*** 登録作家による小説競作 ***


 3

「都道府県名(地名)+?+謎」に挑戦

自分の地元、岩手県をテーマにしたものです。岩手といってすぐに思いつくものがこの「河童」でした。拙いものですが、宜しければお読み下さい。


岩手河童伝説の謎

現川竜北

 茶柱が立った。
 ゲンを担ぐほうではないが、机の上に置いたお茶を眺めると三角は気分が良くなった。ビジネスホテルに泊まるのも久し振りである。ぐるっと部屋を見渡してみても昔に比べれば格段に設備が良くなっている。三角が駆け出しの記者だったころに泊まったビジネスホテルはとても狭く、ベッドが部屋の3/1を占領しているようなものだった。その分安かったのだが。それに比べればこれなど普通のホテルと大した差はないように思える。値段は少々高めだが、非常に快適である。
 岩手県遠野市に派遣が決まったのはつい先日のことだった。
 狭いデスクに精一杯資料を広げながら原稿を書いていた三角に、部長が言った。
「三角。今度うちの雑誌で妖怪についての企画組むことにしたんだ。大々的にやるから、記者達はほとんどそっち担当になる。お前は河童について調べてきてくれ。詳しい所はこのレジュメに書いておいたから。岩手県の遠野という所まで行って来てくれ」
 部長は三角の机上に封筒を置いた。
「い、今すぐですか?」
 三角は突然の話しに目を丸くした。
「当然、当然。企画は一週間後だ。それまでにきっちりしたものを書いてくれよ。じゃ、頼んだぞ」
 薄くなりかけた頭髪を気にしながら部長は席へ戻った。後に残された三角はただ呆然とするばかりだった。大急ぎで原稿を書いてしまわなくてはならない。一週間というとそれほど短いわけでもないが、妖怪を調べるとなると勝手がわからない。早いに越したことはないだろう。急げ急げと、指をしならせながら三角はキーボードを叩いていった。
 そして。
 三角は今現在岩手県遠野市にやってきているのである。
 河童というと妖怪の中でも比較的有名である。頭の頂上がはげていて、全身緑色、手足には水かきがついていて……と割と親しみやすい妖怪だ。三角はそこら辺のポピュラーな所とのギャップを記事の中心に置こうと考えていた。
 遠野駅に着いての印象はやはり河童や民話のイメージを全面に押し出しているということだ。岩手県への観光客の内の何割かはここ遠野に来るようで、市の力のいれ具合が分かる。
 田舎町のイメージがあってあまり気乗りがしなかったのだが、駅は意外と普通のようだった。ホテルに向かう為に駅を出ると、さすがに駅前という所で、色々な店が立ち並んでいる。しかし建物と建物の間に見える民家や畑、山々とのコラボレーションはあまり良いもとは言えなかった。

「おい、醐醍院」
 歩きながら三角は同伴者に話しかけた。
 民話を昔から語り継ぐ人、『語り部』に会いに行くことになった。
「ん」
 こう答えた人物は醐醍院襷。中学校来の同級生で、ゴダイイン タスキと読むのだが、一読してその通りに読めた人物に三角は出会ったことがない。
 新幹線で相席した人物がどこかで見たような気がして妙に気になり、じっと見ていると、分かった。口元に指をつけて唇をぐにゃりぐにゃりとやる癖を持っているのは醐醍院しか居なかった。それも今は民俗学者だかをしているとかで、遠野に行くらしい。専門家が居るならばこれ幸いと、無理を言ってついてきてもらったのだ。
「僕の事気付いてたか?」
「あぁ」
 いつも言葉少なだが、頭の中はいつもフル回転しているのだろう。
「何で声をかけてくれなかったんだよ。ちょっとどきどきしちゃっただろうが」
「友人に会う為に来たわけでは無いからな」
 相変わらず偏屈な野郎だと三角は思った。
「なぁ、ところで河童はどこから発祥したんだ? お前民俗学者だからそういうの詳しいだろ?」
