日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・
今日の出来事
6月30日(金)曇り 今日前勤務地である三豊総合病院のA東先生からI井先生の送別会のご案内を頂いた。I井先生は防衛医大の医局に属する先生で善通寺の駐屯地の診療所に勤務が決まってから内視鏡の勉強のために三豊に出入りされていた先生である。今年4年目の先生だが大変に優秀で内視鏡の上達ぶりにはS脇部長も目を見張るものがあった。せっかくのお誘いだけに万難を排して豊浜に行く段取りをつけよう!!話は変わって今日自分の外来の終わり頃になって下血の患者さんが来院された。血液検査で貧血もあり消化器内科に紹介すると「今日の午後は学会出張のため診療できません」と断られてしまった。運悪く内視鏡当番の先生もいらっしゃらないということでY光内科部長と相談してやむなく近医の緊急内視鏡可能な病院に紹介することになってしまった。この週末は消化管出血が来たら県中での受け入れは難しそうである・・・。
6月29日(木)曇り 今日は昨夜の緊急手術にもかかわらずA.M.7時に自宅を出て嶺北中央病院に向かった。何とか応援業務をこなして夕方には病院に帰り,病棟回診をしてから肝胆膵カンファに参加した。今週末に開かれる四国消化器病学会の予行もあって症例検討と併せて盛り沢山な内容であったがさすがに睡魔に襲われて何度か意識を失いかけそうになってしまった。H見先生はいつもと同じペースでカンファを進行なさっておられた。H見先生のもつ底知れぬ体力にただただ感心させられるばかりである。
6月28日(水)雨 今日土佐山村に行ってK村欣先生に女の子が誕生した話を聞いた。出産前から女の子だと分かっていたようだが実際に生まれてきた子供を見ると喜びもまたひとしおであろう(K村先生おめでとうございます!!)。県中に戻ってから夕方自分の受け持ちの患者さんの状態が急変したため外科のH見先生にお願いして夜間に緊急手術となった。夜間でもこのように迅速に対応をして頂き何とも心強い限りである。P.M.22時より手術は開始されて終わったのはA.M.2時を回っていた。患者はICUに搬送されたが容態は安定しているようだ。H見先生大変お疲れ様でした・・・。
6月27日(火)曇り 今日東高校の看護学科に講義に行った帰り際に1学期の期末試験の作成を依頼された。ついこの前中間試験だったのにもう・・・と一瞬考えてしまったが確かにもう7月がすぐそこまで来ていて世間はもう夏休みの話をし始めている頃なのだ。早速準備にとりかからなくては。
6月25日(日)晴れ 今日は卒業して買ってこれまで約9年間一緒に生活を共にして来た愛車を手放す決心をした。高知市内のトヨタビスタに行って新しい車に乗り換えることに決めたのだ。さすがに今の車はブレーキやハンドル,エンジン音など幾つか気になるところがあって嫁さんが次の車検までには何とか乗り換えをと言ってくれていたのも後押しした形となった。最近スクーター通勤ということもあってほとんど車を使うことがなく,嫁さんが乗る機会が圧倒的に多いため嫁さんの趣味を最優先しての車種選択となった。これからまた頑張って10年は乗り潰さなくてはなるまい。
6月23日(金)曇り 今日外来でターミナルケアの必要な患者さんを市内の病院に紹介した。紹介先の病院はY光内科部長の後輩にあたる先生でY光先生が直接電話して下さって在宅訪問診療でのfollow upが現実となった。介護されるご家族も大変喜んでおられてご自身の住み慣れた家で少しでも長い時間を過ごして頂きたいと願ってやまない。県中でもこのへき地医療センターが複数体制であれば何とか在宅にも目を向けていけそうなのだがなかなか今の状況では難しいようだ。
