電ミス第四回競作コンペ参加作品




 夏休みだからといって特にどこに出かける予定もない私。しかし、家にじっとしているのも気が滅入るものだ。気分転換もかねて駅前の本屋でも冷やかそうと家を出たら、通りがいつになく賑やかだった。どうやら、駅前商店街の夏祭りらしい。いつもは放置自転車であふれている駅横の空き地がすっかり片づけられていて、にわか作りの櫓が中央にでんと座っている。駅正面のパチンコ屋の前にはテントが並び、パチンコ屋の角から商店街へと通じる狭い路地沿いに、色とりどりの提灯が吊り下げられていた。まだ夕暮れには早かったが、もう浴衣姿の男女が路地に吸い込まれて行くのが見える。
 吸い寄せられるように提灯のほうへと歩いた。
 焼きそば、イカ焼き、ヨーヨー釣り、金魚すくい、射的、リンゴ飴、綿菓子、路地には、商店名を書き連ねたテントが並び、それらはみな私が幼い頃に見たものと変わらない、懐かしい露店だった。路地の中は意外なほどの人混みだった。肩が触れたり、足を踏んだりするたびに「失礼」と小さく声をかけながら、私はずんずん歩いた。足元に頼りない影がふらふらしている。私自身の影だった。風もないのに、祭り提灯が揺れているらしい。薄ぼんやりした影の動きは、私の気分を妙に不安定にした。構わず、私は歩き続けた。

 路地は小さな神社の入口に突き当たり、そこで露店の並びもあっけなく終わっていた。なにか肩透かしを食わされた気分の私に、神社の石段に腰を下ろしたひとりの男が声をかけてきた。
「おい、ぼうず。どうや?」
 ぼうず?
 その声になんとなく聞き覚えがあって、私は男のほうへと歩いた。
 赤ら顔、ランニングシャツに中途半端な膝丈ズボンの男は、赤い箱をひざの上に抱えていた。見覚えのあるくじ箱だった。四角い段ボール箱に丸い穴が開いており、中には赤い紙の三角くじが入っている。硬貨一枚で一回。特等は組み立て式の模型飛行機、きれいに包装され「特等」と大きく朱書きされて、石段に並べて置いてある。その他にもブリキのロボットや色とりどりの飴玉などが一等、二等といった札といっしょに並べてあった。
 石段の向こうには急拵えらしい木枠が並び、法被姿の大人たちが笑いながら、そこでも露店の準備をしている様子が見えた。
 私は模型飛行機に見入っていた。
 プラスチックのボディーがきれいに塗装仕上げされ、きらきらと光っている。大きさもふつうの模型よりひとまわり大きいスケールらしかった。ずうっと前から手に入れたいと願っていたものだ。今度は秘策があった。半ズボンのポケットに手を突っ込むと三角形のそれを指先で確認し、赤いくじ箱の中と、それからもう一度模型飛行機を見た。
 私は硬貨を男に差し出した。
「ぼうず、当たるといいな」
 男は笑いながら、くじ引きの箱を私の前に差し出した。その拍子に太い二の腕に色鮮やかな龍の入れ墨が見えた。龍はほんの一瞬だけ私の視界で動き、すぐに消えた。しかし、まるでそれは生きて大男の腕を這っているかのように見え、私はどきんとした。

 私は時間をかけて慎重にくじを選んだ。
「もう商売か」
 仲間に声をかけられた男がちらっと神社を振り返った。そのとき、私はくじを引いた。
「どうや?」とのぞき込む大男に、開いた三角くじを差し出した。とたんに男の顔色が変わった。
「なんてこった。おまえ、なんかズルしたな」
 恐い顔で怒鳴りつけられた。開いたくじには「特等」とあるはずだった。これで模型飛行機がもらえるぞと喜ぶ前に、男に剣幕に足ががくがくした。
「どうした、どうした」
 近くにいた大人たちが近寄ってきた。私にはなんだか、みんな男の仲間のようで、ますます心細くなった。
 しばらく大人たちは何やら話し合っていた。
「なんだよ、特等を入れてたかもしれないって? ドジだなあ」
 輪になっていた大人たちがおおきく笑った。大男が頭をかいた。太い腕にさっきの龍が動いていた。