 醐醍院はちらりと三角の方を見ると、小難しげな本にまた視線を戻した。歩きながらよく本が読めるなと三角は思った。既に道は駅前都心から離れている。
「あのね、君。河童の発祥なんてもんがどこ、と特定出来たらノーベル民俗学賞もんだよ。大体発祥が定かな妖怪なんてどこにも居ないじゃないか」
 てくてく。あぜ道といってよい。辺りには畑が広がっている。
「そうかね」
「しかしね」
 民俗学者は本をぱたりと閉じて言った。
「この『遠野物語』そして柳田国男の論文を読んでみて分かったんだが、河童伝説、河童物語にはいくつかの系統があるようだ」
「系統か」
 てくてく。
「そもそも今の河童像というのは、各地の色々な河童伝説を組み合わせたものだ。昔から現在のようにイメージがあったわけではない。河童像というと、何を想像する?」
 友人は妙に歩くペースが速く、それについていきながら返事をするのは少々骨が折れた。
「そうだなぁ。全身緑色で、頭に皿があって、ちょっとあひるみたいな口をしていて、甲羅があって、手足は水かきでってところかな」
「そう。それが一般的な河童像だ。ところが、だ。ちょっとこれを見てごらん」
 そう言うと醐醍院は本をぺらぺらとめくり、ある絵を見せた。それには『図画百鬼夜行 隠』とある。河童と左上に書かれており、水辺の草むらから河童らしきものが半分身を乗り出している図だった。
「その河童の背中を注目してごらん」
 背中、背中……。
 あ。甲羅。
 ――この河童には、甲羅がない。
「なぜ甲羅が?」
 三角は驚いた。
「まぁそれは語り部の話を聞いてからにしよう」
 ふと気が付いて前を見ると、そこは古い民家だった。
「どうも、先程連絡していた者ですが……」
 大声で呼ぶと、中から腰の曲がったお婆さんが出てきた。お婆さんはキクと名乗った。「あ、どんも。わんざわざお越すぬなって」
「は?」
 三角はここが日本である事を再確認した。
「今なんと?」
「じゃあ中にあがってもいいですか?」
「あぁ、どんぞ」
 醐醍院は三角を無視して中へとあがっていった。中は昔ながらの造りといった感じで、暖かな雰囲気だった。今時木造というのも珍しい。方言が判る友人を羨ましがりながら三角はメモの用意をした。
「むかぁす、むかす、あったずもな」
 こんな独特の言い方で話は始まった。三角にはよく理解出来ないので、醐醍院にどういう話しかを教えて貰いながら三角はメモを取った。
 それをまとめるとこうである。
 昔、ある家の者が馬を冷やしに淵へ行った。ところがその者は遊んでいて馬をほったらかして行ってしまった。そうしたら河童が出てきて、馬を淵に引きずり込もうとした。そしたら馬が驚き、逆に河童を陸に引き上げてそのまま家へと引きずっていった。それを見つけた家の者がいたずらばかりする河童なんて殺せ、というのだが河童は許してくれと助けを乞う。哀れに思った家の者は逃がしてやる。それに懲りた河童は今度は遠い淵へと移り住んでいった。
 他愛もない話しであるが、河童民話の一つとして使える。
「どんとはれ」
 この言葉で物語は幕を閉じた。
 醐醍院がさっきから語り部と難しい会話をしているが、三角には何を喋っているのかさえ判らないので、ただお茶をすすっていた。茶柱は立っていない。
「ではそろそろ失礼します。ありがとうございました」
 語り部の家を後にすると、丁度良い時間となったので、昼食を取ろうという事になった。また一時間ほど歩いて、妙に古風な店に入った。醐醍院によるとここがオススメらしい。
 店に着くとすぐに三角は醐醍院に言った。
「なぁ、どうして河童に甲羅が無かったんだ?」
 ふきんで手を拭きながら醐醍院は言った。
「まぁそう焦るなよ」