6月22日(木)曇り 今日は久寿軒地区の無医地区診療に出掛けていった。先月もそうだったが高知市内の病院で処方を受けていたのをこの無医地区診療で処方して欲しいというお年寄りが増えてきている印象がある。みな高知市まで出掛けていく体力がなくなってきたということが一番の理由だと考えられるのだがそんな理由であってもこの無医地区診療は意義があるといえるのである。
6月20日(火)曇り 今日は吾川村診療所から肺炎患者さんの胸部X-P画像と胸部CT画像がへき地医療センターに送信されて来た。呼吸器科のA木先生はいつも症例について相談に行っても嫌な顔一つ見せず快く読影を引き受けて下さる。今日の症例についても適切なアドバイスを頂いてこの治療でせよくならなければ来週当科で受け入れるという助言まで頂戴した。こういった言葉はへき地勤務医師にとって何よりも心強いものであり、とりあえず今週一杯何とか頑張って診療所でfollowをしてみようという気持ちも沸いてくるものなのである。私がここへき地医療センターにやって来て本日までに地域の第1線で活躍している卒業生達から15件のコンサルトがあったが、その内A木先生は6件(40%)の対応をして頂いているのだ。A木先生、今後とも宜しくお願い申し上げます。
6月19日(月)曇り 今日は当直明けで睡眠不足のまま外来に臨んだ。やはり頭がボーッとしている自分がよくわかる。いつもならば笑顔が出せる場面でも顔が何となくひきつってしまう。昨日入院させた患者さんの状態もまずまず落ち着き、N村先生とO野田医師と3名で主治医として関わることとなった。今日は定例の医局会があり、6月1日付けで新採用となった内科の2名と消化器内科の1名の研修医の先生が紹介された。この人不足の中まさに頼りになる3名の加入によって少しは現在の内科・消化器科の多忙さも緩和されてくるだろう。
6月18日(日)晴れ 今日は当直だ。明日の朝まで24時間の勤務だが、何とも平和な当直だと思っていた夕方まではよかった・・・。しかしながらそんな言葉を発するとだいたいが重症患者が搬送されてくるのが世の常である。夕方17時30分救急車が来た。H見副院長の患者さんであったため当院に搬送されて来た。血圧が60-70と低く、意識レベルも低下している。自分では体位変換もできない状態のようだ。昨日までは元気だったというが、嘔吐・下痢が2-3日前から続いていたようだ。とにかく入院をさせて精査を進めてながら加療もしていくことにした。県中は土日の体制はこういった救急に対して万全といったものではなく、放射線技師さんや臨床検査技師さん達を呼び出すシステムになっている。ためらうことなく呼び出ししてもらって精査した。ほぼ診断の手かがりもつかめて治療を早速開始した。どうやら今夜は眠らせてもらえそうにない・・・。
6月17日(土)雨 今日は高知市の保健福祉センターで40歳記念健康診査が行われ、私は高知検診クリニックの先生が急用で来られなくなったためにその代診医としてかり出された形となった。総数200名で5診の内科医で診察を行った。医師1人に対して約40名の検診受診者が来るということでさすがに高知市内の検診は規模が大きい。午後には高知県内の自治医大卒業生が集まって色々な懸案事項について議論をした。約3時間にわたる協議を終えてその後有志が残って市内に呑みに繰り出した。明日は当直だしこの週末は家族を置き去り状態ということで嫁さんの怒った顔が目に浮かびそうである・・・。
6月16日(金)晴れ 今日は梼原病院からお預かりした患者さんを無事退院させることができた。治療はまだ途中段階であったが、当院での治療を地元の梼原でも継続できるということで患者さんも大喜びで退院なされた。やはり何といっても自分の家が一番ということだろう。今後梼原での治療が奏効してくれることを祈念しつつ病棟でお見送りさせて頂いた。今回のもう一つのポイントは地元で高知県中と同レベルの治療を施すことができるという点である。時間外の対応や在宅訪問診療などの点を考えるとずっと患者さん自身にとっては優れた医療を施せるということにもなる。梼原病院のスタッフの皆様これからのfollowを宜しくお願い致します。
