日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・
今日の出来事
8月28日(月)晴れ 今日土佐御苑にて前期(平成12年4月-8月)の医局歓送迎会が開かれた。何とこの時期になって私自身も主賓の一人というわけである。消化器科のT崎先生、麻酔科のW辺先生達4名の送別と一緒に、私を含めた17名の新入りの挨拶が一通り行われた。明日は梼原への代診があるためあまり深酒をしないように一次会で退散させて頂いた。主賓の中の一人ということで宴会代はタダということでラッキーだというか、申し訳ないというか・・・。まあこうやって順送りに歓送迎を続けていくことになるのだろう。これから統合新病院になるまでの4年間に一体何名の専門医とお別れしなくてはならないのだろうか・・・。
8月26日(土)曇り 今日は一日透析当番のため病院内での待機となった。透析に関するトラブルはほとんどないのだが、医師が誰かは控えておかなければならず、月1回のペースで回ってくる。日頃後方支援業務のために院内にいない場合が多いため、こういった待機の時間帯こそが色々と仕事を片付けてしまうチャンスでもある。家では子供達がバタバタと走り回っているため、静かにじっくりとパソコンに向かって座っていることはできず、そんな意味でも透析と定期院内当直は貴重な自分の時間という位置付けがある。お陰で今日は3つの仕事が一度に片付いてルンルン気分であった。院内の定期当直は担当の外科H田先生に申し出てなるべく金曜日にしてもらえるようにお願いした。というのも金曜日以外の曜日の当直だと早朝出発の日が多くて誰か他の医師に早出をお願いして当直(AM8:30までがデューティ)を代わってもらう必要があるのだ。
8月24日(木)晴れ 今日は大豊町久寿軒地区へと無医地区診療に行った。薬局と医事課の担当職員は今回が初めての方で、久寿軒は山奥なので涼しいでしょうと期待していたようだが、その願いも虚しく今年一番の蒸し暑さで大変だった。日頃エアコンのある環境で作業されているためか、今日の暑さはなかなかこたえたようである。こんなに暑いのに患者さんはいつもと変わらず診療に来ていた。月一回のデイサービスを兼ねていることもあり、なかなか出席率も下がらないのである。診療が終わって皆逃げ込むようエアコンの効いたに公用車に乗り込んでいた。みんな揃ってクーラー病のようである・・・。
8月23日(水)晴れ 今日は土佐山診療所に代診に行ったが、整形や外科、脳外科関係への紹介が必要な患者さんが珍しく続き、3件の紹介状を書くことになった。日頃は滅多にこんなことはないのだが、こうやって紹介の必要な患者さんが集中する日もたまにはある。土佐山に関してはやはり高知市が30-40分の距離ということで紹介の話をしても意外と皆スムーズに反応してくれる。梼原のような地理的ハンデをもつ地区とはまた少し違った印象があり、それぞれの患者さんは高知市内ではまた診療所とは別にかかり付けの病院を持っているケースが多い。
8月22日(火)晴れ 今日は四万川診療所に代診だったが、毎月恒例の住民健康教育をM野医師から引き継いで続けていくことになった。禁煙に力を入れておられたということで「禁煙のススメ」という題で講義を行った。高知医大の学生さんが3名来ていて住民を対象としてこの健康教室に対するアンケート調査を行っていた。自治医大では環境医学にあたる教科の課題のようである。また後日アンケートの結果がこちらに示されるようなので色々とその分析結果も参考にさせてもらって、よりよい健康教育につながるように頑張っていきたいものだ。
8月19日(土)曇り 今日自治医大からN嶺助教授が来高された。明日地元高校生を対象とした自治医大の大学説明会のためである。N嶺先生は四国4県の担当教官であり、また自治医大卒業生(宮崎4期)でもある。同期のY井先生や1期生のY部先生、19期S田真先生らが集まって下さり、県の担当者も一緒に懇親を深めた。明日は午後14時から大学説明会が共済会館であり、卒業生として30分程度何か話をしなくてはならない。そういえば15時過ぎからは高知県医師会学会の演者としての発表もある。もう少し時間がずれていればゆったりと過ごせるのだが、演題の発表時間までこちらから要望することもできず、明日の午後は慌しい時間となりそうである。
