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         ま じ め な 小 説 マ ガ ジ ン

       月 刊 ノ ベ ル ・ 2 月 号

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http://plaza5.mbn.or.jp/~joshjosh/ 


  インターネット上にきら星のごとく散らばる創作サイトの中か
 ら、私(編集人)ジョッシュこと宮崎靖好が独断と偏見(?)に
 基づき選抜した小説を、作者の了解を得てから順次掲載してゆく
 メールマガジンが「月刊ノベル」です。

  コミカル、ミステリ、叙情、ラブロマンス、ファンタジーSF、
 などなどジャンルは多彩ですが、アダルトはありません。

  なお、本編終了後に簡単なアンケートがあります。今後の編集
 に役立てたいと思いますので、なにとぞご協力ください。

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      月刊ノベルは当幅フォントでお読みください。
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  今月の推薦作:世相百断「告知」  作者:河本勝昭

  ジャンル:エッセイ        長さ:文庫本5ページ  

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  アマチュアライターズクラブ(AWC)も他のパソコン通信の文
 芸サークルがそうであったように、今年2月からいよいよ活動の場
 をインターネットに移すことになりました。AWCの参加サイトは
 AWCRINGという巡回ツールを使ってすでに巡回できるように
 なっているのですが、今回ご紹介する河本勝昭氏のサイト「かわも
 と文庫」もそのAWCRINGに参加しているサイト。先日、巡回
 していてたまたまこのエッセイを読み、すぐに掲載を申し入れまし
 た。
  私にとっては衝撃的とも言えるくらい、考えるところのあるエッ
 セイでした。どうぞ、ご一読ください。

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□世相百断   第18話 告知    河本勝昭
 

 もし私が癌になったら必ず告知してほしい。家内にはそう頼んであ
る。

 父の肺癌を知らされたとき、私はまだ31歳で、死についての知識
も心構えもまったくなく、いわんや肉親の死にどう向き合うかなど考
えたこともなかった。そこへ突然の父の肺癌である。表には出さな
かったが、正直うろたえた。思ってもいなかった事態に自分がどう向
き合っていいものかがまったくわからないことが心許なかった。

 父の肺癌はすでに手遅れの状態で、医師からは余命6ヶ月と宣告さ
れた。

 このごろどうも胸が息苦しく、坂道をちょっと登っただけで息切れ
がするという。近くの病院で気軽に検査をしたら、レントゲンに左の
肺が写っていない。医師は母に、ご主人は昔左肺の切除をしただろう
という。母がそんなことはない、なにかの間違いだろうというと、あ
んたはうちのレントゲン技師を信用しないのかと医師が怒り出すとい
う落語のようなお粗末を経て、もう一軒のかかりつけの病院に行った
ら、すぐに県立癌センターで受診をするよう勧められた。勧められた
とおりに癌センターに行ったら、即入院。しばらくして、母が病院に
呼ばれ、検査結果と今後の治療の方針を聞かされてきた。

 人間には、現実をしっかりと受け止めて自分なりに対処の仕方を考
えるタイプと、現実と向き合うのが恐ろしくて背中を向けて事態が通
りすぎるのを待とうとするタイプがある。前者のタイプの人間も、向
き合うべき現実があまりにも重すぎると後者のような対処の仕方に追
い込まれるということはもちろんあるが、父は弱い人で、典型的な後
者のタイプだった。あとでわかったことだが、数年前の職場の健康診
断で肺に影があると精密検査を勧められて以来、精密検査はおろか翌
年以降の健康診断も受けていなかった。

 当時はまだ癌は本人に知らせないことが常識だったから、医師はも
ちろん癌の告知など考えもしない。われわれ家族も、父には内緒にす
ることにした。よく考えたうえでの判断などではなく、世間の常識に
ただ無自覚に従っただけのことだった。知識と心構えのないわれわれ
にはそれ以外の方途は思いつかなかった。

 初め内科で受診した父が、外科病棟に入院し、手術が不可能と判断
されて放射線科の検査を何回か受けたが、父はこうした一連の検査に
何も不審を抱かなかったようだった。肋膜炎で肋膜に水が溜まってい
るため、その治療をすると言われてそれを信じていた。

 しかし現実はごまかしにつきあってくれない。ごまかしは徐々にほ
ころんでくる。父は自分の病状と治療に次第に疑問を抱くようにな
る。私たちは行きがかり上嘘に嘘を重ねなければならなくなった。そ
れが父のためなのだと素朴に信じていた。

