目的指向、機能指向で物を見ることのできる人
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 旅行に行こうとして旅行業者の窓口に相談した人を思い浮かべて下さい。

 「どちらの方面に何日ほどを、お考えですか」、「ご予算はどのくらいを考えていま
すか」、・・「ちょっとお調べしますのでお待ち下さい」

このような会話があったとします。でも、このやりとり、なんかおかしいですね。そう
です、大事なことをこの旅行業者の窓口担当は聞いてくれません。つまり、その人はど
のような目的で旅行をしようと思ったのか、どのような気持ちになりたくて旅にでよう
としているのかを聞いてくれていないようです。このままでは、きっと標準的な観光地
めぐりがセットされそうです。失恋の痛みを癒すための旅行なのか、うれしさいっぱい
の気持ちをさらに大きく広げるために出かけようとしているのか、それによって全く違
った過ごし方になるはずですね。

 このような出来事は、まわりのちょっとしたことによくありますし、私たちの判断で
も手段にとらわれたものになってしまうことがよくあります。それは、目的から考える
のではなく、日ごろ「どこどこに行く」といった手段から考えてしまっていることがよ
くあるからです。
 できるだけ、目的に立ち戻って考える方が、臨機応変に目的を達成するためにやって
良いことが見つかると思うからです。1つの方法があったら、必ず「それは何のため」
「また、それは何のため」「またまた、それは何のため」と自分に問いかけてみると、
それまで気がつかなかった目的が見えてきます。つまり目的から考える習慣がつくこと
でしょう。

 かつて、「彼女と映画に行く。それは何のため」といったタイトルでお話風に理解し
ていく記事をみたことがありました。彼女と映画に行くのは、手段の一つです。だから
映画館が混雑し長い行列ができている時に、違う方法を考えるのもよいことですが、ど
うしたら見つかるでしょう。そのためには、その目的を考えてみることです。つまり、
「何のため」と自分に問いかけてみることです。答えは、「彼女と真近に居て、お互い
に気持ちを確かめたい」であることかもしれません。とすれば、たとえば列車に隣り合
わせに座り、通りすぎる窓辺の景色を眺めながら話をするといった一日のほうが、きっ
とよく理解できるかもしれません。

 連休で、東北道を青森方面から上り方向に車を走らせたことがありました。反対側の
下り方向車線が、ある有名な牧場で下りようとする車の大渋滞を見たことがあります。
このとき、頭に浮かんだのは、「牧場に行きたいとおもった時に頭に浮かんだ光景や気
持ちは何だったのだろうか」「その気持ち・光景に出合うのが目的だとしたら、もっと
違った行動がとれるのではないか」ということでした。

たとえば、広々とした草原に出会いたいということが目的だとしたら、込み合う出口
を避けて高速道路を降り、どこまでも広く広がっている飼料用のとうもろこし畑に車を
止めることでしょう。だれもいない畑で、ザワワザワワと風で葉の擦れ合う合間に青空
がのぞいて見えます。すると、どこからか心の中にしまってあった森山良子の歌「さと
うきび畑」のメロディーが、“ザワワ、ザワワ、ザワワ、この広いさとうきび畑で、ザ
ワワ、ザワワ、ザワワ、風が通り過ぎるだけ・・・”と、自然に口ずさんでいる自分が
そこに立っています。