 唇をこねくりまわしている。ここはそばが美味いんだよといって、天ぷらそばを二人分勝手に注文した。
「僕は早く知りたいんだよ。まったく。そんなに唇ばかりいじってると毒殺されるぞ」
 友人は澄ました顔で、
「まだ君は探偵小説なんかに傾倒しているのかい。もういい加減にしたらどうかな」
「判ったから早く続きを話してくれ」
「柳田国男氏によると、河童は水神が零落したものだという。水神とは、昔水の神様として崇められていたものだ。しかしその信仰が段々廃れてきたんだな。つまり水神という崇められる存在だったものがそうでなくなり、今度は逆にイタズラをする物の怪というものになってしまったんだ。ちょっと分かり難いかも知れないが、妖怪の発生条件とはそれを認識している人が居るかどうかなんだ」
「はぁ」
「もし河童という存在を知っているものが居なくなったら河童というものは存在しなくなるんだ。それと同じように、水神というものを知っている、崇めている者が少なくなり、逆に河童というものにそれが変わっていったということだ」
「そうじゃなくて、なぜ河童に甲羅が……」
「まぁ聞けよ。そういう風に発祥した河童といわれているが、実はその起源は中国にあったのだとか、わら人形から出てきたのだとか、言われている。それは各地でそのような起源だったのだろう」
「え? ちょっと待ってくれよ。さっき君は河童とは水神が零落したものだと言ったじゃないか。なぜわら人形だとかになるんだい」
 友人は呆れた顔をしながら言った。そんな事も分からないのかという顔である。
「だからね。さっきも言った通り、妖怪の存在とは認識している人が居るかどうかなんだよ。Aがある、と思っている人が居ればAはAなのであって、決してBにはならないし、Aが存在しないということにもならない。だがそれを認識する人が居なければそれは存在しないんだよ。だからわら人形が発祥だという地域では、わら人形の特徴がそのまま河童の特徴となっている。良い例では、河童と相撲を取った時に片方の腕を引くと、腕はつながっているからもう片方の腕が縮む。そうすれば相撲に勝てる。という民話だ。これはわら人形にも通じるだろう。わら人形の片方を引っ張ればもう片方は縮む。この特徴がそのまま地域の河童として伝えられているんだ。だから地域によって発祥が違っても、大元は変わらない。水神が河童の起源といったが、それも地域によって差がある。青森や岩手の北部ではカッパという呼び方ではなく、メドチとか、ミズシとかいう呼び方だ。これはミツチという日本書紀に出てくる水の精霊のようなものに起因するのだろう。つまりここでも河童と水神はつながっているわけだ。ここら辺から柳田氏は水神=河童説を考えたんだろう。それと水神説に対抗する説として、大陸説がある。始めは恐らく中国からではないかと思われる。中国、朝鮮半島から渡ってきた、いわゆる古い時代だと渡来人だとか、もうちょっといくと外国人だとか、自分たちとは違う一種の異邦人なわけだ。そんな違う存在を、畏れ、怖がった、それが河童へと結びついたのではないかという説だ。人が妖怪へなるというのは信じられないかもしれないが、今のように情報が発達していない古代では、異邦人は相当畏怖の対象になっただろうと推測される。だからそういうあやふやな認識が尾びれ胸びれを付けて人々の間を飛び回った。それが河童へとつながっていったのだろう。このような形は日本だけではなく外国にも見られる。河童とは日本だけの妖怪ではないのだ。たとえば北米大陸ではドーバーデーモン、ヨーロッパではリトルグリーンマンという河童らしい存在が伝聞されている。これらの妖怪というか、外国では未確認生物とでも言うのかな。発祥は日本の場合とほとんど同じだと思う。もしかしたら日本ともつながっているのかも知れないけど、文化交流の面から見て、中国以外の外国はちょっと考えられないね」
