あとがき


 毎日のように流されるTV・新聞・雑誌の情報、それを見て右往左往している大衆
の動きを見ていると「情報にメダカのように群がる人々」に実感のこのごろである。

 ふと、93歳まで長生きした祖母の「ニュ−スは見ないよ。90年生きてきても、
どうせ人を殺したとか、盗まれたとかの繰り返し。人のことで心配してもしょうがな
い。毎日朝起きて、お日様に感謝することで長生きしたのかなあ。」の言葉である。
きっと自分にとっての宝物を知った生き方をした人だったんだろうな、と思うように
なった。

 東北の温泉巡りをして、遠野での柳田国男の肉声の録音展示の中で、「世の中の
80%は記録に残らない。よっぽど良いことをしたか、悪いことをしたかしか記録に残
らない。」の言葉に出会った。そこで、記録に残らない8割の生活、その人なりの生
活の中にこそ記録に残すべきことの多いことを実感した。

 地球上のあらゆるシステムの中で、人も自然物の1つであって、すべての生きもの
が対等の関係であるといった自覚が、この限られた地球に生きつづけるものとして必
要なことであろう。春宵十話の中で岡 潔さんは、「スミレは、ただスミレのように
咲けばいい」といったくだりがあるが、われわれ人間にとって「ただ・・のように咲
く」とはどのようなことなのだろうか。

 社会人となって、これまでの仕事と暮らしを通しながら、「やって良いことに最大
に気付き、実行する」といった生き方、そしてアウトドアライフを思考し「自然に積
極的に関わった生き方をしたい」と気付き、実践の中でその方向を捜し求める生き方
を模索するうちに、この「自分らしさ」にこだわることは、「そのひとらしさを認め
ること」「そのひとの宝物・その組織の宝物・その地域の宝物を認めること」と思う
ようになった。

 仕事上、生活上の体験から自分なりに気付いたことをまとめてみた。「自分らしさ
に気付くこと」が、まず第一歩である。社会人になる前に持っていた「夢の棚卸し」
の実行をお勧めしたい。「自分探し」が益々重要な時代になってきたことを実感する
このごろである。一度しかない人生、自分らしさにこだわり続けて、自分を好きにな
って、自らの人生に積極的にしかけること、それが幸福の青い鳥に出会う近道ではな
いだろうか。

                                          温泉人