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            ま じ め な 小 説 マ ガ ジ ン
 
           月 刊 ノ ベ ル 11 月 号

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         寒暖の差が激しい秋日です。

 衆議院選挙は2大政党の正面衝突とか言ってますが、どうもその両党の違い
がよくわからないので、いまいちピンとこないミヤザキです。お変わりありま
せんか。

 まじめな小説マガジン月刊ノベルをお届けします。読書週間のまっただ中。
どうぞごゆっくりとお楽しみください。

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       月刊ノベルは等幅フォントでお読みください。
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             今月のお薦め小説

   密封された想い   蒼井上鷹  文庫本10ページ相当
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 今年の初夏、ユニークな掌編小説コンクールがありました。ネット文芸誌
「文華」を発行している赤川仁洋氏が主宰して「マンネリ打破」を合い言葉に
創設された「トライアングル掌編文学賞」です。ちょっと長くなりますが、以
下に赤川氏のコメントを引用します。

(引用開始)

「文華」を創刊して2年、ネット上で多くの作品に接してきました。また、わ
たしは同人誌遍歴も重ねてきましたから、同人の作品を数多く読んでいます。
そのほとんどに共通する欠点があります。いや、既存のプロ作家にも、これは
当てはまるでしょう。オリジナリティの欠如です。どこかで読んだことのある
ような、どこかで聞いたことのあるような話が実に多いのです。

 これは、わたしたちが多くの情報のなかで暮らしている弊害なのかもしれま
せん。活字を読まない人でも、テレビから膨大な情報が流れ込んできます。自
然とその情報に飼い慣らされて、独創性を失っているのかもしれません。

「文華」は、文章修行をメインに掲げる文芸誌です。作者のオリジナリティを
刺激する企画を立てられないだろうかと考えてきました。それで、たどりつい
たのが「トライアングル掌編文学賞」です。ここでは、「概念」「数字
(記号)」「物質」の3つのキイワードを提示します。作者にはまずこの三角
形の部屋に入っていただきます。
この限られた空間のなかでは、その作者が今まで得意としてきた“定番”を安
易に使うわけにはいきません。おもしろい物語を創生するには、地面 を深く掘
り下げるしかないのです。

(引用終了)

 この創設目的もさりながら、優秀作品の選抜にいっさい「読者投票」を用い
ないというのにも好感を持ちました。つまり、それは赤川氏の「責任選抜=俺
がイイものを見分けるぞ」という精神。文芸サイトは数ありますが、こういう
「いいモノを育てるぞ」という意識のサイトはまだまだ少ない。その中で。私
はこのアピールに「激しく同意」したひとりです。

 さて、肝心の作品紹介の前にかなり字数を費やしてしまいましたが、今回掲
載の快諾をいただいた蒼井上鷹氏の「密封された想い」は、こういう掌編コン
クールでは珍しいミステリ仕立てです。伏線から解決まで淀みなく、予選段階
で一読して「うーん」と唸ってしまいました。隙のない構成とじんわりと胸に
染みるような展開をぜひお楽しみください。ちなみにトライアングル掌編文学
賞では「準グランプリ」に輝いた作品です。