 ここで天ぷらそばが来た。醐醍院は一旦口を休めて、そばに手をつけた。三角もそばをすすっていると、ふとある広告に目がとまった。
「なぁ、醐醍院。この旅館良いと思わないか? ここにしようよ。昔ながらの旅館ってレトロな感じでいいなぁ」
 そばに舌鼓を打ちながら、三角は言った。だが友人は、
「ふん。そんなのどうせ旅館なんて言わない、ただのホテルだろうよ。外だけレトロな風に造ってあるんだろ。まぁ僕は泊まる所なんてどこでもいいけどね」
 不機嫌そうであるが、これがこの男のいつもの顔である。
 三時間後。夜六時頃だろうか。三角は既にあらかたの取材を終えていた。思ったよりあっけなかったようだ。課長がもう段取りを済ませてくれたおかげかも知れない。
 二人は旅館、という名のホテル「森の風」に来ていた。中は大理石のフロントに赤絨毯が敷いてあり、ソファが至る所に置いてあった。外見の古風な感じとは予想もつかない。
「だから言っただろう? 外見だけに惑わされてはいけないのだよ。良い例として……」
「あー、分かった分かった。そんなうんちくよりも河童の取材に来てるんだから河童の話をしてくれよ」
 早々とチェックインを済ませると、二人は部屋へと向かった。
「で、前話したように、河童とかそういう伝聞で伝わっていくものっていうのはとかく形が崩れやすくて、話しも変わりがちになる。だからこそ妖怪ってのは面白いんだけどね。もう情報を保存したり発信したりする技術が発達した今じゃ考えられないことだけど、そういう伝聞が段々と行われなくなってくると、説明の加えられない妖怪ってやつが出てくる。というのも誰も伝えないがために、妖怪そのものの情報が段々と少なくなり、ついには無くなってしまったんだ。だから妖怪の絵なんかには、名前と絵だけで説明がないものとか、絵だけの妖怪というものがあるんだ。今回の河童みたいに甲羅があると思っていても無かった。だからイメージだけに囚われるのは誤りだ。なぜ甲羅だけになったかという君の疑問だが、昔の人が今の河童を見たらこう思うだろう。どうして河童に甲羅がついているんだ? とね」
 二人は部屋の前に到着した。ドアを開ける。長時間の取材の疲れから、三角はベッドに深く体を沈ませた。柔らかい感触が全身を包む。そのまま深い眠りに落ちそうだったが、空腹と醐醍院の話しがそれをさせなかった。
「元々なぜ河童に甲羅がついているのか。逆の発想だよ。本末転倒ともいうべきかな。妖怪なんてものはほとんどが本末転倒なんだよ。逆、逆。妖怪であるはずの河童の伝来が、実は人間だったとかね」
「実は人間?」
 三角は身体をベッドから起こした。醐醍院は相変わらず本を読んでいる。本を読みながら話を出来る人間を三角は醐醍院以外に見たことが無い。
「だから、さっきも言っただろう。外国の人間が河童と結びついたって」
「ああ、さっきの話か」
 部屋に光源は少なく、それが少し幻想的な雰囲気を醸し出している。耽美的な要素は自分には無いとは思うが、思わず心を奪われてしまう。友人の声に三角は自分を引き戻した。
「河童については、河童との間に生まれた子供は長生きしないとか、河童と結婚するとかいう話があるが、それは外国人と日本人との間に生まれた子供、外国人と結婚するという形に置き換える事が出来るんだ。河童の原型が外国人だったとすれば、この想定もなんら不自然なものでは無いだろう。河童は純粋な妖怪だと思いこんでいる人が多いが、その妖怪の原型は人間とかわら人形なのだよ。ここら辺を研究するのは非常に面白いね」
 三角には何が面白いのか理解は出来なかったが、河童の由来については分かった。
 こつ、こつ。ノックの音がした。ベルがあるのに、と愚痴りながら三角はドアを開けた。そこには従業員らしき人が立っていた。