 やがて父は自分の運命を悟るようになる。重篤の病人は誰に言われ
なくとも、どこかの時点で自分の死を悟るようである。エリザベー
ト・キューブラーロスの名著『死ぬ瞬間』(読売新聞社、1971年
刊)には、患者が死を受容するまでの5段階の心理過程が解説されて
いるが、意識的であれ無意識的であれ、わが死を受容するためには彼
女が言うような否認、怒り、抑うつなどの煩悶を繰り返さねばならな
いのだろう。信頼できる身近の誰かがそうした煩悶を聞いてやること
ができれば、分かち持ってやることができれば、死に行く人はどれほ
ど苦しみを軽くすることができるだろうかと気づいたのはずっとあと
のことで、嘘の上に嘘を塗り重ねねばならなかった私たちは、父の煩
悶にまったく身を寄せてやることができなかった。

 あるとき、病室で私ひとりが付き添っていて、「なあ、勝昭、俺に
万一のことがあったらおかあちゃんを頼むぞ」といきなり切り出され
た。父がいま、長男の私に重大なことを語り始めた、ということだけ
は直感した。しかし私にはそれを真正面から受け止める力がなかった。

「何を弱気なことを言っているんだ、気長に治せばそのうち病気はよ
くなるよ」と私は反射的に言ってしまった。父はなおも、「な、頼む
ぞ」と繰り返し、そこで会話は途切れた。

 父に死なれた後で、どうしてあのとき「わかった」とひとこと言っ
てやることができなかったのかと激しく悔いた。もしあそこでそう
言ってやることができれば、父はさらに自分の死について語ることが
できたかもしれない。そして私は父の人生とこれから迎えねばならな
いに死について幾ばくかのものを父と共有できたかもしれない。父の
ためにも私自身のためにもそうすべきだったのだ。

 それが咄嗟にできなかったのは、医師にあと半年の余命と宣告され
ながら、父の死についてしっかり考えてこなかった私の怠慢のゆえ
だった。そして私を怠慢にさせたのは、父に癌を気づかせまいとつき
つづけた嘘だった。嘘や建前は、事態を円滑に進めるための潤滑剤に
なるが、反面、それを口にする人間を堕落させ、ことの本質から目を
逸らさせる。嘘が、やがてくるべき瞬間への備えをおろそかにさせた
のだった。父の人生のもっとも大切な瞬間を、私は父と共有すること
ができなかった。

 あの瞬間の自分の弱さ、父への反射的な裏切りが、その後の私の人
生のもっとも大きな悔恨となった。私は絶えず死について考えるよう
になった。取り返しのつかない過ちを、絶えず死について考えつづけ
ることによって取り返そうとした。

 父の死から20年ほどして、死をテーマにした長編小説『無間清夜』
を書いて、悔恨のいくらかをようやく昇華できたような気もするが、
父に対するすまなさはいっこうに消えない。

 いま、父が死んだ歳を越えて私が死の当事者になる立場になって、
あんな悔恨は私自身はもちろんのこと、私の家族にも繰り返してほし
くない。だから私が癌になったら告知してほしい。自分の死を従容と
受け入れられるほどに私は強くない。たぶんじたばたと煩悶するだろ
う。そういうみっともなさも含めて、私は自分の死の迎え方とそこに
至る生きることへの姿勢をありのままに表出したいし、家族にも共有
してほしい。そのためには、癌の告知にかぎらず、夫婦家族がいかに
真実を共有できるかが大前提になる。

 さいわい、時代の流れはは癌の告知に前向きになってきている。一
人ひとりが各自の人生の主体者であるべきだという認識が少しずつで
はあるが社会に広がってきた結果であれば、好ましいことである。

 ただし、私自身の個人的な問題を離れて、癌は告知すればすむ問題
ではない。人間には強い人もあれば弱い人もある。死を受け入れがた
いと感じる重い課題を解決できないままに病に倒れた人もいれば、も
う充分に生きたと感じている人もいる。そういうさまざまな人がそれ
ぞれに自分の癌を受け入れることができるためには、告知の手法も一
人びとり違うものになろうし、なによりも告知をしたあとの心理的な
フォローが大切になる。

 死は医学の敗北だというこれまでの医学界の常識も変えていかねば
ならないだろう。もしそうだとすれば、医学は常に敗北しつづけるほ
かにない。医学と治療は、死を含めた人生の質を高めるための技術で
あり、思想であらねばならないだろう。終末医療のための思想と体制
をじっくり整えていく必要がある。

 しかし根本は、一人ひとりがいかに自分の人生の中で死に向き合え
るかにある。死が見えなくなっている時代であるだけに、見るべきも
のを見ようとする個人の姿勢が大切になる。

(第18話・了)

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