アメリカの月/のぼりん

 人間が夜を失って何世紀もの時代が過ぎた。
 その間に人間は地下に潜り、蟻の巣のような国家を作り上げていた。国家どうしは戦争に明け暮れ、人々は、相変わらず戦うために奪い、奪うために戦い続けていた。
 だが、営々たるその活動は、常に太陽の光の下に限られていた。夜になれば、地上は「魔」が支配する。人間は守るべき国家(かつてはそれをシェルターと呼んでいた)の中に潜り、ひっそりと次の朝を待った。
 夜と昼を分け合うという、事の始まりを知っている者は、今では誰もいない。「人間」は夜を放棄し、「魔」は昼を捨てた。互いが、それぞれの領域に干渉することは一度もなかった。
 ある日、ある国家に大問題が発生した。
 ひとりの彷徨い人が一本のビデオテープと共に転がり込んできたのだ。彼は、そのテープに「敵国の重要な情報」が記録されているといった。さらに「アメリカの夜」というひと言を残したまま息絶えてしまったのである。だが、それがこの国にとって国論を二分する未曾有の災難になった。
 指導者たちは、さっそくそのテープを再生した。田を耕し、猟をする、何の変哲もない人々の暮らし。ところが、そこに映っているのは、すべて「夜」の出来事だったのである。
 それは彼らにとって驚くべき映像だった。「魔」が支配しているはずの「夜」に人間が活動しているとはどういうことだろうか。「魔」とは何か……誰もが忘れ、誰もが口にしたこともない根源的な問題を突きつけられた指導者たちは、混乱せざるを得なかった。
「この空を見よ」と、ひとりが興奮して言った。「この暗い空に浮かぶ丸い光が、伝え聞く月に違いない」
 太陽しか知らない民は驚嘆した。
「太陽のようだ」
「大きさは同じだ。だが、明るさが違う」
「アメリカでは、人間は夜でも地上に出られるのか?」
「たとえそうだとしても、我々はアメリカまではいけない。途中で夜が来るからだ。そのとき潜むべき場所がなければ、たちまちのうちに『魔』に食い殺されてしまうだろう」
「いや、本当にそうでしょうか?」
 ふと、ひとりの行政官が疑問を提示した。「私たちはひとりとして、『魔』というものの本当の姿を知っている者はいないのですよ。これは、アメリカの出来事ではありません。ひょっとしたら、『魔』はすでに地上から姿を消しているのかもしれませんぞ」
「夜の地上は、自由になっていると?」
「確かめた者もいないではないですか」
「もし、隣の敵国がそれをいち早く知っているとしたら、夜の地上をすでに占領し尽くしているのかもしれない」
「とにかく確かめてみましょう」
 さっそくひとりの兵士が選ばれた。
 もしも、夜がこれまで恐れていたように「魔」が支配する世界だったとしたら、彼はあっという間に「魔」に取り殺されてしまうことだろう。が、ハッチを開けて地上に出た兵士は、しばらくして無事な姿で帰還した。
「何物もおりませんでした」
 と、兵士は報告した。昼間見るのと同じ大地、同じ風景がそこにあるのみだったと。
 国中がそのニュースを聞いて狂喜した。人々は先を争って、地上への出口に殺到した。ハッチを開け、次から次に夜の地上へと踊り出た。
 が、ひとり目の兵士を無事に帰したのは「魔」の狡猾な罠であった。
 地上に出た人間はたちまちのうちに食い尽くされ、さらに開け放たれたハッチから「魔」が蟻の巣のような国家になだれ込んできた。
 国家の隅々までが夜に満ちるのに、長い時間はかからなかった。その国の人々からは、朝の光は永久に奪われてしまったのである。

 隣国の軍師は、策謀家として時代の中でも群を抜いていた。彼は、国を落とす方法は武力だけではなく、知略こそが肝心だ、と常々側近に向かって教えていたのである。
「『アメリカの夜』は、もっとも効果的な戦略兵器だ」
 ある日、彼は作戦会議で驚くべき作戦を披露した。
「こんなビデオがですか?」
 が、会議の面々は、そこに映った夜の風景を見て驚愕した。
「夜だ! まさか……」
「慌てるな。実は、先日、古代図書館で、映像技術に関する注目すべき解読があった。アメリカの夜とは、かつて、アメリカ映画が多用した技術のことだ。カメラに青色フィルターを被せて露出を絞れば、簡単に擬似夜景を作ることが出来るんだよ」
「と言うことは……」
「このビデオに写っているのは、夜じゃなく昼間の風景なのさ」
 軍師はそういって、にやりと笑った。

(この掌編を書くに当たって、雑誌プレミア五月号の記事を参考にしました)

 

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