぜならそのシルクハットが、マジシャン無しで存在することなど、今まで一度も見たこともなかったから。
「シルクハットは、マジシャンの必須アイテム。私がこれをはずすのは、眠る時と、お風呂に入る時と……お客様を驚かす時だけ」
そう言っていつも、はずしたシルクハットから鳩や万国旗や、時にはお客の財布を引っ張り出して、驚かす。それが、先生の十八番だったから。
「しっかしまぁ、シルクハットだけ残して消えるって、どういう事だろうなぁ」
そうつぶやいたのは、先生のお弟子、そして私の兄弟子の宮越さん。
「あの先生がシルクハットしてない姿なんて、見たことないよ」
そう、そのとおり。マジシャンの備えとして、先生はいつもタキシード、しかも、マントつき。仕事のときはもちろん、飲み会などの食事のときや、新幹線での移動のときでさえ、正装を崩さない。当然、その頭にシルクハットがのっていないことも、ない。だから、私でさえ、先生の「普通の服装」なんて、一度たりとも見たことがないのである。
なのに、ここにシルクハットだけが残っているなんて――
「先生は消えたんだ」
そう高らかに宣言したのは、先生の熱心なファンにして、ここ、紅雪荘の主、赤松隆雄さんだった。
「先生は、シルクハットを残して、最後の大マジック、人間消失をやってのけたんだ」
確かに、その言葉に思わず頷いてしまう自分がいる。
スポットライトに照らされたステージの上、一礼するマジシャン。まるで、ステッキの一たたきとともにポワンと煙が舞い上がり、気付けばステージに残されているのは、シルクハットだけ。まるで、シルクハットの中に用意されたホールからタイムワープしたみたいに、見事消えてみせたマジシャン。私が思い描くのは、そんな情景。でも、舞台でないこの部屋には、地下に落ちる抜け穴など用意されていないのに……。
人間消失――。
どこにも出口のない密室から、シルクハットだけをダイイングメッセージのように残して消えた、一人のマジシャン。目の前の状況は、人間消失としか言えないような状況だった。
物語のはじめとして、とりあえず登場人物を紹介したいと思う。
まず、年齢不祥、ベテランカリスママジシャンにして、私の尊敬する、先生。先生は元々、マジシャンの腕ももちろんだったけれど、そのマジックの見せ方のうまさで人気を得たマジシャンだった。ようは、芸に華があったのだ。それに、普段から正装を崩さない、というパフォーマンスや、なかなかに甘いマスクも手伝って、人気は抜群。だから、純粋なマジックのファンばかりでなく、熱狂的なファンも多くついている。
そして、その一番弟子、最近は単独でも仕事こなせるほどの腕を持つ、宮越さん。年齢は、三十代半ばくらいだろうか。先生と芸風は違うものの、独特の軽いノリでの演出がうまい。もちろんマジックの腕も、私なんかが言うのもおこがましいけれど、たいしたものだ。それに、不器用で覚えの悪い末弟子の私を加えた三人が、この夜紅雪荘に呼ばれたお客である。
次に、ここ紅雪荘の主、赤松隆雄さん。年齢はよく知らないけれど、三十代すぎくらい、と私は見積もっている。なんでも、子供の頃初めて見て感銘を受けたのが、先生のマジックだったらしい。こんな山奥に家を構えるだけあって、アウトドア好きのがっしりした人だ。そして、好対照にたおやかな雰囲気の美人妻、赤松雪子さん。「紅雪荘」の名前は奥さんの名にちなんで、ということだそうだ。もちろん奥さんも先生の大ファンであるのは言うまでもない。そしてさらに、お二人の一人娘、小学校二年生の、歌乃都ちゃんだ。えらく変わった名前で最初はビックリしたものの、最近の子供はこういう凝った名前が多いらしい。年の割に、言いつけられたことはちゃんと聞く、素直でいい子である。
今回私たちが紅雪荘を訪れたのは、先生の熱心なファン、赤松さん夫妻から招待を受けたからである。実は、前々からお誘いは受けていたのだけど、仕事が忙しかったりでなかなか機会がなく、紅雪荘を訪れるのは今回がはじめてだ。
本来、私たちはこういう招待を受けたりはしない。たくさんいるファンの招待をいちいち受けてはいられないし、どこから仕事なのかの境界線が曖昧になってしまうからだ。ただ、赤松さんは先生のスポンサーとして随分協力して下さっていて、私たちとしても正直頭が上がらず、その熱意に押し切られた形になってしまった。もちろん、一友人として招待を受けているわけだけれど、そこは律義な先生だから、日常の合間にいくつか小粋なマジックは披露している。もちろん私は「大変そうだなぁ」と横で眺めるだけである。
