自分の”心の風景”を絵にすることのできる人
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 「心の風景」、この表現がとても気に入っています。自分の心に浮かんだ忘れること
の出来ない風景を観察とデッサンの対象にしてしまうのです。

 子供の時分から、木の実・石ころ・蝶といった自然の美しいものそのものを集めたの
が小学校まで、そして中学になると星の世界、また高校では化石とりといった空間・時
間軸を飛び越す神秘性に心が引かれていったのです。
 さらに情報に興味を持ち、新聞記事のスクラップに凝った時期がありました。ところ
が、このスクラップをやるにつれ、ひとの考えたものをいくら集めてもかえって虚しく
なる思いに駆られたのです。

 そのような折に、自分が毎日の生活の中で出会った事柄を、ノ−トに記し関連の資料
を張りつけていった、いわば自分の感じた事柄そのものを宝物として扱う整理方法が大
切だと気づいたのです。このことは、記録の形態がノートではない方法に変わっても同
様に、大切と思うことをしっかりとつかんで蓄積しながら毎日を過ごすというスタイル
を作り出したのです。

 今では、名刺サイズのカ−ドを胸ポケットに忍ばせ、折に触れ書いているうちに、自
分自身が感じたもの、自分の言葉で記したものは、自分にとっての大切な宝物であると
実感しています。

 このカ−ドは「心の仕掛カ−ド」と呼べるものと、「心の風景のデッサンカ−ド」と
でも言いたいものに分けられてきています。

 たとえば、「心の仕掛カ−ド」を毎日朝、会社に向かう電車の中で必ず1枚書くと、
一日の行動の方向が見えてきます。今日一日の中で、気になっていている事柄(今日中
に実行したほうが良いと気になっているもの)を心の中にとどめないで、外部記憶装置
としてのカードに吐き出してしまうのです。そうすると、心が軽くなり、新しいことを
受け止める心のゆとりが生まれるのです。一時的に忘れて、心を空っぽにできる便利な
カードの使い方です。

 一方、「心の風景のデッサンカ−ド」は、大切だなと思ったことを、心のあるがまま
の状態のまま書き留めるものです。心のなかで感じていることを感じたままの姿でデッ
サンしたものです。その日に出合った忘れることのできない”心の風景”、きっと、あ
なたにとって大切な宝物の一つであるに違いありません。