「本日は当ホテルに宿泊頂きありがとうございます。お客様には是非非常口の確認と、朝の掃除の了承について是非ご確認をお願いします」
 三角は是非を一文に二回も使ったことが妙に鼻についたが、はいはいと返事をしておいた。どうやら掃除はきちんと利用者の了承を得てから行っているらしい。
 部屋に戻ると、醐醍院が壁に向かってしきりにつぶやいていた。
「ほお。今時珍しいな」
「どうしたんだい」
 と三角が聞くと、
「いやなに、ダストシュートだよ。衛生上の問題とかいって全国的に廃止されたんじゃなかったっけ? まぁ分別せずにごみをボンボンと突っ込むだけのダストシュートなんて僕はずっと前から反対だったけどね。こんな立派なホテルなのにまだダストシュートがあるなんて、苦情を言わないといけないな」
 醐醍院はそう言いながらまた本を読み始めた。
「それに監視カメラがあるというのも嫌だね。いくら犯罪防止といっても客を監視するなんて、ここは牢屋じゃないんだから」
「え、監視カメラなんてあったのか」
「そこのドアの横に注意書きがあるじゃないか」
 三角はドアの横を見た。そこには確かに『電力上の事情等により、監視カメラは十二時より十分間停止致しますのでどうぞご理解をお願いします。』とあった。監視カメラがついていないと怒る人なんて居るのだろうか、と三角は思いながらベッドにまた寝そべった。
「で、どうして河童に甲羅がないんだい?」
「そう、どうして河童に甲羅があるか、だ。それは端的に言えば河童のイメージの系統を総合したものが現代の河童ということだ。これは全国各地の河童の名称から見ていく方が速い。山陰西部、そして四国北部では河童のことを『エンコウ』と呼ぶ。これはすなわち猿猴、猿のことだ。九州では河童の鳴き声が猿に似ていたという伝聞もある。またガアタロ、カワッソウ、カワロ、ガタロ、カワタロウなどといった呼び方からも顕著に分かるのが、ある動物との関連性だ。これは西日本の方で多い呼び方だが、この名前から『かわうそ』が読みとれることは分かると思う。かわうそも猿も水辺に親しみのある動物ということで河童と結びつけられたのだろう。そしてこれは何故かは分からないが、西日本のみに広く伝わっている伝聞だ。君も知っているだろうが、正月のお汁粉なんかに入れるもちは、東日本と西日本だと角餅と丸餅で違うだろう。それと同じような感じだとは思うが、どうしてそうなったのかははっきりしない。話を元に戻そう」
 醐醍院は本から目を離し、愛用のお茶を飲んでいる。静岡産の玉露で、いつも持ち歩いているのだ。湯飲みから立ち上る湯気と、辺りに漂う香りが何ともいえず、うまそうである。三角もホテルのお茶を飲んだ。
 不味い。
「全く、そんな不味い茶を良く飲めるね。不味いものを無理して食べたり呑んだりするのは身体に毒だよ。で、述べたように西日本での河童像というのは『猿+かわうそ』なんだ。西日本の方が昔は人口も多く、中心だったから、今でもそんな感じだが、この伝聞が取り上げられたんだと思う。あぁ、取り上げられたというのは勿論鳥山石燕の百鬼夜行にだよ。注釈に川太郎ともいふ、と書いているけど、この川太郎ってのは畿内の呼び方さ。で、西日本の猿、かわうそと同じように東日本では亀、スッポンのイメージができあがっていたんだな。そしてそれに全国各地の河童達が大集合して、今の河童のイメージができあがったわけだ。結局これ、と起源を決めることは出来ないけれど、河童の起源を調べる上で重要なキーパーソンは理解出来ただろうね。まぁ以上が河童に甲羅のない理由だよ。僕が妖怪を調べる上で一番感じることは、さっきも言ったけど本末転倒ということだね。僕自身勘違いをしていたり、世間一般が勘違いをしていたり、全然違う側面を持っていたり。あぁだからこそ面白いんだけどね」
