自分の光る場(光るべき場)を認識し、ここと思う時、光れる準備をしている、ある
 いは行動できる人

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いきものとしてこの地球に共存しつつ、人としてその個の持っている各々の個性を認
めて、役割を見つけながら生きていきたいと考えています。

 自分らしい個性が活きる時、自分が光る時、自分が光らなくてはならない場面が必ず
あると確信してきています。岡潔さんの“スミレは、ただスミレらしく咲けば良い”の
言葉は、深い言葉だと思います。どれ一つとして、無駄ないきものはなく、その個性も
必要なものとしてあるようです。

 とすれば、自分らしい個性が活きる場面が必ずあると思うほうが楽しいですから、そ
の時のために普段から楽しみながら準備をしているのもいいですね。何も、わざわざ準
備をするなどと構えなくても、ただただその時にできることを前向きに取り組んでおく
ことなのだろうと思います。
 前にも述べましたが、自分にできることが出てきたらきっちりと光ってみせるように
したい、こう思って生活の中で準備をしていると、本当にそうなるのですからから不思
議です。
 自分で、回りの人々が喜んでくれる顔を思い浮かべながら、そうなるように着々と準
備していくのですから、あとは時期と出会いを待つだけです。

 自分が大切だと思っていることを、きちっと整理しておくことです。頭の中だけで思
っているだけでは、その大切に思っていることを伝えられません。普段から、自己表現
としての作品を用意してみたいと思います。ここ数年、芸術家と呼ばれる方々に接して
きました。もちろん皆さんプロですから、神髄にはとても近づけませんが、とても勉強
になったことがあります。それは、やはり自分の個性を持ちながら、大切だと思うこと
にとても多くの時間をかけて、とても思いを深く、自分の信じる表現すべき対象に向か
っているということでした。そして、その作品展等でお話をさせていただくうちに、作
品を展示しているというより、作品を通して、その作家の大切にしていることそのもの
、作家の人そのものの生き方の魅力そのものに触れることなのだと思うようになりまし
た。
当たり前なのかもしれません。私がようやく気づいただけなのでしょう。作品を見る
のではなく、作品を通して、作家の心に出会いに行くのが展示会へ出かける意味へと変
わってきたのでした。

この展示会での作家との出会いで感じたことは、もちろん作品そのものが自己表現と
しての結晶そのものなのですが、それと同じくらい価値のあるものは、どうしてその作
品を生み出さざるをえなかったのか、その強い思いを自分の文章でまとめたものだとい
うことです。さらに、これまでの経歴のまとめ、そして差し出す名刺、さらにこれまで
の作品等を掲載した著書など、その人そのものを分かってもらおうとするためのものを
準備しておくことなのだということでした。作家らしい表情で写した写真も、できるだ
け多くあると良いと、あるギャラリーのプロデューサーの方がおっしゃってるのを伺っ
たことがあります。

ここで、思うことがありました。自分の考えを理屈で説明した自分、ほのぼのと心の
思いを表した自分、おかしくて笑ってしまう自分、どれも自分なのですから、もしも可
能なら、多面的な自分を一つづつ作品にしてみると、より自然に自分の個性を分かって
もらえるのかもしれないと思うのです。

個性豊かないきものとしての自分を、いきものとしての相手を、そして地球そのもの
を、もっともっと注意深く受け止め、自然(じねん)としてあるがままであることを謙
虚に見続けていく、これからもそんな生き方をしていきたいと思います。