★アケビ採り 
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山歩きをしていて、季節の収穫物に出会える楽しみは格別である。

その中でも、秋10月に山道で出会うアケビの実にはなぜか親しみがある。人の
手を加えない自然に自生する実の中で、「ここに実があるよ!」といった表現力
(大きさ、色合い、形)が他の実と比べて強いからと思える。

最近は、八百屋の店先にも見掛けるようになったほど、実としての完成度も高い
ものと言えるからだろうか。りんご、柿、みかん等、人の手をかけた実は果物と呼
ばれ、またなす、キュウリ、トマトなどは野菜と呼ばれて、人々の食生活に入り込
んでいる。この中にあって、同じ八百屋の店先にアケビが並んだ時は、ここに述べ
た果物や野菜に引けをとらない程に堂々として納まっているのである。

こうしたアケビの実との出会いは、山道を歩くものにとって魅力的な出来事なの
である。山道を歩いていて、ふと、手の届かない高さにその実を見つけた。
 なんとか体と手を精一杯伸ばすが届かない。それでもこの実を何とか手の中に納
めようと、思い切りジャンプして確かにつかんでいる。でも、後先を考えずにジャ
ンプしたものだからそのままヤブの中にドサリ。

しっかりと握っている手のひらの中に、その実はあった。薄く紫色に色付き、思
いの外すべすべとした肌触りである。縦長の方向にスジが入り、中に白っぽい甘み
にザクザクと硬い小さな種が包まれてあるのが覗いている。妙にひょうきんな姿形
に顔が緩んでくる。それを手にするものの顔を緩ませてしまう、得な性格の実であ
る。

あまり高い山にもないし、人通りの多い平地にもない。人家が近くにあるような
「人と自然が仲良くしてきた空間」にこそ、その愛敬のある実が見つかるのは不思
議な取り合わせである。だから、秋の山里の象徴としてこの実を見ていた。

山里の自然とそこに暮らす人、その“心の渡し船”、ア ケ ビ である。