息子へ お父さんの中学校時代について
君は、中学校時代を良い思い出でいっぱいにしているように努力しているようで
、見ていて「よくやるなあ」と正直思っている。まあ、自分で決めたことだから、頑
張れるのだろうと思うけど、自分で決めたことを最後までやり通そうと努力すること
は、これから先、人生を過ごしていくときに、大変役立つ良い習慣だと言える。なぜ
って?
だって、自分の人生の企画は、まず自分自身で決めるのだし、こうしたいなと思う
ような方向に近づくように、毎日少しずつ、着実にそうなっても不思議じゃないよう
な準備をしていくことは、自分でできる唯一、夢を現実にする方法なのだから。
でも、クラブと勉強は別(ほんとうはクラブで経験した良いことを勉強に活かすこ
とが必要なのだけど・・)、自分の進路を決める重要な時に差しかかっているのだよ。
クラブは何人かで一生懸命やっているのは、これはすばらしいことと一般には言え
るが、ほんとうにそうだろうか。皆がやっているので、自分もやっているのではない
かな。もちろん、そのこと自身は素晴らしいことだと思う。しかし、よく考えてほしい。
君の仲間はこれから同じ人生を歩んでいくのではないということだ。つまり、自分の
人生の進路は一人一人違っていくということに気づかなければならない。そして
その準備をしっかりやる必要がある。この1、2年で人生の方向が決まるわけでは
ない。自分で自分のことを大切にして、これからの人生が楽しくなるように、自分で
意識して(いままでは無意識でも良かったが)自分の時間を過ごすといった生活の
スタ−トなのだ。
はじめから、一気にそうはできない。すこしづつ毎日すこしづつ自分の時間を大切
にして過ごすこと、その差が大きく後々になって出てくることに気がついて、実際の
行動に移る時とおもう。
今は、クラブも3年生から引き継いで、2年生が中堅となって引っ張っていく時期
に入ったことも、先日の授業参観の後の父兄懇談会で担任の先生から話があった。
この時期に同時に、着々と自分のための時間を使っていく(クラブ以外の勉強や、自然、
人に係わる興味が一番いい。なぜってこの地球に生きて、人と係わって生きていく
のだから、そこへ関心がいくようにしないとつまらない生き方になると思う。)、この
時期に必要と思うものを勉強といって教えてもらっているのだから、必要な時期に
必要なものをしっかり身につけることが大切だ。それに楽しく取り組めれば、なお最
高だ。
さて、君の参考にはならないかもしれないが、お父さんの中学校時代について、
ここに記しておこう。
まず、入学したときは、前から数えたほうが早い位、背が小さい子供だったように
記憶している。まだ、特に何をしたいといったものもはっきりせず、ボ−ッとして過ごし
たのじゃなかったかな。でも、もしかして、この時期に普通の人は、他の人がどうした
とかを気にして言動や行動をしはじめた時期に入ったが、お父さんは、悠々と
星をながめることに夢中だった(明日テストというのに、夜まで星の写真をとってい
たこともある)。
また、学校の行き帰りに友達といろいろ話しながら歩いた思い出がある。きっと話
すことで、自分の考えが少しずつ出てきていた時期だったのだろうと思う。そして相
手の言うことを理解しようとしていたのだろう。これが、コミュニケ−ションの基礎
を育てた始まりだったようだ。
クラブは、たしか科学クラブで、あまり先輩後輩といった関係はなく、各自で好き
なことをやっていた。
運動も積極的ではなかったから、あまり楽しく運動した思い出はない。しかし、
体育の時間の野球で、外野でボ−ッとしていたとき、振り向くとタマが飛んできて、
とっさに素手で受け止め、皆がびっくりしていたことがある。このことは、大人
になって同級会のときも話に出てきたぐらい、皆にとってもめずらしかったらしい。
とにかく、星をいつまでも眺めていても飽きないような子供だった。まわりも、科
学者になると思っていたし、自分でもぼんやり「そうかな」と思っていた。でも、ど
ういうのが科学者で、どうしたら生活していけるかが、まったくイメ−ジできなかっ
た。だから、とにかく理科関係は得意で(いや、かってに思い込みしていて、だから
好きになろうとして自分に言い聞かせていたようだ)、おもしろかった。でも、当時
から、国語、数学、英語の3教科が高校入学試験科目だったため、理科が良くてもあ
まり成績には関係なかった。この3教科の中で、どれも面白かったことはないが、ひ