 目の前で、男の大きな背中が右に左に揺れていた。私たちは神社の裏手の林の中を歩いていた。
「ついてこい、ぼうず」
 大人たちの話し合いを終えると、男はそういって歩き出したのだ。人のまばらな境内を横切り、そのまま参道脇の林の中に入り込んだ。林の中は日の光が遮られるせか、夕闇がいっそう濃くなっていた。薄暗い中を、大男は何も言わずに歩いた。私は男のたくましい背中を見ながら、だんだん不安になっていた。
 いったい、どこへ連れて行かれるのだろう。ちゃんと特等の模型飛行機をくれるのだろうか。それとも、このままどうにかされてしまうんじゃないか。
 林はそれほど深いはずではなかった。いつも、探検ごっことかして遊んでいるところだった。ところが、今日に限っては暗くて深い森のように感じられた。
 男は振り返りもせずにどんどん歩いてゆく。あと十歩も歩いたら、いよいよ回れ右しようと決めたとき、ふいに男が立ち止まった。
 そこは大きな木の根元だった。大型の四角い鞄がいくつか置いてある。男はそのうちのひとつを持ち上げると、私の方に振り向いた。
「ぼうず。さっきは怒鳴りつけたりして悪かったな」
 男は鞄を地面に置き、留め金を外した。ぎしぎしと音を立てながら、大きな鞄が開くと中にはセルロイドの玩具や西洋人形がぎっしりと入っていた。
「悪いけんどな、今日の特等は代わりがないもんでだめなんや。このなかのどれでも好きなもん、やるから、これで勘弁してくれや。な」
 男はそういうと、拝むように手を合わせた。
 しかし、私は開いた鞄に見慣れた露店の景品が詰まっているのを見て、どうしてこの男が怒ったのか、わかったような気がした。そして自分がやった細工がいかに脆いものだったかを思い知り、体が震えた。細工は簡単だった。三角くじはどの香具師も似たようなものを使っていた。私は前に当たった三等賞のくじを記念にもらって帰り、その「三」を「特」に慎重に書き換えたのだ。後は簡単だった。引いたくじをポケットに放り込み、代わりに細工したくじを取り出して男に渡す。私は知らなかったのだ。こうした香具師たちがあちこちの祭りを巡っていることを。そして、くじ引きの景品とかを使いまわししていることも。だから、くじ引きといっても特等や一等とかは単なる客引きのデコイに過ぎず、くじ箱にあたりくじなんて入っていないのが普通なのだろう。たまたま特等券を入れたかどうか記憶があやふやだった男だったので、私はこうしてのうのうと立っている。そうでなければ、私の不正は暴かれて、ひどいことになっていたに違いない。
「どれが欲しいんや。言ってくれ。ここにあるもんなら何でもやるから、な」
 男は繰り返した。私は少し考えた。欲しいもの……。
「龍」
「龍? なんやそれ」
「それや」私は男の腕を指さした。色鮮やかな龍が、太い腕の上でゆっくりと呼吸していた。今にも私に向かって飛びかかって来そうだ。
 男が体をひねって二の腕を目の前に持ってきた。赤と緑の鮮やかな龍が全身を露わにした。暗い林の中だったが、男の太い腕の龍だけははっきりと見えた。小ぶりの龍は身をくねらせ、口を開け、目を光らせて私を見ていた。
「その龍が欲しい」
 男が私の目をのぞき込んできた。
「ぼうず、この龍は半端やないで、本物やでぇ。やってもいいけど、えらく痛いぞ」
 男の目も光っていた。私は唾を飲み込んだ。龍が首を振って、小さく啼いたような気がした。

「ハルオさん、くじびきどうですか?」
 突然、女の声が頭の上から降ってきた。
 はっと我に返ると、駅前スナックの裕子ママが浴衣姿で立っていた。私はいつの間にか路地にしゃがみ込んで、彼女が手にした赤いくじ引きの箱をのぞき込んでいたらしい。
「駅前商店街が日ごろのご愛顧に感謝しての、空くじ無しですから、どうですか」
 裕子ママが繰り返した。その口調に揶揄めいた響きを感じる。夏祭りに駆り出されたらしいが、それ以上に私に突っかかってきそうな気配だ。そういえば妙な約束をして以来、すっかり疎遠になっていた。
「婚約指輪なんてイヤミな景品はありませんから」
 裕子ママの赤い唇が奇妙な形に歪んだ。私は視線をそらせた。くじ引きはもういいや。
 私は右腕の付け根に小さな痛みを感じていた。
 幼い頃の夏祭り。不正をして手に入れようとした模型飛行機の代わりに、あの日からそこには小さな龍が住み着いていた。あのあと私が頷くと、男は鋭い針を取り出して、右腕に龍を彫ってくれたのだ。あれから自分が少し強くなったような気がしている。誰かに怒りや悲しみを覚えると決まって龍が疼いた。それは男の言うとおり、本当に痛かった。しかし、その痛みに耐えているうちに、荒々しい感情は不思議と収まった。
 いや、龍が私の怒りや悲しみを食いちぎってくれているのかもしれないとも思う。
「本当にくじ引きはいいの?」
「うん、いいんだ。ところで今夜は店やってるの?」
「ええ」
 私はくるりときびすを返すと、いま来た路地を戻り始めた。

(終わり) 


あとがき

 元になった実体験とは……?

 ほとんどそのままなんですが、小さい頃、近所の神社でやっていた夏祭り。そこでたまたま引いたくじで、1等を当てたことがありました。もちろん、私は大喜びしたのですが、なぜか大人たち(両親含む)は気まずい雰囲気に。本編でも説明してますが、後でようやくその理由はわかりました。しかし、喜んでいいのか、悪いのかという複雑な感覚が長い間残っていて、今でも夏祭りになるとよみがえります。世間の裏の仕組みにすこしばかり気づいた夏祭り、という感じでしょうか。



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