自然と共生する自分らしさとは
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「自分は何者なの?」なんて考えたことありませんか。

そう、この地球に人として生まれたのです。しかし、人というのは“いきもの”なの
に、本当に自分がいきものだという実感を持って生活している時間がなんと少ないのか
と思うようになってきています。自然の産物であるいきものであるのに、なんだか“い
きもの”と感じない時間の過ごし方、生き方をしているように思えてなりません。

人間だけが特別ないきものではないはずなのですが、人が作った社会、しくみ、ルー
ルに合わせて生きようとするあまりに、自らが自然の一部であることを忘れてしまって
いることがなんとおかしなことかと思えてならないのです。

以前に出した著書「心の風景のデッサン」で主題とした“自然(じねん):あるがま
ま”といった捉え方をしつつ、自然とともに永く生きていく知恵を私たちは持たねばな
らないと思うのです。


広辞苑(岩波書店)で、自然(じねん)を引いてみましたところ、次のような説明が
ありました。

『自然(じねん): 自然(呉音 多く助詞に「に」「と」を伴って副詞的に用いる。お
のずからそうあること。本来そうであること。ひとりでに。
自然法爾(じねんほうに:仏)人為を加えず、一切の存在はおのずから真理にかなっ
ていること。また、人為を捨てて仏に任せきること。親らんの晩年の境地。』


ここで考えたい“自分らしさ”というのは、このような自然の声をできる限り、ある
がままに素直に耳を傾け、その中で、その人の個性を最大に見つけ、あるがままにおお
らかに表現していく生き方を言いたいのです。岡潔さんが著書「春宵十話」の中でおっ
しゃっている「すみれは、ただすみれとして咲けば良い」ということ、自分に備わった
あるがままに気づく生き方です。

自然は、実に個性豊かなものたちが生きて行けるいきもの社会です。もともと、いき
もの社会は、一つ一つ違った個性が集まったものです。違っているからこと、貴いもの
なのです。その、違っている個性にこそ価値を発見し、育て、じょうすにその個性を生
かしていける生き方を考えたいのです。

 一つ一つの違ったいきものを大きく受け入れ、しかもバランスよく生かし続けてきま
した。私たちは、このような個性豊かな自然をもっともっとあるがままにとらえる生き
方をしたいものだと思い続けてきました。

専門として、どんどん細分化して文明は進化してきたのかもしれません。でも、その
結果、この自然の個性豊かにさまざまないきものを受け入れ、絶妙にしかけられたバラ
ンスに気づくセンスが失われたのではないか、専門家として育成されることによって効
率的に経済活動を営むための生き方に偏ってしまったのではないかと思えるのです。

 自然のことを教える学問は、科学なのですか?

生物、化学、地学ですか? これだけではないと思います。国語という中で詩的に感
じること、あるいは音楽としてとらえるような、非常に幅広いものだと思うのです。

そうそう、“気配”を感じるという感覚備わっていますか。“もののけ”を感じる心
なのです。

このことは、とにかく自分の体をなるべく多くあるがままの自然の近くに置こうとす
ることで、このような感覚を受け止める力が養われたような気がしています。積極的に
自然に親しんできた生き方の人は、「そうそう、そうなんだよなあ」と言いたくなる感
覚なのです。自然は実に多彩です。そのものを一瞬にして“気配”としてとらえるのは
、きっと自然の声に敏感になった、いわばいきものとして生きていくために備わった無
くてはならない能力だったのかもしれません。

どうです? あなたはいきものの感覚が備わっていますか?

今、このような自然の産物として与えられた、自然とともに生きていく感性をもっと
もっと引き出す教育、生き方、しかもあくまで自然の原理に添った生き方、その中で自
分の持っている個性、自分らしさを活かしていく生き方を考えていきたいのです。

 自分のためにも、地球のためにも。