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■密封された想い/蒼井上鷹

 珍しく田舎の伯母から宅急便が届いた。中身は本が十冊ほど。どの本にもカ
バーがかかっている。書店の名前入りのカバーと手製のカバー、比率は半々く
らいだ。
 短い手紙が添えられていた。
『法事の後で、こんなものが見つかりました。お祖父さんが入院中に読んでい
た本だと思います。推理小説が多いので総司に送ります』
 法事というのは、先月のことだろう。祖母の二十三回忌と祖父の十三回忌を
まとめてとりおこなったのだ。
 スーツも脱がずに、一冊とって中を開くと、メモ用紙が挟んであった。『第
三のうそ アゴタ・クリストフ』と読める。色あせたボールペンの文字に見覚
えがあった。
 十数年前の冬、入院した祖父を見舞いに行ったときのことだ。僕はまだ小学
生だった。
 病室の入口には『秋本宗次(あきもとむねつぐ)』という祖父の名札だけが
かかっていた。
 祖父は白地に紺の模様の入った寝巻きを着て、ベッドに横になっていた。眼
鏡の下の頬骨が浮き出ていて、何だか気味が悪かった。
 なぜか両親が席を外し、僕は寒々とした病室に祖父と二人きりで残された。
 枕元には何冊もの本が積み上げられていた。あの時祖父が読んでいたの
は……たしか、アゴタ・クリストフの『ふたりの証拠』。『悪童日記三部作』
の二作目だ。何か話題をみつけようと、書名を祖父に尋ねたのを覚えている。
「もうじき読み終わるから、ここを出たら総司にあげるよ」と祖父は笑った。
喉がひゅうひゅう鳴って、聞き苦しかった。
「面白いの?」
「面白いぞ。総司くらいの子供が出てくる」
「ふうん」ガキ向けか、と生意気盛りだった僕は内心馬鹿にした。
 祖父は皺だらけの指先で本の表紙を撫でた。
「今度続きを買ってきてくれないか。もう読むものがなくなった」メモ用紙を
一枚破りとると、リューマチ患者用の太いボールペンで、タイトルと著者名を
書き込んだ。
 記憶はそこで途切れているが、この本に挟んであるということは、僕はその
メモを忘れて帰ったのだろう。
 今思えば、続編の『第三の嘘』は、当時まだ翻訳されていなかった。書名と
評判だけが伝わっていたのだ。実際に出版されたときには、祖父はもうこの世
にいなかった。
 祖父が癌だったと聞かされたのは、葬式が済んでからのことだ。最後まで本
人には告知しなかったという。
 
 手にした本を閉じようとして、扉に記されたタイトルに目がいった。一度は
読み流しかけた文字の意味を理解したとき、手が硬直した。もう一度扉を開き
、震える指で手製のカバーを外す。溜息が漏れた。目の前に現れたものが信じ
られない。
 真池稲州(まいけいねす)著の『密封された闇』。それも、ほとんど新品同
様の。
 真池稲州は、戦後早くにデビューし、一部で高い評価を得ながらも、いつし
か消えてしまった探偵作家だ。『密封された闇』は唯一の長編だが、発表直後
に出版社が倒産するという不幸に見舞われ、殆どが散逸してしまった。
 その後の作者の消息も不明で、長らく『失われた傑作』という噂だけが伝え
られていたが、最近、熱心なマニアたちの後押しによって、新装版が出され、
かなりの評判になった。
 僕も夢中になったファンの一人だ。
 死者の遺言による殺人予告という発端から、自称『名探偵』達が次々に殺さ
れていく意外な展開、そして最後のどんでん返しまで、息つく暇もないほどの
面白さだった。
 発表当時の旧仮名遣いのまま復刊されたので、懐かしいとすら感じた。
 まだ二十代半ばでこんなことを言うと奇妙に聞こえるかもしれないが、これ
には理由がある。
 
 偶然だが、これもまた祖父がらみの話だ。
 毎年夏休みや冬休みになると、僕は両親に連れられて田舎の祖父の家へ行き、
休みの大半をそこで過ごした。
 祖母は僕の幼い頃に亡くなっていたので、母親にとっては、祖父の世話をす
るのが帰省の主な理由だったようだ。そんな事情を知らない僕は、時間をつぶ
すのに苦労した。
 夏はまだ良い。海が近かったからだ。問題は冬休みだ。年末年始は、大人は
何かと忙しい。もともと祖父はあまり僕をかまってくれなかった。近くに年齢
の近い子供がいるわけでもなく、テレビのチャンネル数も少ない。
 暇をもてあました僕は、家中のあちこちに鼻を突っ込んで、面白いものがな
いか探し回った。押入れで古い段ボール箱を見つけたのは、そんなときだ。ガ
ムテープをはがすと、独特の臭気が鼻の奥をくすぐった。
 箱の中身は本だった。びっしり隙間なく詰め込まれている。一番上の本の、
荒海を描いた表紙が気になった。
 中を開くと、『ぢや』とか『さうですか』とか『/\/\』とか、見慣れな
い表記で一杯だったが、なぜか興味をひかれ、その場に座り込んで一気に読み
通してしまった。難しい漢字も多かったが、ふりがなが振ってあるので平気だ
った。
 読み終えてふと顔を上げると、ちょうど顎の高さに段ボール箱の口があった。
薄暗い押入れの奥に目をやると、同じような箱は、まだ幾つもあるようだ。
 僕は次の本に手を伸ばした。
 僕が勝手に本を持ち出したことを知っても、祖父は黙っていた。何か言いた
げな祖父の顔を見たような気もするのだが、よくある記憶の編集作用によるも
のかもしれない。
 ただ、それ以来、祖父の家に行くのが待ち遠しくなったのは事実だ。
 何冊かの本には、万年筆で簡単な感想が書き込まれていた。書いたのは祖父
だろう。それを見つけるのも、楽しみの一つだった。
 
