お父さんの高校時代について


中学校では不安の方が多かったかもしれない。もちろん星の写真に凝っていたから
自分の世界は持っていた。でも、いろいろ大人になることへの不安、世の中が見えな
いこと、友だちとの違いが一つ一つ心細かった。

でも、高校に入るときに「これまで自分で嫌だといったことから逃れないようにし
よう」と自分で心に決め、それをやり通したことがすべてにおいてうまく行ったよう
に思える。
入学したとき、受験の前の日の雪明かりが明るい校舎に、何かとても魅力的なもの
を感んじていた。この思いは、その後もずっとイメージとしてそこにいることが何か
心地好いものとして自分を救ってくれた。
入学してすぐのころ、運動部に入部することを決定した。中学のころは運動場を何
周か走ると貧血で保険室に横になっていたほどなさけなく弱かった。このことがいつ
も気にかかっていたから、思い切って自分から行動できなかったし、おのずと言動も
消極的なものとなっていたのである。入部の日に、千歳山に走っていき、階段上りを
させられもうとても苦しかった。なにせ基礎体力がないのだから苦しいのが当たり前
。でもなぜか自分で決めたことだったから、次の日もその次の日も休むことはしなか
った。
こんなことだから、クラブでは皆に付いていくだけで精一杯。本人は基礎体力をま
ず付けることを目標にしていたので、テニスそのものの試合はまるっきり追いつかな
い。
 結局、一度も試合で勝ったことはなかった。でも、朝はやく行ってライン引き、ロ
ーラー引き、昼行ってネット張り、放課後は体力づけとタマ拾いと大声出し。くたく
たで一日が終わっていく。

でも、その分授業は楽しかった。窓を左に見て明るい日差しの教室は心地好く、そ
よ風の吹き込む窓辺がなんとも良かった。先生の話しをノートにできるだけポイント
をつかんでまとめるコツをつかんだのもこの時である。今得意としている「心の風景
のデッサンメモ」の基礎がこの時にできあがったのである。先生が魅力的だった。そ
の先生の生き方をじっと見ていた。忘れてはいけない言葉をじっと探した。そして、
授業中に必ず一つは質問してみようと心に決め実行した。すいぶん積極的なことをし
ていたものである。このころから、「どう思われようではなくて、自分でどう思うか
の方が重要なことである」と思えてきたのである。

こんなことがあって、成績はほとんど学年でトップになってしまって(なるつもり
ではなかったが、こんな毎日がそうさせてしまったようだ)このことが、自分のうま
くいくパターンがあることに気づかせてくれたのである。問題解決にとって成功のカ
ギを体得したことがあるのは、どんなに小さなことであっても貴重な体験である。今
、雅史がこのことを体で実感しつつあるようだ。「ノートを執るのがうまくなった」
「ここは出るといった所を重点的に復習」したからではないかと、成績がアップした
ときの自己分析をしたことで、自分で意識してこれからも行動するだろう。このこと
が、問題解決について実践して、結果を出して、自信をつけていくことができるのだ
ろう。

庭に咲く花をじっくり見ることもなく、季節を感じることから一番遠ざかった時期
かもしれない。この反動が、大学に行っていろいろ自然に積極的に関わった生き方を
したいというほどまでに高まっていったのだろう。繰り返して思うことは、自分で決
めたことに対しては、これほどに苦しそうに見えることでもやり通せてしまうものな
のだろう。きっと自分の夢が心の中にあるから、進んで行けたのだろう。その日その
日をとにかくやってきたのだから。

その日をしっかりとやってくることができたのは、その日に起こる楽しいことを手
のひらにボールペンで書いていた。何でも良い、どんな小さなことでも自分にとって
有り難いことと思ったこと、気分が晴れ晴れすることを、意識して毎日を過ごそうと
したのだった。そうしてバランスを取ろうとしていたのかもしれない。後になって、
この習慣が役だってくる。つまり、何となく好きという感覚を大切なことととらえる
姿勢が大切なことなのだろう。