登録作家によるによる小説競作



グランドホテルでミステリ!



スープをどうぞ

已岬佳泰


(解決編)

「天地さんはミステリー小説を書かれるそうですね」
 ウェイターが床から拾い上げた塩と胡椒の細長い瓶を僕は自分の目の前に置いた。天地がそれを見て顔をしかめる。
「そうだが、それが?」
「天道さんは、第3回殿堂ミステリー大賞をとってデビューした売れっ子作家さんよ」
 礼香がフォローした。それなら話が早い。
「僕も実は学生時代にミステリー小説はよく読みました。いわゆるポー、カーの古典ミステリーから乱歩に代表される日本の本格ですが、今の職業を選んだのも、ひょっとしたらその影響があるのかもしれません」
「それで?」
 天地は僕の職業には興味がないようだ。礼香の左目がぱちっと瞬きした。どうやら彼女も僕の職業をばらすつもりはないらしい。了解。それなら、さっそく核心にはいることにする。

「僕は最初、礼香さんの蠅が入ったスープをひとめ見たときに、ちょっと変な印象を持ちました。その原因はすぐには分からなかったのですけど、次に彦山さんがコーヒーをスープ皿にこぼしたときに、はっと気づいたのです。彦山さんがこぼしたコーヒーは白いクリームスープ表面にくっきりと茶色の線を作りましたね。もしスープを作るときにコーヒーが混ざってしまったら、スープ全体の色が少し変わるだけで、だれもコーヒー入りだとは気づかないかもしれません。だけどテーブルに出されたスープに、誤ってコーヒーを垂らしたら、誰だって気づきます。たとえコーヒーを入れる場面を見落としていたにしてもです」
「なにが言いたいんだ」
 天地がきょとんとした顔をしている。しかし、彦山は落ち着かない様子だ。僕の顔をじっと見つめている。礼香はそんな二人を見比べている。僕は天地を見ながら続けた。
「あの蠅もそうだったのではないでしょうか。さっきの黒い蠅はなんと羽を広げて、スープの表面にへばりついていました。白いクリームスープの表面にです」
「なにが言いたいのかよくわからんが、蝿はスープにもともと入ってたんだろ。それがスープ皿にスープを入れたときにたまたま表面に出てきたんだ。スープ皿は底が浅いからな」
 僕は彦山の顔を見て、そして天地を見た。
「クリームスープはスープ自体がとろっとしています。ですから、スープの中に混入していたものが、たまたま表に出てきたというのだったら、ああも見事に羽は開かないのではないでしょうか。それにスープをついだウェイターさんがそれだったら気づくはずです。あの蠅はきっと皿に取り分けられた後、スープの上に落ちたとしか考えられないのです」
 礼香が口を挟む。
「まるで、私が自分で入れたみたいな言い方ね」
「はい。それが一番、筋の通る説明ですね」
 僕がそう言うと天地の顔色が変わった。
「おいこら、ちょっと待て。礼香のいとこだって言うから黙って聞いていりゃ、なんてことを言い出すんだ。まるで、俺たちが料理にいちゃもんつけるために、蝿をスープに放り込んだみたいじゃねえか」
「僕は礼香さんのまっすぐな性分をよく知っています。もし礼香さんが自分で蝿を入れたというのなら、さっきの店に対する怒り方は、彼女のお芝居ということになります。でもあれはマジでした。だから蝿は礼香さんが入れたのではないと思います。だからと言って、この冬のさなかに高級レストランの空中を蠅が飛び交っていて、そのうちのひとつがたまたま狙ったように礼香さんのスープ皿に墜落した、というのも想像しにくいのです」
「ふん、あんなでかい蝿が飛んでいたら、すぐに気づくだろうが」
「でしょうね。そうすると、結論としてはこうなります。蝿は、誰かが礼香さんの皿に放り込んだのだ」