 祖父自身の好きな作家は誰だったのだろう。今、箱の中身を思い返してみる
と、昔はかなりの探偵小説マニアだったことが想像できるのだが、僕の知る祖
父は、近くの古書店で百円均一の本を探す程度で満足していた。そういう本は、
店名入りのカバーがかかっているのですぐ見分けがついた。
 一度だけ、祖父が本のことで興奮しているところを見たことがある。
 祖父の家の前は、緩やかな坂道になっていた。ある夏の夕暮れ時、僕が海水
浴から帰ってくると、サンダル履きで坂を上っていく祖父の後姿が見えた。
 普段はスローな祖父の足取りが、そのときは、追いつくのに苦労するほど軽
かった。
「どこ行ってたの」
「これをな、やっと見つけた」祖父は、胸に抱えている本を軽くたたいた。
「なにそれ」
「じいちゃんがずーっと探していた本」
 立ち止まって見せてくれたその本の表紙は真っ黒で、白字のタイトルだけが
浮き出ていた。僕は手を伸ばした。
「だめだよ。本が濡れる」反射的に身をかわされて、僕はややむっとした。
「それ、そんなに面白いの」
「ああ」祖父は何度もうなずいた。
「もう読んだの」
「これはまだだ」
「まだなのに、なんで面白いってわかるの」
「わかるさ」祖父は更に足を速めた。じっとしていられないようだった。
 その数日後、庭の物置を整理していた祖父は、突然倒れて入院し、二度と家
には戻ってこなかった。
               
 こんなことまで思い出したのは、目の前の黒い背表紙に見覚えがあったから
だ。
(あの時の本だ)
 あの夏の夕方、入院直前の祖父が抱えていた本が、この『密封された闇』だ
ったに違いない。そう言えば、真池稲州は、祖父の田舎に住んでいたと聞く。
 ゆっくりと頁をめくる。既に新装版を読んでいるが、それでも引き込まれた。
 残り二十頁ほど、いよいよ真相解明というところで、その本は袋とじになっ
ていた。
 それは、破られないままになっていた。
(こりゃすごい)
 袋とじが未開封の『密封された闇』なんて、どれほどの値打ちがあるのか想
像もつかない。
 動悸が激しくなる。座っていられなくなった僕は、本を抱えて部屋の中を歩
き回った。
(未開封のまま残っているのは、この一冊だけかも知れない)
 袋とじを切り開かなければ解決編を読むことはできない。この本を手にして、
解決編を読まずに我慢できる人がいるとは思えない。
(読むことはできない?) 
 足が止まった。大変なことに気づいたのだ。
 袋とじのままになっているということは、祖父がこの本を最後まで読まなか
ったことを意味する。
 椅子に腰を下ろす。急に部屋の寒さが気になりだした。
 この本を手に入れたとき、祖父はあんなに喜んでいた。もし読み終えずに亡
くなったのだとしたら、あまりに悲しすぎる。
 こんな些細なことが、たまらなく気になるのは、『第三の嘘』――やはり祖
父が読めなかった本――のことが頭にあるせいだろうか。
 病院に持っていかなかったのか。いや、手紙によれば、『入院中に読んでい
た』のだから、それはありえない。僕が見舞いに行ったとき『もう読むものが
ない』と言っていたから、時間がなかったとも思えない。
 それとも、やはり昔読んだことがあったのか。僕に『まだ読んでない』と言
ったのは、貴重な本に触らせないための言い訳だったのかもしれない。病院に
まで持っていったのは、大事なものを手放したくなかったからだろう。
 或いは、誰かに譲るつもりで手元に置いておいたのか。袋とじを破れば値打
ちが下がるので、そのままにしたとも考えられる。
 ただ……それならもっと大切に扱うのではないか。たまたま僕は値打ちを知
っていたが、そうでなければあっさり袋とじを破ったり、古書店に売り飛ばし
たりしたかもしれない。現に、あの段ボール箱一杯の本も、祖父の死後いつの
間にかどこかへいってしまった。
 祖父自身がこの本の値打ちを知っていたかどうかも疑問だ。祖父はどう見て
も収集家とはいえない。高価な古書も持っていなかった。
 僕は考え続けた。部屋の暖房もつけず、着替えもせぬままで。