 なるほど、と相づちを打ちながら三角は分かったような分からないような気持ちになっていた。醐醍院はいつもかみ砕いて話してくれるのだが、もごもごした話し方で、良く聞こえないのだ。ついうとうとと三角はしてしまう。だが人の耳を引きつける力は持っている。ただ単に三角が眠いだけの話である。
「さて、明日も僕は調べ物をしなきゃならないんだ。早いとこご飯を食べて風呂に入って寝ようじゃないか」
 十年かそれ以上の期間会っていなかったのだが、非常な既視感を三角は感じた。旧友に会った時にこれ程の安心感というと変かも知れないが、そういうものを感じることは少ない。
 三角と醐醍院は、十時に寝た。
 そしてチュンチュンという鳥の声で目を覚ました。昨日までの疲れはどこぞへ飛び、さぁ朝風呂でも浴びてくるかと三角は道具一式を持って部屋の外へ出た。既に醐醍院のベッドはもぬけの殻である。
 だが三角は部屋から出ると仰天した。隣の部屋に物凄い人集りが出来ている。そしてその群衆から部屋を守っているようにして立っているのは……。
 警察だ。
 これは何か事件だろう。三角の記者としての血が否応無しに騒いだ。すぐさま部屋に戻り、戦闘準備をした。きっちりスーツも着て名刺も、非常用のハンドカメラも持つ。そしてすぐさま部屋の前へと直行した。
「すみません、何があったんですか?」
 群衆の一番前の人に気軽に聞いてみた。カメラを構えると警戒したり要らぬ心配をする人が多いので、情報を把握する時はいつも普通に聞いている。
「なんか人が殺されたらしいよ」
 ――殺人事件だ。
 スクープの種だ。肝心の部屋の中を見ようと三角は警察官の前でピョンピョンとジャンプした。いつのまにか群衆の一番前に来ている。
 あれ?
 今変なものが見えた気がする。
 まただ。もしやあれは……。
「醐醍院!」
 三角は驚いた。旧友が警察と混じって部屋の中を探索しているのである。醐醍院は私に気付くと、あからさまに不機嫌な顔になった。そして、
「人の不幸を突っつくハゲタカとは正にマスコミにピッタリだよ。僕はマスコミと不味いお茶は世界で一番嫌いだ」
 と突っぱねた。だが耳元に顔を近づけると、周りの人に聞こえないよう小さい声で、
「詳しい事は後で話す。部屋で待っていてくれ」
 と言った。私は言われた通りに部屋に戻り待っていると、醐醍院は1時間余りで戻ってきた。
「君の大好きなものだよ、密室殺人だ」
 入ってくるなり醐醍院は言った。
「別にカーのマニアでも無いんだけどな」
「状況を説明する。部屋の鍵をポケットに入れた男が一人、部屋の中で死んでいた。ナイフを胸に突き立てられて、即死だ」
 密室の定番とも言うべきものだ。三角は不謹慎だが、心が浮き上がるのを感じた。
「で、扉の上下に隙間は? 窓以外に出入り口は? 容疑者は?」
「煩いよ。探偵小説マニアはこれだから困る。この男は前金で一週間程ホテルに泊まっていて、掃除係が掃除していいか聞いても無反応だった為、三日間誰も入っていないらしい。そして中からの異臭に気付いた掃除係と支配人がマスターキーで部屋の鍵を開けると、死後二日経過している死体が転がっていたというわけだ。」
「ん? ちょっと待ってくれよ。死後二日ってのはどういう意味だい? もし被害者が死んでいて返事が出来なかったとしたら、普通死後三日じゃないのかな」
「そうだ。一日タイムラグがあるわけだ。これはよく分からないな」
「まぁ、続けてくれよ」
 醐醍院はまたお茶を飲みながら話している。
「君が気にしているドアの隙間も無かったし、オートロックでも無かったから、よく使われる針と糸のトリックは不可能だ。また監視カメラにも部屋から出てくる者は誰も映っていなかった。まぁ十二時からの十分間を除いてだがな。廊下の先にはカメラも無いし、人も居ない非常階段がある。そこからなら逃げられるんだがな」
