お父さんの小学校時代について         1995.4 和夫

 小学校って、楽しい思い出と、思い出したくない思い出があるな。でも、そのどち
らも今のお父さんを作った大切な時だったんだと、今になって思うことがあるよ。
 なぜ、そう思えるのか思いつくままに話してみようかなあ。

 いま、キャンプが好きで、温泉も好きで、花や自然の写真が好きというのは、全部
この小学校時代にきっかけがあったんだ。たとえば、温泉については、もちろん山形
に生まれ近くに上山(かみのやま)温泉や蔵王温泉があり家族でも行ったことがある
からと思うけど、子供会というのがあって地区の子供がいっしょに旅行にいくといっ
た行事があったんだ。ここに親が付いていくんだけど、家がいそがしく、ばあちゃん
が付添いでいってくれる家が多かったんだ。だから温泉場に行くのが多く、作並温泉
での露天風呂と川あそびや小野川温泉での旅館の景色が、感受性の強い小学校の心に
しっかりと刻まれたので、今でも温泉にいくとそのころに安心感にもどれるからかも
しれない。 

 花や自然の写真をとっているというのは、小学校時代に出会った虫や花や石や雲な
どのその季節の忘れたくない大切な心の思い出を今宝物と思い、それを何とか表現し
ておきたいといったことが、ずっと変わらずに心の中にあったからだとおもっている
んだ。

 1年生の先生は、よく田んぼにつれていってくれて、机の上とちがった生き物にふれ
る楽しみをおしえてくれた。これが大学に進もうと思ったとき山形大の生物学科を受
験した(受からなかったけどね)ことにつながるんだ。
 2年の秋に転校したことがあって、それまでの友達がみな居なくなって心細い毎日が
何年か続いたんだ。
 5年になるとようやくいつも遊ぶ友達も何人かできてきたけど、それまではいろんな
友達とちょっとづつ遊んでは、ちがった友達をつくった思い出があるなあ。その中の一人
は山に蝶をとりに出掛け、めづらしい蝶の居場所を知っていたり、遠くの友達と蝶を交換
したりしていたんだ。そんな友達に刺激され、自分でも組み立て式の蝶をとる専用の
網(蝶の羽にきずがつかないようにやわらかなきめの細かい網でできていたんだ)を
かってもらい、芋煮会をする馬見ケ崎川やその近くの山によく出掛けては、蝶を追い
かけていたんだよ。
 顕微鏡で花粉やどろみずにいるミジンコなどの小さな生き物を見ると、こんな所にも
いっしょに生きている生き物がいると思うと、うれしくなってしまったんだ。
 布団を屋根に干しているとき、その布団の上にいっしょに寝てじっと目をつぶっていると、
なんて幸せなんだろうと思う子供だったんだなあ。
 5年生から6年生にかけて、学校以外のサ−クルにも入って活動したことがあり、霞城
公園の中にあった児童会館(?)の生物クラブでいろんな生き方をしている人に出会った
んだ。生き物について教えてくれるのは、学校の先生とは限らず、町のおじさん。キノコの
先生、アリの先生、草木の先生といろいろであったんだ。このとき、こんなことに毎
日を過ごせたらいいなと思ったんじゃなかったなかあ。

 キャンプは、こんな自然と一生かかってつきあって、いっしょに生きている生き物
と話をしたいとおもったからかもしれない。いつでもそんな世界にワ−プできるため
の道具を揃えてきたのが、今のキャンピングカ−になったのかなあ。たしかに、ちょ
っとした時、いつでも出掛けるだろう、こんな気持ちにであってきたいんだよ。きっ
と。

 ほんとうに、自然といっしょに生きられたらと思って生きているのは、この小学校
時代のいろんなことがきっかけなんだと、あらためて思っているよ。

 5年まで、トラホ−ムといわれ皆といっしょにプ−ルに入れなかったことが、楽し
いはずの運動を嫌いと思ってしまったことになったのは、あとあとまでくやしい思い
をしたことなんだよ。でも6年生の海浜学校で思い切り海水を飲み、おぼれるかと思
うほどこわいことにであったことが、帰ってきてから学校のプ−ルがなにもこわくな
くなって、その夏に25M泳げるようになってしまったんだよ。もちろん、自分でも
うれしかっけど、運動で先生にほめてもらったことって始めてだったから、世界が明
るくなったように感じたように記憶しているよ。その秋の運動会で200M競争で2
番になり。これも運動会で賞にはいったことは始めてだったから、うれしくて・・・

 この出来事は、「みんなと同じことが出来ることって、なんてうれしいことなんだ
ろう。けっしてみんなより、すぐれていなくても、同じことが出来るだけで、こんな
にうれしいことなんだ。だから、人と競争するんでなくて、同じこと、いっしょにや
れるようにしていくことの手伝いをやろう。そしてまわりで、元気を無くしている友
達がいたら、ちょっといっしょに歩いてあげよう」と思ったんだ。そして、もちろん
「なんでも、人ができることは、じぶんでもきっとできる」という自信もついたんだよ。

 どうだった? きっとこんな宝物、いっぱい心にあるんじゃないかな

ほんとの宝物ってこういうものなんだよ。目に見えないけど・・・。