「事件」が起きたのは、私たちが紅雪荘について、二日目の夜だった。夕食が終わり、先生、宮越さん、私の三人は、居間でくつろいでいた。隆雄さんは、何やら体調が悪いとかで部屋にこもってしまった。また、雪子さんは食事の後片付けにとキッチンへ。そうすると、手持ちぶさたなのが歌乃都ちゃんである。そこで、暇を持て余す私たちに、これ幸いとじゃれ付いてくる。
私も子供の嫌いな性分ではなく、普段この年齢の子に接する機会のない新鮮さもあいまって、実は初対面のくせにわいわいとかまっていたら、すっかり気に入られてしまった。 やがて、もうすぐ九時になろうかというくらい、先生は壁の時計を見上げたかと思うと、何も言わずにぷいと席を立った。その後ろ姿に声を掛ける。
「あれ、どこへ行くんですか、先生」
だが、私の方を振り返ってみせた先生は、ニヒルに一つ微笑んで見せただけで、私の問いには何も答えてくれなかった。そして、居間の隣の部屋のドアを開け、その中へ入っていく。その部屋、なんだっけ、なんであんな部屋に入るんだろう、と疑問に思いつつ、結局私は先生の後ろ姿を見送っただけだった。
――しかし、それが先生を見た最後となったのだ。
その後、私と歌乃都ちゃんは一時間ほどの間、一度も場を離れずそのドアの前で遊んでいた。その間、赤松さん夫妻の姿を見ることは、一度もなかった。宮越さんは、始終私たちの側でぶらぶらしていたが、一度だけ、トイレに立った。時間は、せいぜい五分くらい。
そして、先生が部屋に姿を消しておよそ一時間くらいたったころ、隆雄さんが居間に顔を出した。
「体、大丈夫ですか?」
私の言葉に隆雄さんは案外しっかりと頷きながら答える。
「ええ、少し休んだら、楽になりました。ところで、先生は?」
「いや、そっちの部屋に入ったっきり。そういえば、もう一時間くらいになるなぁ。なにしてるんだろう?」
そこへ、台所から雪子さんが顔を出す。
「あら、あなた。起きたの。今、コーヒーでも入れようかと思ったんだけど」
「ああ、いいな。入れてくれ」
雪子さんはうなずき再びキッチンへ消える。そしてまた五分後、香ばしい匂いとともにコーヒーが登場。それを受けて私は、先生を呼ぶべく、立ち上がって先生の入っていった部屋の、ドアを開けた。だが、その部屋の情景を目の当たりにした私は、何も言えずに立ち止まる。
あるはずのものがあるべき場所にない、違和感。
――何もない部屋には、シルクハットが一つ残っているだけだった。
私は、みなの方を振り返り、言った。
「先生が、消えてしまったんですけど」
「それにしても、先生は本当にどうやってこの部屋から抜け出したんだろう?」
宮越さんが、そうぼやく。
「とりあえず、ドアっていうことは有り得ないですね」
「おいおい、マジシャンの卵が分かりきったこというなよな」
そう宮越さんはたしなめる。そのとおり、私と歌乃都ちゃんがずっとドアの前にいたのだから、見逃すことは有り得ない。そう私は断言できる。
「やっぱり窓?」
そういいながら私は、雪深き土地らしく頑丈に作られた窓に近寄る。だが、そこには中からしっかりと鍵が掛けてあった。
「全部きっちり掛かってるなぁ。でも、糸か何か使えば外からでも掛けられるかも」
「いや、有り得ない。見てみろよ」
そういって宮越さんは、窓の外を指差す。そこには、塵一つの乱れもない、雪に埋もれた庭があった。
「足跡がどこにも残ってない。無理だな」
窓を開けて見回してみるが、足跡を付けずに飛び移れそうな場所はない。そもそも飛び移った上で鍵を掛けるなんで、不可能だ。そこで、私は目先を変えた。
「じゃあ、あれ」
そう言って私が指差したのは、縄目模様の立派な暖炉だった。
「いやー、無理だろ。サンタクロースじゃあるまいし、いくらなんでもここは抜けられないって」
宮越さんの言葉に、隆雄さんも頷く。
「そうなんです。これは確かに外ともつながった、実用に耐える暖炉なんですが、物が落ちてきたりしないように途中に金網が張ってありましてね。ちょっとやそっとじゃ外れない」
その言葉を受けて、私はなんとなく暖炉に首を突っ込み、上を見上げてみた。そこには確かに、金網が張ってある。真っ黒くすすけたそれに、最近はずしたような痕跡はない。
