その人としてやって良い事に最大気づくこと
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 どうですか、「こうしてはダメ」「いままでやったことがないので」「みんなと同じ
くしていれば」といった考えに自分で縛られていませんか。

 このことを一変させる出会いがあったのです。「たった一度の人生において、やって
良いことに気づかない人生を送るほうがどんなに悲しいことか」という言葉に出会いま
した。それは、音楽家で随筆家でもある團 伊玖磨さんでした。社会人になりたてのこ
ろ、有楽町の旧朝日講堂での講演での出合いでした。この時、自分の持っている人間性
や可能性といったことを最大に活かす生き方について、考えるきっかけになった時だっ
たと思っています。


 その後数年して、私の妹は、21歳でこの世を去ることになってしまいました。妹が
私たちの結婚に送ってくれた色紙への言葉があります。


    「自然のように、美しく大きく、いつまでも元気で!」


 いつも私たちの健康を祈ってくれているとともに、“自然のように”の言葉は、とて
も大きなメッセージとして受け止めなければならないことを、とても強く感じるように
なってきました。自然をいつまでも美しく元気にするのも、私たちの役割なのだという
ことを。
 また、妹の死は、だれでもいつかはその時を迎えるのですから、どのように生きるか
を考えること、と気づく大きなきっかけをもらったのかもしれません。

 それからというもの、「その人としてやって良いことに最大気づく人生を積極的に歩
む」ことに、なんの遠慮もいらないと実感したのです。それから、生き方を大きく変え
ようと決めたのです。その人としてやって良いことに遠慮しない生き方に近づけるよう
、少しづつ行動に移していきました。人生の時間の長さではない、妹もきっと人生の時
間の中で、精一杯やって良いことにチャレンジした生き方をしたのだろうと思えるよう
になったのです。

また、この考え方は、積極的にあるべき方向へ向かって努力することを、自ら求める
ようになっていったように思っています。驚くほど積極的に自ら企画し、自分で動き回
ってまわることをいとわないようになっていきました。自分で向かっていく方向を定め
て、自分でハンドルを握ってすすむことの楽しさに気づいてきたのです。

これまで生きてきた中で、何度か自分の人生をどのようにデザインし、どのようにし
て自分の持っている可能性を広げられるのかを考える時がありました。また、仕事を通
して世の中のしくみを、どのようにデザインしようかと考える役割に直面することがあ
りました。このような時に、「やっていいことを最大見つける」という考え方こそが、
自らの中に立ち向かうエネルギーを沸かせる源となってきたのかもしれないと、今思え
るのです。

 私たちのまわりにある、ひとの手によって作られたしくみをよく見回してみてくださ
い。どのしくみも、私たち人間がつくったしくみは、すべてその作られた時の時代背景
に合わせつくられたものです。ですから、今あるすべてのしくみは作られた時からある
期間を経てきており、今の状況では使いづらいものにきっとなっているものがほとんど
ではないかと考えます。そのままに使えているしくみがあったら、よっぽどすばらしい
しくみだったか、それともがまんして使っているかどちらかだということを教わったよ
うに思います。
 だから、これまでなにげなく見てきた身の回りの出来事の中にも、やって良い事を見
いだす視点が大切だということです。

 その後、既存の制度やしくみを見直すための専門家として生きることになりましたが
、このような考えに多いに救われました。しかし、このことを実行に移すことは大変で
す。決してだれしも、今の状態をあえて変えたいとは思って居ないからです。そのほう
が楽かもしれませんし、その役割があることで生きてきた人もいることもあるからです

 新しいことを自らやろうとすることは、相当の覚悟と熱意がいります。だからこそ、
新しいものに立ち向かうエネルギーの源がしっかりしていないとへこたれてしまいそう
になるからです。一人だけではできないことがたくさんあります。まわりの人の力を借
り、その力を合わせていくことで新しい方向に変えて行けるのです。

いきものと共生して生きる社会へと、方向をかえて社会のしくみを作り直す時と思い
ます。自分の生き方も、その方向へと変えていく時と考えています。

「この会社には、頭の良い人はたくさんいる。しかし、どんなに良い提案でも実行さ
れるとは限らない」と言われたことを今でも大切にしています。「その人の権威をみる
のか人間性をみるのか・・・・、このことを考えることは大切なことです」と。

 展示会で良い作品に出会った時、作品そのものがすばらしいことはもちろんですが、
その作品を生み出された背景とでも言うのでしょうか。作品を通して、その人の生き方
、その人の目の確かさに感動しているのだと気づくようになってきたのです。


 自分にあたえられた有限な人生の時間の中で、出会う人、出会う考え方に積極的に向
かって行きたいと考えています。きっと良い考え方は、しなやかに、あるがままに近い
ものだろうと思っています。「体はなるべく自然に近いところに置き、頭の中は最新の
考えにしておくのが良い」といってのけた父の人生観は、実に前向きで、じつに自然の
あるがままに学ぶ生き方、自然のしなやかさとともに生きる生き方ではないだろうかと
、その実践の姿を通して確信の思いは次第に強くなっていきます。

ここに示そうと思う事柄は、私が実行し感じてきたことというよりも、私が接してき
た確かな方々のしなやかな生き方に共通な考え方、実践なのだろうと思えてなりません