日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

 3月29日(木)曇り 今日は魚梁瀬(やなせ)への出張診療日であった。大川村のようにダムによって昔の居住地区はダム湖に沈み、現在は少し上がったところに広い平地があり、そこに住民が集まって生活を営んでいる。人口は約300名前後であるが、村としてもなかなか統合の道は模索できない状況のようだ。ここ魚梁瀬は桜の名所の一つで多くの桜並木もあったが、 残念ながら満開は来週くらいになりそうだ。

3月28日(水)曇りのち雨 今日は馬路村診療所への初代診である。元々馬路は県立安芸病院の傘下にある診療所であるため、我々の支援が領域潜犯にならないのか当初は県中として問題視されていた。しかしながら安芸だけでは対応しきれないということで今回2日間の後方支援が実現することとなった。学生実習や夏季研修では何度か訪れたことのある場所だが、実際に診療所の中に立ち入ることは今回が初めてということで大変楽しみにしていた。診療所のスタッフも皆すごく優しい方ばかりで、色々と気遣いをして頂いた。

3月27日(火)晴れ 今日は酒も今一つ抜けないままも朝8時過ぎまで熟睡させてもらったお陰で体調はすこぶるグッドであった。今日の外来が私の最後の外来だと思って来院した患者が大勢いていつも以上に慌しい外来であった。4月からは火曜日から金曜日に代診日が変更されるが、引き続きこの四万川住民の健康維持に少しでも貢献できることはこの上ない喜びでもある。今のところ無期限の代診派遣だが、きっといい方向でまた新たな梼原への支援策が登場してくるに違いない。

3月26日(月)晴れ 今日M下医師は循環器病学会に参加しているため、私は本川への代診である。一度学会会場から電話がかかってきたのだが循環器領域のup-to-dateを勉強してきているようで、なかでも心室内伝導障害を来した重症末期慢性心不全に対する両心室ペーシングの有用性に関する発表など色々と刺激を受けてきたようである。しかしながら、ものすごい鼻詰まりの声で久し振りの大都会の汚れた空気にアレルギー性鼻炎が急激に悪化したようである。内服も持参していなかったようで、近くの薬局で花粉症用のマスクを購入するよう勧めてあげた。午後には大川村との境にある大橋出張診療所に行き、15時30分まで診療を行い、その後長沢から梼原へと向かった。今夜は梼原で歓送迎会が開かれるためである。M崎医師を沖ノ島に送り出すのと高知県中からO川医師を迎える会である。これまた午前様まで大いに盛り上がり、その夜は病院の当直室泊まりということになった。

3月25日(日)晴れ 今朝はAM4:00から国際親善試合日本対フランスの国際AマッチがスカイパーフェクTVで生中継された。嫁さんは颯爽と起床して私も睡眠時間2時間で眠い目を擦りながら何とか目覚めてテレビへと向かった。結果は散々たる0-5で完敗であった。睡眠時間を惜しんで応援した甲斐もなく、日本代表の無残な姿に愕然としてしまった・・・。その後ふてて昼過ぎまで爆睡したことはいうまでもあるまい。そしてまた嫁さんの機嫌は最悪の状態である。触らぬ神にタタリなし。午後は点数稼ぎに久し振りに町へと買い物に繰り出したが、嫁さんにとっては日本惨敗の余韻は隠せないようだ。

3月24日(土)晴れ 今日は当直明けでそのまま透析当番に入った。午後15時過ぎに帰宅して2時間ばかり仮眠をとってから市内へと繰り出した。今夜はへき地医療センターの送別会なのだ。初期研修として2年間高知県中にてO川医師、H田医師の2名が多科ローテーション研修を無事終了し、いよいよ地域の第一線に出陣していくわけである。2人とも不安は隠せない様子だが、きっと1年後には何倍にもたくましくなって成長してくれていることだろう。午前様まで呑んだくれて帰宅は1時を回っていた・・・。嫁さんの機嫌はすこぶるよくない。

3月23日(金)曇り 今日は平成12年度へき地医療センター運営協議会が開かれた。代診や無医地区巡回診療、画像伝送、入院受け入れ、内科外来・病棟、その他の院内業務など色々と自分なりに整理してみたが、この1年間まずまずの仕事量はこなしてきたものと考えている。来年度についても専任医師1名体制でいくわけだが、今年度もまた実績を残して来年度は2名体制・・・なんてそう簡単にはいかないだろう。夜は本来医局の送別会があったようだが残念ながら今日は当直であり出席することができなかった。当直は時間外で3名の受診があったが重症の搬送例はなくまずまず眠れた。当直で家に帰らず嫁さんの機嫌はよくない。

3月21日(水)雨 今日は土佐山代診が休みだったので今週末に開かれ平成12年度へき地医療センター運営協議会に向けての実績一覧づくりに励んでいた。するとT橋院長から呼び出しがあり、話は梼原への後方支援についての内容であった。四万川診療所に4月から就任する予定であった某医師が契約直前の段階でキャンセルしてしまい、その分のスタッフ確保について梼原が色々と対策を考えているという情報がどこからともなくT橋院長の耳に入ったようである。へき地医療センターの第一義としてこれを放っておくわけにはいかないということで急遽A波谷院長に連絡をとり、4月からも引き続き四万川への代診業務が継続されることとなった。今回のことはへき地医療センター業務に関する一つの試金石みたいなもので、T橋院長の選択には大変嬉しいものを感じた。これと相反して院内業務が手薄にならないよう2年目の研修医の先生達にも協力してもらって今年度も頑張っていきたいと考えている。