8月18日(金)晴れ 今日の夜、消化器科T崎先生の送別会が「H山」という料亭で開かれた。T崎先生はこれまで14年間高知県を代表する消化器指導医として頑張って来られ、我々自治医大卒業医師を数多く育てて頂いた。ご自分の理想の環境で内視鏡をしたいという気持ちから開業を決意されたようである。シャワーを完備し、インターネット上からの予約システム、デジタルファイリングシステムなど活気的な内視鏡クリニックとなり、これからは我々自治医大のパイオニアであるY部先生、Y井先生達の作る新病院を後方病院となされて頑張って行かれるとのこと。まだまだこれからも色々とご指導頂かなくてはならない先生だけに大変に惜しまれるのだが、T崎先生の新しい門出を祝福してこれからの益々のご活躍・発展をお祈り致します・・・。余興としてプラセボのラキソベロン液(偽薬の下剤)による研修医ロシアンルーレットはなかなか面白かった。いかにも消化器らしい試みで、「いつもと味が違う・・・」と蒼ざめて偽薬の入ったビールを飲む研修医達の表情が何とも愉快であった。正解者は不明ということにしているため夜中に何度かトイレに行って排便していたとしたらまさにプラセボ効果といえるだろう・・・。
8月17日(木)晴れのち曇り 今日の夕方高知県中講堂において統合新病院院長予定者のS戸山先生が「求められる病院、求められる医師」という内容で新病院構想について色々とお話頂く機会があった。高度専門医療や高次救命救急、総合診療科などについての話題があったが、へき地医療に関する詳細についてのコメントは今回特になかった。これから高知諸診医会の仲間と一緒に何度かお会いして高知でこれまで20年近くやってきた歴史についてもご理解頂いて、S戸山先生のお考えと少しでも擦り合わせして更なる飛躍となれることを祈るばかりである。今のような自由度の高い後期研修やへき地医療協議会のシステムは果たして残っていくのだろうか?全てはこれからの話である・・・・。
8月15日(火)晴れ 今日は梼原町四万川診療所への代診にいつも通り出掛けた。お盆期間ということでいつもの半分くらいの患者さんだった。さすがの診療所も可愛いお孫さん達にはかなわないといったところであろう。診療を終えて夕方17時からの「高原まつり」でよさこい踊りを役場・病院・支援センターとして毎年踊っているのだが、A波谷院長の勧めもあって急遽ハッピを着て踊ることになってしまった。周りは皆知っている方々ばかりで快く迎えて下さり、I井医師らと一緒に梼原の町中を踊りながら行脚した。そのまま宴会に突入と行きたかったのだが、明日の仕事のことも考えて今回は我慢して帰ることにした。今年はよさこいを踊れないと諦めていたが、その機会に恵まれて何ともラッキーだった。
8月13日(日)晴れ 今日宿毛市からK野理事、T上副部長、M吉課長らと一緒に帰ることになったのだが、3名ともやはりこういった形で現場に足を運ぶということの意義は大きいと皆改めて再認識されていた。地域医療で在宅訪問診療によってその患者さんの生活環境や暮らしぶりなど色々と分かることが多いが、各市町村やその第一線で勤務する医師の風景というものも県の中枢を担う方々にこのような形で診て頂くことは大変大きな意義があり、またそうやって足を運んで頂ける方々が行政にいらっしゃるということは我々にとっても心強いものを感じる。K野理事も昨日お会いしたS近さんという船長さんのことを色々と思い出されて、「あの沖ノ島から遠路はるばる高知市内までわしの外来に来てくれとったんじゃのお・・・」と感慨深げに漏らされていた言葉が印象に残った。
8月12日(土)晴れ 今日は午前8時10分発の特急で宿毛へと向かった。お盆の帰省ラッシュということで自動車での移動組は所用時間5時間以上となかなかの渋滞振りであったが、特急組は何と2時間ジャストという快適さであった。2時間という距離はちょうど岡山への移動と同じということになる。従来ならば3時間は最低覚悟しなくてはならなかったのに土佐くろしお鉄道の誕生は西南地区の県民も多大な恩恵を受けていることだろう。宿毛市につくとそのまま片島港へと向かい、チャーター船で約30分(定期巡航船では約90分)の沖ノ島へと移動した。ジェットコースターさながらの時速60km/hrの波乗り滑走に船酔いした学生さんもいたが、なかなか激しい移動手段で迫力があった。船長さんはK野理事が10年前に腰椎の手術をされた患者さんで旧交を深めておられるお2人の姿が何とも印象的であった。沖ノ島ではU田医師の活躍ぶりを色々と見せてもらう機会に恵まれ、この島で現実に何十年も保健婦として勤務された「孤島の太陽」の主人公荒木保健婦さんの話など幾つか印象に残ることが多かった。再び宿毛市内へと移動して3日間にわたる夏季学生実習の反省会を行い、その後学生さん達と一緒に酒を呑んで懇親を深めた。
8月11日(金)晴れ 今朝午前5時30分にI本主幹が迎えに来て下さり、そのまま県立中央病院に向かった。今日は外来日であり、朝の透析のことも考えるとこの時間に帰らなければ間に合わないわけである。昨夜の日本酒が残っていて完全に二日酔い状態で帰りの車の中ではほとんど寝てしまっていた(I本さん運転ご苦労様でした・・・)。今週1週間色々と移動も多かったためか今日一日お疲れモードであった。明日は夏季学生実習のために沖ノ島へと向かう予定である。早く寝て休んでおこう・・・。