 三十分後、僕は祐介の部屋に押しかけた。『密封された闇』を見せるため、
そして自分の胸のつかえを降ろすために。
 祐介とは同期入社の仲だ。寮も同じ、研修時のクラスも一緒で、自然と言葉
を交わすようになった。そのうちに二人ともミステリ好きとわかると、話題は
一気にディープな方向へ傾斜した。僕が本社総務、彼が研究所と勤務地が別れ
たのは、むしろ幸いだった。そうでなければ、二人とも話に夢中で仕事が手に
つかなかったかもしれない。
 案の定祐介は興奮した。
「確かこの本の初版部数は……」呟きながらパソコンに向かい、ネットに接続
する。
「おい何してる」
「見ればわかるだろう。早速オークションに」
「待ってくれ」マウスを操作する祐介の手を押さえた。祖父の行動が腑に落ち
ないままで、そんなことはできない。
「でも、お前に譲るつもりだったのは事実らしいぞ」祐介は本の奥付を開いて
みせた。先ほどは気づかなかったが、そこには『そうじさま江  深謝』と書
き込みがしてあった。
 さまづけで呼ばれた記憶などもちろんない。
「これも一種の遺言だよ。それだけお前のことを大事に思っていたんだろう」
「子供が三人とも女で、男の孫はおれが初めてだとは聞いたけどなあ」
 面映い。僕は愛想の良い子供ではなかった。
 こだわる僕を、祐介はおかしそうに見た。
「作者からの贈り物っていうのはどうだ」
「どういう意味だ」
「お前のお祖父さんが真池稲州なのかも」
 僕は思わず祐介を見返した。その表情からは、冗談か本気か判別できない。
「……まさか」
「いやいやわからないぞ。知ってるだろう。真池稲州は筆名で、その正体は不
明なんだ」
 真池稲州が祖父の実家付近に住んでいたという話を思い出した。
「お祖父さんの仕事は?」
「郵便局。役職までは知らない」
「そういうことはちゃんと聞いとけよ」祐介は文句をつける。「でも郵便局な
ら、出版社と無関係ではないな」
 どういう理屈だ。
「一応辻褄が合うじゃないか」祐介の推理は止まらない。「作者なら、当然内
容は知っているし、自分の本と再会して喜ぶ気持ちもわかる。それをお前に譲
ってもおかしくない」
「でも、そんな話、親からも親戚からも聞いたことがない」
「誰も知らなかったんだよ。真池稲州が活躍したのは昭和二十五年までで、そ
れ以降、彼の名前は探偵小説の世界から消失してしまった。お前の親は何年生
まれだ?」
 僕は暗算した。末っ子の母は昭和三十年生まれだ。伯母たちとは三歳ずつ離
れている。
 祐介は手を打った。「子育てが大変で、小説を書くどころじゃなかったんだ。
多分周りに内緒で書いていたんだろうし。秘密を知っていたのは奥さんくらい
じゃないか」
「奥さんか」祖父の奥さん、つまり祖母のことはよく知らない。
「もしそうなら……すごいぞ。「初版『密封された闇』未開封本、それも作者
のサインつき」
「サインじゃないだろう」
「よくそんなに冷静でいられるな。自分が幻の探偵作家の孫かもしれないって
いうのに」
「実感が湧かないんだよ。だいたいじいちゃんが作者なら、はっきりと、それ
こそサインでも残してくれたっていいじゃないか」
 僕は本を取り上げて奥付の上の書き込みを改めて見直し――息が止まりそう
になった。
「おい、どうした」
「……これ、万年筆で書いた字だ」
 祐介が戸惑ったような顔をした。
「じいちゃんはリューマチで、専用のボールペンでないと字が書けなくなって
いた」
 つまりこれは祖父の書いたものではない。
「じゃあ誰が書いたんだよ」
 どこかで見たことのある字だ。記憶の断片が、思考の渦の中で浮かんでは消
える。
「カバーだ」
「なんだよいきなり」
 僕は本のカバーを指先で弾いた。
「手製のカバーだろ。ということは、これは古書店で買った本じゃないんだ」
 例の古書店なら、百円均一の文庫本でも専用のカバーをかけてくれたはずだ。
 それに、あの日祖父が抱えていた本の、黒い表紙の映像が目に焼きついてい
る。カバーは、なかったのだ。
「古書店でないとすると、この本はどこにあったんだ」祐介は眉を寄せた。
「実家のどこか。多分、物置の中だと思う」
 あの頃、祖父は庭の物置の整理をしていた。
 もう一つ思い出した。あの書き込みは、昔読みふけった本の書き込みと同じ
筆跡だ。
「そういう妙なことは覚えているんだよ」
「それなら、この『そうじさま江』を書いたのは、やっぱりお前のお祖父さん
か」
「いや」頁を繰って、さっきのメモを見つけ出す。『第三のうそ アゴタ・ク
リストフ』。これを祖父が書いたのは間違いない。『そうじさま江』と比べる
と……違う。リューマチや年齢による変化を考慮に入れても、『そ』や『う』
の曲線の癖は、やはり別人のものだ。両方に同じ字が含まれているので、自信
を持って判断することができた。
「これはじいちゃんの字じゃない」
「だいたい、お前に書かれたものでもないな」
 うかつだった。この書き込みがされたのは、僕が生まれるはるか昔だ。
「……なんだかさっきよりこんがらがってないか」祐介がぼやいた。「問題は、
なんでお前のお祖父さんがこの本を袋とじのまま残したかってことだったよ
な。どんどんそこから離れているじゃないか」
「先に『作者のサイン入り』とか騒ぎ出したのはお前だ」
「でもおれは『作者だから袋とじを開けて読む必要がなかった』という答えを
出したぞ」
 僕はうなった。パズルのピースがはまりそうではまらないもどかしさを感じ
る。
「その書き込みが誰のものかはともかく、もし真池稲州の正体が、お前のお祖
父さん……名前はなんだっけ?」
「秋本宗次(あきもとむねつぐ)」
「……その人だとしたら、日本ミステリ界の大発見……ちょっと待て。ムネツ
グって『宗次』か」宙に指で字を書いてみせる。
 それを見てはっとした。昔の人は、自分の名前をわざと音読みでいうことが
ある。
「『そうじさま江』って、そっちかよ」
「自分で気づけ、言われる前に」
 突っ込まれてもしかたない。顔が熱くなる。
 あれは祖父あての書き込みだったのだ。
 その瞬間、頭の中でパズルが組みあがった。
「ばあちゃんだ」僕は呟いた。「ばあちゃんがじいちゃんに書いたんだ」