3月17日(土)雨 今日は優駿の卒園式だった。4月からはいよいよぴっかぴっかの1年生ということになる。うちの嫁さんは卒園式が終わってからこの雨の中を春野競技場へ柏レイソル対コンサドーレ札幌のJ1公式戦を観戦しに出掛けた。観客が少ないことが心配されていたが、追い討ちをかけるような雨で、嫁さんも来年は公式戦がなくなってしまうのでは・・・と心配そうだった。競技場には結構観客が来ていて予想外であったが、本当にサッカーを愛するサポーター達にとっては雨も友達というわけである。

3月15日(木)晴れ 今日は15時過ぎまで嶺北中央病院の後方支援業務を行い、その後嶺北のI田医師と一緒に三豊総合病院に行った。彼は4月から土佐山村診療所のK村医師に代わってここに内視鏡研修に行きたいという希望があり、私の個人的な都合もあって一石二鳥ということで一緒に紹介を兼ねて挨拶に伺った。S脇部長、A東部長、O原先生、N津先生などお忙しい中時間を作って下さりそれぞれとお話する機会がもてた。新しくできた南病棟もフル稼働しているようでスタッフの方々も皆忙しそうに病棟を駆け巡っていた。

3月14日(水)晴れ 今日は土佐山の代診がお休みのためフリーだったが、朝から院内の貯まっている仕事を片付けるのにアクセクしていた。来年度のへき地医療センター運営方針など色々と検討課題もあって院内調整と行政とのからみもあって色々と頭も悩ませられる。そういえばへき地医療センター運営協議会の期日も迫ってきており、それに向けての準備も必要である。この他明日棚田医師が、消化器疾患研究会で発表することになっており、スライドと発表原稿の最終チェックもしたりしてあっという間に時間が過ぎていってしまった。今日がフリーの日で何よりであった・・・。

3月11日(日)晴れ 今日は高知クリニック胃腸科内科にお見舞いに出掛けた。実は父が痔核に長い間悩まされていて、とうとう思い切って入院治療を受ける気になってくれたわけである。手術も無事終わって「こんなんだったらもっと早く治療していればよかった」とホッとしたように喜んでいた。後は退院を待つばかりということで何はともあれ、めでたし・めでたし。Y野先生、O野先生父が大変お世話になりありがとうございました。

3月9日(金)雪 今日は本来ならば隠岐に渡る予定であったが観測史上最高の積雪量という天災に見舞われてしまった。朝9時に予定していたN川院長との面会を済ませてから空港へと向かったが、その途中で隠岐行きの飛行機欠航が決まったために、14:40境港発のフェリーしか隠岐に渡る交通手段がなく、それに乗るべく出雲空港近くの玉造温泉駅からJRに乗り換えて移動した。通常ならば余裕で間に合うルートなのだが、大雪のための徐行運転に加えて前を走っていた各駅停車の電車がパンタグラフの故障で特急がストップしてしまい何と途中停車してしまうアクシデントに見舞われてしまった。最寄の安来駅に何とか下車して急いでタクシーに乗り換えて移動しましものの、一般道も大雪のため予想以上の大渋滞に遭い、結局フェリーには間に合わず、15分遅れて境港に到着することとなってしまった。今まで予定していた目的地にその日のうちに辿り着けなかった経験がなく、しばらく呆然としたがこれも島という特殊な生活環境の厳しさだとしみじみ感じた。

3月8日(木)曇り 県から依頼を受けて嶺北中央病院のI東先生と沖ノ島診療所のU田医師と3人で島根県へと向かった。いわゆる「島根方式」について色々と勉強してくることが主な目的である。島根県立中央病院をまず視察したが、スタッフの動線と患者さんの動線がきっちりと分かれており、移動途中に患者さんやプロパーさん達に呼び止められることもないわけである。院内LANや電子カルテの整備により、院内は静然として落ち着いており、高知県中のようにバタバタと廊下を慌しく走り回る看護婦さんや助手さん達の姿がいないことに驚かされた。また院内の外来待合にはエプロン姿のボランティアの方々が多く控えており、院内の案内や障害のある患者さんへの介助をなさっておられて大変感激した。この他ナースステーションの中には当然ながら入院カルテのラックがなく、ペーパーレスのためか色々な書類や紙類などがなくすっきりしていた。ノートパソコンを専用のキャリーに載せて颯爽と病室を回っているナースの姿は印象深かった。病室にはネームプレートがなく、プライバシーがとても大切にされていた。電子カルテの実際については自治医大の先輩であるN村先生が実際にパソコンを操作して頂き、我々の質問に一つ一つ実際に操作しながら詳しく回答して頂いた。様々な光景を目のあたりにしてにあっという間に時間が過ぎ去ってしまった。明日は隠岐に渡って後方支援を受ける立場の状況を視察してくる予定である。

3月3日(土)曇り 今日は土佐山診療所への代診業務である。本来は休日ということだが、代診費用をそのまま受け取るわけにはいかない(公務員)ので高知県中としては時間外勤務手当てによる対応をとることにした。いつも土曜日の午前中は透析業務があり、さほど苦になる代診ではない。へき地指定を受けている診療所は一年間にある一定以上の診療日数に達しないと補助金が受けられないという規定があり、今回の代診もその診療日を補う形となる。午後には定期の高知諸診医勉強会を終え、その後は国保連合会関係者との飲み会が待っている。

3月3日(金)晴れ 今日外来をやっていると救急車によって急性腹症の患者さんが運びこまれて来た。心房細動という不整脈が基礎にあり、各種精査によって腸管を栄養する動脈塞栓という診断がついた。患者さんはすでにショックの状態になっており、元主治医のS木医師が外科コンサルトなど慌しく対応していた。なかなかお目にかかれない症例なのだが、昨年三豊総合病院ではこの症例を2例経験した。珍しいとはいいながらもなかなか侮れない致死性の急性疾患である。