常に動きながら発想する人
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休日に家に居ない生活を心がけているのですが、とにかく自然に近いところに身を置
こうとしてきました。
それは、様々な自然の生き物との思わぬ出会いがあるからです。なにも遠くに出かけ
ているわけではなく、気に入っている近くの田んぼに行って休日の朝を過ごします。

 田んぼに出かける理由の一つは、富士山に出会いに行くのです。都会の空気を通って
ここ埼玉に光が届くのは、よほどコンディションの良い時でないと出会えませんが、特
に冬場の休日に早起きをして、太陽の昇るころをめがけて田んぼに立ちますと出会える
のです。遠くの富士山ですが、日本を代表する山の貫禄十分にしっかりと立っていると
いった光景に出会うことが出来るのです。

ある時その田んぼで、田植えが済んで稲が青々としてきたころ、雉(きじ)のつがい
に出会いました。畦道を草に隠れながら歩いては時折立ち止まり、スッと首をのばして
こちらを気にしながら気配を伺っていました。
 またその日は、荒川の土手にいってお握りで朝の食事をとっていましたら、足もとが
ゴソゴソするので目をやると、なんと亀が歩いていたのです。
 何だか“鶴と亀”に一度に出会ったかのような、うれしく不思議な心持ちになったの
でした。

またある時は、普段なら2〜3羽の白鷺が田んぼに降り立っているのに、その日は2
0羽以上が群れていました。きっと田んぼの虫や小さな魚を突いていたのでしょう。そ
れが一斉に飛んだかと思うと、田んぼの畦道に一列にならんで止まり、皆で羽根の身繕
いを始めたのです。

またまたある時は、田んぼの脇の小川を一直線に低空で飛んでいったものがありまし
た。ちょこんと川辺の杭に止まった姿は、あの翡翠(かわせみ)だったのです。青く光
るような背羽に胸元がちょっと橙色がのぞく、まるで小さな紳士でした。

このように、自然の中にいるとさまざまな生き物との出会いにワクワクします。そし
てその生き物たちがそこにいっしょに住むことができるためには、小さな生き物が生き
られる所であることであり、そのような環境を残していただいた農家の方々にお礼をい
いたい気持ちになります。
 遠くを車が走っています。広い田んぼの中にたたずむと、ここまでは音が小さくなっ
て、蛙の呼び合う声や、土と草むらに住んでいる虫たちの声が、あたたかく感じられる
のです。いつまでも、この空間がつづいて行くことを願わないではいられません。


このような自然に近い所に身を置いていますと、自分のいきものとしての感覚がよみ
がえってきます。

 日常の生活の中において、ゆったりとした心で良い発想が浮かんでくる場所があるよ
うです。たとえば、頭をまくらに置いて眠っている時がその一つです。それに、電車な
どに乗って身をまかせて揺られている時でしょうか。あるいは、トイレに入ってしゃが
んでいる時でしょうか。“三乗”といって、良い発想が浮かぶ場だということを聞いた
ことがあります。
 そうですね、私の場合は、ぬるめの温泉に浸かってゆっくり身を任せている時を付け
加えたいと思いますが・・・・・。