「私わかったわ。だれの仕業か」
 礼香の目がきらっと光っている。その視線の先には、ややうつむき加減の彦山がいた。
「私がですか。そんなわざわざレストランの信用を落とすようなことを総料理人の私がやったとおっしゃるのですか」
「ええそうよ。剛雄さん、あなたは、あなたを捨て、天道さんと親しくいている私に仕返しをしたかったのでしょ。だから、天道さんといっしょに現れた私に、これ幸いとあんな悪戯をした。私が大慌てでわめき散らしたとき、あなたは頭を下げながら陰で笑っていたんでしょ」
「違います。それは誤解です」
 あくまでも彦山はまじめな顔を崩さない。僕は礼香にうなづいてみせた。
「礼香さんの指摘ももっともだけど、もし彦山さんが本当に仕返ししようというのなら、蠅はスープの中に入れたと僕は思う。その方がたとえば間違って口にするかもしれないし、見つけたときのショックはよりきついんじゃないかなあ」
「スープに浮いているだけでも充分ショックだったけど」
「うん、でもね、こういう風に考えてみたんだ。蝿はわざと見つかりやすいスープの表面に置かれた。そしてそれは、スープを皿に取り分けた後、礼香さんが口をつける前のタイミングを狙って蝿は放り込まれた」
「それがいったいどうしたって言うんだ」
 天地は僕の話に苛立ったいる様子だった。しかし、礼香が腰を落ち着けてしまったので、帰るに帰れない。
「さっき、彦山さんがコーヒーをこぼしましたね。いや、こぼしたと言うより僕にはわざとコーヒーを礼香さんのスープ皿に入れた、と感じました。違いますか」
 彦山は肯定も否定もしない。つまり、イエスなのだろう。
「そして、あの蠅。あれもたぶん彦山さんか、それが無理なら彦山さんの指示を受けたウェイターがやったことだろうと思いますが、どうですか?」
 僕、礼香、それに天地。三人の視線を集めた彦山はしかし、困った顔のままだ。
「でも何のために」
 礼香の呟き。そして僕の顔をちらっと見た。
「理由はひとつしか残っていません。蝿もコーヒーも、礼香さんにスープを飲ませないためにです」
「私にスープを飲ませないために? それなら最初からスープを持ってこなければいいじゃない。わざわざスープを作って、テーブルまで持ってきて、スープ皿に取り分けて、そして飲ませないために、蝿やらコーヒーを落としたって言うの。それってなんか理屈に合わないんだけど」
「ただ単にクリームスープを飲ませないだけなら、メニューから消すとか、材料が揃わなくてオーダーを受けられないとか、いろいろとやりようはあったと思います。でも彦山さんはわざわざお客のテーブルまで来て、そこで飲ませないための細工をしました。それはある意味、危険な賭けでもありました。なぜなら、お客の前でそうしたことをやれば、その細工を彦山さんがやったとバレてしまう恐れがあったからです。でも彼はあえてそこでリスクを冒しています。それはどうしてだったかというと‥‥」
 礼香が右手をさっと上げた。
「ひょっとして、スープ皿の方に問題があったから?」
「惜しい!」
 僕は思わずそう言った。惜しいがたぶんそれはハズレだ。
「彦山さんはおそらく、スープ皿にスープを入れた後、礼香さんがそれを口にするまでの間に、何かが起きたのを見てしまった。たぶん何かがスープに入れられたんだと思います。そして、それは礼香さんがスープを口にすると取り返しの付かないことになるのでは、と思った。だから、とっさに蝿やコーヒーを落とした。ね、そうではないですか?」
「えー?、スープが配られてから、私が口を付けるまでの間にスープに何か起きたって言うの。そんなのありえないわよ。スープは目の前にあって、私にもちゃんと目が付いてますからね」
「うん、でも何か入れたんだ。よく思い出してみてよ。スープを受け取ってから食べる前までに、スープに何か起こったでしょ」
 おもわずぞんざいな口調になった僕に気づかず、礼香が首を傾げる。
「え?」
 僕はテーブルの上の塩と胡椒の瓶を指さした。口調を整える。