けれど、そこから少し視線をずらした私は、天井に妙なものを発見した。暖炉のある壁際ギリギリに、四角く区切ったような切れ目。
「隆雄さん、あれはなんですか?」
「ああ、あれは屋根裏部屋ですよ」
「なあんだ、そこから抜け出したんだ。屋根裏部屋から、他の部屋に抜けられますよね」
「ええまぁ抜けられますけれど……」
だが、宮越さんがそれをさえぎる。
「おいおい、無理だって。あの穴せいぜい一辺三十センチくらいしかないだろ。先生細身だったから腰くらいは通るだろうけど、肩は絶対無理」
「うーん。あ、でも、サーカスとかで、トリックのために肩はずせる人とかいるんじゃないですか? 先生もマジシャンだから、そんなこと出来たかも」
「いや、それは俺も知らないけど……まぁ、仮に出来たとしても、それも無理だろ。そもそもどうやってあそこまで登るんだよ」
「そりゃ、脚立か何かを使って……」
「で、その脚立はどこに?」
「え……抜け出す時に持ち出した?」
「いや、持ち出すも何も、この部屋にはそんなもの最初からありませんでしたよ。それに、屋根裏っていっても狭いから、そんなものの入る余裕はありません」
と、雪子さんに否定される。
「じゃあ縄で」
「縄につかまりながら肩はずすの?」
「……無理ですね。――じゃあ暖炉をよじ登って……余計無理だ」
そういって私は、床にはいつくばった状態のまま、ため息をつく。
――それにしても、先生はなんでこんな事をしたんだろう?
そこで私は振り返り、間違いなく先生のものであるシルクハットの方を見やる。「消える」だけならまだ分かる。先生は割合そういう稚気のある人だったから、ここまで大掛かりじゃなくても、いたずらみたいなことは好きで、私などよく引っかけられて、からかわれたりした。でも、なぜわざわざシルクハットだけを残すのかが分からない。ひょっとしてあれは、先生のメッセージなのだろうか――。
先生が、そろそろマジシャンを引退するかもしれない。それは、ずいぶん前からささやかれていた噂だった。もちろんそれは噂で、先生が具体的に何かを言ったとかではない。
でも、ここ数年、先生の腕が衰えてきている、というのは、少なくとも内輪では周知の事実である。そもそもマジックのネタなど数限りなく思いつけるわけではなく、年と共に衰えはやってくるのだが、若い頃は華やかな人気を誇っていただけに、余計に衰えは目立つ。
なにより、先生自身、マジックの腕よりも、ミーハー的な人気に頼っていることに嫌気がさしているのではないか、などと私は邪推していたりする。ようは、ヴィジュアル系ミュージシャンが、外面と本心とのギャップに疲れる、というやつだ。もちろん先生はそんなことおくびにも出さないけど、疲れは、明らかな技のキレのなさとなってかえってくる。それは、悲しいことに私にさえも見えてしまうくらい。
そう、思い出した。そういえば先生は常々言ってきたのだ。
「シルクハットを捨てる時が、マジシャンを引退する時」
部屋に、ぽつねんと捨てられたシルクハット。赤松さんの言うように、先生は、最後にして最高の大マジック「人間消失」を見事にやってのけ、シルクハットを残し姿を消したのだろうか――。
そんなことを取り留めなく考えながら、ようやく体を起こす。すると、手に何やらぬるりとしたものがついた。なんだろう、と思いつつ自分の手を見た私は、愕然としてしまう。なんとそこについていたのは、何かの血だった。毒々しいほど真っ赤な絨毯、そして、その量の少なさから触るまで分からなかったが、わずかに残された、血液。これは、ひょっとして先生の血?
そうだとしたら、まさか先生に何か――。
人間には絶対に抜け出すことが不可能な、密室。そこで私は、手許の赤い血を見やる。そして、目の前の、閉ざされた部屋。わずかに口を開ける、人間には通ることの出来ない出口。
その瞬間だった。まるで奇跡みたいに、本来なら愚図でどうしようもない私の脳裏に、すべての伏線を貫くとんでもないアイデアが閃いたのだった! でもそれは、ひどく哀しいモノ……。
みなの方を向き直り、思わず口をついて出た言葉。
「――ひょっとしたら、事件が解けたかも知れません」
読者への挑戦
いやー、つけちゃったよ、読者への挑戦。つけていいのかな、と思いつつ。ま、スペースがないので簡潔に行きましょう。
「人間消失の謎を解くべし」
以上です。
(問題編・終わり)