機械仕掛けの兎は上弦の月で跳ねる/mojo

 月基地では削岩機で資源となる鉱物を掘り出していた。一昔前までは削岩機によるそれらの作業も人の手によるものがほとんどだったが、今では人工頭脳を搭載したロボットが操作していた。
 マシンアームと呼ばれる作業ロボットが月面での労働を行っている間、自己増殖型AI機能を搭載した管理事務ロボットがマシンアームの作業監督および月基地内の居住施設や実験作業スペースの管理を担っていた。
 月面では今、惑星との交信を行なうための巨大なアンテナを建造している最中だった。
 このプロジェクトは今から約20年前に日本とアメリカの宇宙化学研究所が共同で起こしたもので、北極星の横にある恒星近くの惑星から送られてきた知的生命体によるものと思われるメッセージを受信したのがきっかけだった。その惑星の名を学者達は「ゼルダ」と名づけた。
 その当時、地球上に存在するアンテナではゼルダからのメッセージを受信することは出来ても、こちらからゼルダにメッセージを送信することが出来ずにいた。そうして起こったプロジェクトが今行なわれている惑星間電波送受信システムPODPSであった。

 ゼルダからのメッセージ。それは奇妙に歪んだ生物の描写であった。
 はじめそれは異なる長さの電子音でしかなかった。しかし、ある学者がそれらの電子音が一定の長さの間隔で送信されているのを発見し、その電子音の発信源である惑星に知的生命体が存在するのを確信するに到った。
 そのメッセージは連続する電子音と空白で成り立っており、一番最小の電子音を1として、それらの電子音、空白の長さをCP上のマス目に沿って埋めていく。するとあるところまで行くと、そのメッセージは同じ法則の電子音と空白の繰り返しという事に気が付く。
 最大の長さの電子音よりも長く続く空白を文章の改行部分と考えると、メッセージは24×24のマス目に歪んだ生物の姿を映し出す。
 それは4本の足に3本の腕、頭部と思われる部分には2本の触覚。胴にあたるであろう部分が垂直に立ち、そこから4本の足が真っ直ぐに伸びていることから、馬や牛などの四足歩行生物よりはむしろ人間の様な生態に近いのではないかと推測されていた。
 昆虫の様なその姿態とは裏腹に、かなりの高度な知性があると受け取れる。ゼルダと地球との距離を考えると、まだ地球上に生物が誕生する以前からこのメッセージを宇宙に向けて発信していたということが伺えるからだ。しかし、このPODPSが上手くいったとしても、こちらのメッセージがゼルダに届く迄には人類の歴史よりも長い時間がかかるであろう。それでも人類は地球以外の知的文明を持った惑星の存在に希望を持たずにはいられなかった。

「ウィルキンソン博士のチームの作業は上手くいっているのかね?」
「はい所長。順調に進んでおります。このままのペースを保てれば、あと2〜3年で送信段階までいけるでしょう」
「そうか」
 ディキシーは煙草の煙をくゆらせながら、窓の外を眺めた。
 基地の外、月面では作業車がマシンアームにより休むことなく活動していた。
「それでは、私はこれで」
「うん」
 秘書官が頭を下げて退出しようとしたところを、ディキシーは思い出したように呼び止めた。
「そういえば地球からの支給品の中に私が頼んでおいたカルヴァトスがあったはずだ。あれをウィルキンソン博士に届けてやってくれ。私からの差し入れだと」
「わかりました」
 秘書官が退出した後、ディキシーは再び窓の外を眺めた。あと3年か4年か、再び地球の地を踏むことが出来るのは。
 ディキシーは煙草の煙を溜め息混じりに吐き出した。

 暗く冷たい冬の海の底から、遠く水面から降り落ちる月の光を見上げていた。
 穏やかに映る月の光が、ゆらゆらとたゆたいながら静かに降り落ちてくる。
 魚たちは眠っているのか、息を潜めている。
 水底から見上げる月は歪んだ光を投げかけながら、笑っている様にも泣いている様にも見える。その泣き笑いの月を見上げながら、彼は大きく息を吸い込んだ。
 新鮮な海水が肺を一杯に満たす。ゆっくりと吸い込んだ海水を吐き出すと、海中にいた微生物たちが泡を食った様に飛び散っていった。
 彼は月に向かって触手を伸ばしていった。
 だが、その手は月どころか、遠く水面へも届かない。それでも彼は精一杯、触手を伸ばし、せめて月の光に触れようとする。
 彼の文明は既に絶えて久しい。
 長い年月の間に繁栄と衰退を繰り返し、今はもう彼の知る限り、この惑星上には彼以外の文明の後継者はいなかった。
 彼がこの海に産声を上げてから、既に一千年近くの歳月が流れようとしていた。
 彼が生まれる以前、外の宇宙に向けて生命の存在を示すメッセージを送信する計画が長く行なわれていた。
 あのメッセージは誰かの元に届いたのであろうか?
 この惑星上に築いた彼の文明の軌跡に。
 静かに瞳を閉じる。
 彼にとって人生とは、悠久よりも長い一瞬の夢物語なのだ。

 <了>

 

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