「礼香さんだけがスープに塩と胡椒をひとひねりずつ入れてましたよ。天地さんはさっさとスープに口を付けていましたけどね。その後すぐに、礼香さんがスープに口を付ける直前に、彦山さんがコーヒーをスープに注いだ。ちょっと間の早業だったんですが。彦山さんはきっと、そのテーブル瓶の中になにかが混ぜられていると思っていたのでしょうね。彦山さんは総料理長であまり客席は見ないのかもしれません。ですが、さすがに恋人が別の男の人と自分のレストランにやってきてたら、気になりますよね。それで、誰かがその瓶に何かを入れるところを見てしまった。ね、彦山さん」
 彦山はついに意を決したように僕に肯いた。
「仰せの通りです。こちらの女性が化粧室に席を外されたとき、お相手の方が、テーブル瓶に何かを入れておられるのを拝見しました。それが何かまでを確かめる術はありませんでしたから、そのことで騒ぎ立てて、結局何もなかったらお客様をを侮辱することになってしまいます。これは立場上、絶対にやってはいけないことですから、迷いました」
 どうやら僕の思ったとおり。
「そうですね。おそらく彦山さんは、その誰かの悪いうわさも聞いていた。本業以外の先物投資にカネを注ぎ込んで借金取りに追いかけられ、小説の執筆を装ってホテルに逃げ込んでいるとかいううわさをね」
 彦山が頷く。
「私どものホテルではお客様に何か不本意なことがあっては申し訳ありません。それに、そうしたことが仮に私どもホテルの備品を使ってなされるようなことは、絶対に防がないとなりません」
「それで、彦山さんはとっさの知恵で礼香さんが塩胡椒を使う料理のみ、その料理を食べさせないよう、蠅を使ったり、コーヒーを注いだりしたわけですね。自分たちが責められるのは覚悟の上で」
「いっそ、テーブル瓶ごと取り替えてしまおうかとも思いましたが、もう前菜を下げて、スープが出てしまってましたので、あれしか思いつかなかったのです」
「何を寝ぼけたことを言ってるんだ」
 天地が立ち上がった。握りしめた拳をぶるぶる震わせている。
「天地さん、残念でしたね。せっかくの名演技。怒ってテーブルクロスを引っ張って、証拠のスープ皿とテーブル塩胡椒瓶を床に落とすところは見事でした。普通なら、あれらはそのまま屑籠行きで、あなたの犯罪は発覚を免れたでしょうに。いや、あなたが混入したものが何かまだ分かっていませんから、犯罪と呼ぶのは早計かもしれませんが」
「でたらめばかり言うな」
 天地が叫ぶ。その表情から先ほどまでのふてぶてしさは消えていた。礼香がとどめを刺した。
「さっきは私の従弟(いとこ)って紹介して、職業は言わなかったけど、この子、田中くんって警視庁の刑事なの」
 天地は僕が差し出した警察IDをまじまじと見た。
「その塩胡椒の瓶2個と礼香さんのスープ皿はこれから鑑識に回します。睡眠薬か毒薬か。いずれにせよ、天地さん、あなたには任意で事情を聞きたいので、これから僕といっしょに所轄の京佐久署まで行ってもらえませんか」
 天地はそのままへたりこんだ。
 
 数日後、礼香から電話があった。
「ねえ、私、彦山さんとよりを戻すことにしたわ。あなたの勧めるとおり、彦山さん以外の男とは完全に切れるつもりよ。まさか睡眠薬を盛られるなんて、思いもよらなかった。なかなかベッドを共にしない私を、無理やり自分の部屋に連れ込もうとしたのね。しかも頭にきたのは、私よりもボルドンの権利書目当てだったみたい。今度のことで思い知ったわ。私って男を見る目がないんだってこと。あ、そうそう、あなたが疑問に思っていたことね。どうしてこの冬にあんな大きな蠅を都合良く彦山さんが持っていたかってことだけど、あれね、プラスチック製の偽物よ。よくレストランで子供におもちゃをくれるところがあるでしょ。あれもその一種で何とかっていうホラー映画のキャラ蝿らしいわよ。この頃の子供はああいうのじゃないと喜ばないらしくって、それで総料理長以下、みんなああいうのをいくつかいつもポケットに持っているようにしているらしいわ。あのほかにもキャラ蜘蛛とかね。うん、彦山さんとは長くお付き合いするつもりよ。なにしろ、自分の仕事を賭けて、私を救ってくれたのだからね。感謝感激雨あられ。うん」

(了)

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