6月15日(木)晴れ 今日は嶺北中央病院に応援代診に出掛けたが、調度日本脳炎の予防接種の時期と重なっており、私はその予防接種当番となった。こんな仕事は私のようなフリーの立場の医師がもってこいの仕事であり、本山町内にある教育機関を巡回して予防接種に廻った。最近予防接種もなかなか厳しい条件があるようで、まず我々医療従事者が到着してから体温を測るという制度があるらしい。しかも水銀計で!!!。今までの印象ならば我々が到着した時点では体温は当然測って終わっているべきものだったが、到着してからしばらくボーッとしていて何だか時間がもったいない感じだった。しかも予防接種が終わってからも20分くらい様子をみていなくてはならないということで駄目押しされた形となった。最初の幼稚園では予防接種が終わる頃に一人の男の子が遅刻してやって来てここからまた水銀計で10分待って体温を測り20分経過を見るということになってしまった。何とも要領を得ない最近の予防接種である。
6月14日(水)雨のち曇り 今日は全国都道府県担当者を一同に集めての全体会議が開かれた。最近の教育カリキュラムや自治医大関係のトピックスなどについて学長をはじめ事務方の担当者まで約2時間にわたって開かれた。今年の医師国家試験は合格率が97%で2位の大学を4%引き離してのダントツの一位だったことが話題に上った。確かに昨日聴いたようなシステムであればこの好成績も納得もいく部分もあるのだが、今ひとつ素直に喜べない感じが残った。何でも合格率の高かった翌年はガクッと成績が落ちるというジンクスもあるようで今年の6年生は昨年以上に厳しいカリキュラムの元に指導を受けることになるらしい。この他自治医大入学のメリットであった貸与金制度(義務終了と同時に債務がなくなる)も今年の1年生から廃止され、奨学金制度に乗り代わるようだ。時代はどんどんと厳しくなってきている雰囲気をひしひしと感じた・・・。
6月13日(火)雨 今日は母校自治医大において主管課長会議(ブロック会議)が開かれた。学生時代には県の担当の方や卒後お世話になる研修病院の顧問指導医の先生達が来て色々と顔合わせをする機会くらいに考えていたのだが、今回は逆の立場でこの会議に参加することとなった。本日は個別協議があり、各県ごとの学生の現状(学業成績から生活態度などを含めて)が担当教官の方から伝えられそれらの情報を元に県担当者と色々と情報交換する場でもある。現在自治医大では留年者や卒業保留者に対して学習開発指導部会というチームが組まれて専属の指導教官がついて学習面から生活全般に対する評価が毎月行われるシステムとなっているようだ。勿論成績優秀者に対してはそのような束縛はないのだろうが、何もそこまでしなくても・・・といった印象を受けてしまった。このような管理体制下でないと勉強しない学生さんが増えてきているのだろうか?夜には高知県出身の学生さん達が全員集まってくれて近くの居酒屋で懇親を深めることができた。とりあえず顔と名前だけは一致するレベルには届いたようだ。
6月12日(月)曇りのち雨 今日は吾川村から紹介を受けた患者さんに対して外来でIVHリザーバーという医療器具を体内に留置する処置を行った。これも病診連携の一環としての大切な対応であり、この処置の予約のためにわざわざ受診をさせることなく、主治医との電話での連絡により、処置の段取りを病院の方で済ませて患者さんは一度の受診で全てが終わり、術後の処置は地元の診療所で行うことになっている。こういった処置や検査などについての予約の手配と担当科への症例提示もへき地医療センターの大切な仕事の一つである。