「で、容疑者は?」
「女が一人挙がっている。チェックインした記録には男だけではなく女も居るんだ。しかもその女は、男の愛人で、男の借金の肩代わりとか何やらの問題で相当困っていたらしい。知人に聞いただけで分かったくらいだから、そういう問題も相当知られていたんだろう。そういう動機からして、その女を指名手配している。部屋の中にも女性物のバッグが発見されているし、部屋もツインだ。女が一緒に泊まっていないという事は考えられない。まぁ指名手配ですぐに捕まると思うが」
「窓、ドアの他に脱出経路は?」
「無い。あるといえば通風口とダストシュートくらいだ。どちらも人一人通れるような幅じゃないし、ベランダからというのも人目につきやすいし、下はコンクリートがむき出しだ。無理だろう」
「と、すると女はどうやって脱出して、部屋を密室にしたのかな」
 三角は暫し思案に耽っていたが、思い出したように言った。
「いや、その前にどうして君が警察と一緒に捜査していたかって事だよ、問題は」
 すると醐醍院は事もなげに言った。いや、言おうとした。
「あぁ、それはね……」
 その時、この部屋に駆け込んで来た者が居た。
「醐醍院さん、ガイシャの風呂で大量の血液が発見されました!」
 それを聞いた醐醍院は、にやりとした。
「やっぱりな。良く考えられたトリックだが、所詮人間の浅知恵といったところだな。探偵小説や推理小説では随分謎を解くのにページを割くようだが、その大半は手がかりを探すものなのかな。とすると今回は手がかりがもう既に出そろっているんだから、これより容易な事件といったら無いね」
 こともなげに言うと、醐醍院は立ち上がった。三角も思わずつられる。
「まず、この事件こそが一番の本末転倒だったんだ。河童の話と同様に、どうやって女が部屋から抜け出したのか、ではなくて、どうして女が部屋に居ないのか、という事なんだ。同じことだと思わないでくれよ。同じなんだが、違うんだ。まず監視カメラの止まっている十分間の間に抜けるという事だが、これは不可能だ。何かを仕掛けた痕跡も無いし、そんな早業が出来るとも思えない。そして他も同様だ。という事はだよ。『女は部屋から出ていない』と考えるのが一番自然だと思わないかい?」
「部屋から出ていない?」
「そう。出ていないんだ。なぜならその女こそが被害者なんだからね」
 醐醍院の言葉の一つ一つが三角の頭を突き刺すように飛んでくる。
「女が……被害者……」
「被害者に見える男こそが加害者で、加害者に見える女こそが実は被害者なんだ。そして男は自殺に過ぎない」
 ヒガイシャニミエルオトココソガカガイシャデ……。三角の頭の中へと、徐々に醐醍院の言葉が染み渡っていく。
「トリックはこうだ。女を浴室で殺し、バラバラにする。そしてそれをダストシュートから捨てるんだ。で、自分で重りをつけたナイフを使って、重りをダストシュートの中に入れて、ナイフを胸に突き立てる。ナイフが自然に手から離れると同時に、ダストシュートの中へ落ちていくわけだ。三日間の返事がない期間と、死亡推定時刻のタイムラグというのは、その女をバラバラにしている時間だったんだ」
「な、なるほど……」
 逆。全ては逆だったのだ。
 本末転倒。
 醐醍院の言葉が脳裏に浮かんでくる。
「まぁダストシュートに捨てられた物を調べられてしまえばすぐにバレてしまうという所まで考えが及ばなかったのだろう。馬鹿だなぁ……。本当に、馬鹿だ」
 こうして探偵小説好きの三角としては非常に呆気なく事件は終わってしまった。しかしこの事件の背後に居る不気味な妖怪の存在を、三角は感じずに居られなかった。