とつ思い出があるのは英語である。学年1位の○○君から、熟語について覚え方を教
わって、それからとにかく丸暗記で徹底して熟語を覚えた。そうしたら、面白いほど
、文の流れや、穴埋め問題が解けるようになって、勉強することがおもしろいと感じ
た。この体験は貴重で、その後、高校、大学でも効果的に覚えるコツというのを、科
目ごとにつかめるようになり、あまりくるしくなく机に向かえるようになった。とに
かく、時間をかけてまとめ、覚えやすくする手作業は音楽を聞きながらでも、時間を
かけておわす。覚えるときは、集中して書きながら、頭をすっきりさせながら、覚え
たらさっさと寝てしまって、せっかく頭に入ったことを余計なことで埋め尽くさない
ように心掛けた。
こんなふうに、自分のスタイルを決めていった時期でもある。
でも、正直、世の中のしくみもまだ分かっていないし、自分のやりたいことも気づ
いていない時期だった。しょうがない、まだ基礎的勉強に時期であって、この基礎を
発展させて応用までつないでいかないと、実際の世の中の出来事と結びつかないのだ
から。
高校や大学の授業で、ようやくなんとかおぼろげながら結びついてくるのだから。
あまり、あせってもしょうがない。でも、その時期にやるべきことは、それなりに積
み重ねていく努力をしたほうが、後々になって力が発揮できることはまちがいない。
とにかく、どんなことでもいい。自分でこうだと思って行動してみたり、なんとな
く好きで苦にならないことをなぜなのかと考え続けてみたり、こだわってみる習慣づ
けの時期と思う。
さて、3年になって高校受験で自分の受験校を決めることになり、自分の進路を決
める始めての意思決定が訪れた。正直、まだボ−ッとして良く見えていない。確かに
、全国一律の共通一次のようなものは当時なかったが、似たようなテストを受けて、
自分の現在置かれている学力の程度を知ることが出来た。はじめて、競争を意識しな
いわけにはいかなかった。でも、ここでもそんなにあせった記憶はなく、自分のペ−
ス(やれたなと実感できるペ−ス)を感じて、それに正直だったようだ。正月近くに
なって、自分の狙っていた高校に、いくらかの気後れを抱いていたところへ、クラス
の担任の先生が夜に家を尋ねてこられ、「多分狙っているところへも、いまの成績で
入れると思うが、1ランク落として着実に狙ってみるのも良いと思うがどうか」とい
った話を父母の前でアドバイスしてもらい、このとき始めて「自分でもそうしたいと
思う」と気持ちに正直に答えた。すると、なんとなく重く感じていた受験が、軽くな
ったように思え、自分からそう決めた高校へ、雪の降った日に見学に行った。校舎に
入って、だれもいない廊下や教室を見て回って、その明るさを気に入ってしまった(
雪の明るさも手伝ったのかもしれないが・・)。こうなると「ぜったいに入りたい。
この明るい校舎で過ごしたい。」と強く思えてきて、自分のペ−スを崩すことなく、
いままで蓄えた学力を、試験当日に十分発揮できるように備えようと周到な準備を整
えた(当日の体調が最も良くなるように、しかも自分でここと思えるカ所をポイント
を絞って要点をしっかり頭にたたき込むようにした)。
試験の当日、ようやくテストが終了した時には、「あまりできなかった」と落ち込
んだ。つまり、間違った所がはっきりとわかってしまっているといったことが起こっ
たのだ。でも、その結果は、みごと「合格!」。こんなにうれしくて、飛び跳ねたい
ような思いはなかった。入学してしばらくして、担任から「おまえは、2番が好きだ
な。こんど一番になれよ。」の言葉を聞いたとき、はじめて入学試験で2番の成績で
合格したことを知ったのだ。それ以来、「どこが間違ったと、明確に分かるときは、
決まって成績が良い」ことに気づいた。「判ることと、判らないことが分けられるこ
とが、分かるということなのだ」という教訓である。
いろいろ、思いつくままに書いたが、これからクラブも今以上にやり甲斐がある時
期に入ってくる。そして、自分一人の時間を、勉強のなかでどう自分の楽しみをつく
っていくかも、同時に味わっていく時期に入った。
大切な時期と思うので、こんな手紙を君に書いた。
これまでの君は、よくやっていると安心して見てきた。「思いやり」と「自信と
責任」をもって生きていってほしい。これからの君も、きっと安心して見ていられ
ると思うが、大切な時期と思うので、こんな手紙を書いた。
君が、楽しい人生になるようにと願って・・・。
1995.9.20
父 和夫より、息子へ