8月10日(木)晴れ 今日午前中嶺北での後方支援を済ませて午後には梼原町で「梼原病院開院5周年記念行事」が開かるために、県のK野理事とI本主幹らと一緒に出掛けることになっていた。出発の直前には川崎医大高度救命救急センターのF田助教授がへき地医療センターの視察においでて下さり、40分ほどでばたばたとしながらご説明さし上げる機会があった(慌しい説明でF田先生大変申し訳ありませんでした・・・)。梼原ではA谷院長が梼原病院の5年間の分析や診療所時代からの変遷について分かり易く説明して下さり、自分自身もそのうちの3年間に関わりをもつことができて感慨深いものを感じた。本当に梼原では保健・医療・福祉の各部署間の敷居が低く、横のネットワークのうまく整ったよいシステムが構築されている。高知市では到底考えられないような町の隅々のお年寄りまで把握されていて、充実した在宅医療まで施され、患者さん達の背景を踏まえた本当の意味での医療の原点を実践しているところであり、まさに梼原病院は我々にとって地域医療のシンボル的存在の病院である。会の後には地元の方々や学生さん達と一緒に酒を飲む機会に恵まれ、相変わらずの日本酒攻勢でへろへろになってしまった。医師と学生さん達によるビール・日本酒消しマジックショーも披露されてなかなかの盛り上がりをみせていた。
8月9日(水)晴れ 今日はよさこい祭りの前夜祭として鏡川花火大会があるということで家族でその見物に行った。もの凄い人の波で花火を見に行ってるのか黒山の人だかりを見に行ってるのかよくわからない状況であった。毎年中央病院では筆山荘の屋上で高見の見物が可能であったが、今年は三翠園のガーデンに変更されていた。ここにも予算的な問題があったのだろうか・・・。とにかく10年振りで久し振りの花火だったが、来年からは家の庭でのんびりと子供達に線香花火でもやってあげることにしよう(もうコリゴリ・・・!!!)。
8月8日(火)晴れ 今日四万川診療所に行ってみるとPentiumIIIのパソコンが納入されていた。役場の備品として入ったそうだが、小型のCCDカメラも備えられていてテレビ会議を狙ったものらしい。役場とはインターネットを通して色々と情報のやりとりがなされるようで、ここ梼原にも新しい情報世界の波が確実に押し寄せてきているようだ。
8月7日(月)晴れ 今日は外来でCPKが5000という患者さんがいて緊急入院させた。筋肉が広範に傷害されているらしい。輸液などで腎不全に注意しながら今後の精査加療を進めていかなければならない。もう一人は2週間以上38℃前後の微熱が続いている不明熱の患者を入院させた。2例ともいかにも内科らしい症例ではあるが、最終的に確定診断に至るまでにはなかなか時間がかかりそうである。
8月4日(金)曇り 今日は外来でH見副院長から紹介のあった外科の患者を入院させて主治医として診ることになった。いつもこちらから紹介して診て頂くことが多いのでその意味でもしっかりと入院管理していく必要がある。現在は後方支援のこともあって入院は3-5名と少ない。代診などで不在の時にはミットについて下さっている常勤医と研修医の先生達に多大なご迷惑をおかけしている。しかしながらこんな形であれ、病棟に関わりを持たせて頂けることは何よりありがたい話であり、Y光部長にはつくづく感謝しているのである。
8月3日(木)晴れ 今日家の近くの交差点でスクーターに乗って直進しようとしていたら右折の車が強引に曲がってきて軽く接触してしまった。幸い大した事故には至らなかったものの、どうやら私のスクーターの左側ウインカーがつきっぱなしになっていたようである。確かにこの交差点に入る前に左折したのでウインカーを消し忘れていた可能性が高い。しかしながらやっぱり右折車の前方不注意の方が問題ではないかと思うが、お互いに落ち度があったということでその場で何もなかったことにして示談交渉が成立した。やっぱり事故は予測のつかない状況で起こり得るのでこれから注意していかなくてはならない・・・。何事もなくてよかった、よかった。ふと考えてみたが自分が何かで入院した時に誰が後方支援してくれるのだろう???
8月1日(火)雨 今日は四万川診療所の後方支援に行った。この1ヶ月で患者さんも大体一通り診察したことになる。今日全国高校野球選手権大会の高知県予選があった。午後往診を終えて外来もひと段落したところで試合経過を観て応援していたのだが、残念ながら母校土佐高校は最終回に逆転負けをきしてしまった。本当にあと1歩で甲子園だっただけにあまりにも惜しい!!!。ピッチャーの合田君は2年生ということで来年に期待することにしよう。それにしても悔しい〜っ・・・・。