6月10日(土)曇りのち雨 今日は福祉交流プラザにおいて2級ヘルパー養成講座の「医学の基礎知識」の部門の講師を頼まれて講義に出掛けた。午後13時30分から午後16時30分までの3時間を喋り続けることになった。先代のY井先生が残してくれた講義用のスライド原稿をもっていって利用させて頂いた。ヘルパーさん達が介護対象者の自宅に訪問に行った時になるべく役に立つような内容で自分の経験も元に色々と話をした。参加者は75名いて一人くらいは知ってる方がいるかなと思っていたら、大川村診療所時代に患者さんだったことのある方から帰り際に声をかけて頂いた。よく知っている方だったので懐かしく当時のことを色々とお話しさせて頂いた。講義はまずまずに終わったが、午前中の透析と併せるとせっかくの土曜日がもうすでにほとんど潰れてしまっている。ま・まずい・・・。これから家族サービスに努めなければ。
6月9日(金)晴れ 今朝3時に6A病棟で発作性上室性頻拍の患者が出てまだ夜が明けないうちに起床するはめになってしまった。当直なので仕方がないが、この時間だと中途半端で結局朝まで眠れなかった。そのまま午前中の外来に突入し、午後の救急当番もA木先生が出張のため私が代わりをすることになってしまった。こんな日に限って色々と午後の時間外もやってくるのである。結局全ての外来が終わったのは午後17時20分を回ってしまっていた。さすがに17時を過ぎて消化器に胃カメラの予約などをしようとすると受ける方の側もちょっとご機嫌斜めになってしまう・・・。それと今日は午後にたまたま吾川村と嶺北からそれぞれ患者の紹介を受けた。早速来週入院の段取りをつけてそのまま病棟に上がり、回診を手早く済ませて事務局主催のO田さん(へき地医療センター担当事務兼)の送別会に参加するため三翠園の庭園ビアガーデンに駆けつけた。2年生のO川医師は嘔吐・下痢のため外来で点滴治療を受け欠席(大丈夫か???)、1年生の2人も忙しい中頑張って都合をつけて何とか遅れて参加できた。ビールが美味しかったがすぐに眠たくなってしまって撃沈してしまった・・・。
6月8日(木)晴れのち曇り 今日は嶺北中央病院に応援代診に行った。「地域医療」という町民を対象とした住民検診が始まっていて対象者は18名と多かった。このうち胃カメラを希望されたのが5名で久し振りに胃内視鏡を手にして嬉しかった。嶺北ではブリリアントブルー法という染色を予め全員に施行するのだが、三豊で染色なしの手技を1年間指導を受けたこともあって染色なしで検査をさせて頂いた。最初の方はまく挿入できるだろうか?と一抹の不安がよぎったが何とかスムーズにできて後の方についてはリラックスして検査ができた。今後土佐山村診療所にも胃カメラが導入されるため週に何度かは胃カメラの機会が持てそうで何よりである。しばらく検査していないと本当に腕が鈍ってしまうため、お陰で後期研修で修得した技術が無駄にならずに済みそうである。夕方葉山村診療所のY崎先生から患者さんの紹介を受けた。腎臓関係の患者さんであり、N村先生にも相談をして早速入院の手配をした。その後間もなく当直の看護婦さんからコールがあった。そういえば今夜は当直だった。何事もなく無事に済んでくれればよいのだが・・・。
6月7日(水)晴れ 今日は土佐山診療所に代診である。やはり昨日の患者さんのこともあって病院を離れるのには色々とミットの先生達への申し送りなど気を遣ってしまうものだ・・・。しかしながらこの代診の時間は県中のバタバタとした時間と違って少し頭を冷やす絶好の機会でもあるのだ。この貴重な時間をうまく利用して色々と雑用は済ませておかなければいけない。帰りには土佐山の看護婦さん達に教えてもらった近道を通って帰った。何と正連寺霊園の辺りから高知インター(四国勤労病院のそば辺り)の方に降りる裏道が存在していたのである(これは圧倒的に早い)!!この情報のお陰で今日一日何だかすごく得をした気分になってルンルンであった。
