情報収集・加工・表現が一連のスト−リ−を持ってやれる人
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 自分の人生において、これが自分の役割だろうと思うことに向かって積極的に生きて
いきたいと思っています。でも、その役割は地球上のどんな小さな動物や植物とも対等
なのだろうと思うようになってきました。

 最近、思うことがあります。絵画や写真の展示会にでかけ、出合った作品の前に立っ
た時、「この人のどういう思いがこの作品を作らせたのだろう、その思い、その訳をぜ
ひ聞いてみたい」と思えるのです。つまり、作品そのものの善し悪しよりも、何がここ
までにその人を行動に駆り立てたか、に興味を抱くのです。

 高校の時、これと同じ思いで毎日の授業を受けていたように思います。つまり、授業
そのものへの興味というよりも、授業に係わる先生の取り組み姿勢、先生の生き方その
ものへの感心があったのです。そして、その授業に接した時の心の動きをそのままに、
いろいろ工夫してノ−トに描いていたことを思い出します。つまり、伝えたい事実その
ものは一つでなのですが、どんな言葉で表現したのか、事実の背景までも添えて描こう
とし、それを話の中心点と関連の話題との流れを、ワクワクしながら描くことを楽しん
でいました。

 こうして、「なぜ、それに取り組もうとしたのか」「どういう姿勢でで捕らえている
のか」、そして「どう捕らえたか」といった目で見るクセがついたようです。そして、
なるべくその時の再現性がある表現方法でメモに記述する工夫を、毎日楽しんでいたよ
うです。毎日毎日やっていたのですから、生きた言葉のままを吸い取り、言葉と言葉の
関連や流れ、そしてそのことの背景に興味をいだき続けてきたことが、その人らしさを
つかむ、いわば“宝物さがし”のセンスを生み出したのかもしれません。

 昼に食べた、赤魚の焼き物について、ふと考えさせられたことがありました。どうし
て、こんなにおいしい身になったのだろうかと。きっと、海に溶け込むあらゆる物質の
中から、赤魚らしさになる成分をどんどん取り込んだからなのでしょう。

 自分らしさを形勢していくことは、この赤魚にも似て、あらゆる世の中の事柄の中か
ら、その人らしさの形成に必要なものを積極的に取り込んで、その人らしい魅力的な味
わいに仕上げていくのではないかと思えるのです。

 さて、あなたは、どんな味わいの人物になろうとしているのですか?