 初めから僕は大きな勘違いをしていた。
 探偵小説のマニアだったのも、あの段ボール箱の本を集めたのも、感想の書
き込みをしたのも、みんな祖母だったのだ。
 この本は、祖母が祖父に贈ったものだろう。見返しではなく奥付に『深謝』
二文字だけの書き込みとは、なんとも奥ゆかしい。
 なぜ贈ったのか。処女長編を最愛の協力者に贈ったのではないか。つまり―
―妄想と言われるかもしれないが――真池稲州の名で『密封された闇』を書い
たのも、祖母だったのだ。そう考えれば、謎は全て解ける。
 おそらく祖父は、本になる前の生原稿かゲラを読んでいた。『これはまだだ』
という言葉には、そういう含みがあったのだ。
 真池稲州のことは、夫婦だけの秘密だったに違いない。子育てに追われた祖
母が筆を折り、更に亡くなった後も、秘密は守られた。
 祖父は、妻の蔵書を見つけて夢中で読んでいる孫の姿を見て、何を思っただ
ろう。
 また、何十年ぶりかで『密封された闇』を見つけたとき、どんなに興奮した
ことだろう。
「あの時外を歩いていたのは、家にじっとしていられなかったからかもしれな
い」
「今夜のお前と一緒だな」祐介が真顔でうなずいてくれたのが嬉しかった。
「何の説明もせずにこの本を遺した理由も、今ならわかる気がする。作者の正
体なんて知らなくても、いつかおれが、この本の袋とじを自分で切り開いて、
その中に密封された綺想に夢中になる日が来ることを信じたんだ」 かつての
祖父自身がそうだったように。
 確かに証拠は何一つない。だが、それでも。
 祐介が僕の台詞を横取りした。
「こりゃオークションには出せねえな」残念そうにパソコンの電源を落とす。
 僕は本を閉じ、もう一度表紙を見つめた。

(了) 

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   メルマガタイトル:テキスト版月刊ノベル
        発行日:平成15年11月1日
      総発行部数:1,100部 
      編集・発行:mbooks(文責:ミヤザキ)
        連絡先:mbooks@mail.goo.ne.jp
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