6月6日(火)晴れ 今日はI西医院より患者さんの紹介があった。M渕先生からの紹介であり、ただごとではないと思ったらまさにその通りであった。何とか部屋を確保して緊急入院の手続きをとった。重症肺炎に加えて高熱、激しい下痢が続いており、体力的にもかなり参っておられるようだ。外に出る機械の多い私はあまり重症の受け持ちはないようにとY光部長と決めてはいたのだが、このような緊急入院のケースの場合なかなか他の先生方だけに全てをお任せするのも気が引けてしまい、自分も一緒に主治医にさせて頂くことにした。今後何とか治療を進めていって元通り元気にM渕先生にお返しできるように頑張っていかなければならない。
6月5日(月)晴れ 今日は外来に「左半身が動かしにくくて喋りにくい」という患者さんが来院した。どうやら発症は昨夜の22時頃のようだ。やはりこの患者さんも当科外来の定期受診者で夜は診察してもらえないと思って朝の外来を待っていたようだ。さっそく脳外科の方ともコンサルトして脳梗塞の診断の元に入院の運びとなった。これから内科的に血栓溶解療法、リハビリなどに主眼を置いての治療となるのだが、この10時間近いタイムロスを何とか取り返せるよう頑張らなくてはならない。梼原や嶺北などではこのような患者さんならば必ず「おかしい」と思った時から朝を待たずに受診されるはずである。かかりつけの病院に対する思いの違いといえばそれまでなのだろうが、これで深夜・時間外のため治療が遅れたケースが2例続いてしまった。何とも残念というか哀しい気持ちで一杯である・・・。
6月4日(日)晴れ 今日は鴨川シーワールドに行ってシャチやイルカの絶妙な芸を見たが何と言っても寝不足気味で照りつける太陽の日差しが目に眩しかった・・・。みんなと来年の再開を約束して帰途につくこととなった。空港には嫁さんの実姉であるK恵義姉さんも見送りに来てくれたのだが夫婦揃ってお疲れモードで何とも申し訳なかった。明日からの勤務に備えて今夜は早く寝ることとしよう・・・。
6月3日(土)晴れ 今日は千葉の鴨川グランドホテルにて大学時代に親しかった仲間で義務年限終了を祝う会が開かれた。それぞれ家族連れで集まり近況報告やこれからのことなど学生時代に戻った感じで遅くまで語り合った。何年も会ってないのに不思議とつい最近まで一緒に生活していたかのようにすぐに盛り上がり、まるで学生時代にタイムスリップしたかのような・・・昔の学生寮で同じ時間を共有しているかのような・・・そんな不思議な錯覚を覚えてしまった。あっという間だったが何とも楽しい時間が過ごせて嬉しかった。その場の成り行きで来年は場所を関西に移してまた会うことにしようということとなった。嫁さん達もなかなか盛り上がったようで子供達を寝かせつけてからA.M.1時過ぎくらいまで別部屋で盛り上がっていた。我々男性陣も負けずにへべれけになりながらも時間を惜しむかのように会話は弾み、皆が就寝したのはA.M.3時30分をすでに回っていた・・・。
6月2日(金)晴れ 今日は数日前から相談を受けていた梼原病院からの紹介患者さんが救急車で搬送されて来て入院となった。この患者さんについてのベッド確保についてもY光部長が地域医療に対する後方支援を最優先しての判断で多くの入院待ちがありながらもすぐに(わずか1日待ちで)入院のベッドを確保して下さった。こういったちょっとした心配りが我々へき地医療関係者にとって何ともありがたく感じられるところである。この患者さんについても早く良くなって頂いてまた元気に梼原に帰って頂かなくてはならない・・・。
6月1日(木)晴れ 今日は県内のへき地指定を受けている診療所から水曜日の定期代診の依頼があった。へき地医療センターは後方支援を第一義として掲げている部署であるだけになるべく断ることはしたくなかったのだが、現在と土佐山村診療所への定期代診が水曜日に入っているため、この話はお断りせざるを得なかった。こんな時複数体制であれば・・・とふと思ってしまったが、こればっかりは仕方のないことである。今後もこのケースだけではなく色々と代診の依頼は受けると思うが、自分一人でどこまで対応できるのか少し不安になってしまった・・・。